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終 『きさらぎ駅』 10/11

「そりゃあ……その……連れ戻しに? いや、それはもうちがうか。本当に会えるなんて思ってなかったんですから」

「へぇー」


 狐宮由花子は、私はすべてお見通しですよー的なニタニタ笑いで先輩のことを嘲笑っている。

 チェシャ猫が本当にいるなら、たぶんこういう感じで笑うのかもしれない。


「……やっぱり由花子さんは性格最悪ですよね。なんでこういうときばっかり出てくるんですか?」

「せっかく会ってあげたのに、可愛くない後輩だこと」

「如月駅へ、何度も行こうとしたんですよ。俺は」

「それはちがうよ。君はあそこへ本当に行きたかったわけじゃない。君は自分で選んだように思うかもしれないけれど、選ばされてるだけなんだよ」

「……」

「君が行きたかったのは如月駅じゃなくて私のところでしょ?」

「う……」

「今回ここに来られたのは、新しい女ができて私のこととかどうでもよくなったからじゃない? わかんないけど」

「あの……ちょっと言い方ヒドすぎません?」

「ヒドいのはどっちだよって話さ!」


 今度は眉をつり上げて怒る狐宮由花子だった。

 幻のくせに、ずいぶんとまぁ表情が豊かなこと。

 黙っていると人形のようで人間味が薄れるほどだったが、くるくると表情が変わるところはやたらと愛嬌があった。


 ……。


 これから私もこういう風にするべきなんだろうか。


「てゆーか話戻すけど、そんなに私と付き合いたかったの? 大好きなの? 愛してるの? あんな怪物を作ってまで? 正直、ちょっと引いたわ。今の私という存在は君に都合良く作られた幻なんだけれども、それでもあれは引く」

「そこには触れないでください。やめて。死にたくなるんで。横に彼女だっているんですよ?」

「あはは。まぁそういうとこ、可愛いくもあるんだけどさ。君は誰かを好くよりも好かれてるほうがちょうどいいのさ」


 ひたすら先輩と喋り倒していた狐宮由花子だったが、急に視線をこちらに集中させて、私の顔をじっと見てきた。


「康一くんには私よりもこの子がお似合いだよ。んー……なかなかの別嬪さんじゃないか。羨ましいかぎりだ」


 はっきり言うが、全然心がこもってない投げやりなお世辞だった。


 やっぱり挑発されている。


 私自身、敵意を剥き出しにしているので、さもありなんという態度ではあった。

 だが狐宮由花子は私だけでなく、先輩に向けてもトゲの含んだセリフを吐く。


「君はきっと幸せになれるよ。今はクビになったけどちゃんと就職もできたし。可愛い彼女さんもいる。結婚もできるし、子供もできて、孫もできて、もちろん色んな苦労はするだろうけど、最期の最期には全部ひっくるめて良かったと思えるような、素敵な人生を送れるよ。普通な幸福ってやつが君にはぴったりさ」

