Ver.フロウ《1》
俺は、逃げてきた。逃げて逃げて、辿り着いた先でもまた、逃げた。
俺は、ユーリ・ラーゴットという名前で、ラーゴット家に生を受けた。
ラーゴット家は大陸の西端にある国、ドルマン国で、代々侯爵位を授かっている家だ。東に、周りを豊穣国と呼ばれる実り豊かなフードゥクリマ、南に、貿易国と呼ばれる海に面したツィアード国、北に、発展国と呼ばれる土地が痩せている故に貪欲な知識を欲するダグラス国と国境を接している。そんなドルマン国は、魔法国と呼ばれている。その魔法国の中でも、ラーゴット家は魔法の権威と言われるほど魔法に精通した家だった。王宮魔法使いを幾人も輩出し、魔法研究にかけては特に突出していた。
父は王宮魔法使い筆頭で、叔父は新しい魔法を研究する部署の統括者。兄は俺より7歳年上で、15歳で学園に入ってからは魔法の天才少年と呼ばれていた。隣国の学園に留学するほど優秀で、勉学はいつも主席。学園内で神童の名前を欲しいままにしていた、らしい。……俺が直接学園内の兄を見聞きした訳じゃないからな。
そんな俺の家族の輝かしい功績をいつも俺にこんこんと言い聞かせてくるのは家庭教師だった。いかに魔法の才能に溢れ、素晴らしい人格で、周りの信頼厚い、類い稀な傑物であるかを熱っぽく語る。
―――――それに比べて俺が、どんなに劣っているかも。
俺は、貴族に有りがちな私生児だ。父親が若い頃に手を付けた母親に育てられ、母子二人で細々とやりくりしながら生活していたが、母が病気で息を引き取ったあと、父親が迎えにきた。父親が言うには、母とは想い合っていたが、俺を身籠った時に父親の為を想って身を引き、姿を晦ましていたらしい。身籠っていることは伏せて、父親宛ての謝罪の手紙を残してきたそうだ。正妻の手前、大掛かりな捜索もできず、数年経ってしまったが、自分が病気で先が長くないと悟った母から送られてきた手紙で、俺の存在を知ったらしい。俺の事を頼む、と手紙には書いてあったと父親から聞いた。
正直、放っといて欲しかった。
父親が迎えにきたのは俺が7歳の頃。人格形成なんてとうに終わってる。そんな歳から貴族の世界に放り込まれたって馴染めるはずがないし、何より環境が酷すぎた。
父親の正妻とやらは政略結婚だったらしく、俺の目から見ても二人の間に情というものは存在しないように見えた。父親は正妻に対して最低限の気遣いをしていたが、それはただの義務感からくる行為にしか思えないものだった。
父親は、兄と俺、二人の息子に対しては平等に接した。どちらかを優遇したり差別することもなかった。ラーゴット家に仕える者達にも俺達に関する扱いを同じにするよう命令したらしく、表向きは俺も貴族の子息に対するような扱いを受けた。
そう、表向きだけは。
父親は王宮魔法使い筆頭という立場上、王宮に勤めている時間が長い。父親が仕事に行く間、家の主人は留守を預かる正妻となる。亡くなった俺の母を、未だに目の敵にしている女に。
生まれながらに貴族で、プライドが高く、優秀な息子を授かっていても、父親の愛を得られないことが屈辱だったのだろう。父親が母を探さなかったのは、正妻から守る為もあったのかもしれない、と気付いたのは父親が不在の時に受けた仕打ちの最中だった。
顔や身体に痕が残ると父親にバレる、というくらいの頭はあったらしい。食事を豚の餌に変えられる、顔も見たくないから部屋に軟禁される、という軽いものから、魔法を使っての拷問じみたものまで多種多様の嫌がらせを受けた。一番記憶に残っているのは身体中の水分を『火』と『水』の混合魔法で温度を上げ、血が沸騰するような、焼けて死んでしまうのではないかと思うような魔法を受けた時のことだ。身体中に水膨れが薄く出始めた時、「あら、これは痕が残るから駄目ね。残念だわ」と感情の籠らない声を聞いた時、心底ゾッとした。
毎日、父親の居ない昼間の悪夢のような時間を、誰も助けてくれない絶望の日々を、どれだけ過ごしたのだろう。いっそ殺してくれたら楽なのに、と考え始めた頃、何故か俺は別宅に移された。
別宅は使用人が執事とコックとメイドが一人だけで、最低限の人数だった。しかも俺に干渉してくることなく、放ったらかしにしてくれたので、天国のように思えた。どうやらその三人は正妻の息が掛からない、父親の用意してくれた人材だったらしい。
でもそれも、長くは続かなかった。
10歳になる頃、家庭教師が来るようになった。14歳で社交デビュー、15歳で学園に通い始めるので、マナーと魔法について学ぶ為らしい。その家庭教師は、俺の全てを否定した。それも、対外的にはバレないように、陰湿なやり方で。
