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温もり

 腕を掴んでいる人物にイライラとした目をやる。

 

 もう見えている世界は朧気で、その人物の輪郭などぼやけてしか見えていなかった。

 真っ赤に染まる視界、もうグレイは正気ではなかった。


 せっかく人が気持ちよくなりかけていたのに、それを止めやがって。

 そんな怒りを込めて、まともな判断が出来ない意識の中、邪魔者にターゲットを変えた。グレイが掴んでいた女はぐったりとしたまま地面に力なく倒れる。そしてもうこれ以上殴られることがないことに安堵したのか、静かに瞼を閉じた。

 

 ふつふつと込み上がってくる怒り。沸騰した湯の水面に上がって弾けた泡のように止まることはない。

 カラカラに乾いた身体をただ潤したくオアシス目掛けて走る旅人のような、水のためなら誰かを殺しても構わないような死ぬか死なないかのような気持ちであった。いや、心はそうであったが、完全に肉体は悪魔に乗っ取られていた。

 

 口から溢れ出す唾液もきにすることはなく力任せに腕を振り払った。

 そして掴まれていた腕の反対側、つまり左腕を薙ぐように振るうが、腕は無様に空を切り勢い余って右側の腕にぶつかる。大振りだったためか、相手には悠々と躱された。


 目の前の人間はこちらに何かを伝えようと悲鳴のような声を上げているようだったが、グレイには届かなかった。

 何を言っているのだ、こいつは?


 そんな疑問はまるで身体をすり抜けるように消えていく。


 ただ、今はこの力に溺れていたい。

 俺が一番強い、俺が誰よりも強い......


 そんな実感だけを味わっていたかった。


 これまでの惨めな弱い自分から逃げ出して、誰もが認める強い魔術師になりたかった。


 雄叫びを上げながら走り出す。

 あまりに大きな声を出したからか喉は焼けるように痛かったが、それも悪くない。

 全身全霊で行きているような気がした。

 

 強ければこんなにも生きることは楽しいのか......


 これなら俺を見下していたあいつらにも勝てる...... 


 漲る悪魔の魔力を身に纏い、両手に火属性の魔力を集め狙いを定める。

 いつもの俺の魔力では到底出来ないほどの高威力の魔力が集まりそれだけで気分がいい。

 

 気分がいい、もう最高だ!

 

 そんな優越感に満ちたまま放った魔術は辺り一面に大きな穴を開けるほどの大爆発を起こした。

 

 吹き飛ぶ大地に、建物の破片が宙を舞う。


 爆発で夜空は彩られ、その大爆発の鼓膜を揺さぶる音に、吹き付ける爆風に、燃え上がる爆炎に胸が高鳴る。



 これなら誰もが認めてくれる魔術師になれる、誰にも文句が言われない魔術師になれる。



 諦めていた一流の魔術師にやっとグレイはなることができた。

 その自分の心の奥底で隠れていた欲望が芽が生える。


 なりたかったけれど才に恵まれず、血に恵まれず、最後まで師に恵まれなかった。

 口に出すだけで周りからは嘲笑され、教師になり生徒に魔術を教えても自分の無力さが消えることはない。

 それどころか才能ある生徒たちの成長を見ると胸が張り裂けそうになる。

 その才能、その血、その全てに嫉妬の炎で身を焦がす。


 強くなりたかった。

 一流の魔術師になりたかった。


 どれだけ経っても、どんなに諦めてもその夢だけは消えることはない。


 

 手を伸ばそうとするだけその距離は離れていることが実感できる。

 研究をしていき、魔術の知識を得る度に自分が一流の魔術師になれない証拠が出てくる。


 

 そんな弱い俺でも、行為を持ってくれている人が居た。

 小さい頃から面倒ばっかりかけて、それで自分が持っていないものをすべて持っている彼女が疎ましかった。

 こちらに向けてくる笑顔は眩しく直視は出来ない。

 彼女の華々しい活躍を目にする度に自分がどれだけ彼女より劣っているかが分かってくる。



 こんな俺でも好きだと言ってくれる彼女のために俺も諦めずに頑張った。

 彼女と同じぐらい、いやそれ以上に凄い魔術師になりたかった。

 

