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6.

 

「―――ルチア嬢?」


 ヴィルト様の、私を呼ぶ声に、はっと意識が戻った。


 いけない、失礼なことを聞いてしまったことをまず謝らなくちゃ!


「申し訳ありません。出過ぎたことをお伺い致しましたわ。忘れて下さいませ」


 馬車の中なので、立ち上がることもできず、座ったままではあるけれど、深々と頭を下げて謝罪する。許しを得たら、頭を上げようと思い、そのままの状態で待つ。……が、一向にその気配もない。


 ……もしかして、激おこ?


 内心で冷や汗をかきつつ、頭を下げ続けていると、ようやく返事があった。


「いや、気にしないでくれ。少し……驚いただけだ。頭を、上げてくれないか」


 許しがあったので、頭を上げると、驚愕に彩られた三対の視線に晒されていた。


 え。何なの。


「……何でしょう。驚く何か、有りましたでしょうか?」


 私がそう言うと、歯切れ悪く、お兄様が返してきた。

「いや、驚く程のことではないのだが……」


 いやいや、めっちゃ驚いてたし。何で誤魔化してんの。嘘、下手か!


「姉様が、自分の非を認めた……駄目だ。世界が終わる」


 終わってたまるか!

 そっちは失礼にも程がある!そろそろ怒るわよ本気で!


「……フェル。流石にそれは言い過ぎだよ」


 呆れたように言う貴方も驚いてましたけどね王子様!

 そんなに私が謝るのは不自然ですか珍しいですか珍百景の一つですか!

 くそぅ、何もこれも、前『ルチア』(ネレス)のせいだ。普通にしているだけでいちいち驚かれたり暴言吐かれるとか何の苦行よ!人のせいにするのは嫌いだけど、こればっかりは文句を言わないと気が済まない。


「ルチア嬢、謝らせてしまったけど、君が謝ることは、何もないんだ。最近、()()があったのは、本当のこと、なんだから」


 内心で前『ルチア』(ネレス)に毒づいていると、ヴィルト様が静かに喋りだした。黙って耳を傾けると、お兄様とフェルナンは何か言いたげに、しかし何も言わず、同じようにヴィルト様の言葉を待った。


 ヴィルト様は窓の外に目を向けて、どこか遠いところを見るように、懐かしむように、話し出した。


「僕の、ずっと一緒にいた人……大切な、本当に大切にしていた人が最近、居なくなったんだ。物心つく頃にはもう側に居て、何をするにも一緒だった。ずっとこれからも一緒だと、勝手に思っていたんだ。居なくなるなんて、考えたこともなかった。居なくなって、初めて気づいたんだ。どれだけ僕にとってその人が大事だったかを。

 ……それを、久し振りに出会った、しかも記憶喪失だという君に当てられて、驚いただけだよ」


 本当はこんな女々しいこと、言うつもり無かったんだ、内緒だよ?と、苦笑しながら唇に指を当てるヴィルト様は、今度は演技ではなく、弱った様子で。ともすれば、泣き出してしまいそうな顔をしていた。でもそれを私に指摘されたくないのも分かってしまって。



 だから、私は。


「大切に、されていたんですね。」


 馬鹿みたいに、復唱するだけの人形になったみたいに、その言葉だけを口に出した。


 つられてしまったのか、ヴィルト様の感情に引っ張られてか、何でなのかは分からない。私自身が泣きたいような、怒りたいような、複雑な感情を胸に宿しながら。




  * * *




 湖までもう少し、というところで、小さな森を抜けるための獣道を挟むため、途中で馬車を降りた。


 凝り固まった筋肉が、節々痛い。馬車って辛い。上下左右に大きく揺れるから、吹っ飛ばないように堪えるのが地味にしんどい。

 本で読んだり、映画で見るだけでは分からない事だ。これも経験、と良い方に考えよう。そうでもしないと、やってらんない。現代っ子のひ弱さを実感した。


 どうせしんどいなら、乗馬を覚えたい。馬ならもっと可動域も広がるし、万一何かあって逃亡する必要性がある時、生存率が跳ね上がる。


 そんな物騒な思考に陥りつつ、歩き出したヴィルト様達の後を付いていく。獣道ではあるけれど、人が何度も通っているからだろう、草や木の枝が掻き分けられた、細い道があった。

 こんなことならドレスをもっと質素なものにすれば良かった、と悔いるも、後悔先に立たず。朝、ドレスを選ぶとき、あまり派手なものにせず、シンプル目なコルセットで絞るだけのストンと落ちるものを選んで良かった。クリノリンが入った釣鐘型のものなんかにしたら、眼も当てられないところだった。


 そう考えつつ、湖に近づいてきたからか、地面がぬかるんだ部分を飛び越えるため、ドレスの裾を捲り上げようとすると、ヴィルト様に制された。


「あぁ。そのままでいいよ」


 え。でも裾が汚れたら折角の良い生地が台無しになりますよ?


