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第八十九話 『悪性を統べる王』


 まさしく、青天の霹靂であった。


 仏門には盛者必衰という言葉があるが、なるほど勝利というものはあまりに儚く虚しい。それはまるで目を覚ませば一切を忘れてしまう夢幻の如く、或いは地位と名誉を極めし権力者が背後からの一突きで全てを失うようにである。


 多くの犠牲を払い、ようやくその手に掴んだ勝利の安寧。それが呆気なく手元からすり抜けることになるなどと、あらかじめ想像出来ていた者が果たしていたであろうか?


「はぁ……はぁ……なんで、なんでえッ……!?」


 少なくとも松下希子まつしたきこはそうではなかった。

 この現世に顕現せし地獄の中で、銀髪の天使――否、どこにでもいる普通の中学生は、まるで譫言のような声を上げる。


 インドラは死に、その眷属も絶滅した。

 にも関わらず戦いは終わってなどくれなかった。


 荒い息を吐き、地上を必死に駆ける少女の周囲は、いつの間にか視界を埋め尽くすほどのダエーワで溢れ返っている。この馬鹿げた数の大群を今の消耗した状態でまともに相手取れるはずもない。

 そこで松下は『虚空こくう』でうまく立ち位置を調整しながら、時には隙をついて強襲し、なんとかダエーワの波に飲まれることだけは避けようとする。


 ――――流石にもう持たねえですねッ!! こりゃ、一度退いて態勢を立て直すしかッ……!?


 それでもいつかは限界が来る。

 だから松下は上空に瞬間移動し、そのまま逃げるように戦場の端目掛けて滑空する。

 続いて彼女はその先にあった巨大な倉庫の外壁に、まるで蜘蛛のように貼り付いた。そしてこれまで自分がいた地獄の全体を、高い位置から一望しようとする。

 松下自身もこの訳の分からない状況を把握出来ているわけではない。一体何が起きたのか、そして今どうなっているのか。それを知るための行動であった。


「なっ」


 だからこそ、思わず言葉を失う。

 鼻の奥を突く、不快な鉄の匂いがあった。

 一度晴れたはずの空は、再び薄気味悪い灰色と化していた。

 このような光景を信じろというのか? まるでそう問わんばかりに、少女の蒼い瞳が大きく見開かれていく。


「なんでダエーワのクソ共が、またこんなッ……!?」


 最早数を数える気すら起きない。

 なんとゾロアスター教に由来せし悪魔の大群が、工場跡地の全体、即ち少女の見渡す限りほとんどの足場を埋め尽くしていたのだ。

 数多の化け物たちが上げる鳴き声はまるで戦場における鬨の声のよう。その総数は先程全滅させたインドラの眷属よりもずっと多い。七百、八百、いやもしかしたら千に届いてしまうほどであった。


「私達、勝ちました……よね? ヴィレキア卿がインドラをブチ殺して、それで全部終わったはずじゃないですか……?」


 一見現実逃避のような言葉を口にしながら、それでも少女は記憶を少し過去へと遡らせる。


 人類王勢力は確かに数百のダエーワを掃討したし、その頭たるインドラもヴィレキア卿の雷矢によって討滅された。

 それで作戦は完遂、この戦いはなんとか勝利の形で終わってくれるはずだった。


 にも、関わらず奴等は再び現れた。

 生き残った島津兵は高台に登って周囲を見渡していたし、百羽の隻翼は空から地上をあまねく監視していた。松下も微力ながらその異常聴覚をもって索敵をしていたが、どこにも増援が潜んでいるような気配はなかったのだ。

 しかし、現実がこれである。まるでその場から突如湧いて出たかのように、再び現れた千のダエーワが、修羅場を潜り抜けた精兵等を再び地獄へと叩き落としたのである。


「ふざっ、けんなッ……!!」


 そのあまりの理不尽に、幼い少女は荒ぶる感情を抑えきれず、ヒステリーじみた癇癪を起こす、


「――――ッ、私達頑張ったじゃないですかッ……!! 怖くても立ち向かって、どんなに敵が強大でも屈しませんでした。そうやって命賭けて戦って、やっとどうにか、生きて帰れるんだって安心できるとこまで辿り着いたんですよ……だってのに、なんなんですかこれは? それで、その結果がこれなんですか? ふざけんな、ふざけんなふざけんな。っざっけんじゃねぇぞクソッタレエエッ!!」


