リリスの幸福
毎日毎日飽きることなくやらかしてくれるリューク様とミア様に振り回される日々はあっという間に過ぎ去り、来週私はついに卒業を迎える。学園に通った三年間で最後の一年が断トツでしんどかったわ。
卒業式は午前中に行なわれ、午後には学園の講堂で卒業生のためのパーティーが開かれる。
学園とはいえ伝統ある由緒正しきオーロラル学園で行なわれるパーティーは、王宮で開かれる夜会と比べても遜色ないほど豪華絢爛で、歴代の卒業生達が一生の思い出になったと目を輝かせて語り継ぐほど規模の大きな催しとなる。
私は今はリューク様の離宮でのんびりお茶とお菓子を頂きながら、「パーティーでは一体どのような食事が並ぶのかしら?」と楽しい妄想を繰り広げている最中だ。
「リリスが卒業してしまうなんて寂しいな。僕の卒業まで二年も待たせてしまうけれど、なにもせず離宮で過ごしてくれればいいからね」
「…リューク様、ちなみに私はなにを二年待てばよろしいの?」
「やだな、そんなの決まってるじゃないか。
王家に代々伝わるティアラは純白のドレスを着たリリスにさぞかし似合うだろうね」
「こわい!こわいですわリューク様!!そのような予定は一切ございませんからね!?」
「ふふ、照れてるの?可愛いなぁ」
「……」
幼少期から繰り返されてきた会話に現実味が増してきている!!
困ったことに、ある時からリューク様は今のように結婚を仄めかすセリフをたびたび、過剰に、しつこいほど言ってくる。その度に否定してはいるけど、外堀が埋められ尽くしていることはひしひしと感じているのよね。
その証拠に、私は引く手あまたの公爵令嬢のはずなのに婚約者はいないし、婚約の申し込みすら一つもない。
それもこれも、元からリューク様の離宮で半同棲状態だった上に、学園での数々の(恥ずかしい)やらかしが広く浸透したせいで、婚前交渉を済ませているというあり得ない噂が流れてしまったせいだ。
こんな噂が囁かれている女に、婚約の申し込みどころか気軽に話せる異性の友達すらいないのは当然のことだろう。
そして王妃であるマリア様には事ある毎に「お義母様」と呼ぶよう強要されているし、この前大臣達と廊下で話されていた第一王子のアラン様が私のことを話題にし、「義妹が〜」と言っているのをたまたま聞いてしまった。そ、外堀ぃ〜〜〜〜!!!
リューク様と私って、別にそんな関係じゃないわよね!?婚約の申し込みもないし好きだと言われたこともない。なのになんで外堀だけは完璧に埋まっているの?
百歩譲って私がリューク様を好きだと仮定しましょう。普通なら好きな人と結婚する流れを強固に作られた今の状況は小躍りするほど嬉しいはずだ。
しかし私には素直に喜べない最大の懸念事項がある。
「―――ふふ、リリスはもう解っているんでしょう?」
……。これだよ、これ!
だめ、認めちゃだめよ、リリス。泥沼にはまってしまう。私が違うって思えば絶対に違うのよ!!
「そうか。リリス、今まで黙ってたけど僕には秘密があるんだ。それはね―――」
「いやーーーーー!!!絶対!絶対言わないで!!」
「でもずっと黙ってるなんてよくないかなぁと思って。実はね―――」
「だ!か!ら!!言わないでって言ってるでしょ!?なにさらっと暴露しようとしてるの!?」
「ふふ、冗談だよ。いいよリリス。君の心が決まるまでいつまでも待つから」
「っ…、」
リューク様のすべてを見透かすような微笑みに胸が締めつけられたが、弱い私は結局何も答えらず視線を逸らしただけだった。
***
早いものであっという間に一週間が経過し。
恙無く卒業式を終えた後、一度タウンハウスに帰宅してリューク様に贈られたドレスを身に纏い、リューク様が迎えにきて下さるのを家族総出で待っていた。
「リリスももう学園を卒業する歳になったのか…。なぜ私は最愛の我が子をほとんど王宮でしか見ることが出来ないんだ?」
お父様がしんみりとした様子で嘆いている。中々離宮から帰らない娘ですみません。毎回毎回リューク様に帰してもらえないんです。
「ああ…リリス!!なんて美しいんだ!まるで月の女神のようじゃないか!………しかしドレスにアクセサリー、髪飾りや靴に至るまでシルバーとサファイアブルーしか纏わせないあたり毎度のことながらリューク様の狂気を感じるな」
お兄様…。激しく同意致します。
上品なオフショルダーのAラインドレスはシンプルなデザインだがシルバーの糸で細かな刺繍が施された大変手の込んだ品で、波打つドレープに縫いつけられた砕いたサファイアの宝石がシャンデリアの光を受けキラキラと輝く様はとても美しい。が、毎回リューク様の色を身に纏うのはどうなんだろう。
