第九十四話 『その再開、正に災害』
「畜生、なんでテメェがこんなところにッ……!?」
瞬間、樋田の心には同時に二つの感情が巻き起こっていた。
一つは純粋な嫌悪感。
以前出会ったときのことを考えれば、コイツは恐らく悪いヤツではない。されど世の中にはどうしても合う人間と合わない人間がいる。そして、樋田にとってこの男は明らかな後者であった。
そうしてもう一つは不安。
二ヶ月前、樋田はコイツの化け物じみた体術を目にし、そして実際に自分の体で味わいもした。あの如何にも人を傷付けるために鍛え上げたであろう技術。軍人か格闘家でないならば、とても普通の真っ当な職業に就いている人間とは思えない。
ならばコイツは敵か?
かつてはボコボコにされたが、今の樋田なら勝てなくとも一矢報いるくらいのことは出来るのか?
そして何より、仮にコイツが敵対的な行動をしてきたならば、自分は秦を守ることができるのか?
警戒しつつ右のポケットに手を差し込む。
ナイフで勝てないのは既に経験済み。ならば一度距離を取ってから鉛玉をぶち込むのが賢明だろう。
あのときの闇雲に拳を振り回すことしか出来なかった自分とは違う。この二ヶ月と数度の戦いの中で、樋田可成は自分の守りたいものを守るための力を手に入れたのだから。
――――少しでも妙な動きしやがったらドタマブチ抜いてやるッ……!!
しかし、そうしてピリピリしている樋田とは対照的に、色男はそこで呑気にも「あっ」と手を打ち鳴らす。
「あーあー思い出した。お前この間裏路地でブルッてたヘタレくんじゃねーか」
「誰がヘタレだッ、金玉潰して殺すぞゴラァッ……!!」
そんな飄々とした色男の態度が、ただでさえ短気な樋田の神経をモロに逆撫でする。しかし、それでも美形の涼しい表情に変わりはない。
「おぉ、おぉ、随分と噛み付くじゃねーか。なんだ、もしかして照れてるのか? この俺様の人智を凌駕した最早神々しいまである至極の美しさにな」
言いながら色男は急に樋田の顔を至近距離で覗き込む。
近いなんてレベルじゃない。ともすれば互いの瞳孔すら見えるし、それどころか鼻とか若干掠っている気もする……うわっ、なんだコイツ睫毛長すぎだろッ、キモッ!! 生理的な嫌悪感を覚えた樋田は、半ば反射的に男の胸の辺りを力任せに突き飛ばす。
「キメェ顔近付けてくんじゃねえエッ!!」
「なははっ、俺に向かってキメェ顔とは中々おもしれーことを抜かしやがる。てか、お前やっぱちょっと照れてんだろ。なら、俺はここで少女漫画チックにお前にこう言ってやらなきゃならねーな。へー面白え男、ってな」
ブチッと、そこで完全に樋田の堪忍袋の緒が切れた。
「決めたブチ殺す。テメェには凌遅からの漢方薬化コースを歩ませてやるッ……!!」
「そう怒んなよ。男のツンデレとかマジで需要ねーから」
色男はニヤニヤ笑いながらウザい感じにほざく。しかし、彼はそこで何故か突然スッと目を細めると、
「つーかそんなことより、お前が抱えてた例の何かはどうにかなったのか?」
「……」
半ば取り出しかけていた黒星を渋々ポケットの中へと戻す。
色男の言う抱えていた何か。一瞬何のことか分からなかったが、すぐに思い出した。
それは確か二ヶ月前、樋田が晴を見捨て、その罪悪感と鬱憤を晴らすために地元のチンピラをボコしてた日のことだ。
確か連中の体内に致死量の覚醒剤をブチこんでやろうとした正にその瞬間、その場に突如姿を現したこの色男の手によって、樋田は正義のヒーローに敗れる小悪党の如くボコボコにされたのだった。
――――こっちは顔も見たくねえてのに、なぁにフレンドリーに話しかけて来てんだこのナルシスト野郎ッ……!
