第4話 初めてのお客さん (1)
眩しい朝日に照らされ、微睡んだ意識が浮上する。
何だろう、なんかモフモフして気持ちいい。暖かいふわふわのモフモフが頬に触れている。
「…モフモフ…幸せ…」
「…そうか、じゃあもう死んでも悔いはねぇよな。」
次の瞬間、鋭く光る爪が私の頬を引っ掻いた。
「…最悪の朝だ。」
「それはこっちの台詞だ、俺様がわざわざ起こしに来てやったってのにてめぇ、俺様を布団の中へ引きずり込みやがって…次ぎやったら喉元噛みちぎってやるからな。」
モフモフの幸福は一瞬で終わり、目覚めは最悪。引っ掻かれた頬が地味に痛い。
茶の間へ降りると新聞を広げて珈琲を飲む悠禅と朝食のフレンチトーストをちゃぶ台に並べる花子さんの姿があった。
この和と洋のコラボレーションは、やはり少し違和感を感じる。
「やぁ、葵くんおはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「おはよう、悠禅。お陰様でゆっくりと休めました。」
アオは、いつもの定位置なのか厚手の座布団の上に座り丸まっている。悠禅の隣に腰掛けると絶妙なタイミングで花子さんがホットミルクを持ってきてくれた。
「おはようございます、葵くん、(バイトのくせに店主より遅く起きるなんていいご身分ですね)ホットミルクで良かったですか?」
「あれ、おかしいな。幻聴が…」
今日も花子さんは、花子さんです。
「葵くん、私は今日アオさんと出かける用事がありますので、お店を花子さんと貴方にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい!分かりました、任せて下さい!」
ありがとう、助かります。と言いながら悠禅は立ち上がり出掛けの用意を始めた。
花子さんは慣れた手つきで悠禅にコートと帽子を手渡す。
「じゃあ行ってきます。花子さん、後はよろしく頼みます。」
「かしこまりました。悠禅様とアオ様もお気を付けて、いってらっしゃいませ。」
深々と頭を下げ見送る花子さんを見ながら、私は口いっぱいにフレンチトーストを詰め込んで二人に手を振る。花子さんが作ったフレンチトーストは絶品だった。
そんな私を溜息混じりに真顔で見下ろす花子さん。
「…いつまで食べているんです。さっさと片付けて仕事をしますよ。」
「ふぁい!」
朝食を胃に押し込み花子さんに付いていく。店の外へ出ると花子さんは私に箒を差し出した。
「外の掃き掃除をお願いします。あなたのように低能な人間でもこの程度の仕事ならできるでしょう。店の中は私がしておきます。」
「了解です!」
私を置いて花子さんはさっさと店の中へ戻っていった。外はもう日も出ていて、寒いけど何だか気持ちがいい。
これで平行世界と言うのだから、まだ信じられない。どう見てもいままでの世界と変わらないのだから。
鼻歌を歌いながら掃き掃除を始めると、路地の奥から人影がこちらに向かって歩いてきているのが目に入った。人影は真っ直ぐ私の所へ歩いてきた。近くで見ると、人の良さそうな男の人だ。
「あの、すみません。こちら、香屋さんですよね?」
「あ、はい。そうです。」
「今日はお願いがあってきたのですが、中を見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ。」
お客さんかな?
私は店の引き戸を開けて彼を店へ案内した。店の中では花子さんが眩しい笑顔でお客さんを出迎える。
「いらっしゃいませ。」
「あ、あの、実は今日、お願いがあってきました。」
「生憎、今店主が外へ出ておりますのでご要件だけお窺いさせていただきますが。」
「そ、そうですか…」
男は少し挙動不審に見えた。
「…実は、こちらの店は死者に合わせてくれるという噂話を耳にしまして…もし、もしも本当なら、その…是非、合わせて欲しい人が居るんです…」
私は目を見開く。
それはきっと、あのとき悠禅が見せてくれた香のことだ。花子さんは相変わらず眩しい笑顔のまま答えた。
「左様でございますか、ではその旨店主へ申し伝えさせて頂きますので、今日の所は御引き取り願います。」
花子さんの言葉を聞いて男は必死の形相で花子さんの手首を掴んだ。
「あの、店主の方が戻られるまでここで待っていてはいけませんか?!」
「困ります。」
「どうしても、どうしても今日会いたいんです!今日は死んだ妻の命日なんです…今日、どうしても今日でなければならないんです…!!」
「…店主はいつ戻るか分かりませんので、そのようなお約束は出来兼ねます。」
「……そう、ですか……すみません、また出直します…」
酷く憔悴した様子で男は店を後にした。私は少し、気分が悪かった。
「…どうしてあんなに冷たくしたんです?」
「葵くん、外の掃き掃除は終わりましたか?さっさと終らせて来てください。」
そう言うと、花子さんは店の奥へ入ってしまった。
あの人は、きっと奥さんに会いたかったんだ。何か、言いたい事があったはずだ。
大切な人が居なくなる悲しさ、辛さは痛いほどに私にも分かる。
私が、助けてあげたい。
テーブルの上に目をやると、あの日悠禅が見せてくれた豪華な薬箱が置かれていた。
私はそれを掴み、先程店を出た男を追いかけるために店を飛び出した。
薬箱を手に男を追いかけると、路地に入った所で男の姿を見つけた。
良かった、まだ近くにいて…
私は急いで男を呼び止める。
「あの!すみません!」
「え?あ、君はお店の…」
「はい、あの…私、お客様の気持ち、わかります…大切な人を失う辛さ…」
一人は寂しく、とても孤独だ。
「だから、あの…私で良ければ、お客様の力になりたいんです!」
男は驚いたように目を見開いてから、緩く笑った。
「いいのですか?」
「…はい!」
「ありがとう、ありがとう…!!」
男は私を抱きしめ声を震わせて言った。
私はその場に布を広げ薬箱の中身を取り出す。あの日悠禅がやっていたのを必死に思い出す。お香を焚くことくらい私にだって出来るんだ。
確か、香炉に香を置いて火をつけるだけ。
簡単じゃん。
テキパキと用意し、火を灯す。暗い路地に僅かな明かりが灯りお香の香りが漂った。
そう言えば、悠禅から約束事があったんだっけ。
「えっと、良いですか?話すことは…「どけ!チビ!!」
突然、男が私を突き飛ばす。私は狭い路地の壁に叩き付けられた。
男はまるで別人のような顔をして私を見下ろしている。
「一つ、昔話を聞かせてやるよ。」
男は、下卑な笑い声を響かせながら私の胸ぐらを掴んでそう言った。