19.断罪
事態が、動いた。
今まで散々見付からなかった証拠が見つかり、逸るその足でナルサスは共に発見者となったチェルシーを連れて領主の部屋、執務部屋を目指した。扉の前で一つ息をつき、落ち着いてから執務部屋の扉を三度ノックすると、中から「入りなさい」と声が聞こえた。
扉を開け、チェルシーを促し、その後ろから入室する。
部屋の中には、奥の執務机にアルバニア公爵が座り、皮張りの一人掛けソファーに公爵夫人が、反対側のソファーに上司の騎士隊長であるドルフと、若い男性が座っていた。
「先触れなく失礼致します」
「構わないよ。どうしたんだい?」
机の上の書類から目を離し、アルバニア公爵がナルサスに尋ねる。癖の無いさらさらの金髪が動きに合わせて揺れ、疲れを表す目の隈を際立たせている。気だるげなその姿は普段以上に色気を纏って、ただでさえ目立つ美貌がもはや目の毒レベルになりつつある。
「例の帳簿が、見つかりました」
まず、ナルサスが端的に結果を報告する。
その途端、部屋に溢れだす凄まじい怒気。最早、殺気に近いかもしれない。
公爵から漏れでるソレは公爵が得意とする炎の魔力のせいか、冗談や比喩ではなく部屋の温度を上げている。蜃気楼のように公爵の姿が揺らめいて見えるし、何かちりちりと音がするのがリアルに怖い。部屋火事だけは止めて頂けないだろうか。
「貴方、落ち着いて下さいな」
公爵夫人が窘めるが、公爵には聞こえていないようだ。手を顎の下で組み、彫像のように固まっているが、その表情は憤怒に染まっている。
公爵夫人は軽く嘆息して立ち上がり、ツカツカと公爵に歩み寄り、頭上に手をかざすと、その華奢な掌から―――頭大の雪玉を生み出し、公爵の頭に落とした。
氷と違って硬度は無いので、直ぐに盛大にずしゃっと割れた。公爵の発する熱気と相まって溶けたそれは大量の水となり、文字通り頭を(強制的に)冷やしたらしい。
「……リナ。単純な氷でなく結晶の集合体である雪を即座に造れるその希少能力は、尊敬に値するよ」
「あら、ありがとう」
「でもその使い方は、ちょっとどうかと思うんだ。濡れるし」
「そうね。次は氷玉にするわ。雪は意外と生成が面倒くさいもの」
「それ、血塗れになるよね。洗濯係メイドに迷惑じゃないかな」
「貴方のサウナ製造魔力の方が迷惑だわ」
「これでも火事にならないように抑えたんだけど」
「淑女は汗をかきたくないのよ、知らないの?」
淡々としたやり取りは恐らく公爵の怒りボルテージを下げるためなのだろう。だからと言って、このズレたやり取りは何なんだ。ツッコミは不在かな?
しかし、公爵夫人も決して落ち着いていた訳ではないらしい。先ほどまで暑いくらいだった部屋の温度が急激に下がっているのを文字通り体感する。
「それで?」
突き刺すような刺々しい声が、静かに響き渡る。
「見つかった状況と場所を詳しく教えて頂けるかしら」
公爵夫人は公爵からナルサスに向き直ると、報告の詳細を促した。
* * *
報告を聞いた公爵は、深々と息を吐いた。ゆっくり、全ての肺の中の空気を、苛立ちと共に出し切ったのか、顔を上げた時には冷静な表情に戻っていた。公爵が手元のベルを鳴らすと、近くに控えていたのか、すぐにメイド頭のタリアが部屋に入ってきた。
「タリア。今すぐ、全ての使用人を大広間に集めてくれ。ナルサス、チェルシーの二人も直ぐに向かうように。ドルフ、館の周りを騎士で固めてくれ。ネズミ一匹通さないようにね。
やっと、これで証拠と証人が揃った。この家に蔓延る膿を一掃しよう」
公爵は机をトン、と人差し指で叩き、メイド頭と騎士隊長へと命令を下す。優秀な二人は、聞くや否や、即座に自分の職務を全うするため、退室していった。
「旦那様。僭越ながら、お伺いしても宜しいですか」
「何かな?」
「証拠を持ってきた私が言うのも何ですが、証人は未だ揃っていないのでは?お嬢様は未だに見つかっていないと聞き及んでいます」
ナルサスにとっては当然の質問だった。当の本人が居ない状況では何の解決にもならない。荷担していた使用人を見つけ出したとしても、主犯を捕まえないと意味がない。
「心配ないよ」
しかし、公爵は涼しい顔で一蹴する。
「言っただろう?証拠と証人は揃ったんだ。この三日間、私も何もしていなかった訳ではないんだよ。長年、腹に据えかねていた問題が解決できるんだ。監査役もよく働いてくれた。これからが楽しみなくらいだね。さぁ、私たちも大広間に向かおうか。―――あぁ、こういう時、こう言うんだったよね」
