Ver.ヴィルト・フードゥクリマ《2》
それにしても、と思う。
彼女がエヴァ殿の所から帰って来て、明らかにミリアンナを示唆する伝言を聞いた時、思ってたより動揺が少なかったのには、自分が一番驚いた。
ミリアンナが居なくなった時には、世界が終わるほど絶望したのに。
ミリアンナの行方の情報は、喉から手が出るほど知りたかった。
でも、激昂するライルに掴まれている彼女の細い肩が、怯えたようにすくむのを見た瞬間、思わずライルを諌めていた。
本当なら一緒になって問いただすべき場面だと思う。
ミリアンナを、あのかけがえのない精霊を、切望する一人の男として。
「あぁ、認めよう。心の底から『彼女』の行方は知りたいさ。」
それは、紛れもなく、真実で。本音以外の何者でもない。
「だけど、エヴァ殿は俺達に、「自分達でちゃんと探せ」とも言っている。これ以上の情報はくれないだろうな。」
あの男嫌いの精霊が、ヒントをくれただけで驚きだ。
何せとても気難しい精霊で、俺達をミリアンナに近づく害虫扱いするばかりでなく、視界に入れるのすら嫌がる。この前出会った時には、追い返すついでとばかりにミミズを視界いっぱいに落とされた。あれは、地味に、寒気がする光景だった。しばらくパスタが食べられなかったのは余談だ。
「近くにいると分かっただけで充分さ。『彼女』は存在していると知れたんだから。それに、ルチア嬢は何も知らないんだ。問い詰めてもしょうがないよ」
―――――今はね。
頭の中で一言付け加えるけれど、顔には出さない。
彼女相手に、手荒なことなんてしない。
でも。
呪い魔法の件が片付いたら。
解放されて、ほっと一息ついている彼女をそっと見やる。
………………その時は、覚悟してね?
じわじわと外堀を埋めて、逃げられないようにしてから、君に聞こう。優しく、紳士的に、穏やかに。
どれだけ長い時間が掛かろうと、構わない。
―――――――――――だけど、絶対に、逃がさないよ。
視線を感じたのか、キョロキョロと周りを見回し始めた彼女と目が合った。にっこりと笑い返す。
何故か少し寒そうにしている。湖の近くだから、冷えたのかも知れないな。
聞いてみたら、「何か唐突にブルッときまして」と返された。
* * *
結果は、予想以上だった。それは認める。
でも、予想外のおまけがついてきた。
誰だあの男?
いや、面識はある。呪い魔法を掛け、掛けられた間柄だ。ある意味知人と言えなくもない。
けど、面倒くさそうに、ダルそうに、やる気無さそうに襲いかかってきたあの時の男と同一人物とは到底思えない。
彼女はどんな魔法を掛けたんだ?
…………面白くない。
とても、面白くない。
しかも名前を貰った?
秘密を共有する仲?
主従関係になりたい?
…………ブッ殺してやりたい、と思ったのは、人生で初めてかも知れない。
とは言え、そんな本音は口に出すことは出来ず、回りくどく反対するも、フロウと(業腹だけど)名付けられたという男は、彼女と契約を結んだ。脅しを取り混ぜた時、ライルとフェルの反応を見ていた辺り、抜け目が無くて余計腹が立つ。
こちらの関係を正しく把握しているらしい。
僕も彼女も、何だかんだでライル達に甘い。
ミリアンナが居なくなった時、ライルとフェルが居なければ、僕は僕で居られなかっただろう。
彼女も、記憶が無いながらに、酷い言葉を投げられようが、肉親だからと許してしまっている節がある。(……少しくらいは、言い返しても許されるくらいのことを言われていると思うんだけど。)
でも、それらの関係性を、この短時間で見抜くフロウは、かなり人間観察に長けており、世慣れていることを感じさせる。
兄上と同じくらいの年齢に見えるフロウは、油断のならない所もそっくりだ。
きっと、分かりあえる日は来ないと確信する。
だけど、ある意味僥倖かもしれない。彼女を守る人間は多いに越したことはない。今までの所業のせいで、ルチア嬢には敵が多いから。とばっちりのようで彼女には気の毒だけど、現実は変えられない。ライルとフェルを見る限り、明らかに今までとは違っても、周囲の彼女への見方を変えるには、時間が掛かるだろう。
その間の番犬としては、フロウは優秀だろう。
―――と、理性で納得しても、本能的に納得出来ないのは仕方がない。
だけど取り敢えずは呪い魔法を解く方が先決、と自分に言い聞かせて、フロウがひび割れた指輪を破壊する瞬間を見守る。
すると、予想もしなかったことが起こった。
―――――ダメじゃない。そんなことしたら、ゲームが始まらないわ―――――
耳元で聞こえた、聞き覚えの無い、声。
甘ったるく耳に残るような、どこか底知れない、無邪気を装った声が。
――――誰だ?
