私と君
私は完璧じゃない。
失敗することもある。
それは、鍵を閉め忘れるとかパンツを裏返しに履くとかそう言う話じゃなく、不用意に他人を傷つけたりするって意味で。
これは1番大きな失敗の話。
失敗の話というか、その傷を抉られるような、傷口を塩漬けにされるような話。
塩揉み?まあそんなトラウマと初恋のお話。
高校の時、私は恋をした。
親友に。
おかしいと思いながらも、打ち明けられないまま。
でも、初恋ってやつだった。
当時の彼女は高校2年ながら、陸上部のエースでインターハイどころか世界と戦えるレベルになれたらしい。
らしいというのは、彼女があんまりその話を私にしてくれなかったからだ。
大会にも呼んでくれなかったし、応援したいと言っても、恥ずかしい。と言って断られた。
そういうところも可愛いって?そうなんだよなぁ。
話を戻すと、彼女もまた、一つ上の先輩に恋をしていた。
もちろん男ね。
陸上部の美男美女カップル。
お似合いだと思ってた。
日焼けした肌からそろっている2人に、私の白いインドアな肌は合わないとさえ思った。
彼女は先輩との仲を深める一方で私との友情も持っていた。
それは多分、普通のことなんだろう。
昼休み、一緒に学食を食べたり、休みの時は遊びに行ったり。
思えば君は花火大会の時も、秋祭りの時も先輩に夢中だったね。
でもそんな毎日は私にとってかけがえのないものであり、失いたくないものでもあった。
節目はその年の夏。
先輩はお世辞にもインターハイレベルの強豪ってわけじゃなかった。
つまり、7月の大会で奇跡でも起きない限り、その上へ進めず引退になる。
『先輩に…告ろうと思うんだ…!』
蝉の声が騒ぎ立てる昼休み、彼女はそう言った。
その真剣な目を見て、私は気づいたんだ。
あぁ、君はもう…私を見てくれないんだ…って。
でもさ、それを理由に距離を置けないじゃん?
だから私は自分の気持ちを押し殺して協力した。
まあ、最終的に失敗したんだけどね。
そう、告白したけど、他に彼女がいるんだって。
ひどい野郎だよね。
でも、私にとってそれはチャンスだったんだ。
君を手に入れることができる。
そうすれば私はあの時間を失わずに済むって。
だから電話をもらってすぐ彼女の家に行った。
息を切らしながら全力で走って、玄関のドアを開けると、泣きながらうずくまる彼女がいた。
その姿が弱々しくて、愛おしくて。
でも、その目に私は映らない。
君は、先輩。先輩。先輩。
いつもそうだ。
ずっと先輩しか見てない。
花火大会の時も先輩と来たい。
秋祭りの時も先輩がカッコいい。
いつもいつも先輩先輩で私のことは気にも留めない…!
だから…
無意識に彼女の首に手を絞めようとしていた。
こうでもしないと君は私を見てくれないから…
力を込めればどうなるのかはよくわかっていた。
わかっているからそうしたんだ。
でも、それに気づいた君と目があった。
その時から、私の心ってやつはおかしくなった。
これがことの顛末。
あ、殺してはないし、絞めてもないよ。
思いとどまった。
でも、あの時、傷つけてでも気持ちを伝えるべきだったんじゃないかな。
半分冗談だけどね。
好きなのに傷つけるのはおかしいから。
あの時の私は弱っている彼女を混乱させたくなかった。
女同士で付き合おうなんて、言えないし、言っても多分、私の中には弱みに漬け込んだ。っていう後悔が残るはずだ。
ただ、それを境に彼女との距離は開いた。
挨拶は交わすけど、私が距離を置いた。
怖かった。
自分が何を言い出すのか、怖くてしかたなかった。
好きだという感情が自分の中で重りのようになって、苦しかった。
それから、お互い違う大学に進学。
それ以来、音信不通ってやつだ。
今、彼女がどうしているのかはわからない。
私自身、高校の思い出に蓋をしたくて、同級生との関わりを卒業と一緒に断った。
大学では男の人とも付き合ったけど、どうしてもダメだった。
ほら、なんというかすぐ体を求めるじゃん?