さぁ、断罪の時間だよ。
* * *
大規模な夜会も開けるくらいの大広間には、たくさんの人が集まっていた。
情報遮断のため、通いの使用人は三日前から臨時休暇が出ているので、住み込みの者だけ集められている筈だが、それでも五十人近い。
ざわめく人々の顔には、不安と焦燥が満ちていた。
これから公爵家がどうなるのか、自分たちはどうなるのか、悪い考えは止まることがない。自分たちは何も悪いことはしていないのに、道連れで罰せられるのでは、と理不尽に対する怒りを隠さない者もいた。
しかし、大広間の二階にある大扉が開き、公爵が現れると、気付いた者から口を閉ざした。
皆が静まったことを確認して、公爵は口を開いた。
「皆、ここ数日は不安にさせてしまったね。でももう、この場で決着をつけるから、安心すると良い」
その言葉に、階下の使用人たちは強張った顔をゆるめたが、公爵の後ろから現れた人物を目にすると再び眉をひそめた。
公爵の後ろから現れた人物は凛と背筋を伸ばし、瞳と同じスカイブルーの、濃淡のグラデーションが美しいドレスを着こなしていた。裾の長さに翻弄されがちな年頃の少女であるに関わらず、裾捌きの苦労を全く気にさせず楚々と歩くその姿は、社交デビューのための教育を全て終えた淑女と何ら遜色の無い程であった。
あれは誰だ。
あの方は令嬢教育をサボりがちでロクに身についていなかったのでは無かったか。
至るところでそう囁かれるのを全く気にする様子も見せず、ルチアは公爵の横に立った。
* * *
「さて、皆が知っての通り、娘のルチアにはふたつの容疑が掛かっている。一つは公爵領運営費の横領。もう一つは第二王子に禁忌とされている呪い魔法を掛けたこと。この二つが事実なら、公爵家としては娘を絶縁して公の機関に突き出し、相応の刑罰を受けさせるしか無いだろう。…まぁ、処刑は回避できないだろうね。ただの毒杯で済めばまだ良い方で、他国との繋がりを疑われて拷問と最低限の生存の為の回復を繰り返され、廃人となるようなケースも有る」
淡々と言葉を述べる公爵の表情は常と変わらず、娘への情を感じさせるものは一片たりとも浮かんでいない。普段の穏やかな気性も、家族への愛情も、理性で全て押さえ込めるその姿は、国の筆頭公爵家の責任の重さを感じさせる。
「その場合、もちろん我が公爵家の被る責任も大いにある。娘を産み育て、罪を犯すことを止められなかったという、責任がね」
その言葉に、階下にざわめきが広がった。暗にお嬢様だけの責任に留まらないと公爵が言い切ったからだ。
「しかし、公の機関に渡す前に、罪の在り処を明らかにする為、皆に集まってもらった。これから、見つかった証拠を提示していくが、その中で何か言いたい事がある者は、言うと良い。例えば罪に加担した者も、証言することで償う罪が軽くなることも有るかもしれない。ただし、ただの恨み言や罵りは不要だ。あくまでもこれは、罪の大きさと在り処を確定するために行うのだから。
まぁ、まずは、現状確認からいこうか」
公爵の言葉が終わると同時に、騎士隊長のドルフが進み出た。
「申し上げます。公爵領運営費は、金庫の中の半分が持ち去られ、運営費の帳簿、公爵家私物の帳簿共に行方知れずでしたが、つい先程、騎士ナルサス・ユーザ、メイドのチェルシー・ライの二名が帳簿を発見。現物がこちらです。
そして現在公爵家の客間にて第二王子が静養中。呪い魔法は徐々に眠りが深くなり、死に至る魔法のようです。
今ここに、屋敷を包囲する騎士以外の使用人全員が集まっていますが、通いの使用人は別として、住み込みの者で行方不明者は、メイドのシア・ベールとユーリ・ミッツ、従僕のジャン・ラマと、執事見習いのユーポス・セベルの四名です」
「ナルサス、チェルシー、帳簿はルチアの部屋で見つけたんだったね?」
「はい」
「お嬢様の部屋の本棚に、ピクシーブックに偽装されて隠されていました。数ヶ月前までは無かったそうです」
チェルシーの返事に、ナルサスが詳細を付け加える。
「あの…」
メイドの娘は言葉を放ちかけて、言い淀んだ。
「言いたい事があるなら、言うと良い」
公爵がそう言うと、メイドの娘は少しの躊躇いの後に、続けた。
