第九十三話 『美人薄命って言葉あるし早く死ね』
ボババババと、ケツの下でバイクのエンジンが景気の良い音を響かせていた。
その二輪車が現在走っているのは、秦と樋田の家がある白金台から件の中央区へと向かうコースである。東海道新幹線の近くを走る大通りを、少年少女の二人乗りは北へ北へと結構なスピードで進んでいく。
普段は鬱陶しさしか覚えない強い風も、バイクの上で浴びると不思議と心地が良い。むしろ自分が風になっている並みのスッとした爽快感がそこにはある。
「次の信号右曲がるわ」
「おう」
「あの郵便局のとこで左折するわ」
「おう」
「減速」
「おう」
「加速」
「おう」
とか洒落たことをほざきつつ、二人乗りをしている少年少女の片割れ――樋田可成はちょこんと後部座席に座っているだけの雑魚であった。
このバイクを自分の手で運転しているのは、樋田の前に座っている秦漢華の方である。わざわざ電車使うよりも二輪でかっ飛ばした方が速いと思うのだけど? という秦の意見のもと、樋田は彼女所有のバイクに乗せてもらうことになったのだ。
それにしても漢華さんは実に運転が上手くていらっしゃる。加減速とかナチュラル過ぎて、それ態々宣言する必要あんの? とか思ってしまうレベルである。
加えて樋田も慣れた調子で秦の重心移動に追従するものだから、秦号はとても二人乗りとは思えないスムーズさと安定っぷりで走行を続けていた。
――――懐かしいなこの感覚。まあ、ここしばらく乗ってねえかんなあ……。
それはつまり秦は勿論のこととして、樋田もバイクの扱いにある程度慣れていることを意味する。
恐らくはそこに同好の志の匂いを感じ取ったのだろう。前に座るガジェット大好き女秦漢華は、興奮してるのを出来るだけ隠そうとし、されど結局隠しきれてない感じに問いかけてくる。
「巧いわね。明らか乗り馴れてる感じ。なに、もしかしてアンタも免許取ってたりしているのかしら? かしら?」
「…………」
疑問の終助詞繰り返してる辺り、秦は相当ワクワクしているらしい。しかし、その期待の眼差しに望み通りの返事を返せないのが悔やまれる。
だが、ここは最近流行りのコミュ力とやらを発揮して見せるべきだろう。何を隠そう。日本語の曖昧さをフルに活用すれば、嘘をつかず、それでいて彼女をガッカリさせることもない返しをすることが出来るのだ!
「うん。俺、バイク乗れるよ」
「いや、乗れるか乗れないかじゃなくて免許持ってるか持ってないかで聞いてるのだけど?」
「…………俺、バイク乗れるよオッ!!」
無念、「技能的」にと「法律的」にを混同させる作戦は無事失敗に終わった。
でも仕方がないではないか。何しろ樋田可成はこれまでに二度も少年院にブチ込まれた社会の不良債権だ。例え自分自身では望まなくとも、盗んだバイクで走り出さずにはいられない状況が、チンピラ崩れのクソ野郎の人生では時々起こり得るのである。
「……はあ、ちょっとでもアンタなんかに期待した私が馬鹿だったわ。クズね、最低、今すぐ死んで」
「るっせえな、若気の至りだっつーの。つーかここ最近はちゃんとコンプライアンス的に法令遵守してるし……いや、すみません全面的に俺が悪かったですごめんなさい」
秦のクッソ冷たい目に思わず頭を下げずにはいられなかった。
そんなしょうもない会話を繰り広げつつ、樋田は秦の胴に回している腕の位置を無意識に少し変える。
すると、何故だか掌に柔らかい感触が――などという刑務所直行確定なテンプレラッキースケベではない。いや、むしろめっちゃ硬い感触だ。なんだろう、何かの金属だろうか……?
いや違うこれ腹筋だ!
やべえ、硬え、すげえ!
