袋に入れ
僕、ヒロシの日課は小学校の帰りに紙芝居を見に行くことだよ。今日も一旦、家に手提げ鞄を置いてから紙芝居のおじさんがいる駅へ向かうの。
玄関で草鞋を履いている最中、後ろからお母さんが呼んでいる。振り向いたら、美人なのに割烹着姿で不安そう。
「ヒロシ、青地の着物を汚さないでね。それに出かけてもいいけど、知らない人についてっちゃダメよ。紙芝居のおじさんもルンペンだから、近寄っちゃいけない」
僕は腹が立った。
「ルンペンは悪くない! 悪いのは全部戦争じゃないかっ! お父さんも戦争で死んじゃって……。日本ばかり悪くないよっ、戦争をしかけた国すべて悪いのさ! それと僕のお父さんは、紙芝居のおじさんだよっ!」
僕は家を飛び出した。お母さんのわからず屋、僕は体が弱いから友達いないの知ってるくせに! 紙芝居のおじさんが、唯一の友達なんだよ!
おじさんと待ち合わせ場所の駅へ向けて、ひたすら走った。
両脇に長屋が軒を連ねている道を走破。それから正面の木で造られた駅に南から入れば、石炭の臭いが充満しているよ。人も多くて息苦しい。
軍隊のごとく整列した、縦横合わせて25個ある木のイス。満席だがその真北に、紙芝居のおじさんは腰かけていた。相変わらず、白いねじりハチマキに藍色の法被を着て白い股引きを履いている。でも寝てるけどっ!
長い長い髪とおヒゲを引っ張ったらおじさんは慌てて、
「ヒロシ君、いきなり髪とヒゲを引っ張るなんて酷いなぁ」
「ひひひっ、起きてほしかったからイタズラしたの」
「しょうがない子だな、でも今日はわざわざ駅まで来てもらってるし」
「なんで、今日はいつもの空き地じゃないの?」
「あそこは君しか来ないじゃないか。俺、どうも奥さん連中からルンペンだって噂されてんだよ。大工なのに髪とヒゲが長いから」
「そんなことはどうでもいいの! 早く紙芝居やってよ!」
「話を聞いてないな! おじさん悲しい……。でも、今日はこんなに人がいるんだ! とっておきの話をして儲け……いや楽しませてあげるからね、ヒロシ君」
南入口に立ったおじさんは紙芝居を大きな布袋から出し、大勢が座っている方へ絵を向けた。
「はいはい、紙芝居始まるよー!」
しーん。
「……紙芝居始まるよ、ヒロシ君。今回は、『白ウサギと蒸気機関車』ってぇ話だ!」
床に大将座りし、おじさんを見上げた僕だけが拍手をする。
「あるところに、可哀想な白ウサギがいました。彼は体が弱く、仲間外れにされていたのです。だから食べ物も奪われたり、恵んでもらえません」
この辛そうな白ウサギを見てると、悲しい気持ちになる……。
「ある時白ウサギは他の悪い黒ウサギに騙されて、オオカミにケンカを売ってしまいました」
そういえば僕にもあった、騙されたこと。
「オオカミが襲ってくるので、白ウサギはひたすら逃げる。でもオオカミは足が速い。とうとう追いつかれてオオカミが飛びかかる寸前、白ウサギの背後を蒸気機関車が通りすぎました。オオカミは機関車に踏まれてぺっちゃんこ。乗務員のおじさんが、白ウサギに「乗れ」と言いました。おじさんのお陰で助かった白ウサギは、地方で幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
よかった、本当によかったよ。幸福な結末に満足した時、いつも微笑んでるおじさんが辛そうに言った。
「ヒロシ君。実は俺な、地方で大工してんだよ。妻もいるんだけど、子供はいない。だから、こうして子供相手に紙芝居やって……。なぁ、うちの子にならないか?」
