Ver.カリーナ・スチルス
私は、産まれたときから役立たずです。
私、カリーナ・スチルスを産んだ後、私のお母様は産後の肥立ちが悪く、ずっと床に伏していましたが、私が3歳になる頃、とうとう亡くなってしまいました。兄のハイルは、私は悪くない、と優しく言ってくれましたが、父親の子爵であるガリウスは、幼い私と顔を合わせるたび、「お前さえ居なければ……」と小さく呟いていました。小さな声だから、私には聞こえていないと思っていたのでしょう。―――実際、兄にはその声は聞こえていなかったようでしたから。
しかし私には、しっかりと聞こえていました。私の乳母が昔語りで喋ってくれましたが、私の母は風の精霊に祝福された指輪を、昔、ある縁で譲って貰ったそうです。それをお守りがわりに私に持たせてくれたそうで、指輪のお陰で私は、風の精霊の力に守られているそうです。
その事に感謝はしています。お母様の愛情を疑ってはいません。
でも、正直、父親の本音は聞かないでいたかった、とも思います。そうすれば、私は、父親の愛情も疑うことなく居られたと思うのです。
実際、父親は、表面上は私に優しくしてくれました。
お母様を亡くしてから、家族一同、しばらくは塞ぎ混んでいましたが、父親が真っ先に子爵としての責務があることもあり、立ち直りました。いえ、立ち直ったように見せかけました。兄と私に、『だれも悪くないよ。寿命はどうしようもない。お母様も、ハイルとカリーナにずっと泣かれるより、前を向いて生きてほしいと願っているはずだよ』と言い聞かせてくれました。
内心ではずっと、私がお母様を奪ったと責めながら―――。
そんな父親も、私が9歳、兄が11歳の時に、心労が祟ったのか、ただの過労なのか、病で呆気なく亡くなってしまいました。
子爵とはいえ、スチルス家の領地は肥沃で中々に広く、魅力的だったのでしょう。兄もまだ成人していなかったので、分家筋の親戚に後見人につくという名目で上手く子爵家を乗っ取られてしまいました。後見人につくとは言っても、領地を数年間上手く治めていれば、本来の後継者が成人する前に、書類上で譲渡という形で爵位と領地を渡すことが出来ると法律で認められているので、そこを狙われたのです。人を疑うことを知らなかった私たちは、騙され、書類を偽造され、爵位は無事に譲渡されたので殺されることこそ無かったものの、奉公に出されました。奉公に出された時点で、騙されたことには気付きましたが、父親という後ろ楯を失った以上、私たちは無力です。兄と共に、奉公先の公爵家で再出発しよう、と二人で誓いました。
しかしその実、私は、兄の役に立てない自分に、絶望していました。兄は、優秀です。自分の出来ることと出来ないことを見極めて、父親が亡くなったあの時、私を守ることしか出来ないと判断したからこそ、分家筋の親戚の言うことに従ったのでしょう。本当は、兄は、騙されることに気づいていました。奉公に出される、と告げられたとき、『これで良いんだ。カリーナさえ、守れるなら……』と小さく呟いた声を、私は、確かに聞いてしまったのです。本当は、私に聞かせるつもりの無かった本音。精霊に祝福された指輪が私に教えてくれた事実。それは私を絶望させるのに、充分過ぎるほどのものでした。
それでも私は、兄と共に誓ったからには、前向きに生きようと頑張りました。でも、優秀な兄と違って、役に立たない私に、主人であるお嬢様は、日々言いました。
「全然役に立たない!この愚図!」
「お兄様や、フェルを狙ってるのね、この雌豚!」
「出来損ないのビッチ女より、格好よくて仕事の出来るハイルみたいな従者の方が良かったわ!お父様にお願いしてあんたなんか解雇してやる!」
仕事が遅くて、機転が効かない私に、お嬢様が告げる言葉を耳にするたび、兄は渋面を作り、お嬢様の居ないときに慰めてくれましたし、兄の主人であるライルナート様はお嬢様を嗜めて下さいました。しかし私は庇われる度に、自分の不甲斐なさ、情けなさを再確認するようで、そんな自分に泣きたくなりました。
そんな日々がずっと続いていく、私は、誰の役にも立てない。誰かの重荷にしかなれず、ただ、兄との約束を守る振りをしてこの公爵家で生きていく。
そう、思っていたのです。今日までは。
