初恋は図書室で
「梨ー乃。行くよーー」
教室で自分の椅子に座ってると後ろから両肩に手を置かれた。私はビックリして飛び上がる。振り向くとそこには、私の親友の真柴陽菜美ちゃんがいた。
「ふわぁ!?…って、陽菜美ちゃん。行くって何だっけ?」
「どこって……。あんたねぇ。今日は委員会でしょ!明日から夏休みだからって浮かれすぎでしょ」
今日は終業式の日だった。式も終わってホームルームも終わった。中学生になって初めての夏休みがやって来る。私もすごく楽しみだけど、浮かれすぎって言うけども陽菜美ちゃんもテンションが上がってるみたい。チャームポイントのポニーテールが嬉しそうに揺れている。
「あっ、そうだった!ありがとう、陽菜美ちゃん」
「いーえ、早く行こっ」
先生が朝に夏休み前の委員会があるって言ってたのをすっかり忘れていた。教えてくれた陽菜美ちゃんに感謝だ。
「じゃあ梨乃。ボーッとしてちゃダメだよ。夏休み連絡するから、いっぱい遊ぼーね!」
「うん!私も連絡するね!いっぱい遊ぼう!」
陽菜美ちゃんは放送委員会で私は図書委員会だから、陽菜美ちゃんとは途中でバイバイだ。夏休みにいっぱい遊ぶ約束をしたから楽しみだよ。私は図書委員会をする図書室までウキウキで行った。
………だったんだけどなぁ
「ウチら今年受験だし、そんなことしてる暇ないんだけど」
「そーそー、てか一年と二年でやればよくね?前の時もそーだったじゃん」
今日の委員会は夏休みの図書当番を決める日だった。夏休みの間、二人一組で貸し出しや本の整理をするんだって。図書委員は全部で9人。各学年三人ずつだ。小さい学校だから普段はこれで充分なんだけど……。
当番を決める話になってすぐに三年生の先輩達が発言したことで一、二年生はざわざわとした。
そうだよね…。受験は大変だもんね。
二年後に自分もする受験勉強。まだあまり想像がつかないけどたぶん大変だと思う。先輩達も忙しいんだろうな。
「俺、この週無理だよ。家族旅行だもん」
「私、部活あるからそんなにこれないよ」
「あー、俺もだわ」
二年生の先輩達も自分の意見を言う。部活もあるし遊びたいよね。せっかくの夏休みだもん。
同級生の二人は黙ってるし、なんか図書委員の皆の雰囲気がピリピリしてきて気まずい。うぅ、誰か何とかしてー!
「皆、それぞれ忙しいだろうけど、協力して頑張ろうな。とりあえず、予定ない日教えて」
そんな雰囲気を変えたのは、図書委員長の篠崎悠先輩だ。先輩はメガネを押さえるようにしてから一人一人の予定を確認した。
「かなりの穴空きだな」
「しょーがないじゃん。みんな忙しーんだって」
困ったように言った篠崎先輩にケラケラ笑って答えたのは三年生の茂木夏鈴先輩だった。茂木先輩の言うように皆忙しいみたいで夏休みの予定はあまり埋まっていない。
「この残ったところどうするかな」
「暇な人にやってもらえばいいんじゃね?」
もう一人の三年生の先輩、柳杏奈先輩が図書委員を一人ずつ見ている。皆、先輩と目が合わないようにしている中で、バッチリ目があっちゃった。にっこり笑ってるけど圧力がすごいよ。うぅ…。
「私、………やります」
皆、忙しいなら仕方ないよね。陽菜美ちゃんと遊ぶ以外に用事はないし、図書室で大好きな本を読めるのはいいかなって思う。
「ありがとう!梨乃ちゃんだっけ?マジ助かるわ」
「いや、いくらなんでも高宮だけ多くやらせるのはダメだろ」
「えーー。本人がいいってんだからいいじゃん。他の人はダメなんしょ?」
二年生の先輩達は頷いているし、同級生の人達も同じだった。さすがに一人はちょっと辛いなぁ。
