ミアの誤算
私の名前はミア・アボット。
平民の母と二人でずっと貧しい暮らしをしていたんだけど、ある日突然父親を名乗る男爵の男が家にやってきたの。「妻と離縁したから迎えに来てやったぞ」だって。何様なんだこのおっさん。
だけどこの場面どこかで見たことある…と思った瞬間、私はすべてを悟った。
その日のうちに今まで住んでたのは犬小屋だったと思えるほど大きな屋敷に連れて行かれて男爵令嬢としての生活が始まったことや、みすぼらしく控えめな性格だった母は人が変わったように散財を繰り返すけばいおばさんにイメチェンしたこと、私が成長するにつれニヤニヤとイヤらしい視線を寄越しながら「学園に通うようになればその顔と身体を使って少しでも上位の男を落とせ」としつこく繰り返す腐った父親のことも、すべてがどうでも良かった。
だって―――ここは超人気乙女ゲーム、『花の乙女と巡る運命』(通称花オト)の世界なんだから!!!!
『花オト』の主人公・ミアに転生していると気づいたからには、貴族の仲間入りをして調子に乗ってる母親と、とにかくきもい父親になんか構っていられないわ!王子様に見初められ王子妃となったあかつきには二人まとめて捨てよっと。
『花オト』はアボット男爵の庶子であるヒロインが、跡継ぎが中々産まれなかった男爵家に引き取られ(前の奥さんと離婚したという描写はゲームにはなかったけど、まぁ誤差でしょ)、貴族だけが通うオーロラル学園に通い、攻略対象達の悩みを解決したり寄り添ったりしながら愛を育む王道のラブストーリーだ。
前世の私のみならず多くの人々がこのゲームにハマった理由は、とにかく画が綺麗で、ゲームというより映画を見ているような感覚でどんどん感情移入してプレイ出来るところだろう。
登場人物はモブですら美しく、攻略キャラに至っては夢に出てくるほど圧倒的な魅力を兼ね備えていた。
ドSな公爵子息、ショタ王子、生真面目宰相子息、ワンコ系騎士団長子息、ワイルドなちょいワル歴史教師の五人が『花オト』の攻略キャラだ。
難易度は高いが頑張れば逆ハールートも目指せる。
五人とも異なる魅力があって誰か一人なんて到底選べない!皆の心の傷はヒロインであるこの私が癒してあげるからね!
私は意気込みも新たに学園入学の日を心待ちにしていた。
***
楽しみに………楽しみにしていたのに…………攻略キャラが、いない……!?
一年先輩の宰相子息も騎士団長子息も二年先輩のドS公爵子息も一年生の担任になるはずのちょいワル教師もいない、だと……???
救いはショタ王子のリュークが同じ新入学生として存在することだけ。リュークは前世のミアの最推しでもあったので(僅差で)、他の攻略キャラがいないのならばリューク一筋で攻略していこうと決める。
そうと決まればリュークルートの最初のイベントをこなさなくっちゃ。リュークはどこかな〜…、あ、……いた!!!
え……本物のリュークって発光してるの!?
あれで頭に輪っかと背中に羽が生えてたらただの天使じゃん!!うそうそ、本当に可愛い!今はショタでもあと数年でイケメン確実!!!
俄然やる気の出てきた私は「入学式に向う途中でぶつかる」イベントを発生させるべく、小走りでリュークの元へ向かったんだけど―――
「げっ」
なんで悪役令嬢のリリスがリュークと一緒にいるのよ!
近くの柱にサッ身を寄せて二人を観察すると、リュークとリリスは談笑しながら入学式が行なわれる講堂へと向かっているようだった。
公爵令嬢のリリスはすべての攻略キャラの悪役令嬢としてヒロインの前に立ちはだかる非常に鬱陶しいキャラだ。たかが男爵令嬢が人気のある高位貴族に近づくなど烏滸がましいと、ヒロインが攻略キャラと仲を深めようとするとどこからともなく現われ邪魔をしてくる。
だいたい、攻略キャラ全員の悪役令嬢を務めるなんてどれだけ気の多い女なのよ。
自分が逆ハールートを目指していたことなんかまるっと棚に上げ、柱の影から憎々しい気持ちでリリスを観察すると………悔しいけど控え目に言ってもリリスは傾国の美女だと思った。
なにあのでかいおっぱい。どれだけ滋養のいいもん食べたらあんなにおっきく育つわけ?