そのときのことは今思い出しても腑が煮え繰り返るほどに腹が立つ。しかし、コイツのお陰で下らない自暴自棄に終止符を打ち、晴を助けるための決意を固められたのも事実であるから尚更タチが悪い。
そしてそのあと、確かこの男は樋田に連絡先を渡してきた。お前が何か重荷を抱えているなら、自分が代わりにそれを解決してやるとか偉そうな事をほざいていた記憶がある。
まぁ実際は連絡先とか速攻破り捨てたし、晴のことも樋田自身でなんとかしたのだが。
「……要らねえお節介だ。あんなモンとっくの昔にテメェで綺麗さっぱり解決してやったんてんだよ」
柄の悪い四白眼で睨みながら吐き捨てる。
最高で一日四回職質されたこともある救いようのない凶相の威嚇を喰らえ。しかし、色男は逆に樋田のどこにあるのかも分からない目をジロジロと見つめ返しながら、
「……なはは、まー嘘は言ってねーみたいだな。良かった良かった。あんときのお前と比べりゃー随分とマシな顔になっていやがる」
パッチリ二重の目を細め、ニイと少し口角を上げて、近所の気の良いあんちゃんみたいな人懐っこい笑みを作る。
「……畜生、用が済んだなら消えろ。二度と俺と会わねえようにテメェの方で努力しとけ」
そんな良い笑顔になんだか毒気を抜かれてしまう。
確かに未だムカつくことに変わりはないが、コイツは別に殺し合いを警戒しなくてはいけない危険な輩ではないようだ。
ならばこの場はとっとと知らん振りしてバイバイするに限る。
色男はまだ何か言おうとしていたが、樋田は無視してレジの方へとスタスタ早歩きで歩いていく。すると丁度角のところから赤髪チャイナの秦漢華がひょっこりと顔を出した。
彼女は何故かこちらを見るなり不安そうな顔をして言う。
「……ちょ、どうしたのよ樋田くん。なんか滅茶苦茶機嫌が悪そうな感じだわ」
「大したことじゃねえ。お前と一緒で腹減ったからちょっとイライラしてんだよ」
「はあ? 別にイライラなんかしてないのだけど……?」
口調が普段と比べ何だか刺々しい。やはり漢華ちゃんは明らかにお腹減ってイライラしていた。
てか手に持ってるカゴの中身がヤバい。パッと見えるヤツだけでも弁当三個入ってるし、コンビニスイーツとか買い過ぎで最早スイパラまである。一体どんだけ腹減ってんでしょうかこの娘……と思わずジト目になってしまう樋田であった。
兎にも角にもそのまま漢華と合流する。まだ色男は近くにいる気がするが、流石に連れがいるのに話しかけてくるほど頭おかしいヤツだとは思いたくない。
だが、そんな希望的観測は即座に無意味と化すこととなった。
「オイ、その髪にその目……アンタもしかして秦漢華か?」
声がしたのは真後ろ、耳に響くは爽やかな美声。
間違いない、あの色男が秦の名前を呼んだのだ。瞬間的に緊張が走る。名前を知っているということは、もしやこの二人の間には何かしら関係があるのか? いや、そもそもこんな凄いイケメンが、自分と多少は付き合いのある女の子に話しかけてきた時点でなんか色々と要らぬ不安を抱いてしまう。いや、本来コイツは樋田のなんでもないのだから別に気にする必要はないのだが、だが……
そんなアホなことを考えながらキョどる樋田と比べ、漢華の反応は至極明快だった。名を呼ばれたので顔を向け、その相手を確認し、そしてその相手なりの反応を取る。
「……どちら様でしょうか。いえ、そもそも何故私の名前を知っているのかしら?」
幸い(?)秦らしくひどく事務的な応答であった。マルサの女でももうちょっと愛想いいだろってレベルである。
しかし、それでも色男は変わらず馴れ馴れしい口調で続ける。
「なんで知ってるとか言われても、そりゃ業界が同じだからとしか言えねーな。まー表舞台に出てきたのは割と最近だし、まだそこまで知名度があるわけじゃねーんだが、一部の連中の間では結構知れ渡ってるんだぜ。『綾媛百羽』の『神の炎』秦漢華はマジでヤバいから気をつけろってな」
「ッ……!!」
『綾媛百羽』。
そのワードが出た途端、樋田と秦の警戒値が一気に跳ね上がる。間違いない、コイツは少なくとも異能サイドの世界にある程度精通する人間だ。ともすれば権能や聖創といった術式を操る能力者かもしれない。
秦の反応を見るにコイツの所属は人類王勢力ではないのだろう。
政府の犬である後藤機関か、あるいは反天使の武装組織である悲蒼天か、それとも天界の命に従って武力を振るう碧軍か。いずれにしてもこの男が脅威であることに変わりはない。
だから秦の反応は早かった。
彼女は空いている左手で、素早く色男の右手首を掴んだのだ。少女の権能は手で触れただけでありとあらゆる物質を爆発物へと変換する。
しかし、ここはコンビニという名の公共の場。だから、すぐに腕を爆破することはせず、あくまで『殲戮』の術式をチラつかせることに留める。
「……何者か答えなさい。さもないと、アンタは今日から左利きになるわ」
「なははっ、おっかねーな最近のガキは。まあ、安心しろ。こっちも別に喧嘩売りたいわけじゃねーんだ」
そこで。色男は降参とでも言わんばかりに、掴まれていない方の手を挙げながら言う。
「俺の所属は『悲蒼天』だ。聞いたことはねーか? あるいは、裵東賢つーこの俺様の名前に覚えは?」
そこで秦と樋田は互いに顔を見合わせる。
どうやら頭の中で考えていることは大体同じようであった。
「『悲蒼天』は知ってるわ」
「でもテメェの名前なんか知らねえし知りたくもねえ」
「なははっ、こりゃーいい。ツラも名前も割れてねーてことは、俺の方がお前らよりもこの業界ではいくらか優秀ってことになる」
美青年は冗談めかして笑い、しかしその整った顔をすぐにシュッと引き締める。それでも口元にだけは、どこか余裕のある爽やかな笑みをたたえながら、
「ちょっとツラ貸せよ人類王勢力。お前らも今回の案件には当然首突っ込んでんだろ?」
そう言って長身の男は長い指でコンビニの外を指差すのであった。