「はぁー。分かったよ。じゃあ高宮が当番の時は俺が入る。他の日も一年生は二年生と三年生と組になるようにしよう」
良かった、委員長が一緒なら安心だぁ。当番の日はちょっと多くなっちゃったけど仕方ないっか。
「悠、いいの?悠も受験じゃん」
茂木先輩が心配そうに篠崎先輩に言った。そうだよね、篠崎先輩も受験生じゃん。私が心の中でアワアワしていると篠崎先輩はきっぱりと茂木先輩に断った。
「俺は委員長だから。責任があるの。勉強なら当番の合間でやるからいいよ」
「ふーん、そか」
茂木先輩はそれ以上言わないで自分の髪の毛を触った。
「残りのところは空いてる人にして適当に決めるけど、サボんなよ?」
篠崎先輩がからかうような苦笑いで黒板に名前を書いていく。全部の日付が埋まったから決定なのかな。私と篠崎先輩の名前が一番多かった。お当番頑張ろう。
当番が決まるとその後は解散になった。みんなが足早に帰って行く。私も帰ろうとした時、篠崎先輩に呼ばれた。
「高宮、ちょっといいか?」
「はい!」
二人だけになった図書室で先輩は困ったような顔をした。
「さっきは柳達が悪かったな。高宮に押し付けるようになってしまってすまない。俺がもっとしっかりしてれば良かったんだけど」
篠崎先輩は今の委員会でのことを気にしてくれていたんだ。柳先輩達はちょっと強引だったと思うけど仕方なかも。
「先輩達は受験で忙しいですもんね。部活ある人も大変だし。私は部活してないし本読むのが好きだから大丈夫です」
「そうか。さっきはみんなの手前サボるなって言ったけど、高宮は当番の日が多いし、あんまり無理しなくてもいいからな。夏休み中はあんま人来ないだろうし、俺一人でもなんとかなるから」
少し言いにくそうに口ごもった後、篠崎先輩は小さな声で言った。でも、私が来ないと先輩は一人になっちゃうよね?そんなのダメだよ。
「先輩一人でするのはダメです。私も頑張ります」
私が宣言すると、篠崎先輩はふっと笑ってくれた。
「ありがとう。じゃあ、当番の時はよろしくな」
「はい!よろしくお願いします」
* * * * * * * *
家に帰ってご飯を食べてお風呂に入り終わった後、部屋に戻るとスマホが鳴っていた。電話が来てる。陽菜美ちゃんからだ。
「もしもし」
「梨乃、さっきぶりー。夏休みどうする?」
陽菜美ちゃんの声はワクワクしていた。夏休みの予定をたてるのは楽しい。だけど図書当番にも行かなきゃいけないからなぁ。
「陽菜美ちゃん、あのね…」
私は今日の委員会であったことを陽菜美ちゃんに話した。
「えーー!?それ完全に先輩達に押し付けられてんじゃん」
「だって皆忙しいみたいだししょうがないよ」
「梨乃はお人好しすぎ。ガツンと言ってやれば良かったのに!」
「先輩だよ?無理だって」
私がそう言うと電話の向こうからため息が聞こえてきた。陽菜美ちゃんに呆れられちゃったかな…。
「まぁ、相手が柳先輩と茂木先輩なら梨乃が勝てるわけないよね。あの二人三年生の中でも有名だもん」
「有名?」
「うん。二人とも目立つから。こないだはメイクと授業のサボりで先生に捕まってたし」
陽奈美ちゃんは情報通だ。先輩達の中にも知り合いがいっぱいいるからこういう噂にはとても詳しい。
「それはすごいね」
「うん。多分、受験って言うのも言い訳だよ」
「そうかな?」
そんな風には見えなかったんだけどな。それを陽菜美ちゃんに言ったら、また、ため息をつかれそうだから口には出さない。
「そうだと思うけどな。まぁ、私も放送委員で学校行く日あるし、図書室にも遊びに行くよ」
