Ver.ヴィルト・フードゥクリマ《1》
何が起こったのか、分からなかった。
途中までは、順調過ぎるほどに事が進んでいた。
呪いの魔法がもうすぐ完全に解ける、というところで、指輪から禍々しい気配が出て来て、今度こそ命を直接狙われるかと思った。
今まで、幸運が重なって、王位争いに巻き込まれなかったけど、いずれ命を狙われる事は分かっていたから、準備は怠っていなかったし、油断も無かった。
なのに。
まさか、彼女が、狙われるだなんて。
* * *
元々、ルチア嬢に対しては、何の感情も持っていなかった。
向こうも僕のことを取るに足らない存在と捉えている節があったけど、王族相手に不敬だと騒ぐほどの関心も持てなかったし、お互いに不可侵が、暗黙の了解のようになっていた。
だけど。
久しぶりに出会った彼女は、何から何まで以前のルチア嬢とは違った。正直に言えば、彼女に会う寸前までは、僕に呪いの魔法を掛けた主犯はルチア嬢だと疑いもしなかった。ルチア嬢は僕の後ろ楯になってくれているアルバニア家の一員ながら、明らかに第一王子の方にすり寄っていたから。でも呪い魔法の件を王である父や、ライル達の父親である叔父上に報告せず、一時とはいえ内密にしたのは、ひとえに今回の呪い魔法を掛けるに当たっての、本当の黒幕を突き止める為だった。
今回の件が、もっと上の人間に使い捨てにされようとしているのか、或いはルチア嬢自身が思い立って行動したのかが分からなかったから、ルチア嬢に直接会って問いただそうと思っていた。本当の黒幕が他に居るのなら、根こそぎ潰さないと、意味がないから。だから、多少非道な手段を取ろうが、ルチア嬢に容赦はしないつもりだった。でも、会った瞬間に、彼女は違うと思った。
何故かは分からない。何が違うのかも分からない。ただ、違うと、感じる。だから、様子を見ることにした。
そしたら、予想以上に、面白かった。
最初、僕の正体に気付いていなさそうだったから、何気無く暴露してみたら、猫が寝起きに犬と遭遇したように、しばらく硬直してから、不意打ちに対する不満を隠しきれない、微妙な顔をされた。何故早く教えてくれないのか、と言わんばかりのちょっと不貞腐れたその様子に、ルチア嬢に対して、初めて可愛いと思った。(見た目が非常に整っているのは理解していたけど、今まで可愛いなんて、微塵も考えた事が無かった。)
本人は表情に出してないと思い込んでいたみたいだったけど、全く隠せていない所が、また可愛らしく、微笑ましかった。
そして、事件の中で犯人を捕まえた方法を聞かれたから、僕に魔法が効かないことと、犯人を拘束した魔法道具による風魔法の効果を、纏めて説明しやすいように実践してみたら、その最中にまさかのドラゴン召喚だ。小型とはいえ、精霊獣の中でも最高位のドラゴンを召喚するなど、かなりの魔力量を有するか、よっぽど精霊に愛された愛し子にしか出来ない。
精霊と精霊獣は、魔力組成という点では同じだけど、そのランクによって召喚の難易度は大きく異なる。低位の精霊なら誰でも召喚出来るが、最高位のドラゴンなんて召喚しようと思えば、精霊の王を召喚するくらいの魔力が必要になるはず。稀に、精霊の愛し子と呼ばれる精霊の加護を人並み以上に受ける人間が居て、魔力量の上限を越えた魔法を使ったり、上位の精霊召喚を行うことも出来るらしいけど、それでもドラゴンなんてそうそうに召喚は出来ないだろう。
僕も、魔力量が少ない割に、精霊の姿を見たり魔力を可視化出来るのは、精霊の加護が大きいからだと以前叔父上に聞いたことがあるけど、ルチア嬢もそうだなんて、聞いたことがないし。
でも、面白いと思った。
ドラゴンを召喚したこともそうだけど、今のこの彼女なら、僕に呪い魔法をかけた犯人相手にどうするのか、興味が沸いた。
呪い魔法とは言っても、何故かすぐ死に至るものではなく、慢性的な、しかもただ眠り続けるだけの呪い魔法を掛けてきたあの男。
何となくやる気無さそうに、面倒臭そうにするものだから、思わず最後に油断して呪い魔法を受けてしまった。全ては演技だったのかと思えば、やけにあっさりと捕まり、抵抗もしない。呪いも即効性は無く、日に日に睡眠時間が長くなっていき、そのうち目覚めなくなるという、生易しいもので、正直、ぬるすぎると思った。黒幕を吐かせようと思えば、あっさりと『ルチア・アルバニア』に頼まれた、と自供したあの男の真意は、未だに全く読めない。そのくせ魔法の腕は確かで、掛けられた呪い魔法は何をしても解ける気配が無かった。精霊を召喚して頼んでみても、悲しそうに首を振られたのは記憶に新しい。
だから、この目の前の彼女と会わせてみたら、どう反応するかを見てみたかった。依頼主だという『ルチア・アルバニア』を目の前に、あの男はどうするのか。
