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それは美しい満月の夜。私は小さなバッグを抱えて家を出る。
月明かりに照らされながら、蒸し暑い風を受けながら、私は一人夜道を歩く。
どこへ行こう。どこでもよかった。あの家を出られるのならどこでも……
駅まで歩いて電車に乗る。適当な所で降り、ホームのベンチに腰掛ける。最終電車のアナウンスに混じって、なぜだか母の顔が浮かんでくる。
「どうしたの?」
突然の声に顔を上げると、目の前に一人の女が立っていた。ちょっとお酒の匂いを漂わせ、大きな目をくりくりさせて、私の顔を覗き込んでいる。
黙ったままぼんやりしていたら、彼女は笑ってこう言った。
「行くところがないなら、うちに来る?」
その時の私は、どんな顔をしていただろう。彼女は捨てられた子猫を見るような目で私を見て、細くて白い手を差し伸べた。
彼女の名前はルリ。ルリは恋人のナルと一緒に住んでいた。
古いアパートの2階の、二つの和室とキッチンがあるだけの狭い部屋。
「ねぇナル、いいでしょ?この子、可愛いから拾ってきちゃった」
寝転んでテレビを見ていたナルが、振り返って私を見る。
「名前なんていうの?」
「……ハナ」
「ハナちゃん?あの花壇とかに咲いている?」
大好きだった父が、つけてくれた名前だった。
だけどその父は私が小学校に上がる前に亡くなった。そしてその代わりに、うちにはいつも違う男がいた。母は男がいないと生きられない人なのだ。
「すごくいいね。その名前」
ナルの声は優しかった。そんなナルの隣で微笑むルリの顔も優しかった。
22歳のルリと、ハタチのナル。そして14の私。
自分を産んでくれた母親を信じられなかった私は、この部屋で暮らし始めた。