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第九十話 『剣の誉れ』


 災害じみた破壊力であった。

 それはまるで、今自分が倒れ込んでいるこの大地が丸ごと崩れ落ちたのかと思うほどの衝撃であった。


 全殺王は何か具体的なアクションを起こしたわけではない。彼は本当にただ一言、そっと短い言葉を囁いただけだ。

 されど、ただそれだけで王を中心とする半径二十メートルが瞬時に崩れ去った。港を形作る足下のコンクリートが砕け散り、周囲の建造物は一つ残らず瓦礫と化す。そして、地に縛り付けられた卿天使を生き埋めにしようと、それら質量の暴力が怒涛の如く降り注ぐッ!!


「疾れ、雷槍ッ!!!!」


 卿天使は落ちてくる瓦礫めがけて雷撃を放つ。

 しかし、今のヴィレキアにその全てを迎撃するほどの『天骸アストラ』は残されていない。だから彼は瓦礫の中で最も重要なピースを瞬時に見抜き、そのたった一つを雷撃の勢いで弾いたのである。


 あとはまるでビリヤードのようであった。

 雷撃に弾かれたピースは他の瓦礫にぶつかり、その瓦礫もまた周囲の瓦礫を上手い具合に巻き込んでいく。

 直後、轟音と同時に瓦礫が地上と激突する。しかし、まるで台風の目の如く。ヴィレキアが倒れ伏しているその位置にだけは、ただの一つも瓦礫は降って来なかった。


「なるほど、巧いな。主を守ることも出来なかった癖に未だ意気揚々と生きながらえている卑劣な無能、というのは些か過小評価が過ぎたか」

「ッ…………」


 棘のある言葉にヴィレキアは一瞬眉をひそめるが、すぐに頭を振って気持ちを切り替える。


 確かに今の攻撃は危なかった。本来ならば今の消耗し切ったヴィレキアに防ぎ切れるようなものではない。

 ならば何故彼は全殺王の攻撃を見切れたのか? 

 答えは単純、彼は歴史に学んだのだ。


「……当たり、前だ。卿天使であるこの私が侮られれとなれば、それこそ今は亡き黄道王の顔に泥を塗るに等しい。だからこそ言わせてもらおう。ナメるなよ、と。そもそも今其の方の攻撃を受けたことすら、こちらにとってはただの確認作業に過ぎないのだからな」


「確認作業? ……はぁ、なるほど。ここでもあの忌まわしい過去の()()が響いてくるというわけか」


 多くを語らずとも、全殺王はその一言で合点がいったようであった。


 彼の語る敗戦とは第二次天界大戦。即ち三千年以上の太古に、天界と全殺王との間で起きた例の戦争のことを指し示す。

 戦争において情報とは勝敗を左右する最も重要な要素の一つとなりうる。だからこそ当時の天界も『顕理鏡セケル』持ちの天使を総動員することで、全殺王がどのような能力を持つ天使であるのかを解析しようとした。


 そして、そのとき共有された敵の情報は未だヴィレキアの頭の中にもある。


 自分は運が良かった。確かに向こうは格上、加えてインドラとの戦いで大いに消耗している。だがその一方、こちらは相手の手の内を知り尽くしている。

 本来ならばろくに抵抗することも出来ず鎧袖一触されるのが当然。だが、この条件なら島津兵が包囲を抜けるまでの時間を稼ぐぐらいのことは出来るだろう。


「……其の方の有する術式の正体は『対立概念提示』。絶対悪アンラ=アンユは全ての悪を司る。つまりそれは負の性質を持つありとあらゆる概念をその支配下に置けるということだ」


 全殺王の『対応神格』はゾロアスター教の大魔王アンラ=マンユ。かの宗教においてこの世界は、至高の善神アフラ=マズダが司る善と、絶対悪アンラ=マンユが司る悪に二分されるとされている。

 この至極明快な善悪二元論に従えば、全殺王は既にこの世界の半分を支配しているに等しいと言えよう。世界を半分に分け、そのうち悪と判断される概念は全て彼の支配下に落ちる。そこから抱く印象は正に無敵。しかしヴィレキアはそこで「だが」と言葉を切る。


「……だが悪とはそもそもその対立項たる善が存在して初めて成り立つ概念だ。だから其の方は対立的な二つの概念を事前に提示し、それを認知した者にどちらが善でどちらが悪であるかを判断させる。その判断によって善と悪が明確に区別されてはじめて、其の方はその概念を悪を統べる力で振りかざすことが出来る。それが其の方の権能の正体なのであろう?」


