情意投合の章
参 志賀の陣
「久しいな九郎。互いに死んだ身で元気かと訊くのもおかしな話だが」
信長は志賀の陣で亡くなった弟信治と対面した。
「右は嫡男の奇妙丸。今は三位中将信忠と名乗っておる。左は末弟の又十郎長利だ」
信治が亡くなったのは数えで二十七歳。今の信忠とはほぼ同年だ。
「お久しぶりです叔父上」
「お若くて羨ましいですよ。兄上」
「若いのは見掛けだけだ。中身は十二年分年を取っておる」
見掛けと口調が合わない信治であった。
「他の兄弟とは会ったか?」
と信長。
「いいえ。我らはこの辺りからは殆ど離れませんので」
「離れないとは、離れられないと言う意味なのか?」
と興味を示す。
「違います。この辺りの情勢からお話しした方が良さそうですね」
以下、信治の語り。
私は宇佐山城を救うために二千の兵を率いてこの地に来ましたが、衆寡敵せず討死してこの様な有様に成りました。宇佐山城はどうにか持ちこたえた様でよう御座いました。
我らは敵味方入り乱れでこの地で目を覚ましました。敵方浅井朝倉の兵たちは味方がいると思われる北の方へと去って行きましたが、我らは状況を掴めずにしばしその場に留まっておりました。すると東の方から我らに近付いて来る軍が有ります。これを率いるのは江南を支配する六角家の家老で後藤但馬守と名乗りました。
「何れの御家中か?」
と訊かれたので、
「織田弾正が家臣なり」
と答えました。今はもっと高い官職にお付きでしょうが、
「どこの兵と戦われたか?」
「浅井備前と朝倉左衛門督」
「では我らとは敵を同じくする」
と言う訳でその地に留まる事を許されました。あちらにしてみれば我らがいる事で戦力の足しに成るのでしょう。先ほど申しました「この辺りから離れない」と言うのはそう言う事情なのです。
「その後藤但馬と言う男、余が六角親子を近江から追い出した事を知らなかったのか?」
いいえ。知った上で我らを受け入れたのです。なにしろその但馬殿を殺したのは他ならぬ六角の当主だったと言うのですから。
「なるほど。六角家衰退のきっかけとなったあの事件の当事者だったか」
我らが来てから二月の後にはすぐ北の堅田に新たな一団が現れました。我々は直ぐに駆け付けて保護、と言うか味方に引き込みました。一部は朝倉の将兵も混じっておりますので、今回は呼びませんでしたが。
「朝倉だと?」
こちらでは江北を支配するのは京極家で、越前の朝倉家とは関係が宜しくないのです。
「浅井では無いのか?」
守護家である京極の一族を担ぎ、浅井と反浅井が長く拮抗していたのですが、備前守(長政)と父親の下野守(久政)一党がやって来てからは一気に浅井派が優勢となったようです。それでも南の六角との力関係から内部抗争は手控えているようです。
何と言ってもこの地では兵を増やす手だてが有りません。現世で大きな戦が有るたびに纏まった兵がやって来て、それに応じてこちらの戦局も動くと言った次第なので。浅井親子がやって来たのが最後で、この十年近く大きな動きが有りません。
我らが来てから一年の後、この叡山が赤く染まった時は大変でした。
「再三、浅井朝倉の兵を立ち退かせろ。中立を保てと申し入れていたのだが、最後まで応じなかったのでな」
我らが織田の兵と知って小競り合いとなりましたが、堅田衆の支援と六角の後詰を受けて山の上へを追いやる事に成功しました。彼らも浅井朝倉に加担し過ぎた事が襲われた理由だと覚ったようで、中立を保って山の上に割拠しておったのですが。
「そうか。嫌な仕事をさせてしまったな」
如何なされました。いや、そもそも兄上ばかりか中将殿までが此処に現れた事がそもそもおかしい。
肆 津田七兵衛
信治は兄が頭を下げるのを初めて見た。そこでようやく異常な事態が起きている事に気が付いたのだ。
「明智日向の謀反に遭いました」
と信忠が代わって答えた。
「そこで彼奴の現れそうな拠点を抑えようと動いておる。その一カ所がこの近江坂本だ」
「なるほど。そう言う事でしたか」
「明智日向の居城は近江坂本と丹波亀山。特にこの坂本は日向守本人では無くとも一族郎党が現れる可能性が極めて高い。一人も殺さずに、くれぐれも生かして捕えてもらいたい」
命令ではなく懇願する口調に成る兄信長に困惑する信治であったが、
