2.
カリーナに色々と聞いている間に、中々の時間が経ってしまっていた。元々カリーナは、朝の遅い私が起きているかどうかを確認しに来ていたらしい。ちなみに現『アリシア』は、自分のペースを崩されることをとても嫌っていて、寝ているときに起こしたりすると、激怒して一日中機嫌が悪くなる悪癖を持っていたので、起こそうとはしていなかったそうな。気分の浮き沈みの激しい主人なんて、傍迷惑極まりないわね。
着替えて寝室から出る頃には、気づけばもうお昼時を回っていた。カリーナに先導してもらって食事を摂るため、食堂を兼ねているらしい大広間へと向かう。タイミング的に、兄弟が居る可能性が高いと聞いて、少し気を引き締める。
カリーナとの会話のように、どんな爆弾が出てくるか分かんないからね。心の準備だけはしとかないと!
* * *
この屋敷……内装が豪華だから覚悟はしてたけど、思った以上に広いわね。客室なのか私室なのか分かんないけど廊下の左右には扉が並び、ギャラリーのある廊下を通ってようやく大広間の扉の前に着いた。
「ねぇ、カリーナ。とても基本的なことを聞き忘れていたけれど……お父様って、貴族なのよね?」
「あ、はい。申し訳ございません。一番最初にお伝えするべきでした。旦那様は、公爵の爵位をお持ちです。」
「公爵!?」
一番高い爵位ですか。それは屋敷が広いのも、内装が豪華なのも頷けるわ。まぁ、悪役令嬢って高い爵位持ってるからこそプライド高く我が儘で高飛車になるのが常だもんね。
「旦那様は、魔法省を統括されていて、以前はご自身も魔法医学を研究されていたらしいですよ。先代様から領地を譲られてからは、領地の管理や視察を率先してされているので魔法省の統括はほぼ形だけ、みたいですけれど。
若い頃は魔法医学の寵児と言われ、魔法省の人達からとても尊敬されていて、形だけでも在籍してほしいと熱望されたとか。」
本当の話かどうかまでは分かりませんが、とカリーナは自信無さそうに話を締めくくった。
「……詳しいのね?」
「この屋敷の者は皆、旦那様を尊敬していますので、そういった武勇伝を噂でよく聞くんです。私の兄はルチア様のお兄様であるライルナート様の従者ですが、旦那様の信者と言っても良いくらい特に信奉していまして…。―――ところで、お嬢様?」
「領地の管理や視察だって、他の人に任せてもどこからも文句は出ないでしょうに、ご自身でされているのだものね。貴族の鑑だわ」
「……えぇ、兄もそう申しておりました。公爵様自ら公務を行われる姿をライルナート様も尊敬していて、ご自身も領地を継いだときはその姿を見習いたいそうで、現在はお勉強に力を入れているそうですよ。あの、お嬢様、」
「お兄様は勉強熱心なのね。まだ成人はされていないのかしら?」
「ライルナート様は現在、14歳です。成人は16歳なのであと二年後ですよ。えーと、あのぅ、お嬢様……?」
カリーナの眼に不信感が滲んできた。ちっ、これまでか。
何食わぬ表情で問い返す。
「何かしら?」
「大広間に、入らないのですか?扉、目の前ですけれど」
不思議そうに聞かれた。
そうよね。ここまで来たのにいきなり世間話始めたら誰でも不思議に思うわよね。私でも思うわ。でもね?
「………………じゃない」
「―――お嬢様?」
思ったより小さな声になってしまって、よく聞き取れなかったのか、カリーナが聞き返してくる。
「……中に居るかもしれない初対面の兄弟に、疎ましそうに見られたら、さすがにヘコむじゃない?」
例え中身が25年の経験値があったとしても、初対面で嫌われていることが決定していて、しかもそれが自分の兄弟。一生縁が切れるものでもないとなれば、流石に気が重い。出会う可能性が高いだけとは言っても、二の足を踏んでしまうくらいは多目に見て欲しい。……情けない話だってわかってるんだけどね!
