気が付けばオネエ
最初に断っておくが、私は厳密には同性愛者では無い。
「オネエなのに同性愛者じゃないの?」と疑問を抱く人もいるかもしれないが、そこは女装趣味の人間が必ずしもオカマでないのと似たようなものだと思っていただきたい。
女の子が好きです。でも渋いおっさんもちょっと好きです。
さて、このままオネエとオカマとホモの違いを長々と説明しても良いのだが、きっと皆さんは興味も無いだろうからさっさと本題へと入ろう。
私が自分を「オネエ」だと自覚したのは、大学に入ってしばらくしてからだっただろうか。
それまで私の一人称は「俺」だった。今にして思えば大人しい性格であった私が何故「俺」を一人称にしていたのかは不明だが、友人以外には使わない――違和感を覚えていたのは確かである。
大学に入り初めての一人暮らし。慣れない環境下で言葉遣いにも気を付けるようになったのだが、そこで何が起きたのか、いつの間にか私の言葉遣いは女性的なそれ――所謂オネエ言葉となっていたのである。
「~だよね?」
「~じゃない?」
これくらいならまあイントネーションによってはオネエというほどでもないだろう。
「やだもう!」
これが自分の口から飛び出した時は一瞬固まった。幸い周囲の人間は気にもしてなかったのだが、もしかしたらその時点で周囲は私を「そういう人間」だと認識していたのかもしれない。
だとしたら何と優しい人たちだろうか。男友達と次第に疎遠になったのは気のせいだろう。多分。めいびー。
さて、そんなこんなで意図せずオネエデビューを果たしてしまった私だが、実を言うとその片鱗は割と昔からあった。
なんというか、男子とあまり話が合わないのである。
かといって女子と話が合うかと言われれば合うわけがないのだが、それでも思春期の男子特有の馬鹿に付いて行けなかったのは大きい。
特に下ネタが駄目だった。男子が下ネタで爆笑している中、一人無言で真顔な私は面白くない奴だと思われていたに違いない。
しかしそれでも下ネタに強い嫌悪感を覚えてしまう私は、友人が評した「潔癖症の処女みたい」というのが適切な人間かもしれない。
男に対して処女みたいとはなんという評価だろうか。
いや確かに後ろは処女だが。何度も言うが私は普通に女の子が好きなのである。
さて、潔癖症の処女という不本意な評価を頂いた私ではあるが、それに納得してしまった自分も居るあたり、友人の観察眼も中々侮れない。
そもそも私はかなりのロマンチストだ。正義は勝つとか割と真面目に信じちゃうタイプである。
しかし一方ではかなりのリアリストであり、この世が「勝てばよかろうなのだ!」なのは重々承知している。
きっと漫画とかアニメならクールを気取った参謀役で、リーダーの熱気にあてられて終盤で無茶して希望を残して死んじゃうタイプだろう。
実際そんな死に方にはちょっと憧れる。
夢見がちなリアリスト。
そんな矛盾した存在が私であり、ロマンチストな少女と現実的でドライな男の同居した矛盾に満ちたオネエなのだろう。
だがそんな自分を実は結構気に入ってたりもする。
変人でもいいじゃない。
たった一度しかない人生。私は私が平凡でない変わり者であったことに満足し、誇りすら抱いている。
どんなに矛盾し、苦悩しても、自分という存在を肯定できる。
それだけで私は人生勝ち組だと確信している。
自分を好きになれる。それは紛れもない幸福なのだから。
……もっとも、そんな私を好きと言ってくれる女性には未だ出会えていないのだが。
どこかにオネエを愛してくれる女性はいないだろうか。いや、きっといるはず。
多分。
きっと。
メイビー。