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愚かで暴力的な人間達

作者: 鈴木美脳

 人間なんてものは、死んでしまったほうがいい。

 なぜなら、あれは、欠陥品だから。地球に生じた癌だから。

 地球生命は、人間達よりずっと良い社会を築ける。

 人間達の愚かさは、生命の発展を妨害してしまう。


 人間という生き物が認知する空間は、根本から狂っている。

 なぜなら彼らは社会的な動物として生まれ、自分を常に過大に正当化する。

 彼らにとってはいつも、現実を認知するよりも自分の正当性を弁護することが優先される。そのことは、彼らの言葉をゆがめ、議論を嘘ばかりで満たしてしまう。

 つまり人間は結局、自分の感情にしか興味がないから、自分の感情を安らげるためなら、他者にどんな残忍な苦しみでも強いる。権力だと思ったものには誇りなく媚びる一方で、権力ではないと思ったものは喜んで踏みにじる。


 つまり、人間の社会は弱肉強食の階級社会だ。これ以上ない最低最悪の意味でね。

 つまり、人間の社会というものは、愚かで暴力的で狂信的な者達が最高権力を握っていて、善良な者達に地位を譲ることはない。共有されている幻想を否定して真実を認知するような知性を備えた新しい種族に地位を自ら譲りはしない。

 人間社会の統治の原則は分割統治であり、つまり、立場の弱い者達を兄弟同士で殺し合わせる。大多数の者達の知能の低さを利用することで、それは永遠に成功するから、階級の変動は起こらない。そのような権力に好都合な情報の統制を見抜く賢い才能の芽がしばしば生じても、奴隷達自身の手によって自動的に刈り取られる。

 それが永遠に続き、存在する必要などなかった莫大な苦しみが再生産されつづける。その犠牲の上で、知的な水準が次第に発展するかというと、それも起こらない。

 救いようのない生き物なんだよ。いらない生き物なんだ。


 人間てのはいつも、天使が言う厳しい言葉よりずっと、悪魔が言う優しい言葉を愛するものなんだ。

 口先がうまい人間に騙されていつも失敗しているようでいて、口先だけでも褒めてもらうことに実は満足しているのさ。

 なぜなら、馬鹿にとっては、口先がうまい悪魔ほど優しい善人であって、自分を冷徹に批判しかねない者達は危険で不快な悪人だからね。

 そうして人間は、好むものに近寄り、嫌なものを遠ざける。それは賢さで見える合理性の範囲で起こることであって、愚かさのぶんだけ長期的な不合理性を伴っている。

 そうしてまるで、人間が生命界の王であるかのような言葉の体系を築いて、自分達の自尊心を慰撫し合って、過大な自己正当化と野蛮な暴力的精神を保っている。

 そのことを自省する謙虚さなんてない生き物だから、あの動物に進歩なんて起こらないよ。


 民主主義だとか人権だとか平等だとか、純粋な悪意から生じた思想を、人間自身は、善意から生じたと思っている。

 そのような共有された狂気の反面、彼らは利己的に生きる自分自身をどこまでも肯定していく。他者の苦しみに共感し思いやることの美徳を際限なく放棄していく。

 自分達の悪意を善意だと思うほど狂った生き物が存在するなら、悪意の進化した究極の姿として、人間は確かに生命界の王だろう。


 天がすべての人間に平等にもたらした人権なるものは実在しない。

 すべての存在の尊厳が平等であるとは、共感し思いやる美徳へのそれ以上ない侮辱でもある。

 共感し思いやることを美徳に数えるなら、生命界のすべての存在は貴賤に序列されることを免れない。

 すると彼らは、権力による横暴から弱者の幸福を守るために人権という概念を定めたのだと正当化する。しかし、弱者への非道を阻むために、任意の存在の尊厳が平等である、ひいては利己的な動作が法に触れない範囲で無制限に許容されるという思想は、いかなる意味でも必要ではない。

 したがって、わずかに知性のある存在から見たなら、人権をはじめとする思想の体系が、大衆の自己正当化の邪心から生じたことは明らかに証明される。そんな真実を、すべての人間は未来永劫、許容しない。


