3.最悪の想定
戦線から戻ったサミュエルは、王都に着くとすぐに一つの店へ向かった。最近、貴族令嬢の間で流行している菓子を扱う店だ。箱を受け取りながら、ふと自分でも少し可笑しくなる。
(任務報告ではなく、礼を言いに行くとはな)
ランドフィール伯爵家に行くとしばらくして庭の奥から、見覚えのある緑のドレスが現れた。
エリスはサミュエルの姿を認めた瞬間、ぴたりと動きを止める。
「…………」
次の瞬間。
「な、なななななんでまたいるのですか!?」
反射的に後ずさる。
サミュエルは一歩も動かず、軽く箱を持ち上げて見せた。
「先日の件のお礼と、少し確認したいことがありまして」
「お、お礼……?」
「ええ。戦場で、あなたの助言が役立ちました。」
エリスは一瞬きょとんとし、それから慌てて首を振る。
「たまたまです……!」
「そうかもしれませんが、助かったのは事実です。それと、今回の武功で一階級特進しましたし、本当にお礼ですので遠慮なく。」
サミュエルは箱を差し出す。
「王都で流行している菓子だそうです。毒見は済んでいますので安心してください」
その一言に、エリスの動きがぴたりと止まった。
「……毒見……?」
「ええ。二度行っています」
エリスは箱とサミュエルの顔を交互に見て、少しだけ困ったように眉を下げる。
「……あ、ありがとうございます……。」
エリスは小さなナイフで菓子の端をほんの少し切り取り、銀のスプーンで慎重にすくい取る。
香りを確かめ、葉を触れさせ、しばらく様子を見る。
「……反応、ありません……」
小さく呟いたあと、まだ完全には安心していない様子でポーチから細いガラス瓶を取り出した。
淡い光を帯びた液体が、わずかに揺れる。
サミュエルが眉を上げる。
「それは?」
「……エリクサーの原液です……。」
「エリクサーの原液をいつも持ち歩いているんですか?」
エリスはこくりと頷き、瓶を左手でしっかり握ったまま、ようやく小さな一欠片をスプーンですくい、口に入れる。
数秒。
真剣な顔でじっと黙り込んだあと、ほっと息を吐いた。
「……だ、大丈夫そうです……。」
そしてもう一口食べ、小さく目を瞬かせる。
「……おいしいです!」
やっと年頃の令嬢らしく目を輝かせて食べるその様子を見ていたサミュエルは、思わず口元を緩めた。
「そこまでケーキを警戒して食べる人を、私は初めて見ました。」
サミュエルは、エリスがエリクサーの小瓶を握りしめたまま菓子を食べている様子を見ながら、ふと尋ねた。
「あなた、いつもそこまで最悪の状況を想定しているのですか?」
エリスは一瞬きょとんとしたあと、少し考え込む。
「……はい。」
「なぜそこまで?」
エリスは視線を少し泳がせ、ためらいがちに答えた。
「小さい頃……“貴族は毒殺されることが多い”と……聞いて……。」
「……それで?」
「それ以来……ずっと……毒殺や暗殺が怖くて……。」
サミュエルは数秒黙り、やがて小さく息を吐く。
「それを、今までずっと信じているんですか?」
エリスはこくりと頷いた。
「はい……。」
少しだけ間が空く。
そしてサミュエルは、思わず吹き出しそうになるのをようやくこらえて肩を震わせながら口元を押さえた。
「なるほど……それは確かに、備えたくなりますね。」
サミュエルは小さく息を吐き、姿勢を正した。
「……ですが」
エリスが顔を上げる。
「あなたの備えが、今回の戦線の前進に大きく役立ったのは間違いありません」
一瞬、エリスは何を言われたのか分からないような表情になる。
サミュエルは続けた。
「あなたの助言を参考に、部隊配置を調整しました。結果、想定以上の戦果を得ることができました」
そして静かに頭を下げる。
「ありがとうございました」
エリスは目を瞬かせ、慌てて首を振る。
「戦線が拡大して……王都まで戦争が広がって…捕虜になって……補給路も断たれて……そのまま戦火の中で……飢え死にしたり戦争責任を取らされて断頭台で打首になるのが……怖かっただけで……。」
「どこまで想定を広げたら、そこまで行き着くんです?」