「ありがとう!待ってるから来て」
「うん。じゃあ、梨乃が委員会ない日教えて?予定たてよう!」
それから私は陽菜美ちゃんと夏休みの予定をたてて電話を終えた。
「じゃあ、またね。おやすみ」
「うん、おやすみー」
スマホを充電器につなぎアラームをセットして電気を消す。明日は早速、図書当番だ。遅れないように今日は寝よう。
* * * * * * * *
「おはようございます」
「おはよう高宮」
次の日、図書室に行くと篠崎先輩はすでに来ていて、貸し出しカウンターの向かい側に座って本を読んでいた。
「早いですね」
「いつもと同じ時間に起きちゃったから早めに来てみたんだ」
普段の授業の時は八時半からホームルームだけど夏休みの図書当番は10時からだ。今は10分前の9時50分。だけど先輩はけっこう早くからいたのかも。読んでる本は図書室のみたいだけど大分ページが進んでいた。
「あの…先輩?」
「ん、なに?」
篠崎先輩は本から目をあげて微笑を浮かべた。
「私ももっと早く来た方が良かったですか?」
先輩より遅いってあんまりよくないことだよね?ちょっと心配になった私に気づいたのか先輩は「ああ」と呟いた。
「気にしなくていいよ。時間に間に合ってるから問題ないし夏休みはそんなに人も来ないだろうから。高宮も自由に過ごしてていいから」
「は、はい」
私もカウンターの向こう側に行って先輩の隣の椅子に座った。そういえば篠崎先輩とは同じ委員会だけど、話をする機会はあまりなかったな。なんかちょっと緊張する。
先輩は本の続きを読んでいるようだ。図書室を使う人はまだ来ないみたいだし、私もなにか読もうかな。
「先輩、私も本取ってきていいですか?」
「うん。いってらっしゃい」
先輩は本から少しだけ目をあげて答えてくれた。私は図書室を散策する。何を読もうかな。中学校の図書室は小学校の時の図書室よりも大きい。その分本もいっぱいあるから悩むなぁ。
「あれ?」
本の散策をしていて気づいた。本の並びがぐちゃぐちゃになってることに。ここの図書室はジャンルごとに本棚がある。そのジャンルごとの本棚は作者の名前の順に並んでいるはずなのに、違うジャンルの本が混ざってたり、作者の名前がバラバラになってたりしている。
「直した方がいいよね。その方が分かりやすいし」
まずはこの棚からやろう。私はぐちゃぐちゃになっている部分の本を手にとって並べかえを始めた。これはあっちの棚で、これはこっちかな?並べる棚が違うものはいったん床にでも置いておこう。
「えっと、これは……。九十九さん?」
「それは九十九だな」
「ひゃあ!…篠崎先輩?」
変わった名字だなぁと思ってると横から声をかけられた。驚いた私は大きな声を出してしまった。先輩は周りを気にするように振り返った。何人かの生徒がこちらを見ている。図書室の利用に来ている人がいたんだ…。
「な、なんでもありません。すみません!」
私が慌てて頭を下げると皆の視線が散った。すると篠崎先輩は私が持っている本を指差した。
「それは九十九と書いて九十九と読むんだ。驚かせてごめんな」
「い、いえ。大きな声を出してすみません」
「…本棚の整理をしてくれていたのか。なかなか戻ってこないからどうしたのかと思った」
「あっ、つい夢中になっちゃって…すみません」
先輩が私の周りに散らばる本を見渡す。そういえばカウンターからここは死角になっている。やっちゃったぁ…。先輩に一声かけるべきだった。うぅ…。先輩はしゃがんで重ねてある本を観察し私の方を見上げた。
