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第百三話『知る覚悟』


 あれから時はいくらか進む。

 里浦先生さとうらせんせいに心からの礼を述べ、例の空き教室を辞した後のことである。樋田ひだは校舎を出次第すぐさまはれに電話をかけ、今ちょうど新たに知った情報の全てを彼女に伝え終えたところであった。


『そうか……』


 樋田の語る話が予想以上に悲惨なものだったからか、電話越しに返ってくる晴の声はなんとも力無い響きであった。

 彼が特に念を入れて話したのは、秦漢華はたのあやかの姉である秦周音はたのあまねが二ヶ月半前に不審死を遂げていたこと。そして秦周音と草壁蜂湖くさかべほうこを介することで、漢華と全殺王ぜんさつおうの間に生じてしまった浅からぬ因縁についてである。

 恐らくは秦邸を襲撃した犯人もその全殺王なのだろうと、憶測すら交えながら詳細に語ったつもりであった。


 それでも彼は自分が最後に気付いてしまった()()()()()だけは口に出来なかった。

 きっと、無意識のうちに恐れていたのだろう。

 晴にそのことを話して、それで彼女が「ワタシもそう思う」などと太鼓判を押してしまおうものならば――――未だ受け入れる準備の整っていない仮説が、一気に逃れようのない現実味を帯びてしまうだろうから。


『……なあ、オマエも本当は分かっているのだろう? ()()などという優しい言葉で濁してはいるが、その誰かが具体的に誰であるかということぐらい』

「……」

『沈黙は肯定と受け取らせてもらうぞ。バカタレめ。オマエ如きで辿り着けた結論に、まさかこのワタシが気付かぬはずがなかろうに』


 しかし、晴はこちらの愚かな葛藤など全てお見通しであった。電話の向こうからはハアと、呆れたように溜息をつく声が聞こえた。


「……別に隠したわけじゃねえ、言わなきゃならねえとは思っていたさ」

『それを隠すというのだクソッタレ。なあカセイよ、オマエは秦漢華を救うと決めたのだろう。ならば、いくら信じたくなくとも目を逸らすな。いい加減に覚悟を決めろ』

「……」


 ぐうの音も出ない正論に思わず黙り込む。

 されど、ここで甘やかさずに発破をかけてもらったのは逆にありがたかった。そうだ、晴の言う通りである。つい先刻大見得を切ったばかりだというのに、男として情けないにもほどがある。

 樋田は秦漢華と真正面から向き合うと決めたのだ。ならば、彼女が例えどのような過去を背負っていようとも、一緒に抱えてやるぐらいの気概がなくてはいけない。


「……なあ、晴。俺ァこのあと一体どうすりゃあいい?」


 無責任に晴に縋ったのではない。それが秦漢華を助けるのに最も効率の良い方法だと信じているからだ。

 その心意気は向こうにも伝わっただろう。しかし、続く晴の言葉は彼女にしては珍しく歯切れの悪いものであった。


『……先に断っておくが、ワタシはこれから酷なことを言うぞ』

「今更んな忠告で怯むかよ」


 即答すると安堵したような息遣いが微かに聞こえてきた。しかしそれでも、彼女の口調が未だ暗いことに変わりはない。


『……そうか。ならば遠慮なく言わせてもらおう。まず前提として、オマエの語るハッピーエンドとは、ただ秦漢華を全殺王の元から救出しさえすればいいというものではないのよな』


「当たり前だ。まず目指すのはそこだが、その後もアイツが腐ったままなら意味がねえ」


『で、あるな。ならばその目でその日秦漢華に起きたことを()()()()()()()()


 晴の要領を得ない言葉に、樋田は思わず黙り込む。それでも彼女は構わずに続けた。


『人心を転向させるなど、そう容易く成し遂げられることではない。オマエが言うような憶測を根拠にした説得ではきっと不十分だ。実際に秦漢華の身に起きたことを正しく把握し、真に適切な言葉を投げかけることが出来ねば、アレがオマエに心を開くことは決してないだろう』