 弾薬のほとんどを使い切った川勝兵に、軍刀が血糊で使いものにならなくなった島津兵。学園より連れてきた百羽も既に『天骸アストラ』を使い果たし、それを率いる松下やヴィレキアといった高位の天使も既に消耗しきっている。

 こんな状態で先程の死闘をもう一度、そんな無茶とても演じられるはずがない。戦士の本能に従い反攻に打って出ても、数の暴力に叶うはずもなく、気高い戦士の魂が一つ、また一つとこの世から消えていくだけであった。


「くそッ、また一人……!!」


 少女の耳には天使の力が宿っている。

 天の歌を司りしユダヤ教の大天使サンダルフォン。その因子に由来する少女の異常聴覚は、周囲に溢れる全ての音を嫌でも拾ってしまう。


 なかでも耳にこびりつくのは悲鳴であった。

 いや、そのように生易しいものではない。断末魔、そう表現した方が正しい。生命の断絶。そのかけがえのない命が終わるとき、人はとても聞いてはいられない嘆きの声をあげるのだ。

 その断末魔が至るところから上がっていた。もう何人死んだかも分からない。未だ生き残っている心音の数を数えることさえ、今の松下にはとても恐ろしくて出来なかった。


「……銃声が、聞こえない」


 そこでふと、つい先程までけたたましく響いていた狙撃の音が聞こえなくなったことに気付いた。

 銃声の消失。それは統率者を失いながらも善戦し続けた川勝隊が、遂に全滅してしまったことを意味する。つい先程松下と肩を並べたあの男も含め、彼等は一人残らずこのダエーワの波に食われてしまったのだろう。


「そんなのって……!!」


 感傷を抱いている暇もなかった。

 悪いことは重なり、すぐ近くで唐突にグチャリという肉の潰れる音が聞こえる。思わず音がした方に目を走らせると、天使体が崩壊し、生身となった少女が丁度化け物に喰われているところであった。


「あっ」


 ナイフのような牙と臼の如き歯を兼ね備えた巨大な顎が、松下と歳も変わらない子供の体を貪り食う。その度に皮が破け、肉が裂け、更にはその下の決して露わになってはいけない部位がむき出しにされる。

 その有様はあまりにも真っ当に食事らしかった。一口齧り、よく噛んで、そして飲み込む。かけがえのない一人の個人が、ただの肉塊、ただの餌として無残に消費されていく光景に、松下の喉は瞬く間に不快な酸味に満たされる。


「……ッ!!」


 彼女は思わず胃の中身をその場にブチまけていた。吐いて、吐いて、もう胃液すら出なくなっても吐き続けずにはいられない。

 体の震えが止まらなかった。由来の分からない寒さに全身が侵されていた。

 彼女を助けられなかったことが悲しい。咄嗟に反応して動けなかったことが悔しい。そして何より、彼女は数分後の自分なのだと思うと恐ろしくて堪らないのだ。


「――――えっ」


 そして、最早この戦場に安全地帯などない。

 やかましい音に気付き、顔を上げる。するとちょうど松下の存在に気付いた飛行型ダエーワの群れが、四方八方からこちら目掛けて殺到しているところであった。

 よく見れば彼女の足下も、互いを踏み台にしながら倉庫を登る悪魔の群れで埋め尽くされている。


「――――――ッ!!」


 本当に心臓が止まるかと思った。

 被食の恐怖が少女を刹那的な発狂へと誘う。


 それでも飛行型ダエーワの群れが飛びかかってくる直前、松下はすんでのところで『虚空』を発動し、その直上へと回り込む。そして、近くにいた一匹の脳天を串刺しにしてやった。

 そのまま銀の天使は上方に飛び立ち、群れからの距離を稼ごうとする――――と見せかけ、すぐさま反転。急な動きに反応出来ないダエーワの数匹を切り捨て、終われば再び上方へと進路を取り直す。


 ――――クソッ、振り切れないッ……!!


