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恋に堕ちて愛に溺れる

作者: 榎本あきな

大団円ハピエン企画への参加作品です。

条件:5歳以上の年齢差があること(ヒロインが年下扱いなども可)、すれ違い要素が含まれていること、大団円ハッピーエンドであること

条件違反、誤字脱字、批評等がございましたら報告してくださいますと幸いです。



天使は、天使に恋をしてもいいです。

 天使には、好きという感情しか込められていないから。想いがとても、軽いから。


 天使は、悪魔に恋をしてもいいです。

 ただし、好きと同じくらい嫌いが込められている。その想いに、殺されないように。


 天使は、人間に恋をしてはいけません。

 嫉妬、羨望、欲望……沢山の感情が絡まっているから。想いがとても、重いから。



 天使は、天使を愛してもいいです。

 天使の愛は、純粋で、注ぐ量も決まっているから。想いがとても、薄いから。


 天使は、悪魔を愛してもいいです。

 ただし、愛が日によって濃かったり薄かったりする。その想いに、汚されないように。


 天使は、人間を愛してはいけません。

 愛しさ、恋しさ……沢山の感情がこぞんでいるから。想いがとても、濃いから。


出展:純白文庫『天使のいけない10か条』


***

ルール違反の悪い子


 僕には、この天界に天使として生まれ落ちた時から、大事な片割れが存在する。

 僕たち天使は、生まれたときから小さな翼をもって生まれてくるんだが、その翼の片方すらも繋がって生まれ落ちてきたからか、僕たちを生むとき、母さんはとても大変だったそうだ。

 そんな僕と片割れの翼は、別々の天使にするために切り離したからか、片方だけが数十年たった今でも、小さなままだ。


 僕はあいつであいつは僕で……常に一心同体、どこに行くでも一緒の僕たちは、能力ですらも全く同じだった。

 片割れの頭がよければ、僕も頭がいい。

 僕の飛ぶ速さが速ければ、あいつも飛ぶ速さが速い。

 他のやつらは俺らの見分けがつかなかったみたいだけど、それでよかった。

 僕と、片割れだけの、二人だけ世界で、よかったんだ。


 ……あの声を、聞くまでは。



 僕たち天使は、物心ついた時から口を酸っぱくして言い含められていることがある。

 それは、『人間に恋をすること、愛することをしてはいけない』ということだ。

 なんでも、人間に恋をすると、純粋な天使は人間の感情を汲み取ってしまい、好き以外の無駄な感情……羨望とか欲望とか、いらない感情が混ざって、羽が重くなって飛べなくなるらしい。

 そして、人を愛すると、愛した人間の愛情が天使に注ぎ込まれるんだけど、その量が半端なく多い上に色が濃くて濁っているから、天使の体から愛が溢れて、体の中が愛っていう水みたいなのでいっぱいになって溺れるらしい。