カリーナの顔をそろそろと伺う。何を今更、と呆れた顔で見られてたりするだろうか。立派な公爵の娘なのに情けない、と非難する視線を向けられていたりするのか。それとも自分の行いを省みろ、と軽蔑されてたら立ち直れないかもしれない。
しかし、カリーナの反応は、そのどれでもなかった。
ただ、きょとん、と大きな眼を見開いて私を見ていた。
数秒置いて、ふっと表情を和らげると、優しい声で言った。
「確かに最初は、そうかもしれません。しかし、今のお嬢様を見てくださったら、何か変わるかもしれません。勿論、何も変わらないかもしれません。でも、お会いしなければ、お二人のお嬢様に関する認識は、何一つ動かないまま。それは勿体ないと、私は思いますよ」
一言一言、言い含めるように言われて、何となく恥ずかしくなる。精神的には私の方が年上のはずなのに、まるで姉に優しく叱られている気分だ。前世では妹しか居なかったので、想像でしかないけどね。
でも、カリーナにそう言ってもらえて、少し気分が軽くなった。
「ありがとう、カリーナ。貴方が居てくれて、良かった。そうね、尻込みしているばかりでは前に進めないし、私の今までの所業の罪滅ぼしも出来ないわね。ごめんなさい、でもそう言ってくれて嬉しいわ」
晴れやかな気分で、カリーナに感謝を伝えると、数秒固まった後、先程の様子とはうって変わって、あたふたしだした。
「きょ、きょきょ恐縮です!生意気なことを言ってしまって、私こそ申し訳ありません!」
「生意気だなんて。味方が一人も居ない中で、そういう諫言は私にとって、とても貴重なものだわ」
自嘲気味にそう言うと、思わぬ叫びが返ってきた。
「私は、お嬢様の味方です!」
「……え?」
「少なくとも今、何があっても私だけはお嬢様に味方致します!……今までのお嬢様に対しては正直、良い感情は持てませんでした。主君に対して大変非礼なことであったことを、謝罪いたします。すみませんでした。でも、今のお嬢様、貴方は、私に『貴方が居てくれて、良かった』と仰って下さいました。私はその言葉に報いたいと、今、心から思います。」
真摯にそう言われて、狼狽える。
―――そんなに特別なこと、言ったかしら?何気無い一言で、何がカリーナを変えてしまったのだろう。それともこれは、主人公補正ならぬ悪役令嬢補正?いや、それなら逆に好感度が下がる方よね?
「勿論私が味方と言っても、頼りないだけかもしれませんが……」
またしても突然弱気になって小声でそう付け足すカリーナが、とても可愛い。
内心ではカリーナの変化に少し戸惑いながらも、味方になってくれるというカリーナに、心からの感謝の言葉を送る。
「いいえ、貴方が味方というだけで、私はこれからどんなことがあっても頑張れる。ありがとう、貴方にとって自慢の主人になれるように精進するわ」
「お嬢様……!」
何やら感激したように瞳を潤ませるカリーナに、正直少しおののいてしまい、数歩後退ったそのとき、大広間の扉が、突然開いた。
「―――何を、騒いでいる」
従者に扉を開けさせたその人は、幼い声ながらも人を従え慣れた、威厳のある声で、そう口を開いた。
―――誰?
多分今の私より幾つか年上のその少年は、輝く白金色の髪の毛にサファイアブルーの瞳。そしてとんでもなく整ったその顔。どこか見覚えのある色彩と顔立ちに、既視感を覚え、一拍置いて、理解する。
少年特有の幼さの残るその面立ちに、私への侮蔑と憎悪を込めた眼。可能なら私との関わりを絶ちたいとさえ思っていそうね。
あぁ、カリーナはあぁ言ってくれたけど、道はまだまだ先が長そうね。
そう思いながら、口を開く。確信を持って。
「騒がしくしてしまい、ご迷惑をお掛け致しましたことを、お詫び致します。申し訳ありません―――お兄様」