口には出さず、心の中だけで賞賛の声を送る。この硬さは正に努力の結晶。オイオイ、キレてるキレてる! そこまで絞るには眠れない夜もあっただろ。
実際やってることはほぼセクハラに等しいが、運転に集中しているからなのか、秦からのアクションは特にない。幸い社会的な死と、物理的な死は免れられたようだ。
――――何キョだってんだよ俺ァ、テメェでテメェが気色悪くて敵わねえ。
それにしてもドキッとしてしまった。
服の上からだと分かりづらいけど、コイツ結構しっかりした体してるし、何よりこのスマートにメカ弄る感じかっこよすぎて胸キュンする。最早完全に少女漫画に出てくる女の子の思考回路である。
「ねえ、お腹……」
「えっ、はぁ? お腹、えっ!?」
「……何キョドってんのよ。お腹空いてないかって聞いてるだけなのだけど?」
「あっ、そっちか。ふーん……いや空いてるわけねえだろ。まだたかが十時半だぞ」
そこでくだらないことを思いついた樋田は、半ば冗談交じりに問いかけてみる。
「なんだ。漢華ちゃん的にはもうお腹空いちゃったのかな?」
「…………別に私はまだ大丈夫だけど。アンタが空いたかなあと思って聞いただけ」
どうやら図星のようであった。
そうだよね。空いちゃったもんはしょうがないもんね。漢華ちゃん、くいしん坊! 万才なんだね――と、声には出さず胸中に留め置いて殺されることだけは回避する。やはり、答えは沈黙。
「んじゃ適当にコンビニでも寄るか」
「……だからなんでそうなるのかしら?」
「あぁなるほど。店入ってガッツリ食いたいパターンだったか。気が利かなくて悪かったな」
「コ・ン・ビ・ニ・で・い・い・で・す」
秦は気持ちちょっぴり不機嫌になりつつも、すぐにキョロキョロどころかかなり熱心にコンビニを探し始める。飼ったことはないが、餌やり忘れたときのハムスターとか多分こんな感じだと思う。それにしても口では嫌がっていても体は正直なヤツであった。
「あっ、あった」
平静を装いつつも微妙に声のトーンが普段より高い。
ようやく念願の餌場に辿り着いた秦は、慣れた動作で駐車場にバイクをとめる。
そしてそのままヘルメットをとると、無理矢理収められていた三つ編みが一気に解放された。同時に、少し蒸れたヘルメットの中の空気がほわりと立ち込める。
ああ、この瞬間なんかいいな――と、キモい感想がふと一瞬頭に浮かぶが、すぐに頭を振って忘れる。とにかく今は昔ノーヘル糞野郎だったことを秦を悟らせないために、さっさとヘルメットを脱いで片付けることにした。
「ん?」
ヘルメットを取ったことで視界が広がり、するとこれまで見えてなかった掲示板的なものが偶々目に入った。
それはコンビニの隣接して設置されたもので、地域の行事やら地域のイベントやら地域のレクリエーションやらそれらしいチラシがビッシリ貼り付けてある。そして、樋田はその中の記事の一つに思わず反応してしまったのだ。
「ん、なんだこれ? 仏様行方不明情報求む……あっ、やべ、これ全然読めねえわ。なんとか宗なんとか寺御本尊のなんとか像が盗まれただ?」
別に樋田は漢字読めないアホの子なわけではない。ただ単純にこの寺が非常用漢字使いすぎなだけである。いっそのこと選挙ポスターみたいに平仮名表記にした方が檀家さん増えるかもしれない。
それはともかく内容をまとめると、どうやら寺で大事にしてる仏像がある日忽然と消えてしまったらしい。窃盗かもしれないから警察に届け出は出しているが、市民の方々もたまたま見かけたりしたら教えてねとのことであった。
そうして樋田が怪訝な顔でチラシを見ていると、横から秦がひょっこり覗き込んできた。
「ん、なにこれ? ふふっ、ちょっと待って。神様が行方不明だなんてまるでPKみたいじゃない」
「はっ? なに? PK? なぜ唐突に出てきたプレイヤーキル?」
「……今言ったことは忘れて頂戴。まあ、一瞬笑っちゃったけど実際これ最低よね。仏様盗むなんて罰当たりにも程があるわ。仮に犯人がいるとしたら一体どんな神経してんのかしら」