 ちなみに、悪魔に恋をすること、愛することはいいらしい。

 悪魔は結構純粋らしくって、好きって感情に憎いが入ること、感情が情緒不安定なことに気をつければ、好きになっても大好きになっても大丈夫みたいだ。

 現に、僕たちの父親は悪魔だ。


 そんなこんなで、天使は、特に優秀だけれど問題児だった僕たち双子は、人間に恋すること、愛することを厳しく禁止されていた。

 そして、人間に関わっているところだからと、ある場所が立ち入り禁止になっている。

 そこは、『人間のゴミ捨て場』と呼ばれているところだ。

 風で宙に舞った人間界のものが、気流にのってそこに流れ着くことから、人間のゴミ捨て場と呼ばれる由縁だ。

 優秀な問題児だった僕らが、そんな面白そうな場所にいかない……なんて選択肢はなく、天使について学ぶ学校に通っている僕たちは、それが終わったら真っ先にそこに行った。

 大人の天使たちに刷り込まれるかのように、そこには近づくなと言われているからか、同年代の天使達はまったく来ないそこは、絶好の遊び場だった。


 その日も僕たちは、二人でそこに遊びに来ていた。


「今日は何して遊ぶ?」

「ん~……宝探しでもする?」

「昨日もそれやらなかった?」

「いーじゃん!毎日何かが飛んでくるんだから、また新しいの来てるかもしれないし」

「昨日もそういって、収穫なんもなかったよね。面白いからいいけど」


 僕に笑いかけてくる元気な片割れにつられるように僕も笑いかけてから、結構広い空間の中に、そこらじゅうにできているガラクタの山の中を、探し始めた。

 薄っぺらい板や、凹凸が沢山ついた長方形。

 絵が沢山ある本に、丸まった紙の入った黒い筒。

 僕らよりも大きな役に立たないものの塊を見上げながら、手当たり次第にガラクタ達を手に取っていく。

 特にあてもなく探していると、片割れが動きを止めているのに気がついた。

 何かを、聞き逃さまいとするかのように、目を閉じ、耳を澄ませている。

 棒立ちの片割れが、ゆっくりとどこかへ向かっていく。

 その視線の先には、木で出来た机の上に乗った、黒くて長方形の、網目とよくわからない棒のついた、不思議な物体があった。

 片割れと同じように、僕もその物体に近づいていくと、その中から砂嵐のような音と、僕らよりも幼い声が聞こえてきた。

 僕らは、その物体に手が触れるくらいまで近づいてその音と声に耳を澄ます。


『ザッ……ザザッ……僕……ザザッ……っていうんだ!!』

『ザザッ……遊ぶ人、ザザザッ……いないの?』


『じゃあ、僕と一緒に遊ぼうよ!!』


 それは、ある意味必然だったのかもしれない。

 完璧な片割れは、その心まで完全に僕と同じというわけではなく、片割れと自分の二人だけの世界で完結すれば満足な僕と違い、僅かに外の世界に興味を抱いていた片割れ。

 それでも、二人で一人という意識はあるのか、僕から離れようとする気配は微塵も感じなかった。

 ただ、僕ら以外の人たちが気になるだけで。

 ……だから、自分に向けてじゃなくても聞こえたその言葉に、外の世界から引き上げてくれるその言葉に、片割れは心を揺さぶられたんだと思う。

 目の前の物体を見ているはずなのに、その瞳は、どこか遠くを眺めている。

 定まらない視線と、僅かに蒸気した頬に、何かを言おうとして言葉が出ず、パクパクと開閉を繰り返す唇。


 僕はその時初めて、人が恋に“堕ちる”のを見た。


 いつもふわふわと浮いている肩甲骨から生えている真っ白な二つの羽は、水を吸い取ったかのように重くなり、目に見えて萎んでいく。

 僕は片割れの手を掴み、小さな羽と大きな羽を目一杯広げて、灰色の雲に覆われ始めた空に飛び出した。

 いつもなら二分の一なのに、その日は二倍だった。

 息が切れて、目の前が揺らいでいくのにも構わず、僕は今までで一番速く空を駆けた。

 家につき、父さんと母さんにただいまの挨拶すらろくにせず、自分たちの部屋まで走っていって、部屋の中に入ると、鍵をかけた。

 落ち着かない呼吸を正すために深呼吸をしながら、未だにどこか虚空を見つめたまま、僕が手を離した瞬間座り込んだ片割れの目の前に座り、そして、ゆっくりと抱きしめた。


 このことが知れたら、片割れがどうなるか、わからない。

 不完全になってしまった片割れが、どうなるのか。

 一つになれなくなった僕らが、なんになるのか。


 完璧じゃなくなった片割れは、羽という体を失った。

 だったら僕は、その片割れを埋めるように、知識という頭を失わなければいけない。

 けれど、いくら僕たちが二人で一人だといっても、周りにバレたら大変なことになる。

 そのためにも僕は、片割れを恋から掬わなくちゃいけない。


 彼女が、愛に“溺れる”前に。


***

子供と大人の比翼連理


 あれから20年余りが経ち、人間でいう小学六年生くらいの身長だった僕らは、中学三年生くらいまで伸び、いつも二人だけの世界だった僕らに、ほかの人が入ってくるようになった。