ってか、私と三歳しか違わないくせに色気すごいんですけど!?女子に耐性のないオタク男子だったら軽く見つめられるだけで財布の中身をすべて捧げちゃうんじゃないかしら。
リュークルートのリリスは、幼少期にお茶会で出会ったリュークに対し、「王族の癖に離宮に引きこもってばかりで情けない」と罵り馬鹿にする。
周囲には引きこもりがちな王子を心配する心優しい公爵令嬢として振る舞い、裏ではリュークをあちこち連れ回し「剣を振ってみろ」だの「この問題を解け」だの無理難題を押し付け、身体の弱いリュークがそんなことは出来ない、と弱々しく否定すると「王子なのにそんなことも出来ないなんて」と超上から目線でリュークの自尊心を破壊するのだ。
身体に加え気も弱かったリュークは、リリスに苛められていることを誰にも言えず、ますます離宮に引きこもって人嫌いを加速させるという悪循環に陥ってしまう。
だがリリスはリリスで「リューク様は私がいないと何も出来ないのだから」と、なぜか自分がリュークに慕われている前提で行動する。恐ろしいすれ違いだ。
よって、今も新入学生として入学してきたリュークを、リリスがいらんお節介を焼いて付き纏っているのだろう。
「リューク、私があなたをリリスの呪縛から解放してあげるからね!」と熱い視線を送ると………そこにはもう二人の姿はなかった。
「!?」
えっ、どこ行ったの??入学式が行なわれる講堂はこの道の先でしょ!?
しばらくリュークを探して彷徨ったのに結局見つからなくて、入学式に遅刻してジジイの教師に怒られた。ついてない。
イベントを一つ落としちゃったけど、逆ハールートを狙わないリュークのルートだけなら他のイベントでもまだまだ挽回出来る。
よぉーし!やってやるわよ、絶対にリュークを落とすんだから!!
***
「はぁ〜〜…………」
進まない…。なんでイベントがまったく起こらないの?
目の前でハンカチを落としたのに拾わない。二人で図書館で勉強するイベントも消えた。こんな調子じゃ放課後デートなんて夢のまた夢だ。
イベントが発生していないせいか、リュークとは顔見知り程度の関係性に留まっている。
笑顔で挨拶しても軽いボディタッチをしてみても反応はイマイチ。むしろちょっと嫌がられてるような気がする…私はヒロインなのに!
それもこれも全部あの女、リリスのせいだ。
他の攻略対象がいなくてリュークだけの悪役令嬢になったせいか、毎日毎日リュークに纏わりついては私とリュークの仲を邪魔してくる。
なんとかしなければと焦った末に、媚薬入りのお菓子をリュークに食べさせることを思いついた。私って天才かも。
ゲスい男爵家には合法の媚薬の瓶がゴロゴロ転がっているので、一本拝借しクッキーの材料と混ぜてこねこねする。
これでリュークも私のことを意識するでしょ!と、意気揚々とリュークのいる(ついでにリリスも)カフェテリアに乗り込むも―――結局媚薬入りクッキーを食べたのはリリスだった。
なんでよ!!しかも口移しでリュークに水を飲ませてもらってるし!!どうなってんの!?
思わず地獄の底から響くような低音ボイスで舌打ちが漏れる。
旧校舎の教室に閉じ込められるイベントもリリスに奪われたし、本当にもう後がない。なんで公爵令嬢が先頭に立って人助けに行くのよ、そこは護衛に任せなさいよ!!
そもそもリリスが私の事を虐めてこないから思うようにゲームが進まないのだ。リリスの嫌がらせがなければ当然「リュークが虐められているミアを助ける」イベントも起こりようがない。
今日も今日とてなんとかリュークと接点を作るため、健気にも後ろから抱き着こうとしたけど、その前にリュークが躓きリリスのでっかいお胸で受け止めてもらっていた。代わりに私は地面に顔面を強打した。
「………」
ジンジン痛む顔面押さえながら決心する。
卒業パーティーでリリスを断罪してやる―――!!
所詮ここはゲームの世界、例えイベントがうまくいかなかったとしても何とかなるはず。だって私はこの世界のヒロインなんだから!!
―――なぁんて思ってたけど結果、断罪は失敗に終わった。
「なんだったの、さっきの…………」
帰りの馬車に揺られつつ、先ほどリュークに言われた言葉を反芻しながら呆然と呟く。
リリスの食べた物やスケジュールを分刻みで記憶している異常さがストーカーを彷彿とさせゾッとしたが、それ以上に恐怖したのはリュークが私の前世の名前を知っていたことだ。
前世の知り合いがリュークに転生したのかと思ったが、美梨亜とバレるように振る舞ったことなんか一度もない。ノーヒントで特定することは不可能だろう。
じゃあなんで………?
リュークのあの全てを見透かすような目でじっと見つめられた時、私はリリスを心から尊敬した。
私には無理。絶対に無理。
今日気づいたけど付き纏ってたのはリリスじゃなくてリュークじゃん。リリスは完全にストーカーの被害者じゃん!
