リュークの希望
物心がつく頃、一番最初に思ったことは「世界はなんてうるさいのだろう」だった。
***
僕はライオット王国の第三王子として生まれた。
父はこの国の王として、国のため民のために日々真面目に公務にあたる厳格な人で、母は王妃としてそんな父を支え、多忙の中三人の王子を育て上げたとても愛情深い人だ。
長男であるアラン兄上は僕の七つ歳上で、今年立太子した。父に似たのか勉学にも剣の稽古にも公務にも全力で取り組む、とても真面目な性格をしている。
五つ歳上の次男・ルイ兄上は体を動かすことや剣の稽古が好きで、将来は冒険者になりたいと無邪気に公言している。王子に冒険者は無理だって僕でも分かることだけど、夢を壊すのは可哀想なので黙ってあげている。
このように家族を客観的に評価している僕は、今日三歳の誕生日を迎えたばかり。
ここで僕はようやく、「三歳でこんなことを考えるのはおかしいのかもしれない」ということに気がついた。
だって他の三歳児はこんなことを考えてはいなかったから。
だから僕は夕食の時間にずっと気になっていたことを家族に聞いてみた。
すると、僕の話を聞いた家族は全員泣いてしまった。
こうして―――自分が他の人とは違うんだとはっきり理解した三歳の誕生日は重苦しい空気の中終わった。
***
あれから二年が経ち、僕は王宮から少し離れた離宮で一人生活している。
こんなことをしても気休め程度にしかならないけど。
僕は産まれてからずっと自分の持つ力に悩まされてきた。いや、悩むとかそんな可愛らしいレベルじゃないな。廃人になるかならないかぐらいまで追い詰められている、と言ったほうが正しい。
家族は言葉を濁して「祝福の可能性も…………ある、かもしれない」とかなんとか言ってたけど、本当はそんなこと思っていないって僕は知っている。
祝福とは女神が一等愛した人間に与える最高の贈り物だと言い伝えられているが、こんなのただのおとぎ話、もしくは伝説レベルで信憑性のない話だ。
百歩譲って女神が気まぐれにお与えになられた力だったとしても、これは決して祝福ではない。
正真正銘―――呪いだ。
だって―――人の心の声が、力の届く一定範囲内にいるすべての人の心の声が頭に直接聞こえ、しかもそれらを一生忘れることが出来ないなんて、呪いとしか考えられないでしょう?
そう。僕は人の心の声が聞こえる力と、絶対記憶能力を持っている。
絶対記憶能力とは、一度見聞きした事柄を瞬時に覚え絶対に忘れないという能力だ。
正確には体質であり、これを止めることは出来ず、本人の意思にかかわらず視界に入ったり耳に挟んだどんな些細なことでも全て記憶してしまう。
最悪なことに僕の場合は、見た景色と一緒にその場の風景に溶け込んでいる人々の心の声もセットで記憶する。
たとえば一年前王宮の廊下ですれ違っただけの騎士の考えていたことがパッと思い出せる、といったふうに。
「力の届く範囲にいるすべての人の心の声が聞こえる」というのは、例えば半径一キロメートルが力の届く範囲だとするならば、その範囲内にいる人の心の声が、姿を目にしていなかったとしても聞こえてくるということ。
人間は「忘れる」ことが出来るから前向きに生きていけるのだなと、この歳で痛感する。
嫌なこと、つらいこと、悲しいこと、人の内面の醜さ、聞きたくなかったことも全部全部、忘れることすら出来ずにシンシンと胸の中に降り積もる。
そしてこれらの記憶をいつでもどこでも鮮明に思い出せるという事実は、僕の精神に強い負荷を掛け続けた。
脳の許容範囲を超える膨大な情報に苦しめられ、食欲もどんどんと失い、今では栄養のほとんどを薬で摂取している有様だった。
恐ろしいことだが、力の届く範囲は年々広がっている。今では馬車で十五分程の距離にある離宮にいても、王宮にいる父上や母上の心の声が聞こえてしまうほどに。