 ……いや、正確には、片割れのところだけだけど。

 それに、片割れは飛べなくなった代わりに、すごい勉強して、とても頭がよくなった。

 頭がよくなった代わりに飛べない片割れの、ない部分を埋めるように、僕は飛ぶのが上手くなった。

 飛ぶのが上手くなるように、すごい練習したんだ。

 周りの人たちは、僕ら双子の中で役割分担でもしたんだろうと思ったのか、あの時以上に二人一緒に扱われるようになった。

 むしろ、二人一緒じゃないと欠落品と揶揄されるようになった。

 それが、僕の狙いなんだけど。


 片割れの恋心は、未だに消えていない。

 あの時から重たく動かなくなった、飾りの羽は、今もダランと垂れ下がったまま片割れの肩甲骨から生えている。

 恋心が発覚したあの日。

 僕は早々に、片割れの恋心を消すことを諦めた。

 だって、あの時に見た瞳は、僕を見ているのに見ていないあの目は、何を言っても響かない時のものだ。

 だから僕は、成績優秀者だけに与えられる“人間界への課外学習”という権利を手に入れる為に努力する片割れに、ついていこうと思った。

 諦めさせるにはきっと、実際にあの時聞こえた声の持ち主に片割れをあわせなくちゃいけないけど、片割れを溺れさせたくはない。

 僕が一緒についていけば、もし溺れそうになっても、救えるはずだ。

 その為に、二人で一緒に人間界に行くために、僕らは二人で一つになったんだ。

 その心は決して、僕がいくら望んだとしても、一緒になれないんだけどさ。


 飛行訓練が終わり、別のクラスの片割れを待つ。

 渡り廊下の柵の上に座り、羽をおおきく広げる。

 羽を広げると、片方の羽だけ小さいのが、通常よりもよくわかる。

 その羽の先に、ずっと昔一緒だった片割れはいない。

 体は一緒だけど、心は一緒じゃない。

 いつか、体までどこかへ行ってしまうんじゃないかって、僕は毎日、怯えている。


「ごめん!授業が長引いちゃって……待った?」

「ううん。僕も今来たとこ」

「そっか。よかった」


 駆けてきた片割れが安心したように笑う。

 あの日から伸ばし始めた長い黒髪が、柵しかない渡り廊下から吹いてきた風に遊ばれ、さらりと揺れる。

 それを片手で押さえてから、ゆっくりと沈み始めている、暖炉の炎みたいな太陽を眺めた。


「……私、成績、最初だったよ」

「……僕、成績、最後だったよ」

「……私、飛行訓練、最後だったよ」

「……僕、飛行訓練、最初だったよ」


 二人で、同じような言葉を、繰り返す。

 僕と君にしか、わからない言葉。


「僕と君は、二人で一つ」

「私とあなたは、二人で一つ」

「「だからこれで、完璧だ」」


 二人で両手を合わせて、額をくっつける。

 昔を思い出しながら、僕は微笑んだ。

 何処か遠くを見つめながら、片割れは微笑んだ。

 昔はきっと、互しか、見えてなかったはずなのになぁ。


***

リセットボタンが見つからない


 白くて分厚い壁を降りたその先に、片割れが夢にみたあの世界はあった。

 丘の上にそびえ立つ一本の木を目印に、片割れの両手をギュッと握り締めながら、ゆっくりと降りていく。

 片割れの足が地面についたところで手を離し、僕も片割れの隣に足を下ろす。

 僕らが住むところとは違う、ふかふかした柔らかい草と土に、なんだか足の裏がむず痒くなるような感覚を覚えながら、丘の向こうに目を向ける。

 沢山の大きな建物に、沢山の蟻くらい小さく見える人間の群れ。

 きっと近づいたら、僕らよりも背の高い人間がたくさんいるんだろう。

 その事実がなんだかちょっとムカつくから、もう少しだけこの上から見下ろす優越感を味わっていたいような気がする。

 風がゆったりと吹き、僕たちの髪の毛と草木がさわさわと揺れる。

 初めての場所に見入っていた片割れが、僕の手をとった。


「ねぇ!早く行こうよ!」

「ちょっ、ちょっと待ってよ!どこ行くのかちゃんとわかってる!?」

「わかってる!あなたが体で私が頭なんだから、当たり前だよ」


 にっこり笑って、僕の手を引いていく。

 人に混じるように、僕ら二人の羽が空に溶けて見えなくなっていく。

 なんだか、幼い頃に切られた小さな羽が、またつながった気がした。

 それが嬉しくて、僕はいつの間にか微笑みじゃなくて笑顔を返していた。

 それになぜか少し驚いた顔をした片割れは、その後、嬉しそうに破顔した。


 課外学習中に必要になるものを買い、学び場所として一番最適だと判断されている、これから通う事になる高校を見に行く。

 人間に馴染む為にいつもと違う服を身にまとい、いつも地面を直に踏んでいる足は布でつくられた靴に覆われている。

 手をつないだまま正門から高校の敷地内に入り、昇降口へと向かう。

 靴を脱いで来客用スリッパとやらに履き替えてから、職員室へと歩いていく。

 確か、部外者が入るなら、許可を取らなければいけなかったはずだ。


「すいません。今度こちらに編入させて頂く八神ですが、編入前に少し見学させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「八神さん?……ああ。確かに、今度二人編入してきますね。ええ、よろしいですよ」