周りを見渡している間に、何故かフロウと謎の声は知り合いのように話している。
「でも、もう遅いよ。王子様を害するには、魔力不足だろ?精神の残滓だけでは生命力のある王子様に手出しできないよ」
…………狙いは僕なのか?
命を狙われる事には慣れているので、身構える。
魔法は使えなくても、服の内側に仕込んだ短剣に手を伸ばし、襲いかかられた時に備える。
しかし、謎の声はフロウの言葉を否定した。
―――――そうね。そっちはね。でも、もっと目障りな邪魔者が居るの―――――
言葉が終わるか終わらないかの内に、指輪から禍々しい気配が出て来て、彼女を取り巻いた。
自分もフロウも動いたが、間に合わなかった。
あっという間に禍々しい気配に囲まれた彼女は、抵抗虚しく意識を失い、ガクリと前に倒れこむ。
僕には、彼女の身体を受け止めて、支えることしか、出来なかった―――――。
何が起こったのか、分からなかった。
途中までは、順調過ぎるほどに事が進んでいたのに。
自分の命が狙われるなら、分かる。その為の準備は怠っていなかったし、油断も無かった。
だけど。
まさか、彼女が、狙われるだなんて、想像もしなかったんだ。
呆然とする僕たちの前には、ただのルチア嬢の身体か横たわっている。何が起こったのか分からないライルとフェル。舌打ちをせんばかりに、ルチア嬢の身体の魔力を探るフロウ。
そして、僕は。
ルチア嬢の身体を前に、ただ、抱き締める。
身内以外の男が、令嬢に触れることの重大さは知っている。貴族の間の、禁忌。百も承知だ。でもそんなことに構わず、ただ、強く抱き締める。それしか出来なくなってしまったかのように。
意識しないまま、口からは言葉が漏れていた。
「また僕を置いていくのか―――?」
自分が何を言ったか理解する前に、ルチア嬢の身体が、突然光り始めた。正確には、耳の辺り。さっきまでは無かった……これは、エメラルドのイヤリング?
そういえば、エヴァ殿の所から帰ってきたとき、貰ったと言っていたのを思い出す。
光り始めたイヤリングは、その輝きを強め、より大きく、何かを形取り始めた。それは、段々人の形を取り始め、ルチア嬢の身体の横に顕現した。
「―――――エヴァ殿」
* * *
現れたエヴァ殿は、目を閉じていた。
しかし、次の瞬間。
カッと目を見開き、叫んだ。
「こんの愚か者ォォォ!!」
バッシィィィッッ
どこからともなく取り出したハリセンで、どつかれた。
……痛い。
「指を咥えてただかっ拐われるのを見ているとは、お主達は案山子か!こけしか!木偶の坊なのか!せっかく戻ってきたことを教えてやったというのに……これだから男は役立たずなのじゃ!役に立たんならその手足も大事なものも、全部ちょん切って千切りにしてしまえ!残った胴体だけは温情として案山子にしてくれる!」
…………凄い剣幕で捲し立てられた。相変わらず男に手厳しい。
「……何この美人さん。案山子好きなの?」
ズレてるフロウは放置するとして。
「エヴァ様、案山子にするのが温情っていうのはどうかと……」
フェル、そこでもないよ。
「案山子はともかく。『こけし』とは……?」
ライル、お前もか。
一つ嘆息して、エヴァ殿に向き合う。
「案山子はもういいです。それよりエヴァ殿。教えていただけますか。彼女がどうなったかを」
「抜け抜けと!ようも言えたもんじゃな!役立たずめが!」
「重々承知しています。しかし、貴方の様子を見る限りでは、まだ、間に合うのでしょう?」
「………………」
キィキィと喚いていたのが一転、唐突に黙りこんだ。
多分、エヴァ殿は僕が気付くかどうかを見極めている。
なら、あと一押し、核心に踏み込めば。
「彼女は、ミリアンナでしょう?」
「――――気付いたか」
どこか、力が抜けたように、エヴァ殿は呟いた。
「気付いたなら、良い」
「それで、彼女は、いや、ミリアンナは、どうなったのでしょうか」
「心配せずともすぐに帰ってくる。いや、送り返してくれるはずじゃ。」
「送り返してくれる?誰がですか?」
「…………帰ってきたら、説明してやろう。」
そう言うと、エヴァ殿は、再び光り始めたかと思うと、急に姿を消した。
そして―――――――。
「――――んんぅ……」
僕の腕の中で身動ぎした彼女の瞼が震え、少しずつ、最高級のサファイアのような瞳が見え始める。
前の、綺麗な金色の瞳も好きだったけど、青空のようなサファイアブルーも、とても似合うね。君の心を写し取ったみたいだ。
もう、言えないかと思った言葉を君に贈りたいんだ。
「もう……絶対に離さないから。覚悟してね、―――――僕の精霊」
―――――おかえり。
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