両親はこのことをまだ知らず、離宮で僕が少しでも心穏やかに過ごせるようにと、警護の人数を出来るだけ減らせるように少数精鋭で揃えたり、出入りする侍女を厳選してくれた。
こことは離れた王宮で働く人々の心の声まで聞こえるようになってしまった今となっては無駄な努力だったが、僕を思ってくれるその気持ちが純粋に嬉しかった。
まあ、強く関心を向けなければ人混みのど真ん中に佇んでいるような、ガヤガヤとうるさいな、くらいの感覚でいられる。
こんな僕だから、次第に他人への興味が希薄となっていった。
だけどそうも言っていられない事態が起きた。
第二王子派閥の人間が王太子であるアラン兄上に毒を盛ろうと画策していることを、ある貴族の心の声を聞いて知ってしまったのだ。
ちなみに僕の力は無駄に性能が良く、聞こえた心の声に強く意識を向けるとその人物の大体の居場所が分かり、さらに名前が特定出来ると脳に残る莫大な量のデータからその人物の過去の思考も引き出せる。
その人物が僕の力の及ぶ範囲内にいた時だけの思考だが。
その貴族が盛ろうとした毒は、死にはしないが一生身体に麻痺が残るような代物で、もし実行されればアラン兄上の王太子としての未来は閉ざされるだろう。
アラン兄上とルイ兄上の兄弟仲は良好で(というか家族全員仲が良い)、周りが勝手に派閥を作り権力争いをしているに過ぎない。
そんな周囲の勝手な思惑でアラン兄上を再起不能にするなど到底許せるはずがなかった。
すぐ父上に面会を申し込み、聞いた心の声のことをつぶさに報告した。
その後の父上の、いや、国王の処罰は苛烈を極めた。
僕の力を全面的に信じた上での行動だが、別の罪を捏造し毒を盛る計画を立てた伯爵を追い込み処刑、一族郎党を平民の身分に落とし伯爵家を没落させた。
言うなれば起こしていない罪で裁かれたようなもので、処刑された男にしてみればたまったものではないだろう。
実際屋敷から兄上に盛ろうとした毒も見つかったし、王族に危害を加える計画を企てたという事実は十分死に値するので問題はないけど。
父は僕の父親である前に、この国を守護する国王だ。
今回のことで有用性が判明した僕の力を、国の安定の為に使うことを決めた。
不穏な行動を起こそうとしている貴族がいないか探るよう命じられたが、父親として一番末っ子の我が子にこのようなことを命じる自分を恥じていることは、心の声を聞いて十分伝わってくる。
母上は僕の力が一人の人間を死に追いやり、少なくない人間の人生を狂わせたことを僕が気に病んでいるのではないか、と最後まで力を利用することに反対していたが、「僕は気にしていない」と説得するとしぶしぶながら納得してくれた。
だって僕は本当になにも気にしていない。
人が死のうと何人平民に落とされようと、それが僕の力のせいで起きたことだと言われても、この程度で心が揺れるような精神は、もう持ち合わせていなかったのだから。
齢五歳にして家族以外、もうなにも、誰も信用出来なかった。人とは自分勝手で恐ろしく醜い生き物であると、嫌というほど知っている。現在進行系で。
母は僕の精神が壊れていることに早々に気がつき、ひどく悲しんでいたが、僕はもう自分の人生を諦めているから泣かなくていいよ。
この先誰かと親しくなることも、人に興味を持つことも、恋愛することも結婚することもないだろう。
政略の駒にも使えない、公務も積極的に行えない王族の使い道は呪われた力を使うことだけ。
力を使って不穏な芽を事前に潰しつつ、醜悪な人間の内面をより深く知るはめになっては人嫌いを加速させる。用がなければ離宮に引き篭もる。
こんな生きているのか死んでいるのか分からない生活を送っていると、ある時変なことばかり考える令嬢の存在に気がついた。
***
―――さっきから声を掛けてきてしつこいわねこいつ…。蜂蜜のプールに沈めてやろうかしら?
