ヅラリーマン
その日、私は落胆していた。
髪の生え際と抜け毛が気になり始めたので、カツラメーカーに行って、それなりの検査を受け、それなりの結果を受けたからだった。
それによると、何かしらの対策は可能だが、それにはかなーりのお金がかかるらしい。なんで、そんなに? これでもサービスを受ける男が多いのなら、カツラメーカーが儲かっていて当然だとそう思った。
一体、そんな金がどこにあるというのか? 世の中は不況な上、子供の養育費だってかかるのだ。小遣いだって減らされている。妻に相談すらできず、泣く泣く諦めかけたところで、私は父の遺品を思い出した。
――やる。
そこには、一言、そう書かれてあった。そしてその傍には、カツラが置いてあった。恐らくは、私に譲渡する、という事だろう。父は変わり者だったのだ。多分、これはくだらない冗談の一つなのだろう。どうしようかと思ったのだが、一応、その遺品は取っておいてある。
あのヅラなら無料だ。被ろうと思えば、被れる。
が、
いやいやいや…
と、私は次の瞬間、それを否定した。ないでしょう。いくら何でも、それはないでしょう。いきなりそんなものを被って会社にでも行ってみろ、周囲は絶対に気付く。それだけならまだしも、恐らくは、皆、気付かない振りを決め込むだろう。そういう対応が、一般社会におけるヅラリーマンへの暗黙の了解、鉄則のようなものなのだ。ヅラである事を悟られるよりも、その気遣いの方が私には辛い。
私はそのヅラを忘れる事にした。
しかし、その晩だった。父が夢枕に立ったのだ。
『騙されたと思って、被ってみろ』
父はそう言った。
『お前は、ヒーローになれるぞ』
と。
どういう事なのか訳が分からなかった。侮蔑の対象の間違いじゃないのか……。朝起きて、会社に行く。ヅラなどもちろん被る気はなかったが、妙に気になったので、カバンの中に入れてしまった。もし見られたら、笑いのネタだとでも言い訳をしよう。そう思っていた。しかし…
通勤途中、川の近くを歩いている時だった。人混みができていて、何か騒いでいる。覗いてみると、川に子共が落ちて溺れているではないか。私は慌てた。取り敢えず、救急車か警察だと、携帯電話を取り出したが、そこでふと奇妙な衝動に駆られてしまった。
ヅラを被ってみたい。
自分の頭がおかしくなったのかと思った。しかし、どうそれを振り払おうと思っても、消えてくれない。そして、遂に私は、その欲求に克てず、ヅラを被ってしまったのだった。
その瞬間、ヅラが頭に絡みつくのが分かった。自然と融合している。
何だこれは? なんだ?
まさか、先祖の霊毛でできたカツラだったとでも言うのか?
答えは出なかったが、そのヅラが完全に頭に馴染んだ時には、私はヅラリーマンへと変身していたのだった!
何だか分からないが、分かった。
私には、あの溺れている子共が救える。
「ヅラリー・バンジー!」
気付くと私はそう叫んでいた。橋の柵にヅラの毛を縛り付け、そのままバンジージャンプの要領で飛び降りる。ヅラの髪の毛はちゃんと伸びてくれた。私は溺れている子供をキャッチすると、今度は髪の毛を縮め、無事に橋の上に子供を助け上げた。
当然、更に騒ぎは激しくなった。私はそれに耐え切れずに逃げ出した。目立つのは困る。こんな事で上から目を付けられ、働き難くなったら堪らない。うちの会社は、多少、閉鎖的なところがあるのだ。
路地裏で一人きりになった後で、私は自分の頭に恐る恐る手をやってみた。ヅラが外れる。その時、突然、声がした。
『どうだ? ヒーローになった気分は?』
姿は見えなかったが、それは間違いなく父の声だった。
私は驚きつつも、こう返した。
「どうだ?じゃありませんよ。何なのですか、このヅラは?」
『このヅラこそ、我が一族に伝わるヅラリーマンへと変身するヅラリーヅラだ(ヅラが被っている! ヅラだけに)。万が一の事態になれば、あのような力を発揮する。これからも活用するように!』
「冗談じゃありませんよ。ヅラリーマンになって、サラリーマンをクビになったら、それこそ笑い話にもならない」
『まぁ、そう言うな。子供を助けられて、悪い気はしなかっただろう?』
私は助け上げた時の子供の顔を思い出す。確かに、悪い気はしなかった。
「ですが、あんな事を続けていたら、絶対にいつかばれますよ? どうするんです?」
『それは大丈夫だ。ヅラリーマンの社会における暗黙の了解、鉄則を忘れたか?』
私はそれを聞いて、”ああ”、と思った。
「皆、気付かない振りを決め込む」
『その通り』
私は思った。
そんなオチか。
ヅラリーマンで検索をかけてみたら、既に使っている人がいました。チェッ!