あんな粘着質な男にねばねば執着されておきながらさらっと受け入れてるリリスはこの世界の神なの?それとも情緒が死んでるの?
そもそもリュークはあんなキャラじゃなかった。気の弱いただの甘えん坊王子様のはずでしょ!?
この世界はどこかおかしい。全然私の思い通りにいかない。
「なんで……なんでよ……!!私はここでも幸せになれないっていうの……!?」
美梨亜だった頃の私は毒親に育てられた。前世の記憶はもうほとんど曖昧で、毒親との生活から目を逸らし乙女ゲームを心の拠り所にしていた、ということくらいしか覚えていない。
前世の自分の死因が自殺じゃなければいいなと思う。
ミアになってからも親には恵まれなかった。
母親は「こんなはずじゃなかった…」とぶつぶつ文句を言いながら日々を過ごしろくに働かない。仕方がないので私が簡単な仕事をして小銭を稼いだり家のことしたりしていた。父親から最低限生活出来るくらいのお金は毎月渡されてたみたいだけど。
男爵の正式な妻になってからは取り憑かれたように散財し使用人に威張り散らすようになり、父親である男爵は私のことを自分の駒としか見ていなかった。
私は今からそんな家に帰らなきゃならないの…?
馬車がスピードを落とし男爵家の前で止まる。御者が扉を開け、差し出された手を取り機会的に降りて、夕暮れに染まる屋敷をぼんやりと見上げる。
実は昨年跡取りとなる弟が産まれていた。これもゲームと違う点だ。ゲームではヒロインに弟なんていなかった。
父親と母親は待望の跡取りに夢中で、今ならこんな家を出ていっても探されることはないのでは?と、ふと思った。
もう嫌だ。今日の卒業パーティーでのやらかしが明らかになれば叱責を受けるだろうし、もしかしたら厄介払いで適当な男の元に嫁がされるかもしれない。
これ以上自分勝手な親に振り回されるのはごめんだった。
一度そう考えてしまうと、くるりと向きを変え街に向かって歩き始める自分の足を止めることは出来ない。
御者の男の「お嬢様どちらへ?」という焦った声が聞こえたが気にすることなく歩き続ける。
すると数メートルも歩かないうちに見知らぬ女に声を掛けられた。
「―――失礼。あなたがミアさんかしら?」
「………おばさん、誰?」
母親と同じくらいの年齢の、いかにも「家庭教師をしてます」と主張するような首元の詰まったシンプルな服を着た女が、メガネをくいっと持ち上げジロジロとこちらを見てくる。
「礼儀がなっていませんね。まったく、今までなにをしていたのかしら」
「はぁ!?だからあんた誰よ!いきなり話し掛けてきておいて偉そうに何言ってるのよ!!」
だめだ、感情が制御出来ない。イライラする、こんなおばさんに構ってる場合じゃないわ、早くここから離れないと。
「………わたくしはアボット男爵の前妻のカリナ・ロンドです。男爵と離縁した後は実家の子爵家のロンド姓を名乗る事を許されてはいますが、今は裕福な平民や商家の子息や令嬢の家庭教師をして生計を立てているので、ほぼ平民のような暮らしをしています」
「は?前の奥さんが今さら私に何の用があるのよ。恨み言ならおっさんに言いなさいよね」
「おっさんなどと…。自分の父親をそのように呼ぶものではありませんよ」
「うるさいうるさい!!!!私の勝手でしょ!!!」
自分でもびっくりするほど、どこか悲鳴のような大きな声が出た。勝手に涙がポロポロと頬を伝う。
自分がどうして泣いているのかも、何に怒っているのかすら分からない。
だからちょっとしたパニックに陥っちゃって、目の前のおばさんが私の事を憐れみがこもった眼差しで見つめていることになんてまったく気がつかなかった。
「…ミアさん、これからはわたくしと一緒に暮らしましょう。兄が子爵家当主となっていますが、頭を下げればミアさんを養女として引き取ってくれる可能性もあります。
もちろん養育はわたくしが致します。安家を借りての一人暮らしですので、これまでのような生活はさせてあげられませんが、稼ぎはそれほど悪くはないので不自由はさせません。また、仕事が休みの日にはミアさんの教育をみっちりと―――」
「待って」
黙ってメソメソ泣いてたら、急におばさんが早口で話し出したからびっくりして涙も止まったわ。内容もおかしいし。
「………なんで私があんたと一緒に暮らさなきゃならないのよ」
「…あんたではありません。貴女、もしくは名前に敬称をつけて呼ぶように。…いえ、そうではなく……」
「はっきり言いなさいよ!何が目的なのよ!!」
「目的……。そうですわね……。わたくしは……本当は子どもが、愛する旦那様との子どもが欲しかったのです」
「……」