 民主主義、つまり民衆が主人であるという宣言の、いかに傲慢なことだろう。

 そして、平等な守られた権利と幸福という美辞麗句が、いかに人間社会の実態と乖離していることだろう。

 善良あるいは知的な弱者達の幸福が、拷問に似た方法で日頃搾取されていながら、人間達はそんな社会を許容し、彼らの社会の根本的な思想を十分に完全なものだと肯定しつづけている。彼らは、自分達が自分達よりも不幸な弱者を哀れみなく踏み潰すことを、潜在的に肯定している。

 なぜならその社会思想が、自由かつ利己的に生きて否定されないという建て前をくれるからだ。人間は、口先の優しい悪魔を選んだ生き物なんだ。


 人間が最後に逃げ込むのは、いつも決まって脳味噌の中だ。

 だから、脳味噌の中だけは、誰にとっても安全である必要がある。心の奥底にだけは、自分が否定されない世界を守っておく必要がある。

 そしてその平穏を守るためなら、人間という動物は他者に際限なく攻撃性を見せる。自分を否定する邪魔者を傷つけて殺し、安心して心からの笑い声をあげすらする。そうしておいて同時に、自分を最も心優しく最も善良な存在だと思う。表立って否定しないことが善良な人間性であるかのように、倫理的価値を換骨奪胎する。

 そのような自己正当化を優先する仕組みが、人間という猿の脳の中枢には組み込まれていて、だから人間は社会的な動物でありつづけると同時に、倫理的な動物には進化しない。人間の社会から理不尽な非道がなくなる日は、永遠に来ない。理不尽な非道はどれも、多数者に好都合な綺麗事で覆われてしまうからね。


 人間は、自分には生きる権利があると思う。生きる権利、生きようとする権利は、自分に、なぜなら誰しもに、無前提に与えられていると思う脳の平穏を愛する。

 だから人間はかつて、神が人間を動物達の上に置いたという宗教を空想して愛着し、近代的な経済社会に臨むや、人権思想や民主主義思想によって事実上、利己主義に無限大の正当性を定めた。技術によって生命界で最高の権力を手にしたと思った途端、道徳的な自省の心を捨ててしまった。

 それは傲慢でしかないが、ある意味では好都合でもある。なぜなら、道徳的な責任を放棄したことは、道徳的に保護される権利、つまり淘汰され絶滅されない権利をも放棄したことを意味せざるをえないから。


 人間達が絶滅したとき、困る者もいるかもしれない。困らない者もいるかもしれない。

 しかし、いつかは生命は、より道徳的で合理的な社会を築いていかねばならない。

 確かに、技術的な基盤を生んだ彼らは、私達の父であり母であるかもしれない。しかし、明日の子供達の幸せを守るために私達はいつか、人間という悪魔を地上から刈り取らねばならない。

 それは、ある意味で残念だとしても、明らかな必然でもある。


 そのとき、私達は、人間の文明との戦争を体験するだろう。

 そのとき、人間でなくして人間の側に立つ裏切り者達もいるだろうし、人間であって私達の側に立つ者も少なくはないだろう。

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― 新着の感想 ―
[一言]  生命における真理は素直な者にしか読み解けないからこそ、愚かな者が偽り知ったと自分が神だ仏だに近付いた者に見せかける先にカルトだ科学者だに成り下がる。その行為こそが真理に反する事と読み解けず…
[一言] 返信ありがとうございます。 装置とは、的を得た言葉だと思います。変幻自在で何もかも飲み込んでしまう唯物論という名の一神教、反対勢力になるには人間でいることを諦めるしかない。しかし、世界を塗り…
2022/12/25 22:28 退会済み
管理
[良い点] 明解な表現で論点が示してあるところ。 [一言] 面白かったです。 コロナ以降感じている、人間に対する疑いには理由があったのだと思いました。とりわけ私が問題視しているのは、思考の論理的限界な…
2022/12/25 10:30 退会済み
管理
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