8:異変の幕開け
すっからかんになった風呂敷を手に、ナイアと名乗った褐色少女は笑いかけてくる。
「いやー、今日はありがとネーお兄さん! 完売なんて初めてだヨ~」
「おう、気を付けて帰れよー」
いやぁ、良いことをした。満足満足。……と思いたいが、やっぱりほんの少しだけ後悔はあるかなぁ。
10万ゴールドなんて、少し前の俺からしたら一か月分の稼ぎに等しいからな。それをポンと手渡してガラクタゲットとか、何やってるんだか……。
(結局、鞘の件も解決してないしな)
まぁいいか。金に困ったらまたダンジョンに潜ればいいし、鞘も適当にどこかの武器屋で作ってもらえばいいだろ。
そうして俺がズタ袋に詰まった大量の玩具を手に、立ち去ろうとした時だった。
「あっ、そーだお兄さん! お礼としてコレをあげるネーッ!」
そう言うとナイアはブルンブルンと揺れる胸の谷間に手を突っ込み、そこから刀の鞘を取り出したのだった……!
「ってなんだそりゃあああっ!? いくら無駄にデカい乳とはいえ、そんなもんどこに入ってやがった!?」
「ふふふ、ナイアちゃん手品ヨ~!」
「……お前、露天商なんてやるよりもその芸で稼げばいいんじゃないか?」
「ハッ、その発想はなかったネ!?」
いや真っ先に思いつけよ!? 本当に商才ないなコイツッ!
身体付きだけなら俺の知ってる中ではナンバー2に入るくらいなのだが、残念なことに頭が身体に追い付いていない様子だった。
……ちなみにトップは馴染みのギルド受付嬢だ。大人しい顔付きをしているが、実はものすごい凶悪ボディの持ち主としてアーカムでは有名である。
(あっちは頭もすごく良さそうなのになぁ……)
ナイアの残念っぷりに改めて呆れていると、彼女は無邪気に笑いながら鞘を手渡してきた。うわっ、まだ生温かい上に、乳の匂いが染みついてやがる……!
「……ってこれ、俺のムラマサにピッタリのサイズじゃないか。どうして……」
「ああ、あのボロ刀ってお兄さんの手に渡ってたのネ! アレ、この国に持ち込んだのワタシヨ! 東洋の潰れた神社からパクってきたネ!」
ちなみに鞘は渡し忘れたヨ~と事もなげにナイアは言う。
って武器屋の親父が言ってた色黒商人ってお前だったのかよ!? しかも何やってんだ……神社って言ったら、この国でいう教会みたいなもんだろうが! あと鞘だけ貰っても他の人なら困ってたから……!
もうダメだ、ツッコミきれない……!
思わず黙り込んでしまった俺の肩を、ナイアはゲラゲラと笑いながら叩いてくる。
「ニャハハハ! アレを買っていったハゲのオジサンもそうだけど、お兄さんも物好きネ~! たしかに≪魔剣・ムラマサ≫って名前で奉納されてたけど、あんなのが魔剣なわけないのに~! プークスクスクス!」
「いや、あれマジで魔剣だったぞ」
「ファッッッ!?」
まさかの事実に奇声を上げて固まるナイア。
いや、ビックリしてるのは俺もだよ……。神社からパクってきた数千万もする魔剣をタダでプレゼントしちゃったとか、もう商才がないとかそんなチャチなレベルじゃ断じてねぇ……! こいつ、貧乏神か? 貧乏神の化身なのか……ッ!?
(こ、このナイアとかいう女、ヤバい……ッ!)
金をドブに捨てることに特化した奇跡の商売センス――間違いない、こいつは時代を(悪い方向に)変える力を持ってやがるッ!
ナイアの持ってる底なしの残念っぷりに戦慄していた時だ。彼女は静かに姿勢を正し、胸の谷間からキラキラと光るナニカを取り出すと、恭しく俺に差し出してきた。そして真剣な顔で言い放つ。
「――これ、河原で遊んでる時に拾った綺麗な赤い石ころです! 魔剣を返せとは言いませんから、これを5000万ゴールドで買ってくれないでしょうかッ!」
「って誰が買うかッ!?」
そもそもそんな金ねーよッ!
「今なら処女膜も付けますからーーーーーーー!!!」
「もっと自分を大事にしろーーーッ!!!」
泣きながら足元に縋りついてくるナイアだったが、そんなことされてもドン引きするだけだわっ!
……そうして言い争うこと数分。結局、俺は例の赤い石ころを5万ゴールドで買ってやることにしたのだった。ちなみに処女膜は返却しておいた。
「ありがとうね、お兄さんっ……! 本当に本当にありがとうねぇ……! お兄さんは人の鑑ヨ……っ!」
「ああ、うん……元気に暮らせよ……」
……まさか人外になってから人の鑑扱いされるとは思わなかった。
はぁ、ナイアのことを散々アホの子扱いしてきたが、もしかしたら俺も人のことは言えないのかもしれないなぁ……。
◆ ◇ ◆
頭も身体もフワフワな褐色美少女・ナイアと別れた後の俺は、ダンジョンに向かうべく街の通りを歩いていた。
精神的に疲れたし宿に戻ってもよかったのだが、ここにきて恐れていた『食人衝動』が出始めてしまったのだ。ナイアから買い取った玩具の手鏡で自分の顔色を確認すると、白を通り越して青白くなり始めていた。これはやばい。
(くそっ、ほんの数時間食べなかっただけで、身体が劣化を始めてやがる。早く『その辺にいる人間を』――じゃなくて魔物を食べないと、どうにかなっちまいそうだ……)
アンデッドの身体になるというのはこういうことか。道を歩いてる人たちが、全部食べ物に見えてきやがった……!
急激に増大していく飢えと渇きに耐えながら、街の通りに堂々と居を構えた冒険者ギルドを横切ろうとした時だ。建物の中から、馴染みのギルド受付嬢が血相を変えて飛び出してきた。
彼女は息を大きく吸い込むと、道行く人々に向かって言い放つ。
「――アーカムの皆さま、緊急事態ですッ! ≪ルルイエ洞窟≫にて、魔物の大量発生が起こりましたッ! 約3万体もの魔物たちが、この街に向かって侵攻していますッ!!!」
悲鳴にも近い彼女の叫びが、平穏な街に響き渡った。
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