 天使としてのスペックは明らかに松下の方が上だ。しかし、これまでに蓄積されたダメージが、彼我の速度差を小さいとものとする。

 逃げに徹せねば追いつかれる。少しでも進路を誤れば飲み込まれる。もし仮に飲み込まれれば、松下も先程の少女のように肉として食われるだろう。


 ――――『虚空』連発すれば逃げきれるでしょうが……いえ、ここまで来てそんなことはッ!!


 音を聞く限り、人類王勢力は未だ全滅していない。こちらにはヴィレキア卿もいるのだから、これで敗北が決まったわけではないのだ。

 一人で勝手に逃げるなど無責任極まりない。開幕から天使体を破壊されてしまったムンヘラス戦とは違うのだ。まだこの仮初めの体が動くならば、せめて戦場に残ってこの大群を引きつけよう。それだけでも多少は他の面々への助けになるだろうから。


 ――――お願いします、どうにかしてください。私にはこんなことしか出来ません。卿だけが頼りなんですッ!!


 少女は願う。


 嗚呼、ヴィレキア卿よ。

 重い役割を押し付けてばかりで申し訳ない。

 されど、願わくば再び我々の手に勝利の安寧を。

 貴方以外にこの理不尽極まる絶望を覆せる者など誰一人いないのだから。



 ♢



「おのれ、一体どこから湧いてきたッ……!?」


 ダエーワの大群に飲まれ、敵中で孤立しているのは何も松下達百羽だけではなかった。

 川勝兵が全滅した今、未だダエーワ相手に奮戦しているのは島津兵とヴィレキアのみである。しかし、そんな彼等も最早陣形・隊列を維持することは敵わず、一人一人が個人で大群を相手取っている有様であった。


 ヴィレキア=サルテの周囲もあまねくダエーワに埋め尽くされ、どこかで戦ってるであろう島津兵の姿は影も見えない。それでも所々で上がる彼らの勇ましい雄叫びは、確かに卿天使の耳にも届いている。


「屈するなッ!! 総員敵を斬りながら西へ進め。いつかは包囲も途切れる。さすれば合流し次第、怒涛の如く反攻であるッ!! 我等も未だ四十は残っておろう。つまりは一人当り三十を討ち取ればいいだけの話、我等一人一人が合肥の張文遠となるのだッ!!」


 声の持ち主は菱刈某であろう。

 北東南に進んでは海に追い詰められる可能性が高いので、西に進むという判断は確かに正しい。島津兵は皆孤立しているものの、菱刈の胴間声に導かれながら、徐々に包囲を切り崩しつつあるようであった。

 しかし、いくら彼等が精鋭といえどもあまりに多勢に無勢。戦場を縦横無尽に駆け回り、数十のダエーワを屠りし島津の強兵といえども、遂には力尽き、足を止めた者から哀れダエーワの餌と化していく。


 それでも全員が必死であった。

 何故このような事態になったかは分からずとも、とにかくこの場を切り抜けんがために死力を尽くす。

 それはヴィレキア卿も同じこと。

 一度頭を働かせてもこの状況を説明することは出来なかった。だから決して思考停止ではないが、今はこの包囲を抜けることのみに注力する。


 然して、卿天使は少しでも島津兵の負担を減らそうと、その雷撃をもって周囲のダエーワを蹴散らす。

 最早大技を繰り出せるほどの『天骸』はない。だから頭を吹き飛ばすのではなく、熱で無理矢理に脳を焼き切る程度。そんな最低限の火力を、ダエーワの頭部へ確実に命中させていく。


