14.
二人はとにかく一刻も早く状況を説明しようと必死だったが、ヴィルト様はそれを制してしばらく考え込んだ後、おもむろにエヴァ様の方を振り向いた。
「エヴァ殿。申し訳ありませんが、再び場所をお借りしても宜しいですか」
鷹楊に頷いたエヴァ様は、森の方を一瞥して冷淡に答えた。
「構わぬ。邪魔なネズミ共が居ては落ち着いて話も出来ぬだろうからの」
「感謝します。……やはり、居ますか」
ヴィルト様は小さく嘆息して、私達に向き直った。
「話はエヴァ殿の結界の中で聞こう。……フロウ、君、幻覚の魔法って使えるのかな?」
声のトーンを落として、密やかにヴィルト様はフロウに尋ねた。
「水の幻影だけで良いんですか?土も混ぜたら人形作ることも出来ますけど。簡単な戦闘くらいならこなしますよ」
あっさりと答えるフロウ。何その即答、しかも万能か。……魔法って意外と簡単、なのかな?何か難しそうなのさらっと出来るっぽいけど。フロウってまだ15歳くらいよね?……見た目詐欺?童顔なだけ?うーん……言動は端々軽くて少年らしさもあるから、あながち間違ってないと思うんだけど。
―――いや、隣の単純人間代表が「嘘だろ……」と驚愕の表情で呟いているのが聞こえた。ただフロウが規格外なだけっぽいな。まぁ、出会い頭から有能そうな魔法使いの印象だったもんね。本人無意識系の。
私達の戸惑いを他所に、ヴィルト様は「幻影だけで充分だよ」と答えた。
「あまり近くまでは寄ってこないだろうからね。危害を加えるのが目的では無く、あくまで監視に徹するみたいだから。―――仕掛けるなら、もっと早く動いてる筈だよ。無能でないなら、ね。本物の無能なら、それはそれで問題ない。幻影だと気付いても何も出来ないさ」
笑顔だけど目が笑っていない。琥珀色の瞳が光を反射して金色に輝いている。綺麗だけど、何か怖い。まるで金色の炎が灯っているようなその瞳は、獰猛で綺麗な獣を連想させた。
「逃げないように監視兼牽制、ってとこかな。気配が解りやすすぎる。ルチア嬢を嵌めようとした者が遣わしたんだろうね。アルバニア家の放つ密偵にしては牽制にしてもおざなり過ぎるから。どちらにせよ、手の内を明かさない為にも、精々彼らの望む姿を見せてあげてくれるかな?」
「慌てふためいて、動揺しながら逃げる算段でもしてるような?」
面白そうにフロウが答えた。どことなくニヤリと悪い笑みに見えるのは気のせい?それに答えるヴィルト様の笑顔も、何か黒い。
「そうだね。精々滑稽で無様な僕たちの姿を、監視を命令した主に伝えて、それで油断してくれたら後々やりやすいからね。話の内容も所々相手に聞かせられる?」
「風の魔法を微調整すればいけますよ。風に乗って会話が聞こえてきた様に偽装すればいいんでしょ?」
動揺して思わず大声が出た、みたいに。と続けるフロウはどことなく手慣れている感がある。……実は間諜経験ありまーす!とか軽くカミングアウトしそうだなぁ、この人。そんなことは切実にお断りしたい。想像上のはずなのに、リアリティー凄い。イイ笑顔でピースしやがりましたよ、―――あり得そうで本当にやだ!