あれがね。
まあ、言い訳なんだけど。
なんというか…落ち着かないんだよ。
誰かと恋愛している自分が。
だから私の恋愛対象は女の子になった。
君の面影を探すように。
歪んだんだ。
君に歪められたんだ。
大学3年になった私は、バイト先が同じ後輩と同棲している。
と言っても同じ寮だし、人肌恋しさに後輩の部屋に入り浸っている。
部屋が小さいけど女子寮を選んで正解だったと思う。
なんというか…ね。
右も左も男女恋愛…というかほとんど肉体関係だけ?
壁越しに聞こえる喘ぎ声が私の歪んだ心を浮き彫りにするようでキツかったんだよ。
「先輩!コーヒー飲みますか?」
後輩に呼ばれてスマホから目を離す。
見ているふり…というか、ほとんど見てなかったが、それは彼女にもわかっていたらしい。
「珍しいですね、考え事なんて。」
またまたぁ…
「そう?ミステリアスな方が好みでしょ?」
「私は先輩が好きですけど、ミステリアスって感じじゃないですよ。」
笑うことないじゃんか。
「じゃあどんな感じ?」
「うーん…なんというか…自然体?な感じです。」
なんだその言葉の選び方は…
まるで私が何も考えずに生きてるみたいじゃん…
「あ!なにも考えずにぼーっと生きてて危なっかしいとかそういうんじゃないんですよ?!」
まぁ、自然体という意味では彼女もそうだ。
それがなんとなく居心地良かったのはある。
あとおっぱいでかいし。
「それで、何考えてたんです?」
「昔のこと。」
なぜかじっと見つめられる。
キス待ちか?ん?
「先輩ってこう…過去にドライなイメージでした…」
「そうかもね…」
実際その通りだ。
これまで何人かの女の子と付き合ったけど、そのうち、今、連絡を取り合っている子はいない。
無視してると言ってもいい。
「あ、そうだ。私、この後シフト入ってるので鍵、置いていきますね。」
彼女はそう言ってコーヒーを飲み干すと荷物を取る。
「ん、いってらっしゃい。」
後輩を見送ると、静かになった部屋が嫌になった。
自分だけ取り残されたような感覚。
私はとりあえず立ち上がる。
「出歩くか。」
そろそろ午後2時を回ろうかという土曜日、私はそう決心して部屋を出た。
秋も短くなり、冷たくなった風が通り抜けていく。
コート取りに行くか。
私は身を屈めながら廊下を歩いていった。
街に出て当てもなく歩き出す。
いつもの散歩コースは、いつも通り忙しなく、変わりない。
キョロキョロしながら歩いていると駅にたどり着いた。
人の流れに乗っていたらしい。
「たまには遠出するか。」
と言っても、後輩が戻るまでには帰りたい。
大体5時間だけど、晩御飯の用意をしなきゃいけないので…
えー…
わからん…
私は目についた都心部の駅を選び、お金を払う。
切符か…なんか久しぶりな気がする。
そんな年寄りみたいなことを考えながらすぐに来た電車に乗る。
地下鉄と違って流れる景色がなんとなく楽しい。
止まったり、進んだり。
ゆっくりになったり。
そうして目的の駅で降りると、大きな店舗が目に入る。
「ヤタモールか…なんかあったっけな?」
大型のショッピングモールは確か後輩との初デートできた気がする。
中に映画館があって、感動系のアニメだったはずだ。
私としてはテッヤ・ナイトゥの戦争映画が見たかったが、我慢もまた人間関係ってやつだ。
まあ、映画は面白かったし、泣いてるあの子も可愛かった。
まるで…
そこで思考を止めた。
君の幻影を追っているのは認めるけど、後輩を強引に当てはめるのは彼女に失礼だ。
少なくとも今は同棲しているし、私自身落ち着いている。
「しかし…なんでこう思い出すかなぁ。」
私はボヤキながら駅を出る。
行き先はとりあえず決まった。
人の流れに乗ってモールに入ると、暖房の暖かい空気と喧騒が記憶を掘り起こす。
「キャンプ…」
特に理由はなかったんだけど、前に来たときはキャンプ用品専門店が面白かった。
なにが?って聞かれると困るけど、ああいう機能的な道具とか不思議なインスタントとか見てたら楽しくない?