「ありがとうございます」


 頭脳担当の片割れが、先生に許可を取ってきた。

 それを確認してから、静かな廊下を二人で歩いていく。

 通る扉についている小さな窓から、40人くらいの人間が机に向かって何かを書き連ねている。

 机に突っ伏している人もいて、そういう人は大抵黒板の前に立っている先生に注意されてたから、片割れと一緒にクスクス笑った。

 そんなことを繰り返していると、いつの間にか一番上まできてしまった。

 ひとつだけある扉を片割れと一緒に開くと、フェンスに囲まれた、真上に青い空が広がる屋上があった。

 その場所へ出ると、あの丘の上よりも強い風が、僕らの頬を撫でていく。

 まるで、空にいたときのような感じがして、まだこちらに来たばかりだっていうのに、なんだか懐かしいような感覚がしてしまう。

 校舎の方から、キンコンカンコンと鐘の音が聞こえてきて、にわかに学校の中が騒がしくなってくる。

 フェンス越しに下を見ると、校舎の方から人がわらわらと飛び出してくる。

 広いグラウンドを見ていると、一人だけ、なんだか違う人がいた。

 その人がなんなのか、誰なのかわかったとたん、片割れの体がびくりと飛び跳ねた。

 フェンスを一度ぎゅぅうって握り締めてから、フェンスからするりと手を離して、校舎の方へと振り返り、かけていく。

 僕は思わず、片手を、去っていく片割れの背中に伸ばした。

 けれどその指先は届くことなく、片割れは去っていく。

 ……片割れは、あの黒い四角……ラジオから流れてきたあの声の人を、見つけたんだろう。

 20年余りがたって姿も声も変わっているはずの、あの人に。

 片割れを恋に堕とした、あの声に。


 片割れが、あの人の元へと駆けていくのがフェンス越しに見える。

 初めて会話するその人に、恥ずかしそうに、けれど楽しそうにしているのが、ここからでもなんとなくわかる。

 片割れは、絶対に溺れさせない。

 そう思うけれど、本当にできるのかどうかわからなくなって、唇を噛み締めて下を向くと、視界の端に片割れの羽が落ちていた。

 その羽を拾い、握り締める。

 今までは白かったのに、ほのかに濁っているその羽を見て、時間がないことを感じた。

 ゆっくりと溺れ始めていることを表している羽を見て、僕は目を閉じた。


***

苛立ちの涙


 片割れの想い人であるあの人は、この学校の教育実習生らしい。

 片割れはこの学校に編入すると、珍しい双子の転校生ということで集まってきた野次馬とうまい具合に関わりながら、先生に積極的に話しかけに行っていた。

 僕はその様子を見てイラついていたからか、その雰囲気を感じ取ってだれも近寄ってこず、更に片割れの方に野次馬は増えた。

 それに、もともと羽が使えなかっただけで運動神経はよかった片割れは、その頭と体の優秀さで、クラスの人気者になった。