ヴィルト様は構わず、ただ笑みを深めた。
「いいね。それじゃあ、―――――」
* * *
ヴィルト様はフロウに指示した後、エヴァ様に視線を向けた。エヴァ様は心得ているとばかりに頷くと、一瞬の瞬く間に私達は先程の森の中に移動していた。
瞬間移動みたいなのに視界はブレることもなく、酔いもしない。一体どうなっているんだろう?と疑問に思うけど、今はそんなこと聞ける雰囲気でもない。
「さて。じゃあ、二人とも。報告を聞こうか」
ヴィルト様が静かに促すと、ハイルとカリーナは背筋を伸ばし、跪いた。まずは先にハイルが口を開いた。
「今、屋敷はとても混乱しています。いち早く情報漏洩を防ぐための厳戒体制が敷かれたので、まだ外部に情報は流出してはいないようですが、それもどこまで持つか……。内容が内容なので、皆保身の為に黙っているようなものです。王族への反逆罪として、御家取り潰し、最悪の場合には、一族郎党関係者含めて全員死刑もあり得ますから。」
「……混乱している割には、情報が統率されているんだね?」
誰もが青ざめる重い雰囲気の中、報告を淡々と聞き流し、ヴィルト様は問いかけた。ハイルは冷静なヴィルト様を前に、多少落ち着きを取り戻してきたのか、少し考えて答えた。
「そうですね……。きっと、皆、旦那様の指示を仰ごうと考えているのではないでしょうか。旦那様と奥様が明日戻られるなら、この事態を何とかして頂けるのではないかという期待があるからこそ、最悪の事態まで及んでないのかと思われます」
そこでチラリと私の方に気まずげな視線を寄越された。
何で見られたのかな、このタイミングで。嫌な可能性しか浮かびませんが?……えぇい、ハイルさんよ!明らかに複雑な感情の籠った目で見られても私には解りませんよ!
「……ハイル。言うべきことが有るなら、私に構わず報告してちょうだい。変に気を遣われても、事態は悪化こそすれ、好転しないわ」
私が出来るだけ感情を乗せずにそう言うと、ハイルは驚いたように目を見張り、言葉を失ったが、すぐに持ち直した。その瞳には先程まで見え隠れしていた、私に対する嫌悪感や疑念の色がほんの少しではあるが、薄くなっている。よしよし、順応性の有る子はお姉さん大歓迎だよ。え?順応性の無い子?もちろんうちの忠犬兄弟に決まってるじゃない。身内程私に慣れてくれないこの状況って何なんだ全く。いや全ては諸悪の根元が悪いんだけどね?
まぁそれはともかく、ハイルに再び促す。
「私の記憶を失う前の事は、多少なりとも聞き及んでいるわ。今まで見放されなかった事が奇跡みたいなものだもの。……落とし前をつけろ、ということでしょう?」
「……お分かりでしたか」
眉をくっと寄せ、しかし冷静に、ハイルは続けた。
「えぇ、お嬢様の言うとおりです。屋敷では、今までのお嬢様の行いと今回の容疑から、さすがに旦那様達も見放して責任を取らせるだろうという憶測と噂が蔓延しています。使用人も何人か姿を消し、お嬢様の記憶が無い今、お嬢様の独断で殿下への呪い魔法と横領を行い、アルバニア家は全く関与していないと旦那様が証言すれば、むしろ早期発見と犯人の拘束に貢献したとして家格を落とす程度で済む可能性が有りますから。勿論、殿下が命を落とすような呪い魔法ならその可能性も皆無となりますが、お見受けした所、その様なことも無さそうですし」
「この国、結構ユルくて平和主義だもんねー。王家にかなり近い公爵家だし、平和ボケした国民には一族郎党皆殺しは刺激が強すぎるかな。だから、出来るだけ死刑は敬遠したいだろうね。国民人気も高いアルバニア公爵なら尚更って感じ?」
いつの間にか私の横に居るフロウが口を挟んできた。
あんた、目眩ましの幻影だか何だかの魔法はどうした。その為に居残ってきたんじゃなかったの?
私の胡乱げな視線に気が付くと、「ちゃんと仕事はしてきたよー」と軽く返してきた。てへぺろはやめなさい。
茶化したかと思えばいきなり真面目な顔になって「それよりも、」と続けるフロウ。
「なーんかさ、キナ臭く感じるのは俺だけかな?」
あっけらかんと、核心を突く。
―――それは、私も思った。
「そもそも、お嬢さん達がそんなに驚く程、いきなり事態が発展してるのに外部に情報が未だに漏れてないって、凄く無理があるよね。噂なんて勢いでどこまでも広がるもんなのに。それって、アルバニア公爵を待って日和ってる屋敷の人達を完全に取り纏めてる人が居るってことだよね?……仕事が出来るのは結構だけど、ちょっと対応できすぎなんじゃないかな?まるで―――あらかじめ、その事を知ってたみたい、……だね?