 松下と菱刈がそうしたように、ヴィレキア卿も己の取り得る最善を尽くしたのだ。

 しかし、それはあくまで現状に対する最善でしかない。次々と状況が移り変わる戦場では、新たな思わぬ要素の登場により、その最善の基準もまたすぐに変化してしまう。

 そんなものを全て予想出来るはずがない。現状でさえ最悪極まりないのに、更にこの状況が悪化するなど、そこまで想像が及ぶはずがない。だから、彼の判断を神の視点で愚かなどと嘲笑することはしたくない。


 だがそれでも、精密な雷撃操作に意識のほとんどを割いていた卿天使は、この窮地を生み出した元凶。ひいては此度の対ダエーワ戦争を引き起こした黒幕の接近に――――一切気付くことが出来なかった。



暴発と安定(エステラーネ)



 瞬間、戦場を何かがすさまじい勢いで通り過ぎた。イメージとしては消防車の放水の威力を何十倍にもしたものといったところだろうか。


 ――――何だ? 黒い濁流?


 しかし、いくら疲弊しているとはいえ、ヴィレキア=サルテは卿天使。瞬間的に身を翻し、その攻撃をすんでのところで回避する。


「ぐあああああああああああああああっ……!?」


 されど、それは紙一重で避けてはいけない攻撃であった。

 直後、ヴィレキアの右腕に燃えるような熱が走った。褐色の皮膚が破け、肉が泥のように溶け落ち、更にはその下の骨すら穴だらけとなってボロボロと崩れ落ちていく。

 『瘴気』だと、彼は瞬間的にその正体を悟った。されどこの禍々しさは先程のインドラと比べても更に上、この世の不浄や不潔といったものを全て集めたようなおぞましさであった。

 実際『瘴気』の軌跡に立っていたダエーワ達は皆、個体と液体の中間のような汚物と化している。


 ――――ここに来て新手? しかもこの『瘴気』、只者ではないッ……!!


 あのインドラを凌ぐほどに穢れ果てた濃厚極まる『瘴気』。いつのまにかヴィレキアは背中に嫌な汗をたたえていた。卿天使の第二位たる彼が、本能的に恐怖を覚えさせられたのだ。

 そして、その力の出力された方へ、彼は引き寄せられるように首を向ける。


「惜しい、腕だけか。やはり人であるこの身に王の力が馴染むのには時間がかかる。まあ、自分で暴発を指定しておいてなんだという話だがな」


 ヴィレキアは驚愕に目を見開く。

 先程の『瘴気』の出力先、そこにいたのは醜悪な悪魔などではない。翼が無ければ、山羊の角もなし。乱入してきたのは正真正銘の()()であったのだ。


「天使ですらないだと……?」


 性別は男、髪は亜麻色、歳は大方二十歳前後と言ったところだろうか。しかしよく見ると、お堅いベストを身に纏う彼の顔左半分には、何か薄気味悪い赤黒い刺青のようなものが浮かび上がっている。

 加えてシルエットもいくらか異常であった。まるで何か悪霊にでも取り憑かれているかの如く、左腕を中心にした左半身が、泥とも炎ともつかない黒い物質に覆われているのである。


「何者だ? 刃を交わすと言うならば、まず名を名乗っていただこうか」


 ヴィレキアは、傍から飛びかかってきたダエーワの脳を雷撃で焼き払いつつ問う。

 されど最早その必要はなかった。亜麻色の男が現れたのを確認するや否や、そこらにいた悪魔達は皆ヴィレキアと亜麻色の男から足早に遠ざかっていく。

 ダエーワで埋め尽くされた戦場の中、彼等二人を結ぶ空間だけがぽっかりと空いた。


「察しろ。ダエーワを身振り一つで自由に従わせる、それだけでこちらの素性は自然と思い当たるものだと思うが」


 しかし、そこで男はハアと溜息をつくと、


「まぁいい、分からないなら教えてやる。この世界を構成せし二大精神原理の片割れ。悪を産み、悪を選び、悪を為す諸悪の根源、絶対悪。それこそがこの俺を指し示す唯一の定義だ。まさか忘れたわけじゃねえよな。お前の脳裏にも未だ()()()()()()()の記憶は刻み込まれているはずだ」