 例えば、先程空を飛ぼうとしたヴィレキアを叩き落とした「飛翔と失落(ソヴォート)」。どちらが善でどちらが悪であるかは自明のことだ。飛翔は自由、出世、解放、成功、進化に対応し、一方失落は抑圧、左遷、閉塞、失敗、退化に結び付く。

 実際卿天使にとっても飛翔は善で、失落は悪であった。そのため『失落』概念は全殺王の操るところとなり、ヴィレキアは空から地にへと叩きつけられたのである。


「……フンッ」


「何が、おかしい」


 全殺王は鼻を鳴らした。自らの有する権能の概要を明かされ、それでもなお彼は余裕を保ち続ける。

 異能を介する戦いにおいて、自らの手札を知られることは大きなハンディキャップとなるというのだ。


「いや、確かに俺も()()が筆舌に尽くしがたい愚劣極まる醜態を晒したのは知っている。だが、それが何だ? お前は銃の構造を知っていれば、頭に鉛玉をぶち込まれても死なないとでも思っているのか?」


 そう、全殺王は欠片の躊躇もなく言い放つ。

 その堂々とした振る舞いは、能力がバレたところで自分が負けるはずがないという絶対的な自信に基づいたものなのだろう。


「耳を塞げば俺の言葉は聞こえない、などと凡百の俗人でも思いつくような愚策はよせよ。悪魔とは囁く者、心に矛盾を抱える愚物は人だろうが天使だろうがすべからく俺の声からは逃れられない。特にお前のように……死に場所を間違えてしまった哀れな人斬り人形ならば尚更な」


 そこで全殺王の指がピクリと動く。

 何かを仕掛ける気だ。そう直感したヴィレキアは、その動作を封殺しようと即座に突撃を敢行する。

 『白兵』による身体能力強化、加えて六翼を活かした爆発的な推進力をもって、卿天使の体は音速以上の速度で射出される。


「間抜けが、肉を斬るしか能がない単純労働者ではそれが限界か――――堕ちろ、飛翔と失落(ソヴォート)


 しかし、音を超える速度をもっても、全殺王の司る悪性概念からは逃れられない。『失落』概念が発動する。ある程度悪魔に近付けはしたものの、卿天使はなすすべなく再び真下へと叩きつけられる。

 しかし、この瞬間を彼は待っていた。


「……間抜けはそちらだ全殺王。私達が知っているのは其の方の権能の正体だけではない。忘れたのか? 実際に天界は其の方が率いる悪の軍勢に勝利したのだぞ。無論、その攻略法も既に解き明かされているッ!!」


 攻略法と言っても卿天使のとった行動は単純であった。『失落』概念によって地に叩きつけられたまま、ヴィレキアは全殺王目掛けて雷槍を放ったのだ。


「ほざけ、たかが一神格がもがいた程度で、どうにかなる絶対悪ではない――消えろ、生起と消失アズヴェイン・ゴー・ダン


 されど悪魔の王は冷静であった。

 突然の奇襲にも冷静に対処すべく、先程もこちらの雷撃を打ち消した『消失』の概念を振りかざす。されど、それこそがヴィレキアの真の狙いであった。


 ――――体が、動くッ。


 途端、全身が軽くなる。

 理由は単純明快。全殺王の操る『失落』概念が消失し、空飛ぶものを地に落とす力が働かなくなったからだ。

 やはり当時の天界が存亡をかけて集めた情報は正しかった。気付いてしまえばそれはあまりに単純であまりに致命的な欠点。

 そう、全殺王の権能は二つ以上の悪概念を同時に操ることは出来ない。王自身への攻撃を『消失』概念で無効化するには、必然先に『失落』概念を放棄する必要がある。


「――――ッ」


 こちらが動けることを知らせるような雄叫びはあげなかった。無言。全殺王がこちらの狙いに気付くよりも早く、再びマッハを超える速度で肉薄する。

 雷撃を収束させ、右足に雷の剣を生成。そのまま飛び回し蹴りの要領で斬りかかる。


「ハッ」


 それに全殺王は少し驚いた風であったが、あくまで冷静に首を振る。悪魔の顔のすぐ隣を剣が通り過ぎる。その右耳が斬り飛ばされ宙を舞う。しかし、ただそれだけであった。


「乱れろ、暴発と安定(エステラーネ)