「うん、おじさんがお父さんならいいよ! 僕、お父さんがいる家に憧れてたんだ。それにお母さんは、体が弱い僕のことを気にしすぎてうるさいんだよ」
「体が弱くて辛かったね……。これからはおじさんが守るから! そうそう、うちはウサギをたくさん飼っているんだ。ヒロシ君はウサギが好きか?」
「うん、さっきの話を聞いてたらウサギが好きになった。……なんだか僕と似てるから」
「そうか、ならヒロシ君も悪いオオカミから守ってあげるよ」
「おじさん、いやお父さんは頼もしいね!」
「嬉しいよヒロシ君、いやヒロシ」
くしゃっと頭を撫でてもらったら、汽笛が聞こえてきた。イスに座っていた老若男女が一斉に立ち上がり、駅を出ていく。気づけば僕たち2人だけになった。
「さあヒロシ、帰るぞ」
おじさん、もといお父さんは紙芝居を大きく白い布袋にしまった。その後、僕を見つめたから頭の中にお願いが浮かんだ。
「あのう……、お父さん。手、繋いでくれるかな?」
急にお父さんの表情が曇る。それから優しい声で、
「悪い、ヒロシ。君もこの大袋に入っててくれないか? 今日はごちそうしてやろうかと思ったけど、ヒロシの電車賃が増えたらごちそうできなくてな……」
そうか、今夜はごちそう! 何かな? すき焼き、咖喱飯? よだれを堪えながら袋に入る。
白い布袋の中は不安だけど、「大丈夫か?」とお父さんが優しく語りかけてくれる。息子になってよかった、あんなうるさいお母さんよりも100倍いい人だ!
余程僕を心配してくれてるようで、お父さんはまた「大丈夫か?」と尋ねてくれる。でも、何故か知らない声のおじさんが返事をした。
「大丈夫だ、サツはいない」
知らない荒々しい返事が聞こえてから、なんか袋の中が息苦しくなってきた。
「それより、ブツは手に入ったのか?」
荒々しい声の質問に、何故かお父さんは低音で返事をした。
「ああ、袋に入れてあるぜ」
袋に? 紙芝居のことかな? それとも飴? そうだ、見せてあげれば荒々しい人も喜ぶかも。
僕は、紙芝居を持って袋から出ようとした。でも出口は絞られている。お父さんは息を吐くように笑みを漏らし、
「ふっ、袋の入口は縄で縛っておいた。これで出られない」
どういうこと? 出られないって。袋の中には紙芝居と、飴。あとは僕がいる。自力で出られるのは僕だけ……。まさか、お父さんは僕に何かしようとして……。いや、優しいお父さんは悪いことなどしないはず。そう考えていたら荒々しい男が、
「お前は悪魔だぜ。金のため、子供に優しいフリして近寄るんだからな」
だ、黙れっ! 何が優しいフリだっ! お前はお父さんの何を知ってる!? お父さんが口を開いた、違うと言ってやってよ!
「フッ、鬼の鬼八に言われたくない。俺は金がすべてだ。金儲けのためなら子供も騙すし、さらう!」
お父さん? 何を言ってるの? 僕、お父さんを信じてたのに!
騙されたと思えば、密閉された空間が息苦しくなってきた。出られない、さらわれる。怖い、怖いよ! 僕をどこへ連れてくの? 出して、真っ白な袋の中は窮屈だよ! お願いだから、荒々しい男は喋らないでっ!
「おらっ、小僧! ジダバタするんじゃねえよっ! 大人しくしてろっ!」
大きな声を出さないでっ! 手の震えが止まらないよ……。外の様子が知りたい、知りたいよう!
ズギュン! ひゃっ、耳許で大きな音が! 今のはなんなの? もしかして……銃声!
「へっへっへ、小僧! 俺のあだ名は鬼八ってんだ。何故だかわかるかぁ?」
「わ、わ、わかりませ……」
「俺は1つの戦場で8人銃殺した。だから、人を殺すことなんて何とも思わねえ。鬼なのさ。次ジダバタしやがったら、ためらうことなくお前を殺す!」