というわけで案内板を眺め、場所を確認すると、内板に置いてあったパンフレットをポケットに押し込み、エスカレーターに乗って3階へ向かう。
ゲーセンの音が少しうるさいが、隣にあるキャンプ用品店へ入る。
目の前には展示用の商品がディスプレイされていて、結構、本格的なキャンプの様子が作られている。
ぼーっとそれを眺めてテントコーナーへ行こうとした時、声を掛けられる。
いや、なんとなく、そういう気配を感じ取ったのかもしれない。
「やっぱり、高校以来だよね。」
その優しくもしっかりとした声は昔から変わってない。
いや、幼い感じがなくなって、よりしっかりとしたような気がする。
「あ…うん。久しぶり…」
ぎこちない?
大丈夫?
「キャンプ、やるんだ?」
そうだね。君の声はいつも私を優しく包んでくれる。
「いや、なんていうか…こういうの見るの好きなんだ。」
どうしても緊張してしまう。
過去の失敗よりも、君と会話できることが嬉しくて、顔が熱い。
「へえ、私はねぇ。新しいウェアを探してるんだ。良かったら一緒に選んでよ!昔みたいにさ!」
昔?
それって君が先輩しか見てなかった頃?
何気ない一言が私を追い詰める。
後悔と憎悪。
そして、彼女にはそんな他意があるわけないことも理解している。
「ウェア?ってなに?」
「まあキャンプ用の服?」
そういって手を引かれる。
私が君を好きだった頃のように。
それからはあんまり覚えてない。
服を選んで、彼女にキャンプ用品の説明をしてもらって、ゲーセンで遊んで。
5時のアナウンスが入った。
「あ、ごめん。私、そろそろ帰らないと。」
「うん。会えて楽しかったよ。」
「ねえ、SNSやってるでしょ?友達になろ?」
やってるけど…私は…
あー…すぐ私の手を取るんだから…
ずるいってそれ…断れないじゃん。
追加された彼女のプロフィール写真が子供とか旦那さんと写ってるものじゃなくてよかった。と思った。
でも、よく考えたら、仮にそうだとしても、私に何かを言う権利なんてない。
「また…会えないかな…」
呟いた君の言葉。
それに対する答えが出せない。
聞こえないふり…
誤魔化す…
答える…
断る…
「会いたいね。連れてってよ、キャンプ。」
なんでそう答えたのかはわからない。
でも、まだ私は…
その後、パンをいくつか買って帰る。
この時期にもなると5時半ぐらいでも真っ暗だ。
私は街灯に彩られた街をふらふらと歩いて、スマホを見る。
また歩いて、スマホを確認する。
君からの連絡が来たような気がして、また確認する。
自分から連絡しようかとも思ったけど、それだとこう…なんか、がっつきすぎ?な気がした。
寮についても、私はじっとスマホを見る。
あの頃よりも、君が気になって仕方ない。
『次の週末空いてる?』
はゃ…?!
そんな癖にいざ連絡が来ると慌ててしまう。
私は『空いてる』と返すだけのはずなのに何度も文面を書いては消す。
どどど…どーしましょーかぁ…?
まるで初めて恋に落ちたような落ち着きのなさに戸惑いながらできるだけシンプルに、うん。とだけ返す。
『じゃあキャンプ行こうよ!』
え…?
返事がすぐに届いてまた焦る。
キャンプなんて行ったことないよ!は流石にアレか?
いや、でもチャンス?なわけで…
あたふたしていると後輩が帰ってきた。
「もしかして…タイミング悪かったです?顔真っ赤ですよ?」
「は、はい?なにも?」
見るからに浮ついた私の態度はそりゃあ愉快でしょうよ。
「いえ…まさか先輩が自分で…その…弄るなんて…!」
クソッ!それどころじゃないし別に同棲しててもオナニーしていいでしょ!
「あの…私、先輩を満足させます。だから、シたくなったら…」
「違う違う違う違う!違うから!」
そもそもそういうの苦手だから、女の子同士の方がいいって言ってたじゃん!
