恋と帰り路
「お疲れ様でした」
マオは生徒指導の先生に一礼する。
「はい、気を付けて帰ってね」
時間は八時を過ぎていた。田舎は信号機と色あせた電灯が夜道の頼りだ。
先生は自分の車に乗り込んだ。ヘッドライトが闇を貫く。真っ暗な中学校の壁に主役を探すみたいに、ふらふらと自動車のヘッドライトが揺れる。上り坂の先の学校の門から、先生の乗る軽自動車はぶぅんとエンジンをふかして出ていった。マオはもう一度頭を下げて、それを見送る。
こんなに迷惑かけてすいませんでした、とマオは思う。でもそれと同時に、なんで謝らなきゃいけないんだ、と思う。
半年ほど前から、マオはとある女の子に恋をしていた。その子は放課後の図書室で、窓際に座って伝記を読んでいる。静かな印象で、真っ直ぐなショートボブ。目元は本を読んでいるから伏せがちで見えないが、鼻つきは整っていて綺麗だった。
マオは勇気がなくて、話しかけることはしていない。遠くからその子を見ていると、心がふわっと軽くなる。放課後には図書室に行って、遠くから適当なファンタジー小説を壁にして、こっそりとその子を覗いている。
同時期にマオに対するいじめも始まった。「気持ち悪い」「化け猫」「何見てんだよ」心無い言葉と嫌がらせの数々。いったい自分のどこに非があるのかも分からなくて、マオはたびたび学校を休むようになった。
それは先生からも同様であった。なんとなく距離を感じるようなフォローの言葉、腫物を見るような目。人の表情は意外と正直だ、とマオは不本意ながら学んだ。
全くの不登校にならなかったのは、マオ自身は認めてはいないけど、きっと学校に行けば、気になるあの子を見られるからかもしれない、と思う。
生徒指導の先生は他の先生と比べたら怖いけど、マオのことはしっかり見てくれる人だった。でもやはり、その目はおかしなものを見るような目をしている。
「そう、そうだな……」
いつもそう言って、マオの言い分を理解した振りをする。マオはそれに気づいている。
誰もわかってはくれない。自分のことは。
今日は、その生徒指導の先生と二者面談をしていた。別に普通のことを言ったはずなのに、時たまおかしなものを見る目をしていたのに、マオは気づいていた。
マオは溜息をつきながら、校門の前までとぼとぼと歩く。学校を出ようとしたところで、マオは気づいた。
「……!」
図書館の女の子が校門のところにいる。制服のスカートが風になびいている。
話しかけてみようか、どうしようか。
迷ってマオは視線を落とす。足元を見ながら目を泳がせていると、目の前に何かが立ったのに気づいた。
「あの」
「えっ?」
目を上げると、目の前にその女の子がいた。マオは今まではっきりと彼女の目を見た事がなかった。その大きくて可憐な目がマオを覗いている。
「うわ!」
マオは思わず後ずさった。
「ひゃッ!」
女の子はその場でびくっとした。
「あ、ごごごめん」
「えっと……その」
「な、なに?」
女の子が話したそうにしていた。マオは恐る恐る話を振った。女の子は目をそらしながら言う。
「あの……いつも、図書室にいるよね」
「う、うん」
気づかれてたんだ! マオは焦った。
「いやその全然君のこと見てないし小説読んでるだけだしそのあれだよそうだ知ってるあの小説? えーと確かタイトルが」
「あの!」
「はい!」
「……私、ミク。あなたの名前は?」
「なま、名前は、マオ」
「マオ……マオ、一緒に帰ろう?」
「うん?」
突然の提案にマオは戸惑った。
「一緒に帰ろう?」
そう言うと、ミクはくるりと身をひるがえし、有無を言わさぬ様子でスタスタと歩いて行った。
「う、うん!」
一緒に同じ時間を過ごせるならいいと、マオはうきうきしながら彼女についていった。
「といっても、帰り道が一緒な保障はないんだけど」
マオは頬をかきながら、ミクの背中を追う。
「大丈夫、一緒だから」
ミクはそう言って、暗い街灯を頼りに帰路を歩く。確かにそれはマオの家への帰り道だった。
その自信はどこから湧いてくるんだろう……。
「マオはさ」
とミクはマオの目を横目に射抜く。マオは思わず目をそらしてしまう。
「うっ、うん?」
「いつも読んでるあの小説、好きなの?」
「あっ、いや、えーっと……」
正直、読んではいない。ただミクに気づかれないための壁にするために、大判ハードカバーの本を手に取ったのだ。そんな評価基準で選んだから、内容なんて知らない。
「……ごめん、よくわかんない」
マオは困ったように笑った。
「そっか」
ミクはふわっと笑った。可愛かった。
「う、うん……ごめん」
「なんで謝るの?」
「ん……えと、その」
「別にいい」
「……うん。」
気まずい空気になって、マオは俯いた。
電灯に照らされた薄暗い十字路を、ミクはまるで知っていたように右に曲がる。マオの家の方角だった。
「こっちなの?」
「そうだよ」
……?