 追撃を封じる狙いだろうか。

 まるで煙玉でも放られたかのように、辺り一面が瞬時に瘴気の嵐で埋め尽くされる。

 しかし、当の卿天使は欲をかくことなく、すぐさま王の側から離脱した。すぐさま反転し六翼で暴風を巻き起こす。そうして瘴気の盾を失った王に再び襲いかかる。


「消えろ、生起と消失アズヴェイン・ゴー・ダン


 全殺王は囁く。

 瞬間的に右足の雷の剣が消失する。


「予想通りの対応感謝する。三千年も眠っていたせいで幾らか鈍ったか?」


 だが、そちらはデコイ。

 本命は翼の裏に隠した左腕の一撃だ。



「『終の焦焉(アニ・ネフィラ )』」



 ヴィレキアの持つ術式の中で最も強力かつ、核兵器にも相当する火力を誇る戦略的電爆術式。もちろん先程インドラに放ったような威力は出せない。片手しかない以上雷撃の収束も至極不安定だ。

 だが、今しかない。こちらが全殺王の弱点を知っており、そのことに悪魔がまだ気付いていない今しかないのだ。


 幸い、ほぼ接射。これなら距離的にも時間的にも回避する余裕はない。ヴィレキアは『終の焦焉』で殴りつけるが如く、その高エネルギー体を全殺王に叩き込む。


「なっ……!?」


 しかし、それは全殺王ではなかった。『終の焦焉』と接触する直前、王の体はガス状の瘴気となって宙に溶けていく。


 ――――先の煙幕のときに入れ替わったというのかッ!?


 今更タネに気付いたところで最早手遅れ。

 直後、砲撃じみた衝撃がヴィレキアの全身を横から吹き飛ばす。事前に潜んでいた本体が奇襲の蹴撃を加えたのだ。

 卿天使の体はくの字に折れ、惨めに荒れたコンクリートの上を転がっていく。


「おっ、おのれえッ……!?」


「何を意外な顔をしている。確かに権能である概念提示は平行できない。ならば、その隙を別の術式で補完するのは当然だろ?」


 それでも即座に身を起こそうとする卿天使。そんな彼に全殺王は残酷な一言を告げた。



「そして、その制限も既に解かれた――――乱れろ、暴発と安定(エステラーネ)



 ヴィレキアは再び瘴気が射出されるのかと身構える。

 されど攻撃は外からではなく内側から襲いかかった。自分の攻撃を都合のいい方向に暴走させ、威力をブーストするのではない。文字通りの暴発、ヴィレキアの左手の中で展開中の終の焦焉が、揺れて、乱れて、そして崩壊したのだ。


 核兵器並みの威力が雑に解き放たれ、何の制御もなしに暴れ狂う。周囲を闇雲に焼き尽くす超高温が、天使の左腕を瞬時にジュワリと蒸発させる。


「ッ――――――――!!」


 直後、何とか『終の焦焉』を霧散させる。

 しかし、すぐに治りかけの傷を再びナイフで抉られるような激痛が生じた。

 両腕を失い、残る出涸らしの『天骸』も使い切った。詰み、一瞬そんな絶望の言葉が脳裏をよぎる。


 ――――いやっ、まだだ。まだこんな私にも稼げる時間は残っているッ……!!


 ならば他に自分が出来ることとは――そう判断し、ヴィレキアは瞬間的に空高く飛び上がる。


「必死の抵抗ご苦労だが落第点だ。大方飛べばお前を引きずり落とすために、こちらは一度概念提示を使わねばならないとでも考えたのだろう」


 そこで、アンラ=マンユの背中に変化が生じる。


「だが何度も言っただろ。俺の『対応神格』はゾロアスターに紐付けられし悪魔の王アンラ=マンユ。この世界を構成する二大精神原理の片割れ。悪を産み、悪を選び、悪を為す諸悪の根源、絶対悪だとな。そしてこの世界における超常の存在は須らく天使に由来する」


 宣言と同時に、王の背より膨大な黒い『天骸』が噴出される。

 それらは常に泥のように揺らぎ続けながらも、次第に長さ十メートルはありそうな巨大な翼を形成していく。

 そして、それを一振り。

 ただそれだけで、全殺王はまるでロケットエンジンでも搭載されているような速度で重力を振り切った。


 ――――並ばせてなるものかッ……ここでみすみす高低差の有利をくれてやる道理はないッ!!