待て…落ち着け…
「そういうんじゃないから。あと、モールでパン買ってきたから食べよ?」
そう言って私がパンを机に並べると、後輩の目が輝きだす。
そうだろうよ、好みはわかってるんだ…
「意外とコロッケパンとか好きでしょ?」
一生懸命に頷いて、可愛いやつだな。
「あ、それと…来週末、いないと思う。」
「ふぇ?」
あー…そんなに頬張っちゃって…
「キャンプ行ってくる。」
首を傾げられたが、まあそれもそうだ。
私は片手でメロンパンを齧りながら、行く。と返信した。
少しドライな感じか?とも思ったけど、君には伝わってると思ったから。
正直、キャンプに行くこと自体はどうでもよくて、君に会えるなら、場所も時間もどうでも良かった。
それからは講義に出てバイトしてって感じだったけどまるで覚えていない。
週末。
キャンプ。
それだけが頭の中をぐるぐると回っている。
チャットのやり取りもお互い時間を見つけて交わしていった。
お互いの近況とかお昼何食べたとか他愛のない話と、キャンプの話。
君が今、陸上を辞めたこと、調理系の専門学校に入ったこと、将来はお店を出したいこと。
欠けていた空白のアルバムが埋まっていくような感覚がどことなく楽しかった。
だけど、高校の頃の話はお互いにしなかった。
君にとっては失恋の記憶だし、私にとってもあまり思い出したくない。
それは、お互いに何かを察しているようで、触れないようにする暗黙のルールができていたようにも思う。
そして、君と私だけのルールがあることは、私にとって、なぜか嬉しかった。
金曜日は酷かった。
車を出すと言われ、場所を送って、寝ようとしたのに寝付けない。
子供か…!
そんなことを思っていると、隣で寝ている後輩の腕が伸びてきた。
「なーんか…楽しそうですね…」
「いや、ほら、私、キャンプ行ったことないし?」
意外と嫉妬深いな…恋愛嫌になったんじゃないの…?
「嘘、下手ですね。もしかして…」
バレたァ!
どうしようかな。
私なら…
君に…
見てもらえなくなって…
そうだね…
殺そうとした…
君を…
裏切られたから…
「ど!どうかしました?!」
「え?」
急にトーンが変わって後輩の顔を見る。
「急に…泣き出したように見えて…」
彼女の手が頬に触れる。
伝ってくる体温が、やっぱり心地よくて、でも私の心はまた君に向いていて…
「悲しまないでください…先輩が悲しいのは、辛いです…」
私はゆっくりと、彼女の手を取る。
悲しい。のかもしれない。
何か説明はできないけど…
「ちょっと…昔の知り合いと会うんだよ。初恋の人ってやつ。」
この距離で隠し事ができるほど私は大胆じゃなかった。
そして、どうしても好きな人の肌が触れていると素直になってしまう。
「詳しく聞きたいですけど…辞めておきますね。」
「怒らないんだ。」
彼女が小さく笑う。
「だって今は今じゃないですか。今の先輩はこうしてここにいる。だったらそれで十分です。」
「うん、ありがとうね。」
私はそのまま彼女に抱かれる。
心臓の音が共鳴しているようで、心地よくて。
暖かな体温が私を癒してくれるようで。
今は今だ。と言ってくれたことが嬉しかった。
翌朝、目覚ましを速攻で止め、後輩を起こさないようにしながら布団を出る。
「ちょっと早いかな。」
顔を洗ってメイクをして、改めて荷物を確認する。
「スマホはある、着替えもある。こんなんでいいんだよね…」
そんなことを考えていると、携帯が震えた。
『起きた?』
うん。とすぐに返す。
どうやら予定通りになりそうだ。
『15分ぐらいで着くと思う!』
駅前まで10分ぐらいだから…そろそろ出るか…
私はリュックを背負い、寝ている後輩の頬にキスする。
行ってくるね。
なんでそうしたのかはわからないけど、今、私は彼女が好きなんだ。と確かめたかったのかもしれない。
いや、本音を言えばぶつかり合っていた。
この子が好きだという感情と、君と別の道を歩けるんじゃないか。という期待感。
本心がどうであれ…今は今なんだ。と言い聞かせて部屋を出た。
駅前に迎えにきた君は先週会った時より美人に見えた。
それは多分、私が落ち着いたからなんだろう。
トランクにリュックを乗せ、助手席に座る。
「1時間ぐらいだから。」
そう言って、車は走り出す。
これから、私は多分、初恋を終わらせなきゃいけないんだろう。
今は今だから。と、自分自身に決着をつけるんだ。
しかし、10分ほど経った頃、私はそれどころではなくなる。
会話がないのだ。
チャットではあんなに会話できていたのにいざ、顔を合わせると言葉が出ない。
沈黙が会話を急かすようで、でも、君も黙々と運転してて…
「ね、ねぇ。キャンプっていつも誰れかといくの?」
噛んだ…
「だゃれってなに?」
「誰!誰かと行くのかなって!」
とりあえず笑ってくれたのが良かったのかもしれない。
問の意味としてはほとんど、今誰かと付き合ってるの?って内容だ。
「1人だよ。」
意外な気がした。
キャンプってみんなでワイワイやるんじゃないの…?