「そう言う事でしたら、森三左衛門はお連れに成った方が宜しいですね」
「何故だ?」
「若き息子三名を殺されたのですから、あの者が暴走した場合にそれがしでは止められないかもしれません」
「であるな」
森三左衛門可成とその家臣数名を加えて信長は叡山を降りた。一方、志賀の陣で討死した信治たちは逆方向へ戻って行った。但し連絡係として金森忠二郎長則、坂井越中守ら数名が密かに加わっている。
「三左、兵がこちらの地に現れるときは事前に判るか?」
と訊ねると、
「事前には判りませんが、現れるときは天井から淡い光の柱が立ちまする。但し一人二人では少し離れると見えなくなりますが、百人単位で現れると束に成って遠目でもはっきりと見えます。我らが直ぐ後に現れた堅田の衆の時にはそれで直ぐに対応できたのです」
「なるほどなあ」
「大殿が現れた時にも京の方に太い光が立ったので、そちらの方向に注意をしておりましたところ、暫くして倅たちがやって来たので」
と左右の息子二人を交互に見る。
「直ぐに倅だと判ったか?」
「は。先に亡くした長男に面ざしが似ておりましたので」
「傅兵衛か。こちらで会えたか?」
「いえ。あれは越前で亡くなりましたから」
「そうであったな」
森可成の長男傅兵衛可隆は越前手筒山城の攻略戦の際に討死している。
「上様。前方から近づいて来る一団が有ります」
「敵か?」
叡山から兵を散らしたから敵が現れても不思議はないが、それにしては早過ぎる。
「何れの家中の兵か、問え」
帰ってきた答えは、
「津田七兵衛だと?」
信長は首を傾げつつ対応に出た。
「上様。ご無沙汰しております」
七兵衛信澄は信長の甥である。父は信長に刃向って討たれた実弟勘十郎信勝。父親が討たれた時にはまだ幼かった信澄は信勝の家老で有った柴田勝家の元で養育された。
「七兵衛、何故こんなところにおる?」
「空飛ぶ笠に乗った奇妙な人物に、上様の所在を訊きまして」
それを聞いて周囲の人間が訝しげにしているが、
「そう言う事では無い。おぬしらは誰に討たれたのかと訊いておる」
「その事ですが」
と言い淀んで、
「上様は我が舅明智日向守殿に討たれたとか。それを聞いた三七殿が丹羽五郎左衛門さまと共に我らを襲って来ました」
「たわけめが」
信長の三男三七郎信孝は四国遠征軍の総司令官となって出兵準備を整えていた。副将として丹羽長秀と蜂屋頼隆、そしてこの津田信澄が当てられていたのだが、
「上様の凶報に動揺して兵が逃げ去るのを見て引き締めを図ったようです」
と自分を殺した相手を庇うような言動まで見せる信澄に、
「七兵衛。そなたの兵はどれくらい居る?」
「およそ六百ですが」
「よし、中将。源左衛門(梶原景久)と平八郎(団忠正)の二人を連れて山崎口へ迎え。日向と筑前の決戦はその辺りで起こるだろう」
「と言うと、日向守への最初の挑戦者はやはり筑前殿ですか?」
「やはりと申したか」
信長はニヤリと笑った。
「父上が挙げた三名の内、徳川殿はまずは領国へ戻る事が最優先で出て来るのは最低でも一月先。北陸の柴田修理は良く言えば慎重、悪く言えば腰が重い。対して羽柴筑前は腰の軽さが身上で」
「加えて言えば危機感の違いだな。筑前が対峙する毛利にはあの流れ公方が居る。日向が連携を取るとすれば真っ先にあの男であろう」
「此度の企みも足利公方が一枚噛んでいると?」
「予め打ち合わせた物ではないだろう。恐らくは余とおぬしを同時に討ち取れる格好の機会につい食指が動いたと言うところか」
「我らは出来心で討たれたのですか」
「戦とはそう言うものよ。余がかの今川治部大輔を討ちとれたのも全ては成り行きだった」
「舅殿と筑前守様の決戦が起こるとして、中将様はそこへ何をしに?」
と疑問を差し挟む七兵衛信澄。
「大決戦が有れば死者が大量にこちらへやってくる。羽柴軍と明智軍、その両方を纏めて率いて来られるのは余を除けば中将のみであろう」
「しかと承りました」
信忠が六百を率いて隊を離れ、信澄が連れてきた六百が入れ替わりで加わった。
「上様は舅殿、明智日向に対して恨みを持っておられないのですか?」
「そうさな。まんまとしてやられた、悔しさは有るが、恨みは感じぬ」
と答えて、
「そなたはどうだ。自分を討った三七や五郎左に恨みは抱いておらぬか?」