「あっ、いや。怒ってる訳じゃないんだ。むしろ感心した。高宮は真面目なんだな。俺も手伝うよ」
「えっ、でも…」
私が始めたことなのに先輩に手伝ってもらうのはと遠慮したけど篠崎先輩は床に置いた本を持ち上げた。
「俺も図書委員だからさ。今来てる人は勉強目的だしカウンターは開けてても大丈夫だ。それに用があったら声かけてくるだろう。女子には本を運ぶのはけっこう重労働だろ?高宮はここで本の分類してて。こっちは俺に任せてよ」
いたずらっぽい笑顔を浮かべた先輩に私はつい見とれてしまった。
「高宮?」
「ふぇ?あ、えと…ありがとうございます」
「うん。じゃ、よろしく」
固まってしまった私を見て不思議そうに先輩は首をかしげた。我に返ってお礼を言うと先輩は首をかしげながら本を戻しにいった。
篠崎先輩との夏休みの図書当番は順調だった。図書室を利用する人が少ない時には二人で本棚の整理をし、それなりに利用する人がいる時はカウンターの席で本を読んだりして過ごした。
「へぇ、高宮はそういうのも読むんだ」
「一番読むのは推理小説ですけど、タイトルが気になっちゃって」
今日はそれなりに図書室の利用者がいるのでカウンターの所の席について二人で本を読んでいた。利用者の邪魔にならないように小声で会話する。
夏休みの図書当番はこれで三回目。篠崎先輩とも何気ない話が出来るくらい仲良くなった。
「梨乃ー!遊びに来たよ!」
「陽菜美ちゃん!?しーー」
「あっ、ごめん」
図書室のドアが勢いよく開いた。元気な声で陽菜美ちゃんがやって来た。私は慌てて口の前で人指し指をたてる。陽菜美ちゃんは自分の口を押さえて小声になる。
「高宮の友達か?」
「親友の陽菜美ちゃんです。陽菜美ちゃん、篠崎先輩だよ。図書委員の先輩なの」
「真柴陽菜美です。梨乃がお世話になってます」
「やめてよ、陽菜美ちゃん」
保護者のような陽菜美ちゃんの口ぶり。思わず先輩を見ると先輩はくすっと笑った。
「篠崎悠だ。高宮は真面目に頑張ってくれてるから俺の方が助かってるよ。あぁ、俺、この本戻してくるから真柴こっち来て話してなよ」
「いいんですか?」
「あまり騒がなければいいよ」
「ありがとうございます。陽菜美ちゃんおいでよ」
「それじゃ、お邪魔します」
篠崎先輩が本を持って立ち上がると陽菜美ちゃんが入れ違いで篠崎先輩がいた席に座った。
「ねぇ梨乃。篠崎先輩ってかっこいいね」
「ふわっ?ええ?」
ずいっと椅子を寄せてきた陽菜美ちゃんが私に耳打ちした。私は思わず篠崎先輩が去って行った方を見た。
「あれ?…ふーん、そかそか」
「えっ、何?」
「梨乃、先輩のこと好きなの?」
「べ、別にそんなんじゃないよ」
必死に言い返したけど、陽菜美ちゃんは本当に楽しそうにニヤリと笑った。
「隠さなくっていいんだよ。私は梨乃の見方だから」
「だから違うって!その……お話ししてて楽しいとは思うし………」
「うんうん」
「図書当番が楽しみになったけど」
「そして、今みたいに気づくと先輩を目で追って、私に好きなの?って言われて顔を赤くしてるわけか。なるほどなるほど」
「ええ……と」
「あっ、先輩戻ってきた。私、もう行かないとだから詳しくは後で聞かせてね」
「ちょっと、陽菜美ちゃん!」
「バイバーイ」
陽菜美ちゃんはすごく楽しそうに図書室から出ていったけど残された私はあたふたしていた。
「あれ真柴は帰ったのか?って、どうした、高宮?そんな顔して」
「な、なんでもありません」
ほっぺたが熱くなっているのが分かる。陽菜美ちゃんが変なこと言うから妙に意識しちゃうじゃん。陽菜美ちゃんのバカー!