「ちょっと前にウィルスが流行ったでしょ?その時、1人で家にいるのも暇でさ。」
「あー、確かにアレは辛かったね。」
なんたらウィルスが全世界で流行したせいで渡航制限どころか外出自粛が世間のスタンダードになった時期がある。
当時はまだ、後輩と出会ったなかったので、寮の部屋で1人寂しくオンライン講義を受けていた。
「キャンプって、みんなでワイワイやるんじゃないんだね。」
「そーゆースタイルの人もいるけど、あんまりそういうの好きじゃなくてさ。」
その声はなぜか寂しそうに聞こえた。
私が都合よく解釈したのか、本当に何かあったのか、それはわからない。
「だから誘った時、緊張したんだぁ。それからも2人分の準備なんてわかんないしさ!」
言葉から感じられる孤独感。
君の中では今でも…
そう考えると、案外似たもの同士なのかもしれない。
ただ、ようやくいつもの調子で会話ができるようになった。
今夜の料理や君が今欲しい道具、いつも見ているキャンプ動画の投稿者。
いろんなことを話した。
私も大学での講義や教授の笑い話を出して、後輩の話をした瞬間、空気が変わった。
「へー、後輩と一緒に住んでるんだ…」
調子に乗りすぎた…
「ま、まあ一緒って言っても寮だけどね!」
取り繕い方下手くそか…!
お泊まり会やってるって言えば良かった…!
「ふーん…じゃあ邪魔しちゃったね。」
クソ…今にもUターンしそうだ…
でも、冷静に考えると後輩が女の子とは言ってない。
「か…勘違いしないで!女の子だからさ!」
それを聞いて表情が明るくなる。
「なーんだ!てっきり男の子の部屋に入り込んでるのかと思っちゃった!」
あー…うん。
そうだよね。
結局、同性同士で恋愛なんて普通は成立しないし、君は興味もないんだよね…
「でも…その後輩ちゃんの気持ちわかるな。」
衝動的に顔を上げそうになるのを抑える。
「なんかこう…落ち着いててかっこいいオーラあるもんね…」
そのトーンがどこか真剣で、聞いたこともないような切なさが混ざっていた。
そうかな。と曖昧に答えるだけでそれ以上聞けなかった。
どんな顔をすればいいのかわからず、そこから到着するまで、静かな車内に小さな音量の音楽が流れるだけだ。
私は照れ隠しに外の景色を見るふりをしていた。
君の顔を見れない。
さっきまで。
あの頃は真っ直ぐ見れたはずなのに。
山の近くにあるキャンプ場の駐車場で車が止まる。
どことなく気まずさを感じているのは、本当に自分だけなんだろうか。と疑いつつ、渡された荷物を持つ。
「ちょっと歩くから。」
そう言って君は前を歩き出した。
だから私は慌てて追いつこうとして、砂利に足を取られてすっ転ぶ。
泣きたい…
「だ…大丈夫?!」
そう言って駆け寄ってくれるだけ嬉しかったが、情けない姿を見てほしくもなかった。
「あ、あはは…ごめんね。大丈夫だから。」
愛想笑いで誤魔化しながら立ち上がると、手を取られる。
「心配だから…ね。」
呟くように君はそう言ったが、私はそれどころじゃなかった。
数年ぶりに触れる君の体温はあの頃と変わらず、低めの山の気温がよりはっきりとそれを伝えてくる。
あったかい…
私は手を引かれるまま着いていき、いつの間にか隣に並んでいた。
「ここ…よく来るの?」
「そうだね。いつもの場所。」
そうなんだ。と景色を見ながら答えると、君の指が寂しそうに動く。
そうなんですか?!
私は混乱しながら力を抜くと、指と指が絡み合う。
「あ、そうだ!ここは夜景がきれーなんだよ!」
なんでもないように君はいうけど、いわゆる恋人繋ぎだぞコレ?!