いつも通り、朝、お嬢様が起きていらっしゃるかどうかを確認しに部屋へ行くと、大きな物音がしたので驚いて中に入りました。お叱りを覚悟の上でしたが、部屋の中ではお嬢様が倒れられていて、記憶がないと仰いました。
言葉通り、私のことも覚えていないようで、役立たず扱いするでもなく、むしろいつもより何だか優しげに声を掛けて下さいました。お嬢様は記憶がないことが不安なのか、お嬢様を取り巻く環境や人のことを、次々に聞いてこられました。
でも何も分からない不安を八つ当たりに変えることもなく、静かに聞いてくださるので、私は、いつもより萎縮せず、答えることが出来ました。
たまに答えづらい質問をされた時に、答えに詰まってしまう時も、急かさず微笑んで待っていてくださいます。元々輝く金髪に、透き通るような蒼い瞳で、輝くような美少女のお嬢様が微笑まれると、同性である私でさえドキドキしてしまいます。
いつもと違うお嬢様、でもいつもよりも何倍も素敵に見えます。
10歳には見えないくらい、落ち着いて見えます。
だから、私は、忘れていたのです。
お嬢様を昼食のために大広間の前まで案内したときです。何故か、扉を前に質問を並べられるお嬢様。大広間に入らないのでしょうか?しかも、先程部屋にいたときより、何だか落ち着かない様子に見えます。何気なく、私は理由を聞いてしまいました。すると、お嬢様はちゃんと答えてくれました。
「だって、怖いじゃない」
「―――お嬢様?」
思わず、聞き返してしまいました。精霊の指輪を持っている私は、お嬢様の極々小さな声を聞き取れていました。でも、まさか、お嬢様が、怖い?
私が聞き取れなかったと思ったのでしょう。お嬢様はもう一度、でも言葉を変えて、仰って下さいました。
「……中に居るかもしれない初対面の兄弟に、疎ましそうに見られたら、さすがにヘコむじゃない?」
私は、忘れていたのです。お嬢様は、まだ10歳なのです。記憶がないのに、知らない間に皆に嫌われている、疎まれていると知って、怖くないはずがありません。後の言葉は少々茶化して仰られましたが、先程の言葉の方が本心なのでしょう。
本心を誤魔化すかのように、苦笑いを向けられました。
私は思わず、まじまじとお嬢様を見つめてしまいました。
そんなに心配しなくても、きっと今のお嬢様なら、大丈夫な気がします。私なんかが断言することはできませんが。ご兄弟も、お嬢様が怖がらず、ちゃんと会話さえ始められれば、いつもと違うこと、いつもよりも何倍も素敵なことが分かると思うのです。今のお嬢様を知らないで今まで通り過ごすのは、とても勿体ないことだと思います。お嬢様に、そう伝えると、嬉しそうに答えてくださいました。
「ありがとう、カリーナ。貴方が居てくれて、良かった。そうね、尻込みしているばかりでは前に進めないし、私の今までの所業の罪滅ぼしも出来ないわね。ごめんなさい、でもそう言ってくれて嬉しいわ」
お嬢様が私に謝罪をされました!主人にそんなことさせるなんて、やっぱり私は侍女失格です。生意気なことを言って申し訳ない気持ちで一杯です!
「生意気だなんて。味方が一人も居ない中で、そういう諫言は私にとって、とても貴重なものだわ」
味方が……居ない?役立たずの私ですら、少なくとも兄は味方をしてくれます。でも、まだ10歳の守られるべきお嬢様に、味方が居ない?そんなのは、おかしいです。確かに、今までのお嬢様は、好きではありませんでした。むしろ、あれだけ言われて好きになれる方がいればそれはドMの特殊な性癖の方なのでしょう。私は、ドMではないので、正直に言えばお嬢様を嫌いだったのでしょう。
でも今は。「貴方が居てくれて、良かった」と言ってくださるお嬢様が。役立たずの私を必要としてくださる、そんなお嬢様を。
私は、守りたい。
だから、私は、貴方の味方になりたいのです、お嬢様。
でも、臆病な私もやっぱり存在していて。そんな私でも、お嬢様の味方になって良いのでしょうか……
「いいえ、貴方が味方というだけで、私はこれからどんなことがあっても頑張れる。ありがとう、貴方にとって自慢の主人になれるように精進するわ」
その言葉に、貴方に、一番これから頑張れるのは、私なんですよ、お嬢様?