無限の世界で叫ぶ俺は
それから日課だった電車の本数で日付を数えることはなくなった。
少女から借りた餌のついていない釣竿で釣りをする。何を釣りたいのか何も考えていないので餌のついていない状態でつれるはずもなく、ただボーっと薄ピンク色の水平線を眺めている日々が続いた。
「お兄さん」
少女が俺の元にやってきた。
「なんだ?」
俺は今何も望みはない無心だった。
「お兄さんはこの世界に来る条件って知ってる?」
「知るか」
知っていたらそもそもこの世界には来ていない。
「私と同じように現実に嫌気が差した人がここに来るんだよ」
「・・・・・その言い方だと俺が初めてじゃなさそうだな」
少女はうなずく。
「みんな、すぐに電車に乗って有限に帰って言ったよ。こんな君の悪い世界にいたくない。この世界にいるくらいなら自分が嫌気が指した世界のほうが百倍いいって」
その気持ちは分からなくもない。望んだことは何でも叶ってしまって昼も夜もない薄ピンク色の世界に何日もいたら気が狂いそうになる。
「でも、君はずっとここにいるだろ」
「私の望みは普通なら有限でも簡単に叶うことだよ。でも、叶わないんだ。あの世界で私は人として最低限の生活すらままならないから。それからこの世界で生きているほうが幸せ。私には人並みの生活をするってこと以外に望みなんてないから」
「・・・・・幸せだな。余計な悩みをする必要がないから」
「・・・・・してみたかったよ。その余計な悩み。・・・・・お兄さんはその余計な悩みのせいで有限の世界に嫌気が差してここに来たんだよね?その余計な悩みって?」
どうやら、無限の世界に俺が無意識に望んだ、誰かに俺の夢のことを相談したいが否定されることが怖くて誰もいえずにいた。でも、その夢すらもこの無限の世界ではどうでもいいことだ。ならば、告げてもいいのかもしれない。
「・・・・・俺には夢がある」
「夢?」
「そうだ。小説家になるっていう夢だ」
俺は初めて目の前の人に自分の夢のことを告げた。頭の中で何度もシミュレートした。どのタイミングでどういうシチュエーションでどんな態度でどんなことを言われるか。結論どのルートを辿ってもすべて否定されることが分かって誰にも言わなかった。今はそれはどうでも良いこととなった。
このことを聞いた少女の第一声はこうだ。
「いいな~。夢があるって」
それは俺がシミュレートしてきたどのルートにもない台詞だった。
「え?」
「だって、私は生きることに精一杯で将来何になりたいとか考えたことなかったんだよ。お花屋さんになるとか看護婦さんになると先生になるとか、考えられなかった。だから、私はうらやましいよ。夢があるって」
「でも、夢があるからって幸せなわけじゃない。その夢を叶える奴がこの世界にどれだけいるか・・・・・」
きっと、1%にも満たない。誰もが自分の夢を捨てて社会に順応していくのだ。だが、それが本当に正しい選択なのか?世間からすれば正しいことかもしれないが、本人からすればきっとそうじゃないはずだ。夢をあきらめざるを得なかった。社会が夢を追うことを否定した。完全否定の完全拒否だ。その社会という流れに流されて夢を手放してただ流れに任せるだけの生活を強いられる。
「でも、叶えている人もいるんだよね」
少女は裏を返す。
「お兄さんがどうして夢を語りたがらないのか知らないけど、その夢って言うものを叶えるために有限の世界の人は人の何十倍も何百倍も努力したんじゃないかな?それでも叶わないこともある」
「それじゃあ、無駄な努力だ。他人はそれを見越して俺の夢を否定する」
そんなことをして人生を棒に振るくらいなら社会に流されて全うに生きたほうが良い。誰だってそう言う。そのほうが俺の幸せのためだから。
「なら、幸せってなんだ?人並みの生活を送ることなのか?夢を捨ててやりたくもない仕事をやっていくことが幸せなのか?違う。そんなところに俺の幸せなんてない!俺の幸せを他人が勝手に決め付けられてたまるか!俺の人生だ!俺が好きなことをやって幸せなら!その環境がクソ貧乏で明日食べるのが困っても俺が幸せでいられる!自分の好きなことを突き通しているからだ!」