その後も君はこの辺の地形や自然の話をしていたが、私はそれどころではなく。
ただ手から伝わってくる熱が私の脳を沸騰させるようで、あの頃とは違う感じにただただ戸惑っていた。
少し進むと川が見えて、少し開けている。
「とうちゃーく!」
そう言って繋いだ手を上げる。
勝名乗りを受けるように。
空へ見せつけるように上げられた手。
私は反射的に力を抜いていた。
君は名残惜しそうにしていた。
ただ、私の中は少し冷静になりつつあった。
いいのか…?
決着を付けるどころか、初恋に囚われている。
ただの友情と、友達との他愛のない触れ合いだ。とそう割り切れるほど、私は純粋じゃない。
今は彼女がいる。
でも、その彼女は君の面影を探していて…
君は私をもう見てくれなくて…
寂しくて…辛くて…
どうして今になってそんな顔をするの…?
「大丈夫?」
私はその声で我に帰る。
自分の初恋を終わらせるだけのミッションが、君の恋を終わらせるものに変わりつつある気がした。
勿論、そんなことを直接聞くわけにもいかない。
「ここはすぐ陰になるから、テント立てよ!」
私は君に言われるままテントを立てて、焚き火台に小枝を並べる。
まるで2人だけの世界を作っていくような感覚。
これからここで暮らすんだ。一緒に生きていくんだ。という感覚は、私を冷静にしていく。
違うんだ…
違うはずなんだ…
君と私はもう交わらないんだ…
でも運命ってやつは残酷で、子供のようにはしゃぎながら自分の道具を見せる姿は間違いなく愛おしい。
そしてだんだんとこの感覚が鋭敏になって輪郭を持って、はっきりとした言葉になる。
時間だ…
私は今のままでいたい。と思っている。
色々あったが、今は後輩がいて、それなりに充実している。
でも、君はあの頃に戻りたいんだ。
高校の頃、私が歪んでしまう前に。
どっちが正しい。なんてことは言えない。
あの頃の親友と一緒にいるから、私も当時のように戻ればいい。
だけどそれは君が好きだった頃の私に戻るということだ。
私には今がある。
私を受け入れ、私を見てくれる後輩が…
けど、今…君は私だけを…
「料理の準備するから、火、見てて。弱くなったら枝を入れればいいから!」
「手伝うよ。」
そう言って立ちあがろうとするが、肩を抑えられるようにして椅子に戻される。
「疲れてるみたいだし、ゆっくりしてて!」
顔に出てたか…
私はお礼だけ言って、炎を見つめる。
時折聞こえるパチパチという音と形を変えて肌に触れる熱がなんとなく気持ちいい。
自分が求めるだけの一方的な恋はある意味で簡単だった。
君だけを見ていればいいからね…
彼女に聞けばいい。
炎はそう言いたげに燃え上がる。
聞ければどれだけ楽か。
「ねぇ…ねぇって!」
「ごめん、寝落ちしかけてた…」
「やっぱり疲れたんだ。」
そうだ、そうやって、ふふって小さく笑うのが好きだ。
「せっかくだから話してよ!悩みとかあるんでしょ?」
あぁ、そうだ、簡単そうに私の本音に触れるようなことを聞く。
その自然な感じが好きだ。
どんな些細な悩みでも真剣に聞いてくれるから好きだ。
「そう…だね。私は…」
君がずっと好きだった。あの頃は。
そう言おうとして君と目があった時、私は何も言えなくなった。
「ごめん…やっぱり、それは…聞きたくないかな。」
「どうして…どうして!」
それ以上の言葉を一度飲み込む。
本心を吐露するのは簡単だが、君がまだ本心を明かす気じゃないなら。そう思った。
だけど、君は耳まで赤くなって、照れくさそうに視線を外す。
どうして…?
どうして!
私は君が好きだった!
それはあの頃の、高校生という大人でも子供でもない曖昧な時間が見せた幻影だった!
それでいいはずなんだ!
その上で!
私は、その幻影を分かった上で!
彼女が好きなんだ!
それでいいじゃないか!
なのにどうして…君は…私を縛ろうとするの…?