 ヴィレキアは全殺王を撃ち落そうと雷撃の弾幕をはる。それはまるで対空兵器を地上に向けて放ったかの如く、悪魔の進路全てを数十の光線が隈なく塞ぐ。

 されど、生起と消失。全殺王の『消失』概念によって、雷撃の雨霰は瞬時に丸ごと消滅させられてしまう。


「――――ッ」

「もう一度言おう。平伏せ善性」


 高度で並ばれ、すかさず懐に飛び込まれる。

 直後、全殺王の翼が鞭のような挙動で襲いかかるのを、卿天使は硬質化した六枚の翼を盾にして防ぐ。

 しかし、その勢いを殺しきることは出来なかった。まるで金属同士を本気でぶつけあったような甲高い音が生じ、天使の体はそのまま大きく後ろに吹き飛ばされる。


 体勢が乱れ、バランスが崩れる。

 必然、一見鉄壁のような六翼の盾にも綻びが生じる。


 その隙を全殺王が見逃すはずもない。

 全殺王はヴィレキアを追撃しながら、飛行運動に縦と横の回転を加える。それはまるで車懸かりの陣の如く、四肢の殴打と二枚の翼が代わる代わるに襲いかかる。

 それでもヴィレキアは六翼それぞれの角度をリアルタイムで調整し、全殺王の攻撃をことごとくギリギリのところで受け流し続ける。


「『六翼の攻(セラフィムアーツ)』」

「なっ……!?」


 されど、全殺王はその更に上を行く。

 二枚の翼を備えていた王の背中、そこから更に四枚の翼が追加で飛び出したのだ。


 あとはもう驚愕のうちに終わっていた。

 悪魔の六翼が一斉にヴィレキアの翼盾を激しく打つ。ただそれだけで天使の体はまるで爆撃でも受けたかのように吹き飛ばされる。


「グッ、ゴバァッ……!!」


 口からこれでもかと血を吐く。

 それはあまりにも致命的な一撃であった。


 確かにヴィレキアは優れた天使であるが、その一方秦漢華のように防御系の術式を備えているわけではない。つまり攻撃は高火力な一方、その防御は比較的貧弱なのだ。


 まるで体が内側から弾け飛ぶような感覚、体のどこかが引きちぎれなかっただけでも奇跡に近いだろう。

 そして、ゴンという鈍い音と共に頭から地上に叩き落される。妙に後頭部が地面の中に沈む。いや、違う。正しくは地に叩きつけられる衝撃で頭蓋骨が潰れたのだ。

 瞬く間に内なる出血で目の前が真っ赤になる。熱い、妙に体が熱い。なのにその末端は自分でも驚くほどに冷え切っている。まるで死にかけの虫みたいに、全身の筋肉がピクピクと痙攣していた。


「どうやら潮時のようだな。だが、安心しろ。幸いお前は試金石としての役割を充分に果たしてくれた。そこだけは感謝してやってもいい。よくやったな」


 倒れ臥すヴィレキアから少し離れたところに、悪魔の王はふわりと優雅に降り立つ。そして、倒れ臥しているヴィレキアに向けて、『瘴気』に包まれた右腕を突き出す。


「だが最早不要だ。よってここで処分させてもらう」


 あとは全殺王が『瘴気』を噴射すれば、ヴィレキア=サルテは体が腐り落ちて死ぬ。そうして物語の幕は降りるのだと誰もが思っていた。


「……ふざ、けるな」


 ピクリと動いたのだ。

 頭の半分を潰され、最早意識も薄いであろうに関わらず、ヴィレキア=サルテはまだ動いていた。


 はじめは足の先が震える程度の微かな動き。それでも彼はやがて身を起こし、その場に自分の足で立ち上がる。

 両腕を失い、『天骸』を使い果たし、更には頭部に致命的な重傷を負ってなお、武人は諦めることを良しとしなかった。

 正に風前の灯。立つことすらまともに出来てはおらず、何もしなくても彼の天使体は近いうちに崩壊するだろう。


 だがそれでも卿天使は屈しない。

 そんな彼の必死な様に、全殺王はただ純粋に小首を傾げる。


「何をしてる。まさかそんな半分死んだような体でまだ何か出来るとでも思っているのか? さっさと諦めて、とっとと死ね。こちらとしても最早お前という産業廃棄物から得られるものはなにもないからな」