 晴の言うことを理解し、だがそれでも樋田は諾了することが出来なかった。なるほど、確かに理屈は通る。しかし、草壁蜂湖等が死んだのは今から二ヶ月も昔のことであるし、そもそもメディアにすらその日の事件は原因不明の爆発事故で片付けられてしまっているのだ。

 樋田のような一般人がそれ以上のことを知るには、それこそ本人から直接聞くぐらいしか方法はないが、それでは最早本末転倒も甚だしい――――、



『つまりは『燭陰ヂュインひとみ』だ』



 されど、そこで群青の天使は具体的な手段を提示する。樋田はともすれば携帯を取り落としてしまうところであった。


「……どういうことだよ」


『思い出せ。『燭陰の瞳』は過去の時間軸を加速させ、現在の時間軸に追いつかせ重ね合わせることで、間接的な時間遡行を可能とする術式だ。そして過去を引っ張りだしてくる際、必ず術者はその対象となる過去の時間を観測している。観測せねばそもそも引っ張り出す過去を認識することも出来ないのだから至極当然の話だな』


「別に普段そんなことやってる意識はねえんだが……」


『それはオマエの力量で引っ張り出せる過去が精々五秒前までだからだ。五秒前程度ならば、実際に自分の目でもリアルタイムで観ているものだろう? だから実際には過去の観測を行なっていても、オマエにはその実感がないのだ』


 しかし、樋田から特にリアクションがないことから、これ以上説明しても無駄と判断したのだろう。晴は一度咳払いをし、次いで確信的な事実を提示する。


『要するに『燭陰の瞳』は過去を加速させる術式である以前に、過去を観測する術式でもあるのだ。つまり草壁蜂湖が殺された現場に行きさえすれば、オマエは『燭陰の瞳』の力を使って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――――――――――――――ッ!!!!」


 正に渡りに船であった。思ってもみなかった打開策に思わず拳を握る。しかしその喜びは、いよいよ彼女の過去と向き合わねばならぬという重圧を同時に内包するものであった。


「その口振りなら場所はもう分かってんのか?」


『ああ、さっきメールでその草壁蜂湖とやらが死んだ場所の地図を送っておいた。電話を切った後は、それを見て現場に向かえ』


「……どうやって特定したんだよ」


『さっき言っていた仮説の補強とやらがそれだ。全くワタシとしたことが迂闊だった。そもそも個人の事情がネットで発掘出来るはずがない、などと思い込んでしまったのがそもそもの誤算だったな。実は秦周音の事件も草壁蜂湖の事件も、新聞やテレビなどのマスメディアによって詳細に取り上げられていたのだ』


「……はあ?」


 思わず気の抜けた声が出る。

 樋田もそこまで気合いを入れてメディアをチェックしているわけではないが、それでも食事時のBGM代わりにニュースを垂れ流すぐらいのことはしている。

 つまり事件に関する報道がなされていたのであれば、樋田と晴のどちらか一方ぐらいは知っている方が自然な話なのだ。なのに何故揃いも揃って二人とも情報を目にしていないのか――――しかし、その理由は至極単純なものであった。


『思い出せバカタレ。二ヶ月前は丁度簒奪王(さんだつおう)と殺し合っていた最中だろう。その後はしばらく入院させられていたし、世間の情報から半ば隔離させた状態にあった。だから、知らなかった。単純な話だ』


 言われてみれば確かに秦周音と草壁蜂湖絡みの事故が起きたのは、あの刺激的でありながらも地獄のようであった時期とピッタリ重なる。

 事実樋田もあの頃スマホでネットニュースの見出しをチラ見する程度のことはあっても、新聞やらニュースやらをしっかり見ることはほとんどなかった。


「クソッ、そんな理由でここまで遠回りさせられたってんのかよッ……!!」


『あぁ、だがそれさえ分かればあとは簡単だ。あの事件を取り上げている記事やら、報道の動画やらに目を通し、あとはあのとき事件の野次馬をしていた奴等のSNSを覗けば大体の場所くらいは特定出来る』