俺は釣竿を力強く握る。
「自分勝手だね」
「なんだと?」
その少女の言葉に思わずカチンと来た。これだから嫌だ。他人は俺の意見を誰も肯定しない。自分の意見を話しても話しても頭ごなしに否定しかしない。だから、俺は自分から話すことが劣っている。
「でも、すごいね」
「はぁ?」
「夢があって、自分の意思があって。それは誰かに言ったことあるの?」
「ない」
即答だった。
「なんで誰にも言わなかったの?」
それはどこにも濁りのない純粋な少女が本当に思った疑問だ。
「・・・・・言えば否定されるからだ」
帰ることを完全にあきらめた俺には最早未練がなくなってしまっていた。だから、否定されることを覚悟の上で少女に夢を語らなかったことを告げることにした。
「それは否定するだろうね~。小説家って才能が物を言う世界でしょ?お兄さんに小説家の才能がなかったらお兄さんは路頭に迷うことになる。もしも、私がお兄さんのお母さんだったら止めるように言うだろうな~」
これは俺のシミュレートしてきた友人に話したときのパターンの中にソフトタッチに否定する。頭ごなしに否定するなら俺もそれに合わせて反論することができるが、優しく否定されると「・・・・・そうだね」っていうしかなくなる。そのパターンが俺にとっては一番嫌なパターンだ。
だが、違ったのはここからだった。
「でも、本当に小説家になりたい人はきっと1回2回否定されただけで夢をあきらめたりするの?」
「そ、それは・・・・・」
「何度も否定されて拒絶されて、それでも夢に向かって突き進む人が始めてその夢をかなえるんじゃないの?それが有限の世界における望みを叶える方法じゃないの?」
否定されても立ち上がる。
「俺には立ち上がるだけの素材がない」
否定されても新人賞をとるとかデビューが決まって書籍が進むとか、否定されてもその否定を覆すものが欲しかった。それさえあれば俺はどれだけ否定されても立ち上がれる。
「そんなもの必要なの?」
「ひ、必要だとも!」
「お兄さんは怖いんだね。小説家になるという夢がもしも叶わなかったときのことを考えると」
「え?」
「誰もが将来を不安に思うよ。私だって不安だった。でも、みんなその不安をどうにかして払拭するために生きているんだよ。お兄さんが否定する社会って言うのはその不安を幸福に変えるためのシステムだよ。社会がなければお兄さんが夢を持つこともなかった。だから、お兄さんがその社会を否定したらダメだよ。否定されなくないならまずは自分が肯定的にならないと」
それは本当に前向きな俺が求めるような考えだった。
「もし、お兄さんの中に小説家になるって言う夢を貫き通すだけの強い心があるなら私は応援するよ」
強い心・・・・・。
「・・・・・それがないんだね」
少女は俺の考えを見透かしているようだった。
「なら、望もう」
「何を?」
「お兄さんは小説家になりたい。その望みは揺るがない?」
「・・・・・否定されなければ」
「なら、否定されてもくじけない強い心を望もう」
「何に?」
少女は抱えていた野菜のかごを地面に置いて大きく手を広げる。
「この世界にだよ!無限の世界はどんな望みだって叶えてくれる!だから、大きな声であのどこまでも続く薄ピンク色の海に向かって叫ぶんだ!」
夢を語れないのは夢を否定されたときにそれを諦めなればいけなくなる状況が俺は怖かったんだ。長い年月思い続けたことだけあって諦めなければいけない状況に追い込まれたときに俺の生きがいがなくなる。社会に埋もれて俺という人格が壊れてしまう。それはなぜか?少女はそれは弱いからだといった。ならば、俺はこの無限の世界で望もう。強い心を持ち合わせて夢に向かって全力で進む。
「俺は強くなりたい!」
そして、再び大きく息を吸って吐き出す。
「俺は小説家になりたいんだ!誰が何を言おうと俺は俺の夢を叶える!」
俺の声はどこまでも無限の世界に広がる。