7.王国と公爵家
伝令を受けてから数分後、第一騎士団の三騎はすでに王都の大通りを駆け抜けていた。
先頭を走るのは団長レイフ。
そのすぐ後ろにサミュエル、さらにルークが続く。
馬蹄の音が石畳を激しく打ち、沿道の人々が慌てて道を開けていく。
「トルリア公爵家が狙われるとは……」
ルークが声を張り上げる。
「フロレンス様は、王太子殿下の婚約候補筆頭。政治的価値を考えれば、十分にあり得ますね」
サミュエルは前を見据えたまま短く答えた。
「……ああ」
風を切る音の中、彼の声だけが妙に低く落ち着いていた。
クレイアス王国において、トルリア公爵家は特別な家格を持つ。
王国創設より三百年前、まだこの地がいくつもの小国に分かれていた時代――
初代国王レオン・クレイアスが諸侯をまとめ上げることができたのは、武力だけではなかった。
各領主との交渉、同盟の調整、反乱貴族の説得。
そのすべてを担ったのがトルリア家の当主だったと言われている。以降、トルリア家は代々王国の宰相職を務め、王家の政策決定に最も深く関わる家系となった。王が剣で国を守るなら、トルリアは言葉と知略で国を支える――そう評されるほどである。
ゆえに、王太子妃の候補としてトルリア家の名が挙がるのは、単なる名門だからではない。王家と並び、国家そのものの中枢に位置する家だからだ。
その家の令嬢が狙われたとなれば――
それはもはや、一貴族を狙った事件では済まない。
王国そのものへの揺さぶりに等しい。
「そして、影の牙が関与している可能性もありますね」
ルークが言う。
サミュエルの視線がわずかに鋭くなる。
「否定はできないな。」
やがて、遠くにトルリア公爵邸の門が見えてきた。
***
屋敷に到着した瞬間、ただならぬ空気が肌を打った。庭では使用人たちが慌ただしく走り回り、衛兵が周囲を封鎖している。レイフが先に降り、短く命じた。
「状況報告を。」
駆け寄ってきた執事が深く一礼する。
「令嬢方は順次避難しております。しかし――」
一瞬、言葉が詰まる。
サミュエルが低く問う。
「何人、所在不明だ」
「三名です」
空気がわずかに張り詰める。
「フロレンス・トルリア様、メル・オペスティア様、そして――」
執事が言いかけたその時、ルークが庭の一角を指差した。
「……先輩」
――そこには、家紋の刻まれた見慣れた大きなトランクがあった。
そのトランクの下敷きになり、使用人のお仕着せを着た男が気を失っている。その手には黒い牙の入れ墨。
サミュエルの表情から、わずかな笑みが完全に消えた。
目の奥の光だけが、静かに冷えていく。
「エリス・ランドフィール様が――所在不明です」
空気が凍る。
サミュエルは、ゆっくりとトランクへ視線を落とし、それから静かに顔を上げた。
「……捜索隊を分けろ」
声が、わずかに低くなる。
「裏門、庭園、馬車道、すべて確認しろ。逃走経路の封鎖も同時に行う」
ルークが一瞬だけ息を飲んだ。
(……先輩がこんな顔をするの、初めて見た)
レイフが短く頷く。
「俺は邸内を押さえる。ヴァルク、お前は外周を追え。」
「了解。」
サミュエルは迷いなく踵を返した。
***
その頃――
屋敷の裏手の回廊を、令嬢たちが必死に走っていた。ドレスの裾を押さえ、息を切らしながら、それでも転ばないように互いの手を握り合っている。
その最後尾で、エリスが必死に予備のトランクを引きずっていた。
「フロレンス様!メル様!は、早く……! もう少しで裏門です……!」
「エ、エリス様……!」
背後から、足音。
黒衣の男が二人、回廊の角から姿を現した。
「……っ、やっぱりです……!」
エリスの顔がさらに青ざめる。
(やっぱり闇の組織です……!)
男の一人が短剣を構え、距離を詰めてくる。
エリスは慌ててトランクを前へ滑らせ、留め具を外した。
「す、少しだけ時間を……!」
中から取り出したのは、折り畳み式の簡易盾。
それを床に立てると同時に、もう一人の刺客が暗器を放つ。
――キンッ。
エリスが手にしたオリハルコン製の髪留めが、かろうじてそれを弾いた。
「ひっ……!」
だが足は止めない。
盾を押し出すようにして前へ進み、そのままトランクを再び持ち上げる。刺客に振りかぶり、全力で投げつけた。
――ドゴッ。
重い音とともに、先頭の刺客がよろめく。
「今です! 走ってください!」
令嬢たちが裏門へ向かって駆け出す。
もう頼みの綱だったトランクはない。
距離は、じりじりと詰まっていく。
***
一方、屋敷外周。
「裏門付近で争った形跡を確認!」
騎士の報告が飛ぶ。
サミュエルは即座に顔を上げた。
「場所は」
「西側回廊の先です!」
「……そこだ」
短く言い、馬へ飛び乗る。
手綱を強く引いた瞬間、馬が鋭く嘶いた。
ルークもすぐ後に続く。
(先輩……本気で怒ってるな)
普段は冷静なサミュエルの背中に、はっきりとした緊張が走っているのが分かった。
「急ぐぞ!」
馬が一斉に駆け出す。
石畳を蹴る音が、強く響いた。
***
サミュエル・ヴァルクは、この時まだ知らなかった。
彼が追っているのが、単なる誘拐未遂ではないことを。
ちなみにエリスが暗器や護身用の剣をトランクに入れていないのはそれはそれで国家反逆罪になるという被害妄想によるものです。