 僕はといえば、片割れが頭を担当するから勉強しなくなっただけで、ちゃんと勉強すればそこそこの頭はあったから、片割れが完璧になった今、僕も完璧な自分になった。

 けれど、片割れと違って愛想が欠片もないから、近寄ってくる人は誰もいなかった。

 むしろ遠ざかっているような気すらしてくる。

 今日も今日とて沢山の人間に囲まれている片割れを見て、僕は片割れと視線を一瞬合わせてから、カバンをもって帰った。


「あれ……君は、八神さんの……弟君?」

「げ」


 校門を出て少し歩いたところで、まさかあの人にあうとは思わなかった。

 僕がしかめっ面をすると、その人は苦笑いを浮かべた。


「君は、お姉さんと違ってあまり僕のことが好きじゃないみたいだね」

「そうだよ」

「はは、まいったなぁ……。なんでか聞いてもいい?」

「自分の嫌われてる原因を本人に聞く馬鹿なんていないよね。つまり答えないってこと」


 弄れた返答をすると、困ったようにその人は笑った。

 ……こういうところが、本当に嫌いだ。

 いっそクズだったらよかったのに、編入してからずっと観察していれば、この人がそんな人ではないことが明白だ。

 嫌いになれたら簡単に引き剥がせるのに、嫌いになりきれないから未だに僕は、片割れと一緒にいないんだ。


「……でも僕、こんな短期間で君に嫌われるようなことしたっけなぁ……?」

「……あんたも悪いしあいつも悪いし僕も悪い。嫌うのに理由なんてないんだ。いつの間にか好きになってるのと同じで」

「君は随分大人びてるねぇ」

「じじくさ。……ってか、なんでついてくんの」

「いや、僕も家がこっちのほうなんだ。結構近所なんだね」


 人間で言えばまだまだ若いくせに好々爺のように笑うその人の顔に、思わず絆されそうだ。

 それだけはいけないと、僕は下を向いて地面を睨みつけながら歩く。

 あんたに、僕の片割れは、溺れさせない。


「……あんたさぁ。生徒にこんな舐められた態度取られて、いいの」

「うーん……よくはないんだろうけどさ、君にも事情があるんだろ?人の数だけ物語があるんだ。その人の物語を勝手に変えるのは、よくないと思うんだ」

「…………意味わかんない」

「ははは。まぁ、簡単に言えば、その子のそのままの言葉が聞きたいだけだよ」


 照れたように笑う、その人。

 人としても、先生としても、とっても優しくて、いい人。

 僕の片割れは、溺れさせない……けど、どうして、この人なんだろう。

 どうして、天使である片割れと、人間であるこの人なんだろう。

 どっちかが悪魔ならば、或いは、両方とも天使か人間だったら、どうなによかったのだろうか。

 あいつが溺れなかったら、僕だってきっと、応援できたかもしれないのに。

 パズルのピースがなくなって、埋めるものがなくなった欠落品の僕は死ぬかもしれないけど、それでも、僕がいなくても生きていける片割れを、笑顔で見送ることができたかもしれないのに。