それに、お嬢さんの記憶が無くなってすぐに発覚するってタイミング良すぎない?ご丁寧に共犯と思われる使用人まで一緒に姿を消したら、今のお嬢さんには潔白を証明する手立てが何も無い。―――記憶が無い、証拠も無い、証言者も居ないとくれば、後は日頃の行いと状況証拠のみでお嬢さんという生け贄が完成だ。真犯人にとっちゃあ、完全犯罪だね」
―――そう、真犯人にとってはね。……でも。
「しかし、今のルチアはその、……アルジェ、なんだろう?未だに信じがたくはあるが、あ、いえ、何でもないので睨まないで下さいエヴァ様。……それは納得、し切れてはいないが、するとして」
往生際が悪いですお兄様。
「……ならば、以前のルチアは何処へ行ったんだ?確か『ネレス』と呼んでいたか?以前のルチアならば、今現在掛けられている容疑も実際に犯行に移していてもおかしくない。むしろ、納得できてしまう」
―――そうね、そうよね、思うわよね。私もそう思います。
「しかし、その目的は何だ?金だけが目的なら、公爵令嬢でいるうちは困らないし、ヴィルト様を狙う意味がもっと分からない」
顔をしかめて、唸るように一人ごちるお兄様の言い分は、最もだ。誰もが疑問に思うことだろう。
―――ここらが、潮時か。
「……私は、『ネレス』が次の身体として乗り移った人物と、彼の者の最終的な目的について、ある程度心当たりがあります」
静かに、しかしはっきりと、今まで心に秘めていた事実を口に出した。
こんな事態になるなんて、考えもしなかった。できれば、もっと落ち着いて、信頼関係を育んでから打ち明けたかった。……でも。
もう、そんなことは言ってられない。多分だけど、一刻も早く手を打たないと、『ルチア・アルバニア』として社会的抹殺、もしくは直接的に生命を奪われてしまうだろう。ネレスの思惑はきっとそこにある。
ついさっき狙われたとき、私の事を『目障りな邪魔者』と言っていた。身体を乗り移る前にどれだけ計画していたのかは知らないけど、きっと今この状況はネレスの思い通りに進んでいて。
ヴィルト様に呪い魔法を掛けて命を奪い、領地経営のお金を奪って、『私』に全ての罪を擦り付ける。運良くヴィルト様の命は守られたけれど。
―――そんなこと、『私』が許せると思うのかしら。
心の中で、次から次へとドス黒い何かが吹き出てくる。ネレスに対する怒りがふつふつと沸いてきて、握りしめた掌に爪が食い込む。身体は熱いのに、しかし頭の中は逆に冷水を流し込まれたように冷えていて、とても冷静に思考が働いているのが自分でも分かる。
ヴィルト様の命を狙うことも、心底許せない。でも、領地経営のお金ということは、そこに住む人達の生活を脅かすということだ。仮にも社会人として仕事してお金を稼いでいた私には、その意味が解りすぎるほど、解る。日本程、文明も進んでなさそうで、身分という壁に圧迫されているこの世界を生きている人々の暮らしは、きっと私の想像なんかよりもとても過酷だろう。お金が無くて、救えたはずなのに救えない人、命を喪う人も多いだろう。特に正義感なんて持ってる訳じゃないけど、そんな私でも、思う。
―――ネレス、絶対、赦さない。必ず見つけ出す。ヴィルト様を守りきって、お金も取り戻して、領民も守る。
普通の令嬢として華々しく生きたいってのはただの願望じゃないのよ?貴族として生きるなら、その責任くらい、わきまえてる。だてに前世で25歳まで年食ってた訳じゃないのよ。社会的責任や身分社会の在り方ってもんを身に付けるには充分な人生だったわ。同じ日本に住んでいただろうに、ゲームに溺れて全く世界も人の事も知ろうともせず、分かってないだろうネレスには―――。
退場、してもらいましょうか。
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