―――砂糖で全身をコーティングして艶を出してくれれば少しは興味が出るかもしれないのに。残念ね。
―――いたっ。考えごとしてたらペン齧っちゃった。はっ、誰も見てないわよね。もう誰よこんな紛らわしいペンを買ったのは!はいはい、私ですよ!だって奇跡のチェロスそっくりペンを見つけてしまったんだからそりゃ買うでしょ!
――― あの方の全身コーデ素敵っ!緑色のジャケットに白いシャツ、薄いピンクのネクタイの組み合わせがまるで東方の国の名物三色ダンゴみたいだわ。美味しそう…。
―――今日の雲の形はなんだかシュークリームみたい!そしてあの雲はさしずめマリトッツォといったところかしら…。あ〜〜〜お腹が空いたわー!!!
この頃、まじないの感覚で自分の髪や血液を少し混ぜたお菓子を異性に渡してそれを食べさせたり、既成事実を作ろうと媚薬を盛ったり、嫉妬に狂って毒を仕込んだりと、恐ろしいことを考える女は星の数ほど存在すると重々承知していたので、元からなかった食欲は益々衰退し、今は栄養薬とエネルギー摂取用の携帯食と水のみを口にしていた。
だから最初は「呑気なことを考える頭の弱そうな令嬢だな」という感想を抱く程度だったけど、あまりにも食べ物のことしか考えない変わった思考を不思議に思い、この思考の持ち主に焦点を合わせ位置を探ると、なんと本日の王宮でのお茶会に参加していることがわかった。
たしか今日は兄上達の婚約者候補となる令嬢の下見として、母上が八歳〜十二歳頃の伯爵家以上の令嬢を集めてお茶会を開いていたはず。
お茶会に意識を集中させ参加者の心の声を聞く。
―――ウォルシュナット公爵家のリリス様だわ…。八歳とは思えぬ落ち着きようはさすがね。
―――今日の主役はリリス様ね…本当にお美しい……。リリス様はアラン殿下とルイ殿下どちら狙いなの?見極めなければわたくしに勝ち目はないわ。
―――あー、最悪。リリス様が隣にいらっしゃるわ。こんな美人の近くに座りたくないぃぃ。
―――リリス様の噂に違わぬ美貌に豊富な話術。詰んだ。逆立ちどころかそのままバク転を決めてもこんなの勝てっこないじゃない。
―――今日の夕食はなにかしら…。トーマスが「今日はリリスお嬢様の大好物ですよ」なんて、家を出る前に期待値を上げるようなこと言うからもうお腹が空いてきちゃったじゃない。
食べることしか考えていない令嬢はリリス・ウォルシュナット令嬢で間違いなさそうだ。
しかし食べる行為の何にそこまで執着することがあるのだろうか。栄養だけ摂取出来れば味や見た目なんかどうでもいいだろうに。
この頃の僕は本気でそう思っていた。
どうやらウォルシュナット嬢は母上のお気に入りの令嬢らしく、よく母上の個人的なお茶会に招かれては出されたお菓子を引くほどよく食べ、味の感想を心の中でものすごい勢いで垂れ流すので、僕は食べたこともないのにやたらお菓子に詳しくなった。
また別の日、ウォルシュナット嬢をお茶会に呼んだ母上が「今日はルイの予定も空いてるし、リリスちゃんに会わせてみようかしら。ルイはきっと一目惚れするでしょうね」と考えていることに気づいた僕は、なぜだか分からないが王宮へと向かい、「僕がそのお茶会に参加します」と母上に申し出ていた。
母上は僕の言葉に腰を抜かすほど驚き、その後小躍りして喜び、自身の忙しい感情変化についていけないまま、涙を浮かべ手を震わせたままお茶会へと向かった。もちろん、僕を連れて。
初めてリリスと出会った時のことは、風が吹きふわりと舞った髪の毛を押さえる手の角度まで鮮明に思い出せる。………こういう言い方をすると気持ち悪く聞こえてしまうが、事実なので仕方ない。