 そして、晴は最後のチャンスを与えてやると言わんばかりにもう一度聞き直した。


『……行って、真実を知る覚悟はあるか?』

「男に二言はねえさ。やってやる」


 それでも、遂に辿り着いた。

 ようやく秦漢華の過去に王手をかけた。


 思えばこれまで長かった。

 はじめはただ変な女、或いはなんとなくムカつくヤツぐらいにしか思っていなかった。

 それでも一見気丈そうな彼女が、樋田には今にも泣き出しそうな幼子のように思えてしまったから、烏滸がましくもその闇を取り払ってやりたいと思ってしまった。そして、気が付けばあの女のことばかりを考えていた。知らぬ間に、樋田可成の中で秦漢華の存在は想像以上に肥大化していたのだ。


『よしッ、ならば、行ってこいッ』

「あぁッ」


 晴の発破に応と答え、勢い良く電話を切る。

 これで自分は真の意味で秦の隣に立つことが出来るだろう。不安はあるが、それ以上遥かに感慨深い。隣に立てば、手を差し伸べることが出来るから。彼女が背負っているものを、樋田が一緒に抱えてやることだって出来るのだから。



 ♢



「ハァ……ハァ……ッ!!」


 晴の地図が指し示す場所は案外近くにあった。それでも走って行くにはそれなりの距離があったが、樋田は焦燥感に駆り立てられるがままに走破した。

 そこはランニングに最適そうな土手沿いで、進む先に目を凝らせば、傍を流れる川の上にコンクリートの橋が架かっているのが見てとれる。


 東京という大都会にしてはやけに物静か、川の水面では空に昇る三日月の光がてらてらと瞬いていた。


 しかし、そんなどこか風情のある光景も、少年の視界には欠片も入っていない。

 晴がゴール地点に指定したのは、先程述べたコンクリート橋の真下である。彼は疲れ切った四肢を引きずりながらも、遂にその場所へと辿り着く。


「なんだよ、こりゃあ……」


 果たしてそこには晴の言う通りの光景が広がっていた。

 近くで見たコンクリート橋は内戦国を彷彿とさせる酷い有様で、足元を見れば地面のあちこちがクレーター状にゴッソリと抉り取られている。

 そして、周囲一面に緑が広がるこの土手沿いの中で、ここら一帯だけが草下の土塊を剥き出しにしていた。それはつまり、この辺りの植物が丸ごと焼き尽くされてから、まだそう長い月日が経っていないことを指し示している。


 、そしてどう見てもでもあったとしか思えないクレーター痕。また、当たっては欲しくない最悪の仮説が現実によって補強されてしまった。


 それでも樋田は真実に向かって突き進む。まずは晴の言う通り、その他の余計な情報を遮断するために右目を閉じた。

 続いて『燭陰の瞳』の宿る左目に全ての意識を集中させ、今見ている目の前の光景から数秒前を思い出す。途端に少年の背後に大小様々な時計の幻影が浮かび上がる。そこまではこれまで行ってきた『燭陰の瞳』発動の手順と何も変わらない。

 しかし晴の言う通り、更に集中を強めると樋田の過去観測は次の段階へと移行した。


「ッ……!?」


 ギュワリと、唐突に周囲の風景が歪む。

 具体的に例えるならば、新幹線の窓から外を覗いたときのように景色が後ろへ流れ始めたのだ。

 樋田はあくまで今過去を観測しているだけである。そのはずなのに、まるでこの身体ごと過去に飛ばされたような、或いはリアルなVRゲームでもしているような没入感がそこにはあった。


 樋田の困惑をよそに、世界の逆再生は更に加速する。

 六月十二日の夜は昼になり朝となり、再び夜を迎えて昼を経由し朝へと戻る。何日も何日も何日もひたすらに遡り、そしてその果てに『燭陰の瞳』は運命の日を捉えることに成功した。


 即ち――――――、

 ――――二〇一六、年――六、月十二日――十九時、三十四分――二十一秒――――を遡り――――、



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