「具合いがよくないなら。帰ってもいいんだぞ?」
「だ、大丈夫です」
先輩が私の顔をのぞきこむ。それが何だか恥ずかしくって私は顔をそらした。先輩が困ったように笑ったのが分かった。
「それならいいけど…。あんま無理すんなよ」
「は、はい」
ぽんっと軽く頭を叩かれた。その手が優しくって心臓がドキドキした。先輩は何事もなかったように本を読み出す。私も本を開いたけど集中できない。
あぁ、陽菜美ちゃんの言うとおりだ。私、先輩のことが好きなんだ…
それから何回か図書当番をやった。先輩とは相変わらず何気ない会話をしながら当番の活動をしているけど、前とは違って一緒にいるとドキドキするようになってしまった。
「今日は先輩遅くなるんだっけ」
今日は三年生の先輩達の面談日のようだ。受験に向けて先生達との面談をするらしい。順番に呼ばれるみたいで篠崎先輩は早い時間を希望したみたいだけど、それでも図書室の開館には遅れるんだって。
夏休みの当番も今日と後一回で終わりだ。先輩が今日遅くなることは前回の当番の時に聞いていたけど、私だけが当番でいるのが不思議な感じがした。思えば先輩は、いつも私より早く来ていたからこうして一人になることはなかったな。
夏休みが終われば、篠崎先輩と一緒に当番は出来なくなる。それがすごく残念だ。少しでも先輩と一緒にいたいな。
「篠崎先輩、早く来ないかな…」
「お前、悠のこと好きなの?」
開館したばっかりで利用者がいなかったためつい口から出た言葉。それを図書室に入ってきた人に聞かれてしまった。頬がかぁっと熱くなり頭が真っ白になる。
「悠といい感じの一年ってお前だろ?なに、付き合ってんの?」
「そ、そんなんじゃないです!」
興味津々と言わんばかりの顔をしているのは、ツンツン頭の先輩だった。篠崎先輩のことを呼び捨てで呼んでいるから先輩の同級生だと思う。
「なんだ、付き合ってんじゃないのか。最近、悠が楽しそうだし女でも出来たと思ったのになぁ」
それは私に言ったわけではなく独り言だったようだ。ツンツン頭の先輩は興味をなくしたようにカウンターの前を通りすぎて、図書室にある机の一角に陣取った。
あぁ、びっくりした。まさか初対面の先輩にそんなことを言われるなんて思わなかったよ。あれ以上なにも言われなくて良かったなぁ。私はそっと胸を撫で下ろした。
「遅くなってごめん」
「大丈夫ですよ。お疲れ様です、篠崎先輩」
しばらくして篠崎先輩がやって来た。少し息が上がってるみたいだ。急いで来てくれたのかな?
先輩は図書室を見渡し、ツンツン頭の先輩に声をかけた。
「隼人ここにいたんだ。そろそろお前の番だぞ」
「おー、分かった。ありがとな」
ツンツン頭の先輩は隼人先輩っていうらしい。隼人先輩が図書室を出ていく時に目があった。なにか言いたそうにしてたけど何も言わないで先輩は行ってしまった。
なんだったんだろう?とキョトンとしていると篠崎先輩がカウンター側に来て隣に座った。
「さっきのは俺の友達で隼人っていうんだ。あいつ高宮のこと気にしてたみたいだけど何かあった?」
「特に何もありませんよ」
「そうか」
篠崎先輩は隼人先輩が出ていった方向を見る。その表情は見えなかったけどいつもより先輩の声が低いような気がした。
「あの…篠崎先輩?隼人先輩がどうかしました?」
「えっ?」
恐る恐る声をかけると先輩がバッと振り返った。驚いたようなその顔に私は気づいた。何かしたのは隼人先輩じゃなく私の方だったのかも。
「あ、あの。すみません」
「何で高宮が謝るの?」
「私…何か先輩を困らせたかと思って」
先輩は最初、驚いたままの顔をしていたけど、私がうつ向くと先輩は驚いてた理由を話してくれた。
「高宮が何かした訳じゃないよ。ただ隼人のことを名前で呼んでたから驚いただけだよ。知り合いだったのかと思ってさ」
そっか、篠崎先輩のことは名字で呼んでたもんね。隼人先輩のことを知り合いだと思われたんだ。だけどそれは誤解だ。
「いえ、初めて会って…名前も知らなかったんです。名前で呼んだのは名字を知らなかったから…」
改めてこういうことを話すのって話し辛いな。たどたどしくなっちゃったけどちゃんと伝わったかな。
うつ向いていた視線をあげると先輩と目があった。くすっと笑った顔が私の目に映る。
「なるほどね。確かに俺、隼人ってしか言わなかったわ。ごめんごめん」
「いえ、そんな…」