 全殺王が何か言っていたが、ヴィレキアにとってそんなことはどうでも良かった。辛うじて耳に残ったのは諦めろという一言だけ。だが例え他の全てを譲ったとしても、その甘い囁きだけは受け入れてやることは出来ない。


「屈する、わけには……いかないッ……!!」


「…………ほう」


「人類王、勢力……あの者たちは、この私を信じてくださった。こんな私を頼ってくださった。主人を守ることすらできず、オメオメというのに地上まで逃げてきたこの私に、彼等はまだ希望を託してくださるのだ」


 最早息も絶え絶え。何度も何度も言葉に詰まりながら、それでも卿天使は最期の瞬間まで抗おうとする。


「だから、私は戦う……このヴィレキア=サルテ=ヤーデスクライ=ルルースク。今この一瞬だけは卿天使として忠を尽くすのでも、天界の防人として正義をなすのでもない。今度こそただ一人の人間として私は……いや俺は、自分の護りたいと思ったものを護るためにこの命を燃やすのだッ!!」


 本当は、泰然王の変で敗将として死にたかった。

 主君たる黄道王を喪った時点で、敵軍の中に突撃でもして死ぬべきであったのだ。

 だが出来なかった。正しくはしなかった。黄道王の後を考えなしに追うことよりも、今はこの場を逃げ延び、主の代わりに生きて泰然王を討つことこそが真の忠義だと判断したからだ。


 されど、そう頭で分かっていても心が納得してくれるわけではない。如何に高尚な理由を並べようとも、自分が自分の護るべきものを護らず逃げた卑怯者であることに変わりはない。


 だからこの戦いは彼にとって救いであった。

 今はヴィレキア=サルテが命尽きるまで敵を足止めすることこそが最善。だから感情を合理性で縛ることなく、ただ盟友のために死力を尽くすことが出来る。武人として、一度でも剣を取ったものとして、これ以上に誇らしいことが他にあるだろうか。


「……フフッ」


 対して全殺王が返すのは嘲るような笑い声。

 それまで苛立ちを覚えていた悪魔の顔に、まるで新しいおもちゃを見つけたような薄い笑みが浮かぶ。


「最高《最悪》だ。最高《最低》に美しい(醜い)な、それ。よし、気が変わった。先程諦めろと言ったのは取り消させてくれ。俺はお前のその覚悟を、自分の身を犠牲にしてでも僅かな希望を掴もうとするその高潔な善性を――――」


 大悪魔はそこで無駄に言葉を溜め、


「暴力という理不尽をもって完膚なきまでに踏み躙りたくなった。お前の覚悟を、信念を、その全てを冒瀆したい。そうだ、既に諦めた者を殺して何が楽しい。絶対に絶望しない善なる者を絶望させる、それこそが絶対悪たるこの俺のみに許された至極の背徳ではないのか?」


 全殺王はゆっくりと歩み寄ってくる。

 だが、まだだ。まだ終わっていない。攻撃手段は尽きてもまだ機動力は生きている。勝つことは出来なくても負けないようにすること出来る。悪魔の攻撃をかわし続ければ、それだけこの王をこの場に釘付けにし、人類王勢力が戦場から撤退するだけの時間を稼ぐことが出来る。

 それがあと五分か十分か、それより短いか長いかも分からない。だがそれでもまだこの命に使い道は――――、



生存と斃死(ナールギァ)



 全殺王は囁く。ヴィレキアはその言葉で自分の体に何が起きたか分からなかった。いや、正しくは受け入れることが出来なかった。何故ならそれはあまりにも理不尽であったから。そんな理不尽な力が存在してはいけないと、心の底から嫌悪すべきものであったから。


「あぁ……」


 ヴィレキア=サルテは全殺王の一言によって死亡した。مرگ(ナールギァ)、そのペルシア語が指し示す意は死。悪を統べる王というからには当然といえば当然、人間が古来から最も忌み嫌う死の概念を操れないという方がおかしい。

 だが、それでも認めたくなかったのだろう。言の葉一つで命を奪える、全殺王アンラ=アンユがそれほどまでに恐ろしい存在だと信じたくなかったのだろう。


 気力は未だ充分、されどヴィレキアの天使体は遂に肉体としての死を迎える。

 『天骸』で象られた偽りの体は、蛍のような小さな光となって、淡く宙に溶けていく。燃えるような赤い髪と褐色の肌は、それぞれが元の青と金に戻る。更には人間としての彼が本来有していた色彩、即ち黒い髪と茶の瞳にと変わっていく。

