8.第一騎士団の騎士
足取りがおぼつかないフロレンスとメルがなんとか裏門を越えたのを確認した。
だが、安心する暇はなかった。
回廊の奥から、刺客がゆっくりと距離を詰めてくる。
エリスは震える手で簡易盾を構えた。
(ここまでです……)
(絶対に捕まります……なぜ私はトランクを3つ持ってこなかったのでしょうか)
刺客が一歩、踏み込む。
その瞬間――
踏み込んだ刺客の体が甲高い金属音を立てて横へ弾かれ、石床を転がる。
何かが視界の端を横切った。
「っ、増援か――」
刺客の一人が振り向いた、次の瞬間。
その背後に、第一騎士団の制服が立っていた。
「そこまでだ」
低い声。
続く動きは、一瞬だった。
踏み込んできた刺客の手首が払われ、短剣が床に落ちる。体勢を崩したところへ、無駄のない一撃。
二人目も、ほとんど抵抗する間もなく膝をついた。
気づけば、回廊には倒れた刺客だけが残っていた。
エリスの指から、力が抜ける。
「……サミュエル、さん……」
「遅くなりました。」
サミュエルは周囲を一度だけ確認し、それから視線をエリスへ戻した。
「怪我はありませんか?」
「……はい。」
短い沈黙。
そして、いつもの調子で言う。
「規定距離、1メートルに変更しますか。」
「たた、確かに来てくださって安心しましたけど、それは近すぎます……!!!」
まだ怯えてはいたが、その距離を離れようとはしなかった。サミュエルはほんの一瞬だけ、安堵したような眼差しを向けた。
その時、後方から足音が近づいてきた。
「先輩!」
ルークが駆け寄り、倒れた刺客の手首を確認する。
「……やはり、この印。影の牙です。」
遅れて到着したレイフが、低く言った。
「これは……面倒なことになるぞ。」
「場合によっては、戦争だな。」
回廊の空気が、わずかに張り詰めた。
辺りには倒れた刺客、散らばった暗器。
「……念のため、このままここにいてください。」
そう言って一歩下がろうとした、その時だった。
エリスの手が、ほんのわずかに彼の袖を掴んだ。
「……あ」
自分でも無意識だったのか、エリスは慌てて手を離そうとする。
だが、指先が小さく震えているのを、サミュエルは見逃さなかった。
「……失礼」
短く言って、サミュエルは位置をわずかに調整する。
完全に離れるのではなく、
エリスのすぐ横――半歩分だけ、距離を残して立った。
「この距離なら問題ありません」
低い声が、静かに落ちる。
エリスは一瞬だけ目を見開き、それから小さく頷いた。
「……はい。」
胸の奥で、張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ――緩んだ気がした。
***
控室の扉が静かに開いた。
室内では、ソファに横たえられていたフロレンスが、ちょうどゆっくりと目を覚ましたところだった。薄く目を開き、ぼんやりと天井を見つめる。
「……ここは……」
すぐそばに控えていた侍女が安堵の声を漏らす。
「フロレンス様! お気づきになられましたか!」
「……エリス様は?」
最初の言葉がそれだった。
侍女は一瞬だけ驚いたが、すぐに頷く。
「ご無事です。現在、騎士団の方々が――」
そこまで聞いた瞬間、フロレンスの表情が一気に明るくなった。
「やはり……英雄ですわ……。」
ちょうどその時、控室の扉が再び開いた。
遠慮がちに顔を出したのは、エリスだった。
「し、失礼いたします……あの、ご体調は――」
言い終わる前に、フロレンスが勢いよく起き上がる。
「エリス様!」
次の瞬間、ふわりとドレスが揺れ、一直線に駆け寄ってきた。
「ひぃっ!?」
エリスが小さく悲鳴を上げる間もなく、ぎゅっと抱きつかれる。
「ご無事でよかったですわぁぁ……!」
「だ、大丈夫ですか!? まだ毒が残っている可能性が――」
「エリス様がすぐ毒消しを飲ませてくださったおかげで足以外はすっかり良くなりましたわ!」
きらきらした目で見上げられ、エリスは完全に固まった。
少し離れたところで様子を見ていたメルが笑う。
「普通、フォークで暗器を弾いたり、トランクを投げて刺客を倒したりはいたしませんのよ?」
「ぜ、全部偶然です……! 本当に偶然で……!」
エリスは必死に首を振るが、フロレンスの尊敬の眼差しはまったく揺らがない。
やがて、フロレンスは少しだけ声を落とし、そっと言った。
「エリス様……これからは、できればわたくしの隣にいてくださいまし。」
「……え?」
その言葉に、エリスの思考が一瞬停止する。
(標的の隣……危険度、二倍です……)
顔が引きつりかけたその時、フロレンスがぱっと手を打った。
「そうですわ!」
嫌な予感がした。
「明日、今日の件で王宮に呼ばれているのです。エリス様もぜひいらしてくださいませ!」
「……王宮」
エリスの表情から、みるみる色が消えていく。
「王宮……ですか……。」
「ええ。もちろん、絶対にですわ!」
にこり、と満面の笑み。
(もし私が王宮で倒れたら、ランドフィール家は関与を疑われ……)
(父は騎士団内で責任を問われ、降格……)
(母はショックでヒステリー……)
(結果、クレイアス王国騎士団が壊滅し国家の防衛力が低下、隣国侵攻……)
(つまりこれは、王国崩壊の始まりです……)
小さく震えながらも、エリスはぎこちなく微笑んだ。
「……こ、光栄ですわ……。」
分かりやすく絶望していた。