「……なんで、あんたなんだ」

「え?」

「どうして、あんただったんだろう。どうして、あそこから流れた声が、あんただったんだろう。……どうして、あんたにあいつは堕ちたんだろう」

「…………え」

「頼む……頼むから、僕は欠落品になって死んでもいいから、あいつを、欠落品にしないでくれ……!おぼれ、させないで、くれ……!!」


 唇を噛み締め、揺らぐ地面を睨みつける。

 拳を力いっぱい握り、そして、駆け出した。

 後ろからあの人の声が聞こえてくるけれど、そんなの気にしないで全速力で僕は道を駆け抜けた。


***

蛇行した黒い気持ち


 眠い眼をこすりながら、なんとなく、窓の外を眺めていた。

 指先で、あの時初めてあの人を見つけた時に拾った片割れの濁った羽をクルクルと回す。

 あれ以来濁る気配のない羽を見つめる。

 ふっと、羽から窓の外に焦点を合わせる。


 あの人が、女の人と、親しげに話していた。


 目を、丸くする。

 照れたように笑って、頬をかくあの人。

 それを見て朗らかに笑う、その向かいの女の人。

 はっとして手に持った羽を見ると、先程まで少し濁ってたくらいだった羽は、一気に曇り空のような灰色、そして、カラスのような濡れ羽色に変化していく。

 再び窓の外を見ると、二人が手を上げて反対方向に去っていく。

 僕はここが二階であることも忘れて、思わず窓枠に手をついて窓から飛び出した。

 色が変わったってことは、あいつも、あの光景を見つめていた。

 ……でも、違う。あれは。

 ……あれは、お前が思っているようなものじゃない。

 全速力で走っているはずなのに、なんだか鉛のように足が重い気がする。

 距離が、まったく縮まらない。

 視界の端から、片割れが来た。

 あの人と向かい合い、息を切らせた様子の片割れは、口を開く。

 その瞳に、絶望の色を溜めて。

 届かないとわかっていても、僕は思わず、今にも死にそうな片割れに、真っ黒な片割れに、手を伸ばす。

 やっぱりその手は、あの時みたいに届かなかったけど。



「好きです」



 その一言を片割れが言った途端、片割れの口から水が溢れ出てくる。

 吐き出すように水を口から零す片割れは、苦しそうに両手で喉をきゅっとしめる。

 膝をついて、ごぼっ、と咳を繰り返す。

 それでも水は、止まらない。

 人間に馴染むために隠していた羽を出し、ついには倒れてしまった片割れを、真っ白な羽で覆い隠す。

 羽の外から、あの人の声が聞こえた。


「……天使……」


 そう呟いた、まるで他人事みたいなその声に、僕は頭に血が上るのを感じた。


「お前が……お前が!!あんな紛らわしいことするから!!僕言ったよな!?僕の片割れを絶望させるなって!溺れてもいいなら話は別だけどって!!……好きだって、言ったくせに……っ!!!」


 そう、こいつは、片割れが好きだと、少し前に僕に言ってきたのだ。

 もちろん僕は許さなかったけど、それでも、話しているだけで幸せそうな雰囲気を放つ二人に、僕はゆっくりと溶かされていった。

 最近では、想い合ってるだけならいいかと思い始めていたのだ。

 片割れも、この恋が実らないと分かるまでは想いを口にしないだろうと思ったから、何も言わないなら、そして、片割れが自棄になるような行動を起こさなければ、想うだけならいいと言ったのだ。

 なのにこいつは、裏切りやがった。

 他の女に目移りするなんていう、最低の方法で。

 許せなかった。

 僕の大切な片割れよりも、他の人間を選ぼうとしたことが。

 ……そして何より、僕が何度言っても諦めなかったのに、こんな簡単に片割れに選択肢を選ばせられることが。


「違う!彼女とはなんの関係もない!」

「何が違うって言うんだよ!!どうみたってあれは……!!」

「僕は、君のお姉さんのことを、彼女と話してたんだ!!」

「……え……」


 その一言で、音が消えた。

 だって、じゃあ、片割れは、ただの勘違いで、すれ違いで、大切な命を落とすっていうのか。

 生まれてずっと一緒にいた僕よりも違うやつを選んだのに、そいつとのたった一つの小さなすれ違いだけで?

 ……そしたら、おいていかれる僕は、どうなるの。

 欠落品になって、何も埋めるもののない僕は、一体どうすればいいの。

 未だに水を零し続ける片割れの手を両手で握り締めながら、縋るように、祈るように、呟く。


「…………助けて」



「その願い、叶えてあげようか」



 頭上から唐突に聞こえてきた声に顔をあげると、そこには、箒に跨って空を飛ぶ、とんがり帽子を被って真っ赤なランドセルを背負った、小学生がいた。


***

小さな約束


「じゃあ、自己紹介といこうか。あたしは魔女。何千年も昔から、死んで生まれて……いわゆる転生を繰り返してるの。記憶はずっと最初に死んだ時から引き継いでるから、見た目は可愛いチビッ子、中身は妖艶なマダムってところよ」