ドレスのデザインや長さ、形を替えたところで色は必ずシルバーかブルー。グラデーションをつけて多少色に幅が出来たとしても結局はシルバーとブルー。
リューク様カラーを纏って参加した初めての夜会ではさすがに周りがざわめいたが、今となっては当たり前の風景として華麗にスルーされている。
私だってたまには違う色のドレスが着たいわ。
「本当に綺麗よ、リリス。私達は貴女の幸せを一番に考えているわ。………もしも、もしも嫌ならお断りしてもいいのよ?」
「お母様……」
「逃げられるとは到底思えないけど」
「お母様ぁ…!!」
憂いを帯びた美女の不吉な予言に慄いているとリューク様の来訪が告げられた。
「待たせてしまってごめんね、リリス!」
執事の開けた玄関扉から物理的に発光している天使が入ってきた。間違えた、正装姿のリューク様だった。いつも間違えちゃうのよね。
普段は下ろしているサラサラの前髪は後ろに撫でつけられ艶めかしいおでこが晒されている。コートの胸元に金糸であしらわれた刺繍は私のドレスと同じモチーフだ。
「ああ、僕の色を纏ったリリスは何度見ても見惚れてしまうな…。僕だけのお姫様、今宵エスコートさせて頂く誉れをどうか僕に」
「…………………はっ。喜んで」
礼服姿のリューク様が優雅に手を差し出されるが、こちらの方が本気で見惚れてしまい返事が遅れるのは毎度のこと。なんとか数秒で正気に戻ってそっと手を取る。家族の「やれやれ」みたいな空気、居た堪れないからやめてほしいわ。
***
学園の卒業パーティーを一言で表すなら豪華絢爛、荘厳華麗、綾羅錦繍といったところだろうか。もう、とにかく圧巻だった。
きらびやかなシャンデリアのクリスタルが光を反射しキラキラと輝くその下で、ダンスの音楽に合わせてクルクルと踊る女性達の色とりどりのドレスはまるで妖精の羽のように美しい。至るところに飾られた豪奢な生花も会場をこれでもかと彩る。
伝統あるオーロラル学園の卒業パーティーに相応しい華やかさだったが、しかし私は休憩スペースに設置された軽食が気になって気になって仕方がなかった。
「リリス、食事もいいけどまずは踊ろうよ」
「………そうですわね」
食事かリューク様か、たっぷり三秒悩んだ末にリューク様と踊ることに決めた。
曲が途切れたタイミングで二人手を取り合いダンスホールに向かうと、周囲で踊っていた人々が頬を染めて私達を見つめてくる。
「まぁ、今夜も素敵なお二人ね」
「お二人の息の合ったダンスは本当に素晴らしいのよ」
「お揃いの衣装がとてもお似合いだわ」
ざわざわしていた周囲は、私とリューク様がホールの中央に立つと波が引くようにスッと静まる。期待や羨望を孕んだ視線が心地よい。
楽団員が各々の楽器を構え直し曲を奏でる、かと思われたその時―――
「リューク様!!助けて下さい!!」
ミア様の切羽詰まった叫びが会場に響き渡った。
そのままホールの中央に躍り出たミア様は心臓に剛毛でも生えているのだろうか。私なら鋭い穴が空きそうな程の冷たい視線にこれほど晒されたら回れ右して駆け足で退散する自信しかない。
この卒業パーティーは、卒業生のパートナーであれば一年生や二年生でも外部の人間でも参加出来る。
ミア様は卒業生のパートナーとしてやってきたみたいだけど、お相手の方はどうしたのかしら?あ、入り口付近で呆然と固まっている男性がそれっぽいわね。
「リューク様………私、ずっと、ずっと苦しくて…やっぱりこのままじゃ駄目だと思うので勇気を出して告白することにしました!」
しらーっとした空気が流れてるわよ!気づいて、ミア様!
「私、入学してからずっとリリス様に苛められてたんです!!!」
「えっ!?」
思わず声が漏れてしまったけれど、「こいつ何言ってるんだ」と思っているのは私だけではないってことは周りの雰囲気から十分伝わってくる。
あっ、クラスメイトのお友達が怒り顔で私達のところに出て行こうとしてパートナーの婚約者の方に必死に止められているわ。とりあえず「大丈夫よ自分でなんとかするわ」とアイコンタクトをぱちーんと送っておきましょう。
「最初は身分を笠に着せた注意を度々受けました。その後は段々嫌がらせがエスカレートして…ノートを破かれたり私物を隠されたり、私の寮の部屋にゴミを撒かれたり、リリス様とリリス様の取り巻きの方々に裏庭に連れて行かれて水を掛けられたこともあります。この前は階段から突き落とされたんです!幸い捻挫程度で済みましたが、もう私怖くなってしまって…」
肩を震わせピンク色の大きな瞳が涙で潤む様は大変庇護欲を唆る。
言いがかりをつけられてる当事者じゃなければね!
