第2話 大切な何か
…さて。
新しい世界への一歩を踏み出した私が、暗闇の中を歩き始めてもうかなりの時間が経過している。三十分は歩いたんじゃないだろうか。どういう原理か、骨折しているはずの足はまったく痛まないし普通に歩ける。だが引きこもり生活を送っていた私の軟弱な足はいい加減悲鳴を上げていた。無言で歩き続ける時間にいたたまれなくなり、私は重い口を開いた。
「あの…あとどれくらいで着きます?」
「もう間もなくですよ、疲れましたか?」
「いえ…なんか、想像してたより遠いんですね。もっと良くある異世界トリップみたいに、ワープ!、みたいな感じで行けるのかと思ってました。」
「人生、そんなに上手くは行きませんよ。」
「…仰る通りです。」
「ところで、“こちら側”へ着く前に、貴方にはいくつかお話しておく事があります。」
「…何ですか。まさか、やっぱり指寄こせとか言わないで下さいね。」
「言いませんよ、くださるならいただきますけど。」
まじでとられそうなので私は首を大きく横に振った。そもそも、身体の一部が執拗なんて、一体何に使うのか…。
質問するのも恐ろしいのでやめておこう。
「まず、貴方の失った右目ですが、残念ながらもう元に戻ることはありません。怪我や傷は修復出来ますが、無くなった物は戻りません。」
「…そうなんですか。」
「そして、貴方が“こちら側”へ来る為にいくつか手続きが必要でしたので、それは私の方で全て済ませておきました。」
「すみません、ありがとうございます。悠禅は、どうして私にここまでしてくれんですか?私は「…と、そろそろ出口ですね。続きは私の店に着いてからお話しましょう。」
話を遮るように言った悠禅の言葉に視線を前に向けると、真っ暗な道の先に一筋の光が見える。あれが出口だろうか。期待と緊張が入り交じり身体は高揚感に包まれる。話をはぐらかされた気がするが、身体に感じる高揚感が優り気にしない事にした。
フワリ、と両耳に柔らかな感触がして悠禅を見上げる。
「忘れ物ですよ。」
両手で感触を確かめる。それは母がくれたウサギの耳あてだった。
「大切なものなのでしょう?」
「…うん、ありがとう。」
「いいえ。」
耳あてに両手で触れると安心感に包まれた。顔を上げると目の前に眩い光が迫っている。身体が光の中に吸い込まれ眩しさに目が眩む。遂に、私は新しい世界へ旅立つのだ。
新しい世界が。
……………………あれ。
私の視界にうつる世界は………
「………………普通!!!!!」
光の先に現れた世界は、よく見る、普通の公園だった。
それは私がいままで住んでいた景色変わらない、何の変哲もない普通の公園だった。
とにかく、普通だった。
「……え、何これ。ドッキリ?実は全部嘘でした!的な?一緒じゃん!普通じゃん!!さっきまでの異世界トリップ感は何!!」
「何言ってんだ、全然違うじゃねえか。」
「何処が?!」
私が想像していた世界との落差に驚きを隠せない。ちょっとシリアスな気持ちになっていた自分が恥ずかしい。あの思わせぶりな入口は何だったのだろう。
「…平行世界、とでも言っておきましょうか。同じように見えて、異なる世界です。貴方もこれから少しずつわかりますよ。“こちら側”と“あちら側”の違いが。」
混乱している私に、悠禅が困った様に笑いながら言った。同じようで異なるというのは一体どういう意味なのだろう。
悠禅は、何か思い出したような顔をして両手を叩いた。
「あ、そう言えば…君を“こちら側”へ連れてくる際に手続きをして来たと言ったけど、その時に少し君という存在に変化を付けさせていただいています。」
「変化…って、まさか、チート能力的な…!」
思いもよらぬ展開に私は目を輝かせる。
「まず、貴方は男の子になりました。」
はいぃ?
「今、何と…」
「貴方は男の子になりました。」
「ふぁい?!」
「…うるせぇ、気持ち悪い顔するな。」
嫌悪感丸出しでアオが目を細めて私を見る。
「双方の世界は、同じであって異なる世界です。起こった出来事は多少の誤差は生じても、どちら側にも、どのような形であっても起こります。それは人も動物も全てに平等です。」
「同じであって、異なる…そ、それと、私が男の子になることにどんな関係が…?」
「つまり、“こちら側”にも、貴方という存在があるということです。」
「私が、いる?」
「同じ世界に同じ二つの存在があることは許されません。その為に、貴方の存在に生物的変化を付ける必要がありました。念のため年齢も変えておきました。つまり、要約しますと…貴方は10歳の男の子になりました。」
公園に居た鳩が一斉に飛び立った。
私は空いた口が塞がらないまま後ろを向き、ぎこちない動きでそっと、そーっと下半身に触れてみた。
微笑む悠禅。
面倒くさそうに欠伸をしているアオ。
……新たな世界で私はチート能力を得る変わりに、粗末なエクスカリバーを手に入れた。
「元々ちびっ子だったんだ、対して変わらねぇだろ。乳もねぇし。」
「変わるわ!チート能力どころか大切な何かを失ったよ!」
「いいだろ、大切な何かを得たんだから。」
「…何かって何?ナニの事?」
先程の寝たきり状態とは違い今は自由に動ける私は、全く興味が無い様子のアオを睨みつける。喧嘩腰の私達の間に悠禅が宥めるように割って入った。
「まぁまぁ、二人共。外は冷えるから続きは店で話しましょう?」
「「……………。」」
確かに寒い、双方の世界は季節も同じなのだろうか。
言いながら、悠禅は公園の駐車場に止められた一台の車に向かって歩き出した。悠禅を追うようにアオも歩き出す。私も二人の後に続く。二人は一直線に真っ白な高級車へ向かって歩いて行く。
公園に止められた一台の真っ白な高級車はその場に似合わず、浮いて見えた。
というか、実際浮いている。
こんな殺風景な公園には不釣り合いな豪華さだ。
何の迷いもなくその車に乗り込む悠禅に私は戸惑い、足元にいたアオに小声で話しかけた。
「…ねぇ、悠禅て何者?」
「あ?」
「私こんな高そうな車、テレビでしか見たことないんだけど…お店そんなに儲かってるんだね。確かにヤバそうな仕事っぽいけど…」
「馬鹿言え、あんなボロい店が儲かるわけねぇだろ。」
「え、でも凄い車じゃん。着てる服も高そうだし。」
「アイツの実家、金持ちだからな。」
「親の金かよ…!!」
車の窓がゆっくりと開き悠禅が首を傾げてこちらを覗き込む。
「どうかしました?乗らないんですか?」
「いえ、あの…乗ります。」
一抹の不安を感じたまま車に乗り込む私。アオは慣れたように、車の助手席に座っている。
車はゆっくりと店へ向かって走り始めた。