 とりあえず応急処置をしようと言われ連れてこられたのは、まったくもって普通の家。

 その家の地下に連れてこられ、俺とあの人はソファーに座る自称魔女の対面にある椅子に座っていた。

 片割れは、奥の部屋で自称魔女の作った薬を飲み込まされ、一時的ではあるらしいが、水が口から溢れ出るのを抑えている。

 持っている羽が真っ黒から灰色に戻ったのをみて少し安心したが、それでも、未だじわじわと黒が羽を侵食しようとしているため、まだ終わっていないんだと実感させられる。

 片割れを溺れさせない。

 それができそうなのは、現状から見ても目の前にいる自称魔女だけだろう。

 中身が何千歳っていうのを信じたとしても、唐突に現れたこいつを簡単に信用なんてできないけど、それでも、今はこいつに頼るしかない。


「なぁ。あんたは、あの症状を抑えるくらいなんだから、それを治す方法も、知ってるんだろ?」

「ええ。知ってるわ」

「っ!じゃ、じゃあ……!」

「ただし!タダじゃやらないし、あんたたち……っていうか、そっちのあんたに命をかけてもらうことになるけど、それでいい?」


 唐突に話を振られたその人は、一瞬戸惑ったようだが、すぐに真剣な表情をして、頷いた。

 そして俺も、どんな条件でものんでやろうと、頷いた。

 それをみた魔女は、楽しそうに口角をあげた。


「いいわ。じゃあ、やってあげる」


 そういって、近くの棚に近寄り、一つだけ小瓶を持ってくる。

 緑色の液体が入っており、ドロドロはしていないが、見るからに不味そうだ。


「この薬は、相手の心の中に入れる薬なの。この薬を使ってあの子の心の中に入り、あの子の心と対話して、原因を取り除くの。ただし、この薬は30分すると効果が切れて、相手の心に吸い込まれてしまう。つまりは、死ぬの。そして、今回の場合、あの子の心の中に入って原因を取り除けるのは、元凶であるあなただけよ」


 そういって、魔女はあの人を指さした。

 それをみたあの人は、ソファーから立ち上がり魔女のところまで行き、小瓶を貰う。


「……元はといえば、僕が引き起こしてしまったことだ。責任は取るつもりだよ。それに……」



「溺れさせないでくれっていったのは、君だよ?」



 そういって、緑の液体を飲み干した。


***

苦しさを捨てて


 ソファーに体育座りをして、頭を膝に埋もれさせる僕。

 あんなかっこいいコト言われたら、もう、無理じゃん。

 ……いや、もともと、あの人に会った時から、無理だったのかもしれない。

 だって、僕はあいつであいつは僕なんだ。

 あいつが好きになった人を、僕が嫌いになれるわけなんて、なかったんだ。

 それに、僕らもいつかは、切られた背中の羽と同じように、いつかはきれなくちゃいけない運命だったんだ。

 例えもともと、一つに命だったとしても。

 僕とあいつは、別々の、一人の天使なんだ。


「……あなたたちって、天界で有名な双子の天使よね」

「……確かに、双子の天使は僕らしかいないけど、有名って何」

「飛べない天使に空っぽの天使。でも、補うように、まるで二人で一人の天使のように動く、奇天烈な天使だって。あんたたち結構、私みたいな普通じゃない人間や魔界では、有名なのよ?」

「……知らないよそんなの」


 あいつはどうだか知らないけど、僕はそんなの知らないし、今まで興味もわかなかった。

 だって僕にはあいつがいるんだから。

 僕らの世界は、二人だけで十分だったから。

 ……これからはきっと、そうもいかなくなるんだろうけど。


「……どーせあんた、二人だけで十分とか思ってたんでしょ」

「……そーだけど、何?自分でも自覚してるから、お説教ならいらないよ」

「うわ、生意気。って、別にお説教じゃなくってさ。……別に、無理に関わろうなんて思わなくいいんだからね」


 不思議な言葉を吐く魔女に、僕は思わず、膝に埋めていた顔をあげ、首をかしげる。

 それは、どういう意味だ。


「私、長い間生きてきたから、あんたみたいなやついっぱい見てきたの。その誰もが、全員、違う道を選んでいった。幸せな道を選んだやつもいれば、不幸な道を選んだやつもいる。……でも全員、後悔なんてしてなかった」

「……なんで?」

「そりゃあ、自分で選んだからでしょう。……って言いたいところだけど、たぶん違う。……その道しか知らないからよ」

「その道、だけ」

「そう。その道だけ。比較なんてできっこない。他人と比べることもできない。自分だけの唯一の道。だから、後悔なんてしなかった。できなかった。……だから結局ね、あんたがこの後死んでも、全部なかったことにして生きるのも、他の道を選ぶにしても、後悔なんてできっこないんだから、なんでも好きな道を選べばいいのよ」