「其の方、もしや……!?」


 第二次天界大戦。

 その単語でようやく卿天使は目の前の悪魔の正体を悟る。

 それは紀元前の千三百年代、天に対する抑止力として堕天していた全殺王ぜんさつおう業魔王ごうまおうの二柱が、天界及び地上人類の殲滅を掲げて巻き起こした天界初期における一大二世界間霊的大戦争である。


 人類が今も存続している時点で結果は言わずもがな、結局は天界の実質的な長たる泰然王が全殺王を殺害し、その妻である業魔王も逐電したことで世界の平穏は保たれた。

 このときの戦いは当時の人々によって、善神と悪魔とによる世界覇権戦争であると解釈され、後に二元論を特徴とするゾロアスター教が興るきっかけとなったのだが――今そんなことはどうでもいい。


 確かに、ヴィレキアはこの男を知っている。

 何故ならば三千年以上の昔、天界の一武将として大戦に参加した彼は、戦場でその姿を実際に目の当たりにしたのだから。


「……全殺王アンラ=アンユ」

「厳密には違うがな。まあ、その理解でも構いはしない。お前の抱く絶対悪のイメージがあの王であるならばな」


 自然とその名前が口をついて出た。

 当時対面した全殺王とは明らかに姿形が異なる。されど、この禍々しさ、おぞましさ、そして何よりこの世の全てを憎むが如き濃密な悪性。これは間違いなくあの日感じたあの王のものである。

 そもそも何故その正体に思い至らなかったのか。ゾロアスターにおける悪魔ダエーワが異常発生した此度の一件、単純に考えればゾロアスター教においてダエーワの王たる神格を与えられたコイツが黒幕であるのは当然だというのに。

 しかし、ヴィレキアには未だ分からないことがある。それは当然、何故三千年前に殺されたこの男が今目の前にいることである。


「何故だ? 其の方は……殺されたはずだ。泰然王にその身を焼き尽くされ、塵すら残さずに現世から消滅したはずだ」


 正直当時のことは昔すぎて記憶があやふやだが、それだけは確かである。そもそもあれだけの悪事をなした堕天使を、人類の繁栄促進を標榜する天界が見逃すはずがないのだから。

 しかし、全殺王はいとも当然のことを話すように答える。


「ああ確かに三千年前全殺王は一度死んだ。だが先に述べた通りこの俺は絶対悪、世界の二大原理たる悪概念の体現者だ。例えるならば、泰然王のしたことは病人の体を蝕む腫瘍の一つを取り除いた程度のことに過ぎねえ。そいつの体が病に侵されている限り、また新たな腫瘍はいくらでも生まれ出づるものだろ?」


「つまり、この世から悪が尽きぬ限り、其の方は一度絶えても永遠に蘇り続けると……?」


「理解が早くて助かる。そうだ、どうしても俺という存在を消したければ、まずは人間を無害な家畜に再教育してみろ。だが奴らは物を奪うし、命を絶やすし、女を犯すぞ。文明だの人権だのと殊勝なことをほざく時代になってもそれだけは変わらない」


「御託はいい。一体何が目的だ?」


 ヴィレキアの瞳が険しくなると同時、全殺王は不快そうに目を細めて言う。


「……面倒だ、どうせ理解はされない。ならばここは『アヴェスタ』から引用しよう。ゾロアスター教徒曰く、確かに絶対悪は世界開闢前の戦いにおいて善の軍勢に敗れ去った。されど再び悪の勢力が隆盛せし頃、絶対悪アンラ=マンユは再顕現し、善の至高神たるアフラ=マズダとの決戦に打って出るのだという。要するに、三千年経ってようやくその日がやってきたという話だ」