 そう思って顔を上げると同時に、身体が浮いた。

 横抱きに、所謂お姫様抱っこをされたと気づいたときにはもうぬかるんだ部分を越えて、声を上げる間もなくふわりと下ろされた。


「だっ」


「だ?」


「だだだ大丈夫ですか腕と腰と足!!ヴィルト様私より少し年上なだけでしょ!今筋肉に大きな負担かけると身体への負担が大きいんですよ!私ドレスもあるから絶対重い!駄目!」


 下ろされた瞬間に、凍りついたように動かなかった口から、勢いのままに言葉が飛び出た。内容もよく考えないままに。

 動揺して声が裏返ったどころか、喋り方が不敬にあたる、と気づいたときにはもう、遅かった。しかも内容は王子様への全否定だ。終わった。


 口から出た言葉は戻らないし、時間を巻き戻すことも出来ない。私には、呆然としている兄弟と、俯いて震えているヴィルト様を交互に見て、沙汰を待つしか出来なかった。



 だってまさか。ちょっとジャンプすれば飛び越えられそうなぬかるみだったのよ?抱き上げられるとか思わないじゃない。成長途中の筋肉への大きすぎる負担は筋肉疲労とか疲労骨折とかを起こす恐れがあるってテレビで観たことあるし、焦ったのよ!


 誰にともなく、言い訳を頭の中で捲し立てるも、現実は無情にも変わらない。


 あぁ、絶対あかんやつやコレ。

 ヴィルト様怒りすぎて血管切れたら処刑かなアレ。


 不安になって、そろりとヴィルト様に近付き、血管の無事を確認しようと覗き込んでみると……


「くっ……!ふっ、あははははははっ」


 笑い出した。

 ていうか笑いを堪えてたんですか。早く言って下さいよ。

 でも何で笑われてんの私?

 笑いに繋がる所なんてあっただろうか。考えてみるも、全然分からん。


「あの、ヴィルト様……?」


 意を決して声を掛けてみるも、笑いの収まる気配もない。


「だっ……くくっ……こんなっ……ふっ……簡単な…………って……」


 何か言おうとしてるみたいだけど、笑いすぎてて全然分からないです王子様。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 やっと、ヴィルト様が落ち着いた頃には、結構な時間が経ったように思う。その頃には、私も不敬で処刑されることは無さそうだと胸を撫で下ろしていた。


「ごめんごめん。うん、心配してくれてありがとう。確かに僕はまだ12歳で身体が出来てはいないけど、王子という立場上、ある程度鍛えてはいるから、瞬間的にルチア嬢くらいの体重をドレス込みで抱き上げるくらいは、大丈夫だよ。幸い、ドレスもシンプルなもので、あまり重量も嵩張らないものだからね」


 普通に私の無礼だった口調も許してくれているような言い方に、安心すると共に、逆に疑問が募る。


 じゃあ何で、あんなに笑われたんだろう?


 疑問が顔に出ていたらしい。


「記憶喪失になってから、年齢より冷静に見えるルチア嬢があんなに焦ってるから、可愛くて、つい、ね」


 朗らかに笑いながら言われたその言葉に。


 回らぬ頭で咄嗟に出てきたのは。



「………人間(たら)し?」



「………………どうして人間なのかな?女誑しならよく聞くけど」

「ヴィルト様なら人類全般いけるかと思いまして」

「それは……誉められているのかな?」

「勿論です」

「……くっ……くくっ…………」


 また笑いの壺に入ったらしい。事実を言っただけなのに、解せぬ。


 事実、あんなこと、社交辞令でも言われたら、皆一発でヴィルト様の虜になると確信できる。そこに性差、年齢差なんて存在しない。老若男女関係無く、美麗な容姿と無邪気で朗らかな美少年にノックアウト間違いなしだ。少しは自重することを覚えないと、そのうち誘拐とかファンクラブ発足による刃傷沙汰とか起こるんじゃないだろうか。そうなる前に、是非ヴィルト様には自分の言葉と笑顔の破壊力に自覚を持ってもらわなくては!


「…………殿下。そろそろ、行きませんと」

「えぇ。確かに今日の姉は独特ですけれど……」


 いい加減、笑いを収めてもらおうと、お兄様とフェルナンがヴィルト様に声を掛ける。しかしフェルナンよ、独特って何なの?私は普通にしているだけよ!さっきはちょっと焦って地が出ただけで!


「……そうだね。行こうか。もうすぐそこだしね」


 やっと、持ち直したのか、ヴィルト様がようやく復活した。


 再び歩き始めて、数分もしないうちに、着いた。


 大きくて透明度の高い、美しい湖。水面には鏡のように空と湖畔の木々が映り、どこか神秘的で。前世では風景画でしか見たことのなかったような、思わず見惚れる風景が、そこにあった。絵と違うのは、そこかしこに生き物の気配があることか。鳥が湖で優雅に泳ぎ、時に飛び立ち、湖面に波紋を作っている。湖畔の木々では小動物が枝葉を揺らして、その存在を示している。壮大な自然の、悠久の美をすぐそこに見ている気がして、自分の存在のちっぽけさを思い知らされている気がした。


 言葉も忘れて、ただただ立ち尽くしていると、優しい風が、頬を撫でた。何故か『おかえり』と言われているような気がして、目頭が熱くなった。


 どうしてこんな気分になるの。初めて来て、初めて見る風景。前世でこんな綺麗な景色、見たことない。なのに。


 ―――どうして、こんな懐かしい気分になるの―――?




 自分でもよく分からない既視感。それはヴィルト様に対するものであったり、この風景、いやむしろ、自然に存在する生命の息吹に対するものであったりして。本当に、どうしてそう思うのか、自分の記憶は前世一生分と今世の今日1日だけのはずなのに。


 だけど、分からないなりに。



「ルチア嬢、こっちだよ」


「これが、犯人を捕まえている風の牢を隠している大木だ」


「姉様、失敗したとしても、殿下に危害が及んだりすることだけは絶対に避けてよ」



 今は、目の前の問題を解決するために、全力を注ぐべきだ、と気を引き締める。






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