2.究極のびびり
王太子の夜会が終わった後、騎士はあの異常なまでに怯える変な令嬢の素性について調べていた。
任務じゃなく完全な好奇心だ。
結局先日は他人は怖いから名前は教えられないと王城から脱出されてしまった。
あらゆる騎士のツテを使って調べると、彼女は王家直属騎士団――ランドフィール副騎士団長の娘、エリス・ランドフィールだとわかった。
***
翌日、騎士はランドフィール伯爵家を訪れていた。
整えられた庭の入口に立ち、声を張る。
「エリス殿ー!」
その声に、庭の奥で何かががたんと音を立てた。
振り向いたエリスの顔は、一瞬で青ざめる。
「ひぃぃいいっ……!」
慌てて数歩下がり、震える声で言う。
「な、ななぜここに……!? この庭は……侵入できないよう……整備しているはず……。」
「こんにちは。ランドフィール副騎士団長殿に許可をいただきました。」
「ち、父が……!?なぜ!?」
さらに一歩下がろうとしたエリスを見て、騎士は思い出したように足を止めた。
「――5メートルでしたよね?」
ぴたりと、その場で静止する。
エリスは一瞬、目を丸くした。
だが安心する間もなく、騎士がじり、と一歩だけ近づく。
「い、いま動きましたよね……!?」
「いえ、まだ規定距離内です」
「規定距離……!?」
思わず令嬢は背を向けて逃げ出した。
その瞬間。
(⋯⋯あ。)
思い出す。
庭の安全対策としてランダムに掘っておいた落下防止トラップのことを。
振り向く。
「止まっ――」
ずぼっ。
騎士の姿が、目の前から消えた。
「ひっ……!」
慌てて穴の縁まで駆け寄り、恐る恐る中を覗き込む。
底には、鋭い刃が何本も並んでいた。
そのわずかな隙間に、騎士が体勢を崩しながらも辛うじて足場を取っている。
「…………」
エリスの顔が、さっと真っ青になる。
「も、もももも申し訳ありません……! わ、わざとでは……!!!!」
騎士が穴から這い上がり、軽く制服の土を払う。
「……次からは、トラップの位置を事前に教えていただけると助かります。」
「も、申し訳ありません……完全に失念しておりました……。」
エリスは何度も小さく頭を下げる。
騎士はふと、庭を見回した。
整えられた花壇、歩きやすく配置された小道――そして、ところどころ不自然に柔らかい土。
「……この庭、まだコレありますよね」
「はい……現在、16箇所ほど……」
「16!?」
「安全性向上のために……」
騎士は思わず息を吐き、口元に苦笑を浮かべる。
「では、歩く前に確認をお願いできますか。私も落ちたくありませんので」
エリスはこくりと頷き、少し迷ったあと小さな声で言った。
「……あの、先ほどは……距離を守ってくださって……ありがとうございました……」
騎士は、やはりこの生き物は面白いな、とまじまじと観察していた。
遠くから、慌ただしい足音が近づいてきた。
「エリス!」
低くよく通る声に、エリスがびくりと肩を震わせる。庭の小道を、血相を変えた中年の騎士が早足で駆け寄ってきた。肩章からして、相当な地位にある人物だと一目で分かる。
「まったく……また何か仕掛けたのか、お前は」
そう言いながらも、娘に怪我がないことを確認すると、ほっと小さく息を吐く。
そして騎士の方へ向き直り、深く頭を下げた。
「ほんっとうに申し訳ない!」
「いえ、私が気づかずに落ちただけですので。」
「……落とし穴か。」
サントは額を押さえ、疲れたように息を吐いた。
「普段からやめろと言っているのだがな……この子は昔からこうで。危険を想定し始めると止まらんのだ。」
エリスは小さく肩をすくめ、視線を逸らす。
サントは改めて姿勢を正した。
「それと、君をここへ招いたのは私だ。突然の招待になってしまったこと、詫びよう。」
騎士は軽く背筋を伸ばす。
「いえ、師匠。」
サントはわずかに口元を緩めた。
「久しいな。相変わらずで何よりだ。」
そして娘の方を向き、穏やかな声で言う。
「エリス、紹介しておこう。こちらは――第一騎士団所属、サミュエル・ヴァルク。私の教え子だ。」
エリスは一瞬きょとんとしたあと、慌てて小さく頭を下げた。
***
応接間に通されると、上質な木製のテーブルを挟み、サントがゆったりと腰を下ろす。
向かいに座った騎士――サミュエルは、背筋を伸ばしたまま一礼した。
本来の目的は別にある。
昨夜の夜会で見かけた、好奇心からあの妙な令嬢が気になった――ただそれだけだ。だが、さすがにそれを理由に訪ねたいとは言えず、「次の任務について相談がある」という建前を使わせてもらったことに、わずかな後ろめたさを感じていた。
サントが腕を組む。
「さて、次の派兵の件だが。第一騎士団も動くと聞いた。状況はどうだ?」
サミュエルは短く答える。
「はい。辺境伯領にて、隣国との戦線を押し上げる作戦です。主戦場はダラス平野。ただ……現状、戦況はやや厳しいと見られています。」
「平野戦か。数で押されれば分が悪いな」
「はい。正面衝突では消耗が大きくなります」
そのサントとのやり取りを、少し離れた席で控えていたエリスが落ち着かない様子で聞いていた。
やがて、小さく口を開く。
「……ああ、ああの」
二人の視線が向く。
「もし……私が敵なら……その平野では戦いません……」
サントが眉をわずかに上げる。
「どういう意味だ?」
「広い場所では……数の多い側が有利です……ですから……守備側をそのまま押しつぶすのではなく……」
エリスはテーブルに置かれた簡易地図をおそるおそる指差した。
「こちらの峡谷まで……引き込みます……
ここなら……兵数の差を減らせますから……」
サミュエルは地図に視線を落とし、しばらく黙る。
エリスは少し不安そうに続けた。
「守りを……弱く見せて……退くふりをして……
有利な地形まで……誘導した方が……安全だと思います……」
部屋の空気が、わずかに変わった。
サントはしばらく地図を見つめたまま、指先で軽く机を叩いた。
「……理屈としては間違っていないな」
サミュエルも無言のまま、峡谷の位置と周辺の地形を確認する。ダラス平野から続く細い街道、その先にある狭い谷。確かに、兵数の差を殺すには悪くない場所だった。
「ただし、引く判断を誤ればそのまま押し切られる危険もある。」
サントの言葉に、エリスは小さく肩をすくめる。
「……はい……ですので……完全に退くのではなく……この手前で……一度、抵抗を見せた方が……」
震える指で、地図の一点をそっと示す。
「ここで……少しだけ戦って……敵に『勝てる』と……思わせます……そのあと……退路を確保したまま……ゆっくり下がれば……敵は……追ってきます……」
サミュエルが顔を上げた。
「誘敵、ということですか」
「……はい……」
エリスは少しだけ視線を伏せる。
「もし私が敵なら……勝てそうな戦いを……わざわざ逃しませんから……。」
部屋の中に、短い沈黙が落ちた。
サントは腕を組んだまま、娘をじっと見つめる。
「お前、戦場のことなど見たこともないだろうに……よくそこまで考える。」
「……ここ、怖いので……」
エリスは小さな声で答える。
「敵が……どう動いたら一番嫌か……いつも……考えてしまうんです……」
その言葉に、サミュエルはわずかに目を細めた。
先ほどまで「極端に用心深い令嬢」としか見ていなかった女が、今はまったく別のものに見え始めていた。
(……やはり、面白い)
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