 しかし、それは余計にヴィレキアの眉を不愉快気にしかめる結果となった。


「……それが、理由か?」


「二度も同じことを言わせるな。長い話は好かんと言っただろ」


「すまない。聞き方が悪かった。訂正しよう。其の方はそのようなくだらない目的のために、此度の一件を引き起こしたのかと、そう聞きたかったのだ」


 糾弾したつもりだった。あるいは少し挑発の意も込められていたかもしれない。されど、全殺王は少しも悪びれずに言う。


「くだらないか。お前の感想自体は否定しない。取り消すことも要求しない。勝手にほざいていろ。そして、俺も自由に事を為す。それこそが俺の求める正しい世界の在り方、その一側面でもあるからな」


「話にならんな……」


 正直ヴィレキアにはアンラ=マンユの目的が、そもそも言うことがよく分からなかった。

 かの卿天使は武人である。これまでも忠を尽くすことと、正義を為すことのみが使命だと思って生きてきた。

 だが、絶対悪を自称する以上、この男の存在は必ずや世界に害をなす。ならば斬らねばならない。それだけは理解出来る。されど――――、


 ――――悔しいが、今の私では相討ちすら自己過大評価の妄言となろう。


 相手は全殺王。

 あらゆる天使の中でも最強の力を持つ十三柱が一角である。ただでさえ卿天使のヴィレキアと比べても格上、加えて今の彼は万全とは程遠い状況だ。

 勝つことは出来ない。されど、今生き残っている人類王勢力のため、せめて隙ぐらいは作らねばならない。

 王称の天使に追撃されながらの撤退戦など、一人残らず狩り潰されるのがオチであろう。


 覚悟を、決める。

 そもそもこのヴィレキア=サルテは、泰然王の変で死んでいてもおかしくなかった命だ。

 主人を失い、生きる目的を失ったこの自分を、再び戦士にと取り立ててくれた人類王。かの王のためならば、こここの命を散らしても悔いはない。


「語り合いは終わりだ。相容れぬことは充分理解した。然らば剣を摂れ。その禍々しい思想を押し通したいと言うならば、今ここでこの私を倒してみせろ」


「俺をこの場に釘付けにするためとはいえ虚勢とは、美しいな(醜いな)卿天使。まあ良い、黄道王直属第二位卿天使ヴィレキア=サルテ=ヤーデスクライ=ルルースク。些か輝きが欠けているのが物足りないが、王の力を測る試金石としてはちょうどい――――」


 最早戦意を示した以上、向こうの話に付き合う道理はない。そもそも外道相手に礼儀を貫く道理もなし。

 悪魔の言葉が終わらぬうちに、ヴィレキアの雷撃が全殺王めがけて炸裂する。されど、大した火力は込めていない。向こうの出方を見る、様子見の一撃であった。


生起と消失アズヴェイン・ゴー・ダン


 されど、その攻撃は王の体に届かなかった。

 全殺王が一言呟いた途端、雷撃は唐突に宙に溶け、消失する。受け止めたのではない。インドラのように受け流したのでもない。本当に言葉一つでまるごと雷撃が消え去ったのだ。

 その結果に嫌なものを感じた卿天使は、半ば反射的に空へと飛び上がろうとする。


飛翔と失落(ソヴォート)

「グッ……!!」


 しかし、再び言葉があった。

 全殺王はその場から一歩も動いていない。されど、まるで見えない手にでも掴まれたが如く、一度飛び上がったヴィレキアの体は、勢い良く大地に叩き付けられたのだ。


「ググッ……!! おのれッ」


 これが全天界最強、王称の天使が有する力なのかと、ヴィレキアは土の味と共に実感する。

 それでもまだ殺されてはいない。まだ時間を稼ぐことは出来る。彼は地に倒れ伏しながら、それでもなんとか顔だけは上げた。


平伏ひれふせ善性」

「ッ……!?」


 絶対悪を自称する悪魔の王。その鋭い眼光が、至近距離からこちらの顔を覗き込んでいた。


 まずい、死ぬ。直感的に、そう悟る。



破壊と創造(パス・ウィーブ)



 最後に再び言葉があった。

 全殺王はたった一言そう囁いただけであった。


 だというのに、大地が砕け散る。

 ヴィレキアが倒れ伏している箇所を中心に、およそ半径二十メートルのコンクリートが粉微塵に消し飛んだのであった。



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