「リューク様はリリス様に騙されてるんです!目を覚まして下さい!!」
ミア様に熱心に見つめられたリューク様はニコッと麗しい微笑みを返す。
もしもしミアさん、リューク様の外用の笑顔を見て顔を赤らめている場合じゃありませんよ?
私はミア様に嫌がらせなどしていない。リューク様に対する馴れ馴れしい態度に軽く注意したことはあったが、あの程度の注意では心臓に剛毛が生えている人間には爪の先ほどのダメージも与えられないだろう。
なのでミア様の勘違いか、もしくは嘘をついていることになる。
もしも嘘だった場合―――それはきっとリューク様には通用しないでしょうね。
「―――ねぇ、アボット嬢。リリスに階段から突き落とされたって、いつのこと?」
「え?えっと………、確か学年末試験が終わった日の放課後です!突き落とされた後、重い鞄を抱えてなんとか一人で保健室に行ったことを覚えています!」
ふぅん。学年末試験はたしか三週間前だったわね…その日の放課後は何をしていたかしら?
「それはおかしい。リリスは試験を終え教室を出た七分後には僕と合流して十一時二十三分に馬車に乗り、その二十八分後に僕の離宮に到着している。
それからすぐに軽食の鶏肉のハーブ焼きとパンとベーコンのスープとサラダを食べて一息つき、三時三十五分から始まったティータイムでサンドウィッチとスコーンとケーキとタルトとコーンスープとフルーツの盛り合わせを食べた。
その後は同じ部屋で読書や手紙を書いたり軽い運動をして過ごし、夕食は八時三分に陛下とルイ兄上と僕の四人でオードブルから始まるフルコースを食べた。
メインの肉料理を食べている時のリリスの幸せそうな顔はいつでも鮮明に思い出せるほど可愛かったな。
夕食の後は風呂や就寝の準備で一度離れたがリリスには離宮の侍女がついていたし、十一時四十七分からは僕と朝まで共に過ごしたのだからリリスが君を突き落とすことなど出来ない」
「え…………………………」
えっ!??ほんとに何言っちゃってくれてるの!?アリバイを証明してくれるのは有り難いけど貴族令嬢としては完全にアウトなんですけど!?
たしかに離宮に泊まったけど言い方ぁ!!!あと、そんなに細かく言う必要あります!?
「軽食…?」とか「ティータイムに食べるには多すぎませんこと…?」とか小声でひそひそ言われちゃってるけど!?
それに……「二週間前の話ですわよね?」「リューク様はなぜこれほどお詳しく覚えていらっしゃるの?」「適当に仰られているだけでは…?」なんて言われてるよ……リューク様。
「あ……あ、ま、間違えましたっ!突き落とされたのは試験の翌日の朝でした!!登校した時にいきなり…」
「それもリリスには無理だよ。試験翌日の朝、七時四十五分に起きたリリスは身体がつらくてベッドから出られないって言うからベッドの上で軽く身支度を整えた後、朝食にパンとクリームシチューとステーキと焼き野菜と蜂蜜入りヨーグルトとケーキとフルーツを食べて少し休んでから、十一時九分に学園に向かったからね、僕と一緒に。
ちなみに学園に着いてすぐケーキとムースとタルトとトリュフとパスタを食べるためカフェに向かったから君には会っていない」
「……………」
なにもかも終わった………。ナニかを想像してしまったピュアな学友達が顔を真っ赤にして私から目を逸らしているわ。
たしかにあの朝は身体が筋肉痛でつらかったわよ。でもそれは王族の皆様のペット、キャンディちゃん(ドーベルマン♂五歳)とヘロヘロになるまで庭で遊んだからよ!!
キャンディちゃん(超人見知り)は私が名前を付けさせてもらって赤ちゃんの時から一緒に面倒を見ているから、たまに見せる凶悪な顔ですら可愛くて可愛くて仕方ないの。
いえ、それは今はどうでもよくて。淑女として問題のある食事量を暴露されたことも、どうでもよくはないけど今はよくて。
とりあえず私の名誉回復が先だわ!!はしたない行為をしていたと誤解されることは本当にまずい。
だから急いで「誤解ですわ!」と口を開こうしたのだけれど、振り返ったリューク様に「ね?リリス」と、なぜか愛おしげに私のお腹に手を当てて同意を求められてしまった。
……………どうしろと??