「そうですね。逆の立場ならそれがしも同じことをしたやも知れません」
「それで、おぬしが会ったと言う謎の人物だが」
と話題を変える。
「何か喋ったか?」
「我らの素性を確認し、それならば主君の元へ合流せよ。と半ば追い出されるような形でした」
「さようか。おぬしが襲われたのは何日だった?」
「五日でした」
「するとたった一日で大坂から此処まで」
「急かされた所為でもありますが、何しろこちらに来てから眠らなくても良くなったので」
「なるほど」
馬が居ないので信長本人も自ら歩かなければならないのだが、疲労は感じず睡眠も必要ないので長距離の行軍はむしろ容易いと言える。
「丹波に足を踏み入れるのは初めてだが、あまり人気が無いなあ」
「記憶に有るよりも森が多いように感じます」
と明智孫十郎。
「なるほど。刀と槍では森は切り開けぬからな」
森を切り開くには斧とか鋸が必要だが、その様な道具を作るすべもない。そもそも現世で戦いで死んだ人間だけが来る世界なので、人が少なく森を切り開いて土地を増やす必要も無いのだが。
「さて亀山城はどのあたりであろうか」
丹波方面はほぼ光秀とその寄騎だけで進められてきた。明智の兵はその過程で取り込まれた丹波兵も多い。彼らの情報で亀山城が有ったと思しき場所は特定できたが、
「こんな盆地のど真ん中に城ですか」
と興味を示したのは五男の源三郎信房。諸々の事情で幼少期を甲斐の武田家で過ごした数奇な運命をたどって来た。
「此処は丹波攻略の拠点として作られたものだからな」
兵と物資の集積場所であって、そもそも敵の攻撃を受けることは想定されていない。盆地に敵が侵入して来たら打って出て兵力で圧倒すれば良い。
「わざわざ足を運んだが、日向がこの城へ逃げ帰ってくる事はないだろうな」
信長は周囲に松明を焚かせて夜を過ごすことにした。
一晩明けると、地元の兵が近づいてこちらの素性を伺って来た。
「丹波守護代内藤家の兵の様です」
「会って見よう」
信長の前に進み出た男は、
「丹波守護代を務めました内藤備前守と申す」
「余は織田前右府である」
「右大臣どの?」
思いがけぬ高い官職に驚愕する相手に、
「官位官職など、死んでしまえばどうでも良い事だがな」
「我らにお味方頂けないか」
と率直な申し出を受け、
「まずはこの丹波の情勢と周辺の状況について訊かせてもらおうか」
「丹波は大きく三つの勢力に分かれております。一つが我ら丹波守護代の軍勢。他には矢上城に波多野家と黒井城の赤井家が割拠しております。
「それぞれの兵力は?」
「我らがおおよそ一千。波多野と赤井はそれぞれその倍の二千ずつ」
「波多野と赤井が組めば、お手前どもはあっと言う間に駆逐されそうだが」
「さりながら、我らを潰した後、両家の間で大きな兵力差が生じれば、その後の力関係が崩れてしまうだろう」
「三竦みか。だがそれならば我らの兵が加わった所で大差ないのでは?」
「しかし、我らが兵力で劣る状態では駆け引きに成らないのでな」
「まだ駆け引きできる状況なのだな」
狭い地域で殺し殺されていれば怨念が募って共存できなくなりそうだが。
「恨みという点で有れば、遠い赤井よりは近い波多野に対して強いが、不倶戴天とまでは」
だが波多野も赤井も、織田家に滅ぼされたのだから、信長に対しては強い怨念を抱いて不思議ない。むしろ信長軍の介入が両家の結びつきを強めてしまう可能性の方が高いだろう。
「丹波の隣国はどうなっておる?」
信長は即答を避けて、さらなる情報を要求した。
「畿内は京兆専制が布かれて安定はしているが、全ては管領殿の妖術あってのこと」
「妖術とは笠に乗って飛びまわると言うモノか」
と信長。
「さよう。あの術で領内を飛び回って、新参者を次々に従えて居るのだが、其々の移動を禁じて恨みを持つ者同士が出会わぬようにして各々が持つ怨念を抑えて付けているので、きっかけが有ればそれが一気に噴き出して殺し合いの連鎖に成るだろうと言うのが衆目の一致するところかと」
「おぬしを領内から追い立てたのもそなたが余の身内で有ったからだな」
と七兵衛に囁く。
畿内には信長軍と戦って敗れた、信長に恨みを持つものが山ほどいるだろう。信長が現れれば彼らが一斉に動き出すことは必定だ。そうなれば妖管領と言えども押し留めるのは不可能だ。それはこの丹波でも同じだ。