あの頃は…見てもくれなかったのに…
それから気まずい沈黙のまま食事をとった。
飯盒?で炊いたご飯は美味しかったし、チキンのアヒージョも少し珍しいだけじゃなく普通に美味しかった。
でも、その全てが、私とのデートのために用意されたのだと思うと複雑だった。
私は後輩との暮らしで忘れようとしていた。
一度歪んだものは元に戻らない。
それをわかっているから、今、女の子同士で恋愛をしている。
私が彼女を求め、彼女が私を求める。
それを愛と言うのなら、間違いなく、私と後輩の間には愛がある。
あの頃はその相手が君であって欲しかった。
でも、君は今になって私を見ている。
焚き火の前にシートを敷き、隣り合うように座っていた。
それでもなお、私は君を求めていたのかもしれない。
それだけ、君から求められている。という感覚が嬉しかった。
「ねぇ…覚えてる?先輩に告白した時のこと…」
私が忘れるわけもない。
2人の時間を止めたそれを。
忘れることができればどれだけ良いか。
「忘れてない。凄く…泣いてたから…」
おそらく避けては通れない。
私たち2人にとってあまりにも大きな失敗だからだ。
触れそうだった指が僅かに触れる。
どっちが近づいたかは、わからない。
「あの後、気まずくなったんだよね…」
その声は思い出話として片付けるような簡単なトーンじゃない。
「ずっと聞きたいことがあったんだ…」
心臓を鷲掴みにされるような感覚。
呼吸が止まるような衝撃。
知っていたんだ…私が…君を…
「どうして、あんなに悲しい顔してたのかって。」
悲しい顔か…
2人の手が指が絡み合って、強く結ばれる。
さっきのような混乱も高揚感も今はなかった。
話すべきなんだ…殺そうとしたことを…
「私は…」
言葉が出ない。
真実を告げるということは、君が好きだった。と言うことも含まれる。
でなきゃ説明できない。
「私は…君が好きだったんだ。ずっと…親友とか…友達とか…それ以上に…なりたかったんだ…」
涙が溢れて、声も上ずって、情けないままに秘めていたものを吐き出す。
それは、溢れ出した水のように止まることはない。
「君が…好きで好きで仕方なかった!花火大会も秋祭りも!それよりずっと前から!君が先輩を好きだったみたいに…それ以上に…」
静かに聞いていた君が私を包む。
問題はそこじゃない。
君の疑問に答えなきゃいけない。
お互いのために…
私は振り解くようにして顔を上げ、目を合わせる。
君の目は混乱しているわけでも拒絶しようとしてる訳でもない優しい目だった。
「私は…!私…あの時…殺そうと…首を絞めて…殺そうと思ったんだ!私を見てくれないから!君が先輩しか見えないなら!そうすれば見てくれると思ったから!」
涙は止まっていた。
泣いても悔やんでも、本気でそうしようとした事実は動かない。
これは背負うべき罪で君だけが裁くことができる。
だから真っ直ぐ目を見て言ったんだ。
ビンタでもいい。
このまま捨てて行ってもいい。
そうしてもらうための再会だったんだ。
そう思っていた。
でも君はまた私を優しく包む。
「知ってたんだ…ずっと、そういう風に思われてたこと…」
「なんで…!」
「ずっと一緒だったんじゃ、気づかないほうがおかしいよ。」
「なんで…」
なんで先輩なんかと…
「諦めて欲しかった。受け入れるのは簡単だけど、多分、後悔すると思ったから。世間的にも…耐えられないのかもしれない。と思った。」
後悔なんて。
「でも、間違いだった…素直になれなかったんだと思う。勿論、先輩のことも好きだったけど、その視線に気づいた時、素直に…」
君の声が震える。
ただのすれ違い。
いや、多分君が正しい。
本気で女の子同士、恋愛をして、そのまま後悔せず死ぬことができるか。それだけの覚悟があの頃の私にあったのか。
「ずっと会いたかった…謝りたかった…素直に…受け入れるべきだったって…」
「泣かないでよ…私も、君を避けてた…合わせる顔がないって…」
絡まった糸が解けた。
漸く、お互いに素直になれた。
時間はかかったけど、これで決着なんだ。
あの時のように、私は君を抱きしめる。
殺意は湧かなかった。
もう、あるはずもない。
「ありがとう…本当に…君と、また会えてよかった…」
