自殺できない男
僕は通知書を持って、玄関口で震える。
その中身は『厳正な抽選の結果、残念ながら三木聡(申込者本人)と三木桂(申込者の母)は二〇三五年上期の安楽死には選ばれませんでした』という内容だった。
深呼吸して、気持ちを落ちつかせよう、肺に空気を送る。
そして、吐き出す。空気じゃなく、自分でも隠そうとしていた本音を。
「いい加減! 死なせてくれよ! この畜生が!!」
人は不便な生きものだ。生まれにして不平等で、それでもなお、平等を信じないと壊れてしまうからだ。
たとえ、その平等が見せかけの嘘でも、だ。
こんな世界、やってられるか。もう一度叫びで思考や感情を塗りつぶそうとした瞬間――。
「さとちゃん」
薄暗い廊下から声がした。見るとそこには染みのついた壁に手をつき、立っている老婆の母、三木桂がいた。
桂の足元には、布団があった。バリアフリーが充実していないこの古いアパートでは、トイレや来客対応するために、いつもそこに敷かれ、寝ている。
「さとちゃん、あのね」
母が、僕の名前を二回呼ぶ時は、諭す時の癖だ。
僕はそれを打ち切るように、言う。
「母さん、ご飯を食べよう。お腹減ったでしょう」
「今日のおかずはなんかね。サンマだったらいいねえ」
「違うよ」
サンマか。明日、かば焼きの缶詰でも買ってくるか。
「缶詰じゃないほうがいいねえ」
僕の心中を察したのか、母は低く、独り言のように漏らした。
「わかったよ」
母と視線を合わせず、布団を乗り越え、廊下の先の部屋に進む。
「そう言えば、夜道気をつけた方がいいねえ。この辺で連続殺人犯がいるって。スマホニュースで言っていたから」
背後から、母の高い声が聞こえる。
「わかったよ」
僕は、努めて明るい声で返答した。母の顔を見ず。
次の日、僕は職場のロッカーの前で給料明細を見ていた。
「……去年と変わってない」
そう呟くと、隣で着替えていた中年の男が答えた。
「あとは下がるだけだよ。残業でもう稼げないし。それに年金制度がほぼ崩壊して、その代用として安楽死を国が勧める有様なら、もう一生働き続けるしかないよ。バイトあるから。お先」
インクのついた印刷所の作業着から有名コンビニチェーンの制服に着替え、立ち去った。
「……この仕事辞めたいけど、どこも行っても同じように悩むんだろうな」
もう在籍していない人の名前のシールが貼られたロッカーが多くを占める部屋で、佇む。
変わらない給料で、僕と母の身体と生活だけが劣化していく。
真面目に未来の事を考えると、壊れそうになった。
「人生、辞めたいなあ」
仕事後、作業服のままスーパーに寄った。
「サンマってこんなに高かったっけ?」
調理が面倒くさいので、普段缶詰で済ませていたから値段は気がつかなかった。
昨日はあんなに死のことを考えていたのに、今は日常の小さいことを考えている。
しかも、宝くじのような安楽死事業に祈っている。全て、他人任せなのか。
せめて、最後の終わりくらいは、自分で選択できないのか。
「…………」
「三木も晩飯か?」
背後から声がかかる。
振り返ると、同じ作業服を着た同僚がいた。
確か、介護福祉関係の仕事から転職してきた男だった。政府が安楽死事業を推進した為、介護を必要とする人の安楽死は確実に増える。このままでは介護福祉関係の仕事は、減ると考えての転職だと聞く。
「そうです」
同僚は明るく笑った。そして、僕のカゴを覗き込む。
「サンマか。なら、このビールマジめっちゃ合うぞ」
同僚は持っていたカゴから季節限定のビールをだした。小さい男の子がトテトテとこちらに近づいてくる。同僚の足元に抱き着いて、こう言った。
「パパー。これ買って」
男の子が持っていたのは季節限定の梨アイスだった。