ただでさえ元から機嫌悪そうな顔付きであるにも関わらず、秦は更にムムムと眉間に皺を寄せる。それが樋田には少し意外だった。
「えっ、なに、お前仏教徒だったの?」
「はあ、なにを今更。日本人なんて大抵神道仏教無意識掛け持ち勢ばっかりじゃない」
「いや、てっきり儒教道教無意識掛け持ち勢かと」
「……それ完全に髪型だけで決めつけてるやつよね?」
そこでチャイナ娘はハアと溜息をつき、中華風の細い三つ編みをイジイジしながら続ける。
「でも、なんか最近こういうの多いわよね」
「こういうのとは?」
「こういうのはこういうのよ。近頃よく聞かない? 寺で仏像盗まれた系の事件。なんか最近あまりにも頻発してるから、マスコミとかでも結構大々的に取り上げられてたはずなのだけど……」
そこで秦はこちらをジロリと見た。先程無免ライダーな過去を咎められたときにも向けられた、氷のように冷たい視線である。
「なに樋田くんニュースとか見ないの?」
「見ねえなあ」
「新聞は?」
「そもそもとってねえな」
「……アンタ知らないかもしれないけど実はソ連ってもう解体されているのよ。あら、びっくり」
「バカにしてんのかテメェ……」
樋田の抗議を封殺するかの如く、そこで秦はパンと手を鳴らす。
「まあ、こういうのは結局お巡りさんに頑張ってもらうしかないのよね。だけどその分、私達には私達の出来ることがある。それを果たすためにも早く済ませちゃいましょ」
なんかもう早くコンビニ行きたいオーラが存分に伝わってきたので、樋田は秦の言葉に黙って頷き、そのまま店内に入る少女の後に続いた。
照明増し増しで、全体的に白っぽい雰囲気の内装。現代人ならば誰もが見慣れたお馴染みの空間がそこには広がっていた。
――――まあ俺ァ別に空いちゃいねえけど、なんか一人で飯食わせてると、また私別にお腹減ってないもんアピールしてきてウザそうだからなあ……。
ここは自分もある程度何か食べることで、そうだね。このぐらいの時間になるとお腹空いちゃうよね! 漢華ちゃん全然食いしん坊じゃないよ! 的なメッセージを無言で伝えるのが、気の使えるデキる男の行動なのかもしれない。いや、実際本音は食いしん坊だとは思うのだが。
樋田はそんな実体験に一切基づかないことを考えながら、とりあえずと目に付いた鮭おにぎり目掛けて手を伸ばす。本当に無意識の行動であった。
「えっ」
するとこのおにぎりを求める別の誰かとたまたま手が重なった。
その手の美しさに眼を見張る。きめ細やかな白い肌に長い指、そして桜色の爪。手だけで確信した。この手の持ち主はきっとかなりハイレベルの美少女に違いないのだと!
「あっ、すいません。自分後だったんでどうぞ」
「おおマジか。へへっ、サンキューな」
衝撃、例えるならば睡眠中ケツにいきなりアイスピックぶっ刺された並みの衝撃。確かに耳が溶けるかと思うほどの美声であった。ただし、それは男の声であったのだ。
――――聞き覚えあるな……。
嫌な予感にバッとその男の方を見る。
男の顔の位置はそこそこ背丈のある樋田と比べても明らかに上にある。
更には彫りの深い顔立ちで、まつ毛がアホみたいに多い。肩に届く黒髪は思わず女性かと思うほどに瑞々しい。
長々と述べたがとにかく美形だ。この美しさを未来永劫に渡って保存するためにも、彼には今すぐコールドスリープにかかってもらわねばならない――そんなアホなことを思わず思ってしまうほどの、超絶スーパー完璧パーフェクトイケメンがそこにはいた。
「テ、テメェはッ…………!?」
「アレ、誰だっけかお前? 確かどっかで見たことある気がすんだが……?」
とぼけた様子の男を非難するかのように、樋田は腹を空かせた猛獣のごとく敵意を剥き出しにする。
忘れるはずもない。
コイツは二ヶ月前、樋田が晴とはじめて会う直前に遭遇した『選ばれし者』。
そして、悪の道に落ちかけていた樋田を拳で導いた、感謝すべきも忌まわしい、例のクソ色男であったのだから。