「行方不明のシアとユーリですが、四日前の朝にお嬢様から何か命令されて出かけたみたいなんです。内容は知らないんですけど、二人とも何だか思い詰めていたみたいで、気になって…。出掛けに挨拶する時、問い詰めてみたら、『いつものお嬢様の我が儘だから、すぐ戻るわ』って笑ったので、そのまま送り出してしまって。まさかそのまま、行方不明になるだなんて…!」
「そうか。従僕のジャンと執事見習いのユーポスについては知っている事は?」
「その二人については知りません…」
「ジャンなら、私が最後に見たと思います」
今度発言したのは、下働きの娘だった。
「四日前の朝、シーツを回収している時にお嬢様と何か口論しているのを見ました。その後、洗濯のために井戸と洗濯場を水汲みで往復する時、裏門から出て行く姿を見ました。それ以来、屋敷の中で見かけていません」
「四日前の昼以降、ジャンの姿を見た者は?」
公爵の質問に答える者は居なかった。
「では、ユーポスの姿を四日前以降に見た者は居るか」
階下で、「俺は五日前に話した」、「私は六日前かしら」、「五日前の夜に見ただけだな」等、何人かの証言はあったが、一番最後に見た者でも五日前の夜だと判明した。
「発言を宜しいでしょうか」
手を挙げたのは、メイド頭のタリアだった。
「そもそも、三日前の朝以降、お嬢様のお姿が見えませんでした。起こしに行ったカリーナは、お側に控えていたようでしたが、それもお昼まで。メイドはもちろん、使用人までもが執事のロムスに細々と屋敷の外回りの掃除や買い物を頼まれて、屋敷をほぼ空にしたあの状態は、とても不自然でした。旦那様の指示と伺いましたが、あれは何か意味が有ったのでしょうか」
淡々と喋るタリアの言葉に反応したのは、階下の使用人たちだった。
「あれ?俺だけじゃなかったんだ」
「買い物って、あたし羊皮紙頼まれたけど…」
「いいじゃない、私は魔道具よ。売ってるお店、遠かったわ。朝に頼まれて、昼過ぎまで歩き通しよ」
「え?外に出てたのって、お嬢様の狂言のせいなんじゃ…」
「しっ!お嬢様、あそこに居るからっ!」
「買い物いいなー。僕なんか池の落ち葉さらいだったよ」
「ワシも。腰にきたわー」
「俺、何でか厩舎にいきなり増えた馬の世話しまくった…。いきなり十匹以上増えてるって何かの嫌がらせかよ」
当時、自分以外も皆外に出ていたと知って、使用人たちが階下でざわざわと喋り出した。
「静粛に。旦那様の前ですよ。そしてニナ、『お嬢様の狂言』とは何ですか?」
急に指名されたニナは先程のジャンの最後の行方を語った下働きの娘だった。いきなり名指しされ、狼狽えつつ、答える。
「え、えっと…ケミラさん…そう!ケミラさんから聞いたんです!お嬢様があの日の朝から別の人みたいになったって。それは狂言だから、罪を犯した事に変わりないって。だから、安心して証言しなさいって…」
「なっ!私はチェルシーから聞いたのよ!」
自分のせいにされかけたケミラは、慌てて言い返した。
「ケミラ、君はさっき、シアとユーリを最後に見た時の事を話してくれたね。有り難い情報だよ。『娘の狂言』についても知っている事を話してくれるかな?」
公爵は優しくケミラに問いかけた。
「知っている事をすべて話してくれたら、君のついた嘘を多少は許してあげられるだろう。しかし、」
公爵が言葉を切った瞬間、ケミラの周囲に火花が弾けた。
「ヒッ!?」
「話してもらえないなら、僕は悲しくて魔力が暴走してしまうかもしれないよ」
貴族は総じて魔力が高い。それは血脈として受け継がれるからなのか、他に理由があるのかは解明されていない。そして魔力は少ないものでも暴走すると大事故に及ぶ恐れがある。しかし、だからこそ貴族と数少なくはあるが平民の魔力持ちは、学園で魔力コントロールを完全に出来るよう学ぶ。貴族の、ましてや公爵位にある者が、魔力の暴走などした暁には、どれ程の規模になるのか。
この国に住む者には、それは常識だった。だからこそ、ケミラは迷った。自分の不用意な一言で、公爵に睨まれている恐ろしさに震える。視線が右往左往し、諸悪の根源、お嬢様に目を止め、判断力の低下したケミラは、叫んだ。
「別の人格が移っただなんて、信じられる訳ないじゃないか!そんなの、狂言に決まってる!私は嘘なんかついてない!」
「その言葉を待っていたよ」
静かな、しかしよく通るその声が、大広間に響いた。
コツ…と靴音と共に大広間の二階、私の横に、突然現れたのは、ヴィルト様。
そう、呪い魔法を掛けられた第二王子様だった。