納得納得と先輩は笑顔を見せてくれたので私はホッとした。
「そうだ。隼人を名前で呼ぶなら俺も名前でいいよ。他の後輩も名前で呼んでるしさ」
いいことを思い付いたという目をした先輩。何気ない感じで言われたけど本当にいいのかな。
「え、えと…」
「ダメ?」
「…ダメじゃないです。…悠先輩」
「良かった。名前知っててくれた」
ダメ?と聞かれたら断れるわけがない。…断るつもりはなかったけどね。遠慮しちゃっただけで。いつもは大人っぽい先輩が無邪気に笑った顔を見て私はまた胸がドキドキしてしまった。
夏休みも終わりが近くなってきた8月22日。陽菜美ちゃんともいっぱい遊べたし花火大会も行ったし今年の夏休み楽しかったな。まだ日にちは残っているけどそんな風に思ってみたりする。
夏休みの図書当番も今日で最後だ。皆、残りの夏休みを楽しんでるのか午後になっても今日は利用者はこない。悠先輩は午前中は来てたんだけど、先生に呼ばれて行ってしまった。
今日で先輩との当番が最後なのに……。先生のタイミングの悪さにちょっとむっとしてしまった。
だけど先生の用事なら仕方ないよねと自分に言い聞かせ、図書室に一人残された私は本棚の整理をしていた。夏休みの間、コツコツ取り組んだおかげできれいになってきたよ。
さすがに全部の本棚という訳にはいかなかったけど、今日はここの本棚までやれたらいいな。
「あっ、みーっけ。マジで当番してんじゃん」
「茂木先輩に柳先輩。久しぶりです。こんにちは」
「うん。どーもね」
先輩達は私が片付けていた本棚を見てニコニコしている。そういえば見っけって言われたけど何か用事かな?
「あの、どうしたんですか?」
「ん?あー、そうそう。夏鈴がちょっとね」
用事があったのは茂木先輩なのかな。なんだろうと思っていると茂木先輩にキッと睨まれ私は怯んだ。
「悠に色目使ってんじゃねーよ!」
「い、色目?」
言われた言葉に心当たりが無さすぎて、怒鳴られた恐怖よりも先に困ってしまった。茂木先輩がチッと舌打ちをした。
「隼人に聞いた。悠といい感じなんでしょ。先輩の私を差し置いて一年が調子に乗るな!」
それで私はすべてを察した。茂木先輩が悠先輩のことを好きなこと。隼人先輩がこないだのことを茂木先輩達に話したこと。それで茂木先輩が怒ってやって来たこと。
ふと柳先輩を見ると柳先輩は少し下がった位置で笑いながら腕組みをしている。
図書室内に他の人はいない。入口の所からここの本棚は見えない。見えたとしても、私と茂木先輩は柳先輩の後ろ姿で隠れてしまう。それに気づき私は血の気がひいた。
「…色目なんて使ってません」
「嘘!こんな風に本棚の整理なんてしていい子ぶってる癖に」
弱々しく口から出た言葉は余計に茂木先輩を怒らせてしまった。別にいい子ぶっている訳じゃないよ。気になったからやってただけで…。けど、それを話しても怒らせてしまうだけだと思い口にはしなかった。
「夏鈴ー、そんなに怒鳴んなって。あのね梨乃ちゃん。こいつ悠のこと好きなのね」
「ちょ、杏奈!?」
今まで見ているだけだった柳先輩がニコッと笑って茂木先輩を止めた。
「あんなこと言った時点で夏鈴が悠を好きなことはバレバレっしょ」
ケタケタと笑う柳先輩に茂木先輩の勢いが弱まった。少しだけホッとしたのも束の間だった。
「まぁ、親友としてはさ。夏鈴のこと応援したいわけよ。だからさ、今後は悠に近づかないでくれっかな?夏休み当番も今日で終わりでしょ?」
「えっ…」
「そしたら夏鈴もこんな心配しなくていいじゃん?先輩の恋を応援してくんないかな、梨乃ちゃん」
柳先輩は笑っているけど、さっき茂木先輩に怒鳴られた時よりも怖い感じがした。思わず一歩下がると本棚に背中がぶつかった。
「あー、なに?やっぱり梨乃ちゃんも悠が好きなの?」
「………」
「なんとか言えよ」
柳先輩の質問に私が黙ると茂木先輩が睨みをきかせる。
私は悠先輩のことが好きだ。だけど、今それを言ったらどうなるか分からない。私は黙ったままうつむく。先輩達にはそれを肯定ととらえられてしまった。
「へぇー。まぁ梨乃ちゃんが悠を好きでもそうじゃなくてもいいんだけど、近寄らないって約束してくれるかな」
私が答えられずに黙っていると茂木先輩がツカツカと近寄ってきて制服の胸元を捕まれた。
「シカトしてんじゃねーぞ」
後ろは本棚で前は先輩だ。逃げ場がないし、そもそも服を捕まれては逃げられない。
怖い。誰か助けて!