私に死ねとおっしゃってます?すでに令嬢としてのリリスは棺桶に片足を突っ込んだ状態ですのよ?
「リリスは普段から授業中以外はほとんど僕と一緒に行動している。十分と離れたことはないよ。よって数々の嫌がらせをすることは不可能」
「そんな…っリューク様!」
「君の勘違いだよね?………美梨亜嬢?」
「………ひっ!?」
???ミリア?聞き間違えかしら。それにしてもミア様、さっきまでの勢いはどこに行ってしまったのか、顔色がものすごく悪いわ。
「ぁ…………わ、私っ、私の、かかか勘違いでしたぁぁぁ!!!!!」
ペコォッ!!と風圧を感じる勢いで上半身を九十度に折り曲げてお辞儀をしたミア様は、周りをはばかることなく会場をダッシュで後にした。
パートナーとしてミア様を連れてきた彼、いまだに入り口付近で呆然としているわね。
「―――なんのイベントもこなしていないのに、よく断罪に踏み切ったものだな」
「え?」
「なんでもないよ」
リューク様は笑顔を首を振る。何かおっしゃったけどよく聞こえなかったわ。
というかミア様…、勘違いでよくも私の、すべてにおいて完璧と謳われた令嬢としての価値を地にめり込むほど落としてくれたわね。せめて謝罪してからはけなさいよ、まったく。
でも、リューク様は私に反論する隙さえ与えずミア様をやり込めて下さったわ…。余計なこともだいぶ言ったけど。
勿論、私が何もしていないことを分かった上での行動でしょうけど、案外、本当に私が犯罪行為を行ったとしても私を庇って他の人を簡単に陥れそうよね、恐ろしいことに。
だって、リューク様は私のことが死ぬほど大好きだから。
本当は言葉にされなくても、態度で、私を熱く見つめる眼差しで、たまに触れる時の手の温度で、リューク様の気持ちは苦しくなるほど伝わっていた。
私がリューク様の気持ちの重さに尻込みして、うじうじ悩んで結論を先延ばしにしていただけ。
だけど、もういいんじゃないかしら。
私はきっとこれからも清廉潔白に生きていくことは出来ないでしょう。
一日の大半は次の食事のことを考えているし、心の中では人の悪口もずるいことも嫌なこともアホなことも考え放題だし。
だって私は聖人でもなんでもない至って普通の正常な精神を持つ人間なのだから、そんなの当然ではなくて?
でも―――たとえ私がどんなに駄目な人間だったとしても、リューク様は私を見捨てることなく愛し続けてくれる。
これまでのように。
今回のことでその確信が持てた瞬間、私の悩みはパァンと吹き飛んだ。
人生が掛かった結構深刻な問題なのに、こんなことであっさり解決するなんて我ながら単純な性格ね、とは思うけど仕方ないわ。
だって私はリューク様のことが世界で一番大好きなのだから。
こんなことを考えつつリューク様の方を見ると、今まで見てきた中で一番可愛いとびっきりの笑顔を見せてくれた。……………可愛すぎて目が潰れるかと思ったわ!
リューク様はさっと跪くと私の手を取り、真摯な想いを告げてくれた。
「リリス・ウォルシュナット公爵令嬢、僕と結婚して下さい。世界中の誰よりも本当の貴女を愛している。この気持ちだけは永遠に変わらない」
「!」
ミア様のやらかしのせいでざわついていた会場は、リューク様が婚約をすっ飛ばし求婚の言葉を口にしたことで秒で静まりかえる。
リューク様?私、今決意したばかりなんですけど仕事が早すぎません?確信を得てからの畳み掛けのスピードが半端ないわ。
でも………。膝をつき、上目遣いで私の返事を待つリューク様………とてもいい。可愛い、眼福!もう降参です。
「……はい。末永く宜しくお願い致します」
わあぁあぁ!!!という歓声と祝福の拍手が鳴り止まない中、私とリューク様は互いの手を取り笑みを交わす。
ああ、なんて可愛い笑顔なんだろう。
常日頃から「可愛い可愛い」と言いまくっている私だけど、別にリューク様が“可愛い”から好きなわけじゃない。
たとえ成長して可愛くなくなったとしても、将来デブのハゲになったとしても、年老いてしわくちゃのおじいちゃんになったとしても、“リューク様だから”、”可愛い”の。
私はリューク様の笑顔一つでなにがあっても幸せになれる。
だから私は自分の幸せのためにも、リューク様の一番近くでその可愛い笑顔を守り続けてみせるわ。
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