「ですが子宝には恵まれず、のちに旦那様に隠し子がいることが判明致しましたので、わたくしから離縁を申し入れました。旦那様のお子を引き取るに当たり、お母様と引き剥がすようなことがあってはいけませんからね」
「え……。なに、それ…」
「旦那様のお子であるミアさんが、健やかに幸せに生きてくれることを心から望んでおりました」
「…っ、」
「ですが、貴女はちっとも幸せそうではありませんね…。わたくしはそのような顔をさせる家に貴女を置いておきたくはないのです」
「!」
「旦那様のお子である以上、わたくしだって無関係ではございませんでしょう?まぁ、旦那様と離縁した以上、無関係と言われればそれまでですけど……。
ですが離縁する前、わたくしなら貴女をどのように愛し育てたかしらと想像したことは、一度や二度ではありませんのよ…」
また、涙がこぼれ落ちる。前世の親からも今世の親からも「愛」なんて言葉を聞いたことは一度もない。なのに、なんで初対面のこの人が………。
「コホン…、本当はこのような場所ではなく、もっと落ち着いた場所で順序立ててお話しさせて頂こうと思っていたのですが…。わたくしとしたことが、気が急いてしまい冷静ではなかったと自覚しております。
ですがお伝えしたいことはただ一つだけ。ミアさん、わたくしと家族になりませんか?」
「っ!!」
「もちろんすぐに答えを出す必要はございませんわ。わたくし達は今日初めてお会いしたばかり。ここは一週間に一度、いえ、二日に一度はお会いして親交を深め、わたくしの為人を十分に知った上で」
「なるわ」
「え」
厳しい顔から一転、ポカンとした表情の彼女に思わず笑い出しそうになってしまう。
「私、あなたと家族になる。ここにはもう一秒だっていたくないの。お願い、一緒に連れて行って!!」
「!!、そ、そうですか、分かりました。では、今日は一緒にわたくしの家に参りましょう。男爵家には使いをやり、ミアさんをお預かりすることはきちんと伝えておきますからね。
あ、話し合いを持ちたいという旨をしたためた文も早急に出さなくては」
頬を赤らめ早口で喋るカリナ、さんは、無表情だが誰がどう見ても嬉しそうだった。
なんだろう……。ちょっと可愛いな、この人…。
母親と同じか少し上くらいの歳の人に思うことではないかもしれないけど、カリナさんを見ていると不思議と温かい気持ちになれる。
「……奥様、私がお送りしましょう」
御者の男が声を掛けてきた。そういえばいたわね。
話を聞くと、カリナさんは男爵家の使用人達にとても慕われていたそうだ。離縁して家を出ていくことを決めたカリナさんに、「奥様が出ていかれることはありません!旦那様に出ていってもらいましょう!」と使用人達は必死に引き留めたらしい。父親は昔から人望もなかったのね。
御者が送ってくれて辿り着いたカリナさんの家はとても小さく古くさかったが、中は整然としていて質素だが清潔感のある綺麗な家だった。
家の中を簡単に案内してもらった際に鍵の掛かった部屋があったので「ここは?」と尋ねると、恥ずかしそうに「…貴女の部屋です」と教えてくれた。
私に会う前から、一緒に暮らすかどうかも分からない時から少しずつ整えてくれたというその部屋は、白を基調としたシンプルだが他の部屋よりも遥かに可愛らしいデザインの家具が多く置かれたとても素敵な部屋だった。
「嬉しい……ありがとう…」と言うと、満足そうに頷くカリナさんはやっぱり可愛かった。
***
その後男爵家に私を養子にしたいと申し込みに行ってくれたカリナさんが帰宅した時、痛ましそうな表情をしていたので、あの家はあっさり私を手放したのだなと理解した。カリナさんがそんな顔をする必要ないのに。
「ミア、これからはわたくしが貴女の母となり父となりましょう。わたくしの持てるすべての力で貴女を守り慈しむことを誓います。だから……。いつか、いつか貴女がわたくしを認めてくれた暁には、わたくしのことをは、ははは、はははは母、と…」
「お母さん!」
「!!!!!」
ふふっ。どもり過ぎでしょ!
無表情なのに真っ赤になってぷるぷる震えるお母さんが可愛くて思わず抱きつくと、すぐに抱きしめ返してくれた。あー温かい。
せっかく乙女ゲームの世界にヒロインとして転生したのに、攻略対象者はいないし、唯一いた王子は闇キャラだったし、悪役令嬢はいい子だったし、本当にとんだ誤算だったわ。
でも―――血は繋がってないけど初めて私のことをちゃんと見てくれる母親が出来たことは、もっとすごい誤算。
もちろん、嬉しい方の、ね!
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