「先輩の言うことが聞けないなら少しお仕置きがいるかな」
柳先輩の笑顔が怖い。茂木先輩の手が上がった。これから来るであろう衝撃にそなえるために私はぎゅっと目をつぶった。その拍子に涙がこぼれて頬を伝う。
「そこで何してるの?」
不意に聞こえてきた声は夏休みの間で耳慣れたあの声だった。
「ゆ、悠!なんで!?先生の用事は…」
恐る恐る目を開けると悠先輩の登場に茂木先輩が驚いて振り上げた手をすっと下ろした所だった。
「呼び出された理由が思い付かなかったんだけど茂木達のせいだったのか。先生の勘違いだってことで解放してもらったよ」
悠先輩は茂木先輩達を見て淡々と言った。それまでの勢いが削がれた茂木先輩がうつ向いた。悠先輩と目が合う。私を見て少しだけ笑ってくれたけど、すぐに真剣な顔になった。
「それで、茂木と柳は何してたの?」
「何キレてんの、悠。ウチらは梨乃ちゃんのこと手伝いに来たんじゃん。悠が先生に呼び出されてたから、一人じゃ大変だと思ったの。マジになんなて」
柳先輩が冗談めかして、頭の後ろで手を組んだポーズをする。悠先輩はちらっと私を見た。
「高宮泣いてるみたいだけど、手伝いに来て、なんで高宮が泣くことになるの」
「ウチらが手伝いに来て嬉しかったんじゃね?」
「そうなの?高宮」
悠先輩に心配そうに聞かれる。茂木先輩と柳先輩からはうんって言いなという無言の圧力を感じる。夏休み前の委員会の時と同じだ。だけど、今日は頷くわけにはいかない。私のために怒ってくれている悠先輩がいるから。
私ははっきり首を横に降った。それを見た柳先輩は「あー」と脱力した声をあげる。悠先輩の声に力がこもる。
「違うみたいだね」
「だって!だって……ウチは悠のこと好きなのに高宮が悠といい感じだって隼人が言うから……」
うつ向いていた茂木先輩が顔をあげてまっすぐに悠先輩の方を向く。「あちゃー」と柳先輩が言ったのが聞こえた。
手をグッと握って告白をした茂木先輩を見て、こんな状況なのにも関わらず私は心がズキッと傷んだ。
「隼人のやつ………」
悠先輩は困ったように頭を押さえた。それから答えを待っている茂木先輩と向き合った。
「茂木達は勘違いしてるよ」
「えっ…」
悠先輩の口調がいつも通りの落ち着いたものになっている。告白…OKしちゃうのかな…。それほど待ってもいないのに悠先輩が口を開くまでの時間を長く感じた。
「高宮が俺といい感じじゃなくて、俺がただ高宮のことが好きなんだ」
決心したという顔の悠先輩。柳先輩と茂木先輩の顔が私に向く。付き合ってるのかという視線を感じたけど、頭が真っ白になっていてそれどころじゃなかった。
「最初は夏休みなのに一生懸命に図書委員をしている高宮が気になったんだ。話してると楽しくて、少し億劫だった夏休みの図書当番も高宮と会えると思うと楽しみになって、高宮のことが好きだって思った。だから茂木の気持ちは嬉しいけど…ごめん。俺は高宮が好きだから答えられない」
「悠…」
「夏鈴、行こっか」
茂木先輩は涙目になっている。柳先輩が優しくその肩を叩いてその場を去ろうとする。悠先輩はそんな柳先輩を睨んだ。