陽の光を浴びて一本ずつキラキラと輝く金色の髪、極上の宝石と見間違うような丸く大きなエメラルドグリーンの瞳、八歳という年齢にしては大人びた、どこか妖艶な雰囲気を漂わせる美貌にハッと息を呑む。
女神がいる………。
だけど相手も僕のことを「天使様っ………!!」と目まぐるしく讃えていることに気がつき、我に返る。
彼女は見た目がどれほど優れていたとしても、考えていることは九割食べ物の残念な令嬢だ。惑わされてはいけない。
ただ、本当に美味しそうに食べるんだなと、少しだけ“食事をする”という行為に興味が湧いた。
最初は僕の容姿に夢中になっていたくせに、こぼれるほど盛られたお菓子の皿が目の前に置かれた途端、彼女は僕のことを記憶の彼方に放り投げた。
そのことに少しムッとしていたので、今まさに食べようとしていたムースを強請ると、ウォルシュナット嬢は少し驚いたあと、笑顔で僕にスプーンを差し出してきた。
初めて食べたムースは驚くほど甘く、疲れ切った脳に強い衝撃を与えた。酷使された脳に必要な栄養素は糖分だったと身を以て知る。
その後もウォルシュナット嬢にタルトやケーキを食べさせてもらいつつ、本人も勢いよく食べ進めていくので、あれほどたくさんあったお菓子は早々にすべて無くなりお茶会は終了した。
母上は僕が栄養薬や携帯食以外のものを食べたことに感動し、お茶会の終了間際までテーブルに突っ伏し咽び泣いていたが、ウォルシュナット嬢とその母親が席を辞すると、ぱんぱんに腫れた目をキリッとさせ「リリスちゃん、ごめんなさいね。貴女のことは絶対に逃さないわ…」と、王宮を去るウォルシュナット嬢の後ろ姿を熱く見つめている。
母上の中で「リュークに食事をさせた唯一無二の令嬢」としてウォルシュナット嬢は捕獲対象と見做されたようだったが、その必要はないと母上に伝える。
糖分摂取の必要性は十分理解したのでこれからは食べるようにする、今回僕が食事をしたことにウォルシュナット嬢は関係ないと粛々と伝え、なんとか理解してもらえた。
さすがに僕が食事をしたお茶会に参加していたというだけで、王妃に目をつけられてしまうのは可哀想過ぎるだろう。
離宮に戻り、早速侍女に簡単な甘味を用意するよう伝える。すると年配の侍女は驚きながらも喜んでティータイムの準備を手際よく行ってくれたが、結局、用意された菓子を僕が食べることはなかった。
まず、美味しそうに見えないし食欲もわかないし、これらの固形物を口に入れて咀嚼し飲み込める自信もない。
侍女の心を読めば異物混入や毒が仕込まれている可能性など一切ないことはわかるのに、なぜか食事をするという行為が気持ち悪く思えた。
侍女から母に連絡が行ったのか、夜遅く離宮を訪ねてきた母は、「やはりリリスちゃんをもう一度呼びましょう。リリスちゃんが側にいればリュークは食事をすることが出来るのかもしれないわ」と強く勧めてくるので仕方なく了承することにした。
食べることしか考えてない令嬢が一人側にいたところで僕の食事事情に影響を与える一因にはなり得ない。と、そう思っていたのが―――
僕は今でもリリスが側にいなければまともな食事一つ取れないでいる。
リリスが心の底から「美味しい!!」と訴える食事にしか興味を抱けないのだ。
だからリリスがいない時は栄養薬を飲んで終わり。
そのため、家族は僕の為にリリスを囲い込むことに常に必死だ。
―――ねぇ、リリス。
あの日、僕のことを慮り、結婚とか打算とかそういうものを一切抜きにして、僕が安心出来るなら一生一緒にご飯を食べてもいい、と心から思ってくれた時に。
どんな手を使っても絶対に君を手に入れてみせると決めたんだよ。
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