マナーはまだマシだった。生来小器用だった俺は、本宅に居た頃の父親や正妻、兄の仕草や姿勢、言葉遣いにテーブルマナーなど、見て真似するだけで割りと習得できていたので、家庭教師に文句を言う隙を余り与えずに済んだ。しかし、魔法だけはどうにもならなかった。
本来魔法とは理論を学んで、手本を見て、それから実践に移るところを、その家庭教師は一足飛びに実践から要求してきた。そして出来ない俺を見て、「お兄様は貴方の年にはこれの応用を習得されていましたよ。嘆かわしい」だの、「やはり下賤の血が混じっていると……」だの言ってくるのだ。だからといって俺が魔法書を読んで独自に勉強し、出来るようになった魔法を目にすると、今度は父親や兄、果ては血縁関係にある叔父や従兄弟の優秀さをこれでもかと言うほど熱弁してくる。それに比べて俺はどんなに劣っているか、稚拙な魔法の構成なのかと貶める為に。
別にどう言われようと構わなかったと言えば嘘になる。
まだ幼かった俺は、自分を否定される言葉を延々と聞き続けて平気で居られる程、強くはなかった。ただでさえ、別宅の中は閉じた世界。使用人は関わって来ないとはいえ、それは逆に親しくできる人間が居ないということでもあったのだから。でも、家庭教師は更に悪辣な手段で俺を追い詰めてきた。
俺が興味を示すもの、関わったものを排除するという、最悪な手段で。
一番最初は、魚だった。庭の池に居た数匹の魚達。毎朝、暇潰しに餌をやって、多少なりとも愛着が湧いていた。その魚達が、ある日の魔法の授業中にぷかりぷかりと池に浮き始めた。家庭教師は、俺が魔法に失敗したからだと執事に説明していたが、俺には、家庭教師が放った魔法が見えていた。しかし、それを言うことは出来なかった。証拠が無いし、使用人に関わろうとしなかった俺より、愛想の良い家庭教師の言い分が通ることが予想できてしまったからだ。
その事があってから、生き物に興味を示さないようにと気をつけていたが、ぼんやりと見ていた小鳥や、視界に入った憐れな猫など、俺に関わるとこんな末路になるんだ、と言わんばかりに残酷な殺され方をしたものが後を絶たなかった。
次第に生き物に関わることを怖れた俺は、書庫に入り浸るようになった。せめて魔法について学び、家庭教師を黙らせようと思ったからだ。父親が用意してくれた子ども向けの本はとっくに家庭教師に排除されていたが、さすがに学習用の魔法書は残っていた。魔法書と向き合っている間だけは、自分の存在を否定されることもなく、知識を蓄えている実感もあって前向きになれた。
ある日、書庫の魔法書をほぼ読み終え、書庫でまだ読んでない本は無いかとさ迷っていると、本棚の一角に、本が疎らに配置されているところがあった。丁度子どもの目線だから気付けたのだろう、疎らな本の奥に、黒いレバーが見えた。興味本位で俺は、本を取り出し、レバーを引いた。すると、本棚が左右に割れ動いて、扉が間から出てきた。鍵もかかっていないその扉を開けた俺は、狭く小さな本棚があるだけの殺風景な部屋に足を踏み入れた。本棚にある本は、どれも魔術について書かれていて、古く、歴史を感じさせる装丁のものばかりだった。
その日から、俺はその秘密の部屋の本を読むことに夢中になった。その頃は世間の魔術に対する認識なんて知らなかったし、本の内容に危険なものもあったけど、好奇心の方が勝ってしまった。でも秘されているものだということだけは分かっていたので、こっそり覚えた魔術を人前で使ったりすることは決してしなかった。(覚えたと言っても、魔術には力ある依り代が必要だが、そんなの簡単に用意できるはずもなく、月の光を浴びせた水とか、装飾品の一部の小さな宝石とか、ささやかなものだったから、効果も知れていたし、問題は無かった。)でも魔術を覚えると次第に、相対する相手の魔力のオーラのようなものが見えるようになってきた。
相手自身の持つ魔力は薄く、精霊の加護によるものは濃く見えるそのオーラのようなものは、属性の色が混じり合った絵の具のように一人一人違う、という細かい違いまで気づけるようになったのはつい最近で。その頃は、魔法を使えばその流れが見えるようになってきた、というくらいの認識だった。魔力が見えた所で、特に役立つことなんてないと思っていたしな。
だから、俺は、間違えた。
ブクマ&評価&感想、そして誤字報告ありがとうございます!
別人物視点、《フロウ》バージョンです。長いので2話に分けました。
一気に書いたので、粗が目立つかも知れませんが、お付き合い頂けると幸いです。