「…………好きな道」

「嫌なら嫌でそれでいい。あんたの思うままでいいのよ」


 そういって、小さな背丈をおおきく見せようと、目一杯胸をそらす魔女。

 その姿が微笑ましくて、僕は思わず吹き出した。


「ふっ……ふふ!」

「ちょっと、なによ!人がせっかく親切心で言ってあげてるのに!!」

「いや、だって、小学生が……ふふっ!!」

「確かに背丈は小学生だけど!!中身は熟女なんだけど!!」

「熟女って年でもねぇだろババア」

「はぁ~??」


 瞳孔を限界まで開く魔女に目潰しをしてから、僕は笑った。


「……ありがと。元気出た」

「ええそうでしょねぇ私に目潰しかますくらいですしぃ~??」

「そんな前のこと蒸し返さないでよ女々しいなぁ……」

「女々しいもなにも女ですし、そんな昔じゃなくてたった今起こったことなんですけど!?!?」


 プンスコという効果音が似合う怒り方をする魔女の頭を抑えて片手で止めていると、奥の部屋からどんがらがっしゃーん!と空想の中でしかないような音が聞こえてきた。

 その音を聞いて顔を見合わせた僕らは、笑い合ってから、扉へとかけた。


***

天使と人は良い子悪い子笑顔の子


「……で、僕の羽一枚なんかが対価で、本当によかったの」

「……あのねぇ、何回も言うけど、天使の羽がどんだけ貴重なものなのかわかっていってんの!?」

「はいはーい。その説明は聞き飽きましたー。もっとひねった言い方してよ」

「あいにく、大人な私は弄れて育ってないものでぇ~!」

「はい、大人大人」

「もー!!馬鹿にしてるでしょ!!」


 正直言って小学生の可愛い癇癪にしか見えなくて、思わず頭を撫でていると、服のポケットに入れていた時計のアラームがなった。


「やばっ、そろそろ行かないと。あ、これいつもの。ちゃんと届けてね」

「えー……お姉さんをおちょくる生意気なガキのやつだからな~。どーしよっかなー?」

「と  ど  け  て  ね  ?」

「……はい」


 魔女にきちんと釘を刺したあと、僕は窓から空へと飛び立った。


 あれから。

 ちゃんと片割れの心の中から戻ってきたあの人と、溺れていた片割れが目を覚ました。

 あの時の音は、急に目覚めたため、びっくりして近くにあった棚に思わずつっこんでしまったらしい。

 それはともかくとして……無事に帰ってきた二人だが、思わぬ自体が起きた。


 片割れの羽が、全て抜け落ちた。


 魔女が言うには、愛に満たされて重い状態が続いたから、羽がついていた付け根の部分が耐え切れなくなって、落ちたのだろうといっていた。

 20年余りもずっと、羽を動かしていなかったせいもあるらしいけど。

 ……そんなこんなで、ありえないような方法で人間になってしまった俺の片割れ。

 それを上に報告しないわけにはいかなくて、渋々ながら上の人に言うと、片割れは天界を追放された。

 二度と来るなとまで言われたが、正直言って困ることはないし、唯一気になるのは父親と母親と話すことができなくなるってことだったが、俺が手紙とか届けられるし、昔悪童だった双子を育てただけあって、二人共肝が据わっているから、天使の監視をくぐり抜けてここに来ることも多々ある。

 案外天使でなくなり人間になってしまった俺の片割れは、人間であることを楽しんでいるようだ。


 背中に生えた切れた翼の先に、誰もいないのをチラリと見てから、羽を大きく羽ばたかせて、スピードをあげる。

 前がゆがんでいるような気がするけど、気のせいだろう。

 ……片割れはあの人のピースになっちゃったし、僕は欠落品で片割れの代わりのピースも見つかってないけど、でも。

 堕ちても、溺れても。

 結局は幸福で笑顔でいれば、なんとかなるのかもしれない。

 僕らが良い子だった時に浮かべた微笑みじゃなく、僕らが悪い子だった時に浮かべていたあの笑顔で。


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