 それだけだった。


 

 もう抑制が効かない身体の中で弱いグレイが涙を零す。

 目の前には必死にこちらに呼びかけているツキミの姿がある。

 「グレイ!目を覚ましてよぉ!」


 その声は鳴き声であり、悲鳴であり、願いであり。

 何度も叫んだせいでいつもは鈴を転がしたかのような心地よい声はガラガラに枯れていた。


 先程の爆発に巻き込まれたせいで制服は泥だらけになっており、膝など擦りむいたのだろう鮮血が流れていた。

 

 「なんで戻ってきてくれないの!」

 

 こちらに魔術を放つが、それは悪魔の魔力に触れるとまるでシャボン玉のように割れて消えてしまう。

 身体は彼女を殺すためにゆっくり近づいていっている。

 駄目だ、そっちへ行くな。そう必死に身体を止めようとするが身体はもう悪魔に乗っ取られていた。

 

 「目の前で愛しい人が死ぬのを見ていろ」

 こちらを悪魔は見て顔を歪めた。


 「自分が力を欲するばかりに周りを見ることもせず、そして自分の軽率さや愚かさを彼女の死で学べ。そしてこれからの人生彼女の死の瞬間を永遠に忘れること無く苦しさだけを味わって生きろ」


 嫌だ!辞めてくれッ!そう叫ぶが、その俺の叫びは悪魔を一層喜ばせるだけであった。

 


 諦めずこちらに何度も何度も何度も魔力を打ち込み、俺を止めようとするツキミ。

 俺の身体が彼女の目の前に経つ頃には立っていられるほど魔力は残っておらず、地面に崩れ落ちていた。


 小さく啜り泣く声が聴こえる。

 

 その彼女の首に手が触れ、彼女の体温が脈が震えが伝わってくる。

 首を触れる手はだんだん力が加わり、その細い首を締め付けていく。

 彼女の手は足掻こうと俺の腕をつかむが、掴むほどの力はなくするりと落ちていく。


 「やだ、死にたくない......」

  零れる言葉に、涙に、俺は必死に悪魔に抵抗しようとして、その手を緩めようとするが身体は言うことを聞かない。

 いいから放せよ!放してくれよ!!

 心のなかで泣け叫びながら抗うが、その首を締め付ける力は抜けることはない。

 それどころか締め付ける力が強くなっていく一方だ。


 「わ、わたしを......ひとりにしないで.........」


 息もできずに、かすれた声が漏れた。

 その瞬間これまで彼女の首を絞めていた手の力が緩んだ。

 

 その言葉は彼女の祖父が、家族が死んだ時に俺に言った言葉だった。

 


 彼女は地面に倒れると咳き込みながら息を深く吸う。

 俺の身体を奪っていた悪魔はまるで狼狽えるかのように一歩、二歩と後ろに下がり、恐れるように自分の手を見た。

 

 「何で今殺せなかった......」

 そう呟くと、興ざめしてしまったのか自分の魔力をしまい込み、俺の体の奥深くへと帰っていった。


 やっと自分の思い通りに動く身体。

 まだツキミを殺そうとしていた感覚が残っており、胸を刳るような感覚が襲ってきた。

 

 だがそんな場合ではない。

 自分の罪の重さを感じている場合ではない。


 その下がった足を前に踏み込み彼女を抱きしめた。

 「ごめん、ひとりにしようとして......」

 

 抱きしめて体全体に彼女の温もりを感じた。

 生きている、本当に良かった。そう心からそのことに感謝する。

 ツキミは俺が戻ってきたことを察したのだろう。

 まだ呼吸が整っていないのに大きく息を吸い込んで言った。


 「おかえりなさい、グレイ」

 その優しさに、俺の涙は止まらなかった。

 久しぶりに泣いた。声が枯れるほど、涙が枯れるほど。


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