彼女がどう『悪役令嬢』を演じてくれるかも、楽しみだった。まぁ十中八九、今の彼女に『悪役令嬢』は無理だと分かっていたけれど。
それにしても彼女が以前のルチア嬢と違うのは、ルチア嬢に近しい人間程気付けないようで、明らかに別の行動を取る彼女に目を白黒させるライルやフェルの様子は、端から見れば面白かった。あんなに違うのに、すぐに気付けないのは、何故なのだろうか。……以前のルチア嬢の行いが酷すぎて目が曇っているのかもしれない。気持ちは分かるけど。
ただ、湖に着くまでに、僕にも全く予想外の事が起こった。
湖に近づき、地面がぬかるんだところで、令嬢には無理だろうと思って抱き上げた時。
一瞬、全身が、震えた気がした。
身体中を巡る魔力が何故か一気に膨れ上がった感覚。
全ては一瞬のことで、彼女を乾いた地面に下ろしてからようやく認識できた。
呪い魔法を掛けられた瞬間から感じていた眠気や脱力感、倦怠感が、そして全身に違和感として存在した呪い魔法の気配が、一気に遠退いた。それはもう、まるで波がザッと一気に引くように。 全部が無くなった訳ではなく、どちらかと言えば、僕自身の魔力が瞬間的に大きくなって、呪い魔法を押し退けたような感覚。
つまり、呪い魔法が、ほぼ解けている。
あんなに解けなくてライルとフェルを心配させたのに。
精霊召喚しても無理だと首を振られたのに。
これから術者である犯人と交渉しようとしていたのに。
あくまでも解けなかったときのための父上や叔父上への言い訳も考えていたのに。
こんなにも、簡単に。
しかも、確実に今呪い魔法がほとんど解けた原因である彼女は。
「だだだ大丈夫ですか腕と腰と足!!ヴィルト様私より少し年上なだけでしょ!今筋肉に大きな負担かけると身体への負担が大きいんですよ!私ドレスもあるから絶対重い!駄目!」
凄い勢いと剣幕で見当違いのことを捲し立てていた。
魔力が少なくて魔法は使えないものの、その辺を漂う風の精霊が好意で力を貸してくれたので、抱き上げるくらいは造作もなくできる。重さなんて全然感じない程だ。むしろその焦りようが面白くて可愛くて、純粋に自分を心配してくれるその心が、ただ嬉しくて愛しい。
余りにも簡単に、呪い魔法が軽減されてしまったことや、彼女の可愛らしさに、込み上げてくるものを必死にやり過ごそうとするも、なかなか上手くいかず。
我慢しきれず、吹き出してしまった。
さらには、『人間誑し』ときた。何だそれ。王宮や社交界で『呪いの王子』、『王族の落ちこぼれ』と言われているこの僕に、そんなこと言う人間なんて、他には誰も居ないのに。当たり前の常識みたいにキッパリ言われた。それがまた、笑いの壺を刺激する。
……こんなに笑ったのは、いつぶりかな。
呪い魔法も自分の心も、彼女にとっては何て簡単なものなのか。ミリアンナを失って渇いていた自分の心が、彼女によって、造作もなくいつも通りの通常運転になっている気さえする。
彼女は一体何なのだろう。以前のルチア嬢とは姿形以外似ても似つかない、僕の心を簡単に揺さぶる彼女。
呪い魔法の一件が片付いたら。
聞いてみたら、教えてくれるだろうか。
記憶が無いと言うけれど、その割には年齢以上に大人びた話し方をする彼女。
思慮も分別もしっかりしていて、それでいてどこか抜けている可愛らしい彼女。
それだけでも、充分興味深いのに。
『「慣れることが、大丈夫だということではないでしょう?」』
落ちこぼれだと、卑下してみせた僕に掛けられた言葉。それは、以前にも聞いた言葉で。
あれは、王宮での行事の最中、潜める気もない陰口を散々叩かれた日。自室に帰ってから、一人落ち込んでいたら、ライル辺りに聞いたのか、ミリアンナが傍に来て、隣でずっと背中を撫でてくれた。実体の無いはずのその手に温もりを感じて、不覚にも泣きそうになり、精一杯強がって、「大丈夫、慣れてるよ」と言った時。ミリアンナは言った。
『「慣れることが大丈夫って訳じゃないでしょ。慣れないでいいの。大丈夫じゃないときは素直にちゃんと言って?いつでも飛んでくるから」』
にこりと笑った、その時のミリアンナは、見た目は僕より幼いのに、姉のように、母のように、慈しみの瞳を向けてくれた。
今、あの時と同じ言葉を言われて。
一番大切な精霊を思い出す。
急に居なくなった精霊。急に人が変わったような彼女。
そのことに、何か関連がある気がして、ことりと胸に、一つの灯火がともる―――――。
ブクマ&評価&感想、誤字報告ありがとうございます!
長くなったので、分けました。まだ王子様のターン続きます。出来るだけ早く投稿したいとは思ってます。これまでの話の王子目線なので、読み比べてもらったら、分かりやすいかも?しれません。