マオは首を捻る。
「どうしたの?」
「いいや、僕の家の方だなって」
「うん」
「君、僕の家知ってるの?」
「うん」
「もしかして……僕の家に、来るつもり?」
今から!? そそそそんな訳には行かないだってお父さんが許してくれないしいや待てそもそもこれは不純というか!
「ううん」
「ん……」
マオは冷静さを取り戻した。二人はとことこと暗い道を行く。途中、セダンが二三台横を通り過ぎていった。ヘッドライトに照らされたマオの影が、後ろから前へと方向を変えた。
それから二人はしばらく歩いた。黙って歩くあいだ、マオは妙な疑念のような何かを覚えていた。
それはミクが立ち止まったことによって、確信に至るものになった。
「ついたよ、ありがとう」
「……?」
おかしい。
立派な平屋だ。ベランダに洗濯物がかかっている。それは中学生の男子が来ていそうなそれで、マオにとっては非常に見知ったものだった。
「これ、俺の家……」
と横に目を向けると、ミクは忽然と消えていた。
「……え?」
彼女が立っていた場所には何の痕跡もなかった。影も形も一切なく、ただ一人自宅の前にマオは立っていた。
帰れはした。まぁいいか……。と背筋に冷たさを感じながらも
ドアに手を触れる。瞬間。
何もかもが掻き消え、しんと静まる廃墟がそこにあった。左右を見回すと、見覚えのない道路にマオは立っていた。
「どこだ、ここ……」
「私の家」
廃墟を振り返ると、目の前にミクが立っていた。
「ミク……」
「こっち」
有無を言わさぬ勢いで、ミクはマオの手を掴んで強く引っ張った。
マオは体を、ぐん、と引き寄せられ、前のめりに体勢を崩した。すぐさまミクが、マオの体をきつく抱いて離さない。アスファルトだと思っていた地面は液状に形を変え、どぷん、という感覚と共にマオを飲み込んだ。
どこまでも体が沈んでいく。息ができない。苦しい。此方の薄暗い光は、マオの背中の遥か彼方に過ぎ去り、彼方の激しい光は、ミクの背中越しにぐんぐんと近づく。
それが最大に達した時、マオは目をつぶった。何かに当たった衝撃を最後に、マオの意識は途切れた。
次の日、中学校は大騒ぎだった。
とある男子生徒が、夜中に事故に逢い急逝した。彼を轢いた車の運転手の供述では、本人に全く過失はなかった。
男子生徒がいじめられていたことについて、学校側はその事実を否定した。適切な対応を行っていた、とあくまで学校は言い張った。
いじめによる自殺でもなく、過失による事故でもないと処理され、この事件は幕を閉じた。
尾ひれのついた噂の中には、「男の子は女の子に憑かれていた」「女の子はこの地域でいじめられて自殺した子だ」「男の子は幽霊の女の子に惚れていた」なんてものがあった。
それらはいつの間にか「夜学校にいると花子さんがあの世に連れていく」という形で、学校の七不思議のひとつに数えられるようになった。
そこまで行くと、もはや真偽も定かでは無い。誰にも証明することの出来ない謎だけがそこに残された。
真相は闇の中である。
部活を終えて、倉庫に荷物をしまう。
運動場は暗い。片付けが長引いてしまった。一人で片付けは辛かった。はぁ、とため息をつき、鬱屈とした気持ちを抱えながら帰路に着く。
――一緒に行こう? と声がする。
振り向くとそこには……。
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