「柳、こんなこと考えたのは茂木じゃなくてお前だろ。言っとくけど俺が好きな子に何かしたら許さないから」
「おお、怖いね。そんな怖い顔しなくてもいーよ。ウチはただ夏鈴の応援したかっただけだから。梨乃ちゃんにはもう何もしないよ」
「ほんとか?」
「ほんとほんと。勝ち目なさそーだもん。それじゃーね。夏鈴行くよ」
すっかり元気をなくしている茂木先輩を夏鈴先輩が連れていく。悠先輩の言葉に私は動揺していたけど、この場を立ち去ろうとする二人の先輩に声をかけた。
「あ、あの…」
「なーに?」
飄々とした笑顔で振り返る柳先輩。私は向こうを向いたままの茂木先輩を見た。大丈夫かなぁ。
「あー、それはやめたげて。逆効果だから。ウチに任せてよ」
「…は、はい」
柳先輩が困ったような苦笑いをする。確かに柳先輩の言うとおりだ。今の私が何を言っても逆効果になる。私が口をつぐむと柳先輩はバイバイと手を振った。
「そんじゃ梨乃ちゃん。怖がらせてごめんねー」
こんどこそ柳先輩と茂木先輩がこの場を去った。図書室のドアが開いて再び閉まった音が聞こえた。私は緊張から解放されてその場にへたりこんでしまった。
「高宮!?」
「平気です。ちょっと気が抜けちゃって」
「そっか…」
先輩が私と視線を合わせるようにしてしゃがんだ。とたんにさっきの先輩の言葉を思い出し顔が赤くなる。
「あ、えっと先輩…。さっきの…」
「あっ、ああ…」
先輩は気まずそうに私から顔をそらした。あっ、耳が赤くなっている。先輩照れてる?
「さっき言ったのは、その場しのぎの嘘とかじゃないから。俺は本気だよ。本気で高宮のことが好きです」
再び私に向けてくれた先輩の顔はほっぺたが赤くなっていた。先輩は私の答えをじっと待っているみたいだ。ドキドキとうるさい心臓を宥めるように深呼吸をする。
「わ、私も悠先輩のことが好きです。一緒に図書当番をしてて好きになりました」
「高宮…。ありがとう」
少し声が上ずったけど先輩に私の気持ちがちゃんと伝わったのが分かる。安心したように先輩が笑う。私がほぅっと息を吐くと先輩の手が後頭部の辺りを掴んだ。えっと思っているうちに先輩の顔が近づき唇に何かが触れた。先輩の顔がすぐそばにあって気づく。
私、先輩とキスしてる
頭と目がぐるぐる回り先輩が触れているところが熱い。反射的に身を引こうとしたけど後頭部を捕まれてるから動けない。永遠にも思える数秒ののち先輩が唇を離し、至近距離で見つめられる。
「高宮、俺と付き合ってください」
「はい」
先輩に真剣な眼差しで告白され、私はボーッとする頭で返事をする。先輩と付き合えるなんて夢みたいだ…。
そうだ。お付き合いできるなら…。私はふと思い付きを口にしてみる。
「私のことも名前で呼んでくれませんか?悠先輩?」
そう言って笑うと悠先輩がぎゅっと抱き締めてくれた。そして耳元で囁かれる。
「そうだね、梨乃」
二人きりの図書室に午後の光が差し込んみ静かな時間が流れた。
中学校初めての夏休み。初めての夏休み当番。初めての恋。たくさんの初めてに出会えた夏休みの最後。私に初めての彼氏ができました。