 天輪がなければ、翼もない。黄道王直属たる卿天使の一人に数えられ、インドラになぞえられたその男は、まぎれもない一人の人間と化していた。


 抵抗する術は、今度こそ何もない。卿天使の命に意味はなくなった。いや、もしかしたら最初から無意味だったのかもしれない。こんな僅かな時間で人類王勢力が包囲を抜けられたのだと、願うことは出来ても信じることは出来ない。


 最早、そこには絶望しかなかった。


「さてと」

「グフッ…………!!」


 この世の終わりのような表情を浮かべるヴィレキアの顔面を、全殺王は首がギリギリ折れない程度の力で蹴り飛ばす。

 そして、倒れ伏した卿天使の顔を渾身の力で踏みつける。何度も何度も踏みつける。ヴィレキアの顔面がただの赤い塊となっても蹂躙をやめようとしない。


「結局足止めにもならなかったな。華々しい幕引きを穢された気分はどうだ? 誇りと命を賭けて戦って、それが全て無意味に終わった感想はどうだ?」


 そしてニヤリと、声は出さず口元だけで下卑た笑みを表現する。


「余裕だ。まだ時間的猶予はたっぷりある。人類王勢力と言ったか、一人残らず殺してやるさ。全員まとめて畜生の餌にしてやろう。弁当箱の隅に張り付いた米粒を、残らず食べ切るように徹底的にな」


 しかし、そこで全殺王はあっと我に返ったような声を上げると、


「あぁ、いかんな。ここであまりお前に構っていては本当にお前の死に意味を与えかねない……さて、もういいぞ。あとは好きにしろ」


 その一言がきっかけとなった。

 それまで二人の周囲から離れていたダエーワ達が、まるでハイエナのようにヴィレキアに襲いかかる。ある個体は横腹に噛みつき、ある個体は残った足を引きちぎり、その肉を余すことなく捕食しようとする。

 最早ヴィレキアは何も言わない、何もすることが出来ない。全てを諦め、悲鳴をあげることもせず、ただ食われる肉として沈黙する。いや、最早彼は既に事切れているかもしれない。だから、全殺王も最早彼を気にかけることなく、そのままこの場を去ろうとする。


「……此度の、黒幕」

「はあ?」


 絞る出すような声に、大悪魔は思わず振り返る。

 肉に集るダエーワの山、その下からあの武人の怒鳴り声が聞こえてきたのだ。


「その正体は全殺、王。第二次天界大戦において、泰然王に敗れたもの。対応神格はゾロアスター教の……絶対悪アンラ=マンユッ!!」


 遺言であろうか、それとも全殺王の情報を死ぬ間際に残そうとしているのか。哀れ、周囲に人類王勢力の姿はなく、その声は誰の()にも届かないというのに。


「……有する権能は、『対立概念提示』。対象に対立する、二つの概念を提示し、対象が悪と思った方の概念を自在に操るッ、だが一度に操れる概念は一つのみ――――ギグワアアアアアアアアアッ!!」


 横腹を食らっていたダエーワが中身を引きずり出す。最早ダエーワの下でヴィレキアがどうなってるのかは分からない。


「…………翼数は六翼セラフィム。瘴気に触れれば、体が腐る。攻撃を打ち消す、飛行体を撃ち落とす、術式を乱す……そして、言葉のみで人を殺すッ!!」


 脈絡のない言葉、まるで箇条書きのような断片的な情報。それでも卿天使は残す。未だ希望は途絶えていない。そう信じて、言葉と希望を託すのだ。


「全殺王。其の方は……お前は、ただ俺に勝っただけだ。俺達に勝ったわけではない。人間は決してダエーワなどに敗れない。俺が倒れたとしても、立ち上がる。その次が殺されたとしても、必ず誰かがお前を倒すッ!! またすぐに眠らせてやる、何度蘇ったっところで、その度に殺してやる。そのことをゆめゆめ忘れるな、全殺王ッ!!」


 それがヴィレキア=サルテ=ヤーデスクライ=ルルースクの最期の言葉になった。最後の最期に声を張り上げ、それで遂に事切れた。


 だが、彼は笑って死んでいった。

 精神的に覚悟を踏みにじられ、物理的に腹を食い破られ、それでも笑って死んでいった。

 自分が死んでも後に続く者がきっといる、そんな根拠のない希望だけで笑うことが出来たのだ。


 結局、全殺王はその卿天使を絶望させることは出来なかった。




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