最後のあいさつ
アイダ・ケンイチロウ監督は、先日の試合を最後に退いて、新任の監督がすでに指揮していた。グラウンドでは、今、監督自らノックを行っているところだった。
「若い人は、元気があっていいね。」
「今の時代、監督だってまだまだ若いですよ。」
「ははは。そうだね。まだまだ、これから頑張るよ。」
アイダは、白いシャツを着、真っ黒に日焼けして、その上で幾重にもなった深いしわが年月を感じさせる顔をほころばせて、そういった。
彼は、このS高校、硬式野球部の監督であった。そして、先日、夏の大会、県予選が終わり、それを最後に退いた。結果は決勝戦で敗退。実は、前年も決勝で負けた。彼は、25年にわたって、このS高校の監督を務めたが、25年の間に、夏の大会は県予選の決勝に5回進出している。そして、5回とも負けた。人は、彼を「悲運の闘将」などと呼んだりしたが、それは、あまり嬉しくない呼ばれ方だった。後年、彼は、話の中でしばしば、
「ああ、1回でも優勝していれば、だいぶ違ったのだけどな。」
酒を飲むと、特にそういうセリフが多かったという。
彼は、25年前、監督に就任したとき40才。就任のあいさつの時に、
「私は、みんなで草野球がやりたい。楽しくやろう。」
という抱負を語って、周囲の関係者の間で物議を呼んだ。特に、部員の一部の父母から、相当抗議を受けたと言う。以来、25年間、方針は変えず、やってきたが、頂点に立つことはできなかった。
「甲子園出場という結果が残ってないからな。惜しかっただけでは、逆に批判の的になる。そこがつらい。」
よく、頭をかいた。
夏の終わり、S高校近くにある町内会館でアイダの送別会が開かれた。
野球部関係者は、もちろん、学校関係者、卒業生、多くの人が集まった。
「監督が替わって、よかった。」そういう選手の親もいた。が、アイダの人気は、選手自身や周りの生徒の間では、相当に高かった。
「それでは、最後に、アイダ監督にごあいさつをいただきたいと思います。」
司会を務めていた、野球部OBの男性が、マイクで話すと、会場は一瞬で静まりかえった。
送別会の客は、会場に入りきれなくて、扉の外の廊下にも、多くの人がいた。彼らもまた、扉の中のようすを首を伸ばして見ていた。
アイダは、少し照れくさそうに、そして、いつものようにニコニコしながら演壇に立った。彼は、集まっている人、すべてをゆっくり見回すと、話し始めた。
「みなさん、きょうは、私のために、こんなにたくさん集まってもらって、ほんとにありがとうございます。……わたしは、こんなに多くの人に、見送ってもらえるのかと思うと、ああ、監督やっていて、よかったなぁ、嬉しいなぁ、そう思います。……みんなにね、感謝しなければいけないと思っています。……まずね、ブラスバンド部のみなさん。みなさんのね演奏が、どれほど選手たちの闘志を燃え上がらせてくれたか、知れません。それとね、毎年、スタンドでね、暑かったでしょ?みんな太陽が照りつけて、暑いところで、楽器を演奏するなんて、大変だよね。なのに野球部はね、ベンチの日陰にいるんだよね。申し訳ないと思ってましたよ。(笑)ほんとにありがとう。……そして、スタンドで応援してくれた生徒たち。みんながいなかったら、ほんとにさみしい、やる気が出ないよね。みんなの声援が、選手の支えだったと思います。友達っていいよな。応援席と選手は、みんな「ダチ」だもんな。これからも、ダチは大事にして欲しいな。
……わたしは、この25年間、選手たちと一緒に甲子園を目指しました。ああ、まぁ、残念なことに、行けなかったけどね。(笑)……でもね、わたしは思ってるんです。この甲子園は、行けなかったけれど、甲子園は、まだあるぞ、ってね。甲子園はね、野球だけじゃないし、男も女も、若いのも年寄りも関係なく、みんなの中に、常にあると思います。みなさん、自分で「これが自分の甲子園だ」って思うものに向かって、常に進んでいって欲しい。それぞれの甲子園を目指して、頑張っていって欲しい。……以上です。ありがとう。」
アイダは、照れたのか少しうつむいた。いや、照れたのでは無く、涙を見られるのがいやだったのかも知れない。
彼のあいさつは、外の廊下から、会場の外にまでスピーカーで流されていた。いつの間にか、町内会館の玄関前には、たくさんの人々が詰めかけて、その声に耳を傾けていた。
彼は、今、故郷の街で、新たな甲子園を目指して走り始めたところだという。