今は2人で、炎を受け止めることができる。
そしてこれからは、もう過去に縛られることもないだろう。
終わるんだ。
2人の初恋が。
最初で最後。
凄く便利だと痛感し、後悔さえ覚える。
素直になったついでにキスしてテントの中で絡み合ったなんて、後輩に言えない。
寝袋から這い出た時、裸の体に朝日が刺さる。
彼女を起こさないよう服を着て、外に出る。
「焚き火を消す冷静さは…あったな。」
凄く楽しかった。
でも、終わりにするべきなんだ。
あの頃を取り戻すだけの時間はなかったけど、お互いの気持ちを確かめ合うことができた。
「ん、おはよ。」
眼を擦りながら出てきた君と目が合う。
その目はどこか満足げで、多分私も同じような目をしていたはずだ。
片付けを手伝って、来た道を戻る。
「またこけるでしょ?」
そう言われて手を握るが、指が絡むことも、それを望むこともなかった。
友達として、あの頃の延長線上にたどり着いたんだ。
車で戻る時も、別に会話はなかった。
でもそれは、行く時の思い沈黙じゃなくて、今、この優しい空間をただ味わうようなものだった。
このままどこまでも…
そうは思わない。と言えば嘘だけど、また、会える。そう思えば不思議と、名残惜しさも感じない。
そうだ、今度は彼女も一緒に3人なんていうのもいいかもしれない。
2人とも少し緩い系だし、意外と噛み合うかもしれない。
そんなことを考えていると、見慣れた景色に戻っていく。
段々と、この旅の終わりを告げるようで、そういう寂しさが沸々と湧いてくる。
「今度さ…買い物でも行かない?」
「んー…そうだよね。テントも小さかったし…」
当たり前のようにまた、キャンプに行くことを前提に会話が進んでいく。
「魚とか釣れないの?」
「釣りかぁ、生きてる魚触るの怖いんだよね…」
「私は平気だけど?」
「それならって感じかも!」
駅が見えてきた。
「また、連絡するよ。」
私がそう言うと、全てを終えるように車も止まる。
1番の友人として、これから…
「あ、後ろの座席にお土産あるよ。」
君に言われるまま、反射的に振り返ると、今回のキャンプで食べきれなかったお菓子が袋に詰められている。
「いいの?」
そう言いながら君の方を向こうとすると、想像よりもっと近くに顔が来ていた。
そして、唇が触れ合う。
ちょ…?!
そう思いながらも拒絶できない。
受け入れる。
君の唇も吐息も舌も。
世界が止まったような感覚と、怖いぐらいに素直な2人。
名残惜しそうに私が顔を離す。
「ごめん…でも、簡単に割り切れないと思うから。」
反則だ。
その屈託のない笑顔でそう言うことを言う君は、少し新鮮で、可愛くて。
「今度は後輩も呼ぶからね。」
私はイタズラっぽく笑って車を降りる。
「いーじーわーるー!」
後部座席に回ると、君の声が聞こえる。
自然とお互い笑顔になっていた。
それでいいんだ。
時間の問題なんだ。
どうなろうとも、友情が崩れる訳じゃない。
あれだけ本音をぶつけ合ったんだから。
君の車を見送って、寮に戻ると、後輩が絡み付いてきた。
「何してんの…?」
なんかの動物みたいだ。と思った。
「いや、他の女の匂いを消したくて…」
小動物めいて、彼女の体を擦り付けられる。
私も荷物を置いて、彼女を抱きしめた。
今は今。
少し便利な言い訳かもしれない。
そう思いながら、『今』を抱きしめ、その匂いと体温を体にすり込む。
「今度、3人でキャンプ行こうか。」
「3人ですか…」
明らかに不満げだ。
「そうだよ。仲良くね。」
結局、キャンプで意気投合して、君と後輩が付き合いだすとは、この時の私は考え及ぶはずもないし、別のお話。
そしてこれがことの顛末。
私だけが傷ついた話ではなかったし、それを話したことで、かけがえのない友人を取り戻せた。
今でも3人でキャンプに行くことはある。
キャンプ以外にもバーベキューしたり、海に行ったりした。
別の道も勿論あったのかもしれないけど、私は今の方がよかった。と本気で思っている。
後悔するだけで進まないのも正しいのかもしれないけど、私は先に進むことでそう思えるようになったんだ。
それに気づかせてくれた人がいてくれて、本当に良かったと思う。
評価等していただけると嬉しいです。