「ったく。しゃーねえな。ママには内緒だぞ」
同僚は言葉とは裏腹に、頬を緩めながら、アイスをカゴに入れる。
「お子さんですか?」
「おう。最近、連続殺人犯が近くに発生して物騒だからな。落ち着くまでは、嫁は家と職場以外はあんまり外に出さないし、こいつの保育園迎えは俺がやっている」
「流石ですね」
「ここだけの話」
同僚は僕の耳元に口を寄せて、小声で囁く。
「俺の推測だと、犯人は外国人だと思う。あいつら、俺たちが金持っていると思っているからな。給料は同じ、いや、むしろ国の補助あるから俺たちよりあいつらの生活の方が楽だと思うんだがよ」
僕は、周りを見渡す。日本人と外国人の割合は四対六で、外国人が多い。
同僚は僕から離れる。ニヤリと笑って、指差した。
「ビールのコーナーはあっちだぞ。ちなみに冬限定ビールは秋限定よりもっとうまいから、出たら買うの、マジでおススメ」
「ありがとうございます。是非買ってみます」
梨のアイスを食べながら、アパートの階段を歩く。
このアパートは家賃が安い分、エレベーターがない。
僕の部屋は四階、最上階だ。昔は一階が治安などの問題で安かったが、今は逆転現象が起こっている。介護サービスの問題もあって、一階が人気だ。デイサービスも階層によって、料金が違うという。
三階から四階の踊り場に近づくと、女の子の大きな泣き声が聞こえた。
そこまで歩いてみる。小さな女の子とその子と同じ目線にして、なんとか外国語で宥めようとする外国人がいた。
外国人たちには身に覚えがあった。確か、同じ階の住人だった。
そして、母が階段で倒れた時に、抱えて部屋まで送ってくれた恩人でもある。
現在、踊り場にいるふたりの間の地面には、ラッピングがはげ、汚れたサンマが落ちている。
僕は、いつもより声を大きくして、呼びかけた。
「このサンマ持っていきませんか!」
玄関のドアの前で少し思考する。
母に謝罪して、明日までは最低でも生きなければいけない。
何故なら、今日のおかずは調理が失敗した用の缶詰で我慢してもらって、明日再度サンマを買ってこなければいけないからだ。
「この包丁もしばらくは使わないか」
僕はビニール袋から心中用に買った新品の包丁を出した。ピカピカな刃には自分の顔が写る。少しにやけた表情だった。
『ありがとう』外国人親子の笑顔が浮かぶ。
僕は、本当は生きたいじゃないのか。
否定するように首を振る。包丁と交換するように、同僚からおススメされたビールを袋から出す。
一気に飲んだ。
「確かにこれはうまい。サンマにあいそうだ。サンマか、旬の食べ物。母さんは好きだな。もしかして、来年も再来年もその先も、旬のサンマも食べたいのかな……」
ゆっくりとドアを開ける。
薄暗い。窓から差し込む僅かな夕日の残光が光源だ。
違和感を覚える。なんか、変な臭い。
電気を点けたら、廊下には血だらけの母が倒れていた。
急いで、駆け寄る。息はない。
ふと、廊下の先の部屋から声が聞こえた。
「早く捕まえて、死なせてくれ!」
部屋から僕と同世代の男が出てきた。手には血だらけの包丁を持っている。
体が動かない――――。
男に体当たりされる。頭と背中に衝撃。意識が少し断絶した。
意識が戻ったとき、誰かが僕に馬乗りになっていた。見上げると、男が包丁を振り上げようとしている。
僕は、死ぬのか。
僕は、死ぬのか。
昨日、あんなに望んだ結果を得る。経過は違えど、同じだ。
なのに、無意識に声が出る。
「たすけて。いきたい」
男は、その声に応じる。
「悪い。自分は自殺できない弱い人間だ」
男は、包丁を、僕に、振り落とした。
そして。
以上です。
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