「我らは此処に人探しに来た。丹波の三竦みに関与する積りは今のところないが、兵の一部は此処に残していくので、交渉材料に使ってもらっても良い」
と信長。
「それは助かり申す」
内藤兵は引いて行った。
「と言う訳なので、七兵衛には暫くこの地に留まって様子を見てもらう。日向本人が現れる可能性は低いが、現れた時にはそなたが説得して余の元へ連れて参れ」
と命じて兵を叡山へ返した。
伍 王佐の才
叡山への帰途、息子の源三郎信房に、
「おぬしは山崎口へ向かい、兄の中将と合流せよ」
と命じた。
「ひと月たっても兵が現れぬようなら全軍で戻ってくるように」
と補足する。
「ひと月ですか?」
と疑問を投げかけたのは蘭丸成利。
「状況から見て、筑前がひと月以内に戻ってこなければ、三七は終わりだ」
元々光秀の与力であった摂津衆も大和の筒井順慶も加わって信孝は攻め滅ぼされるだろう。そして秀吉と光秀の決戦は摂津と播磨の国境になる。
「そうなれば、我らの手は届かない。管領殿が黙って通してくれるとは思えないからな」
山崎口は信長の読みの第一候補であるが、同時に今の彼が手を出せる限界の場所でもあるのだ。
信長が叡山に戻った翌日、二本の光の柱が立った。一本は直ぐ下の坂本の辺り、そしてもう一本は琵琶湖の対岸である。
「まさか。近江国内で大戦か?」
「あれは人が現れる時のモノとは違いますな」
と森三左衛門。
「人では無い?」
「はい。建物が現れる時のモノです。しかしあれほど大きなものはそれがしも初めてで」
「上様、あの方向は」
と蘭丸の声も上擦っている。
「安土だな」
「上様。宇佐山衆より使いのモノが来ました。明智の手のモノが数名現れたと」
「直ぐに参る」
その日現れたのは光秀の重臣と一族。その中には娘婿でもある左馬助秀満と溝尾庄兵衛茂朝が含まれていた。秀満は同時に坂本城に火を放っていたので坂本城も同時に現れたらしい。
「日向守はどうした?」
「此処に落ちのびる途中ではぐれ申した」
と答える茂朝に、
「嘘だな。日向が生きているなら、そなたは自害などするまい」
「安土を焼いたのはその方か。左馬助」
「違います。それがしは安土を無傷で放棄致しました」
「安土にいた余の妻子は如何致した?」
「我らが城を抑えた時には既に何者かが退去させており申した」
「さようか」
信長はしばし沈黙し、
「日向はいつ謀反を決めた?」
「それについては私が答えましょう」
と声を掛けたのは、明智日向守光秀本人であった。
「二人きりで話そう」
と言って光秀の居城である坂本城の奥へ向かう二人。
信長は敢えて上座に付かず対等の位置に向き合う形で座った。
「先程はああ言ったが、今更謀反の経緯について説明を受ける気はない」
と口火を切る。
「わしを殺す事が目的ならばそれは既に成就して居る。わしを殺して何かを掴みたかったのであれば、
死んだ事でその野望は潰えておる。今の興味は一つ。まだわしと共に闘う気が有るかどうかだ」
「このような事に成って、まだ私をお信じになると?」
「今のわしの手勢は半分は明智の兵だ。お主を斬ればわしの元を去るだろう。だが、ばらばらになってはこの地で生き残る事は難しいだろう。お主は部下をむざむざ死なせたいか?」
「これは。目的の為なら部下の命を使い捨てにしてきた方の言葉とも思えませんな」
「天下布武。この目的の為ならどれほどの犠牲をもそれに値する。が、この地での戦いには大義は無い。そんなものの為に兵を無駄に散らすことは無いだろう」
何処までも合理主義を貫く信長であった。そしてそれは光秀も同様である。
「私が謀反に踏み切ったのは、いや是非とも聴いて頂きましょう」
と光秀が語りだす。
「間もなく戦国の世が終わる。そう思った時、わが心に空虚なものが生まれました。最後に自分の才を存分に振るってみたい。そんな時に殿を討つ絶好の機会が目の前に現れて、我慢が出来なくなってしまいました」
「それで、満足できたか?」
「私は総大将に向かないと覚りました。綿密な策を立てて実行することは得意ですが、不測の事態への対応力が足りなかった」
光秀は広い額をペチンと叩いて苦笑した。
「ではまたわしの下でその才を揮うてくれるか」
「それはこちらから伺いたい。我が才を用いて下さるかと」
二人は共に大笑した。