「見てきたような口振りですね。ていうかさっきからなんで俺たちのこと知ってるんですか」

「そりゃそうだよ。私はすべてを知ってなければならないから」

「由花子さんは、幸せなんですか?」

「んー幸せではないんじゃないかな。幸せは退屈だからね。私は退屈が大嫌い。ただ――楽しいよ、とっても――」


 嘲笑や嫌みのこもっていない、いわゆるいい笑顔というやつを、狐宮由花子は振りまく。

 それが嘘なのか本当なのかは、誰にもわからない。


 だって相手は、幻なのだから。


「さてそろそろお別れの時間になるのだけど……路希さん」


 急に名前を呼ばれて、私は驚きつつも正面から狐宮由花子を見据えた。


「なんでしょう?」

「康一くんとお幸せにね」


 祝福された。


 と思ったのも束の間で、それは持ち上げてから落とすというお約束の一つにしか過ぎなかった。


「私は知っているよ。君がこれから康一くんと大恋愛をして、そして別れるということを」

「……だからなんだっていうんですか」

「べつにどうも。私のお気に入りの後輩を盗ったことへの、ささやかな嫌がらせ」

「私はあなたが嫌いです」

「奇遇ね。私も嫌い」


 それから狐宮由花子と、たっぷり一分ほど黙って睨み合っていたように思う。

 ちなみにその女のバトルを、先輩はすぐ横でオドオドしていた。


 情けないとも思うが、こういう余裕のない先輩は見ていてちょっと愉快だった。


 ただムカつくことにそれは狐宮由花子も同じだったらしい。

 挙動不審な先輩を見て満足したのか、クスッと小さく笑ってから、私のことなんて歯牙にもかけない様子であっさりと引き下がった。


「さ、それじゃあ行きますか」


 狐宮由花子はそう言って座席の上にそのまま立ち上がると、背後にあった窓をおもむろに開け放った。


 そうして窓の枠に片足を引っかける。


「ちょちょちょっと! なにしてんすか!?」


 すぐに先輩のツッコミが入るが、狐宮由花子は何をツッコまれているのか理解できないという不思議そうな顔をしていた。


「え? 帰るんだよだから。こっから飛び降りんの」

「えぇ……なんかこう……もうちょっといい感じに別れを演出するとかできません?」

「残念ながらこれしか方法はないのだ。止めてくれるな」

「まぁ、止めはしませんけど」


 あきらめた先輩は私と一緒に狐宮由花子の退場を黙って見守る。


「「……」」

「よいしょっと」


 窓枠を狐宮由花子はがっしりと掴んでいる。

 私はこいつのことが嫌いだし、しょせん幻とも思っているが、去りぎわくらいもうちょっとスマートにやって欲しい。


「じゃあ、また会おうぜ。康一くん」


 狐宮由花子はニヒルな笑みとサムズアップで別れの挨拶を告げる。

 言っておくが服装は神御衣で足には白い足袋を履いているわけで、その姿でのカジュアルすぎる振る舞いは珍妙以外の何者でもなかった。


「いや、もう会うことはないでしょう」


 先輩は真顔でそう言い放つ。


 呆れてるのか強がっているのか、判断が難しい。


「冷たいなぁ」


 それとは対照的に、狐宮由花子は最後まで楽しそうだった。


 そして、最後の最後まで性格が悪かった。


「ねぇ、康一くん」

「なんです?」

「あれからけっこう考えたんだけどさ……」

「ええ」

「君に養ってもらうのも、そんなに悪くはなかったかもね」

「――」


 次の瞬間に、私は目が覚めた。


 ガタンゴトンと揺られている電車の中で、先輩にもたれ掛かりながら眠ってしまったらしい。


 先輩も同時に目を覚ましたようで、私としばらく目と目で会話を交わす。

 どうやら、先輩も同じ夢を見ていたようだ。


 あまりにも神出でいて鬼没だったために、今の一幕が本当なのか夢なのか、どうにも理解することができない。

 放っておけば時間という波に浚われて崩れてしまう、砂の城のような出来事だった。


 目の前には開け放たれた窓から夜の風が激しく吹き込んでいる。


 それは夢と現実が地続きになっているからなのか、私たちが眠っているあいだに誰かが開けたのか。

 わからない。


 開け放した窓を動けずにじっと見ていると、先輩がそれを閉めた。

 バンッ――と強かに閉められた窓はしっかりとロックされ、自然と開くなんてことは考えられなかった。


「おかしな夢だったな」

「いや、でも正直……無理がありません?」

「なにも無理なんてことはない。複数の人間が同時に幻覚を見るということはよくあることだ。まして俺や君は大なり小なりトゥルパという形で狐宮由花子と関わりを持ってしまっている」

「……後遺症、のようなものですか?」

「というよりはリハビリだな」


 先輩は本当に何事もなかったかのように冷静だった。


「精神病では夢の中で症状が悪化するということが、快方の兆しとされている。抑圧されていた感情がちゃんと表に出てきているということだからな」

「でも、私も同じ夢を見てるんですよ?」

「君ほどの才能ならば、そういうことがあっておかしくないはずだ」


 果たして才能で片づけていいものなんだろうか。

 いくらなんでも買いかぶり過ぎというか、強引というか……。


 だがそれ以上、言葉を重ねるのはいくらなんでも無粋だと、私は思う。

 これはあくまで先輩が処理しなければいけない問題だからだ。


「いいか、俺が夢と言ったならば、それは夢なんだ。如月駅なんて存在しない。狐宮由花子という女性も存在しない。それが真実だ。真実は絶対で、そして不変だ。そうだろう?」

「ええ、その通りですよ。先輩」


 先輩が夢というのならば、それはきっと夢なのだろう。

 そこに疑問を差し挟む余地なんてどこにもない。


 そのまま、私と先輩は終点までずっと黙って揺られていた。

 寄り添う先輩の身体は暖かくて、とても心地よい。


「着いたな」


 日付をまたいでついに旅の終着点へとやってきた。

 降りていく乗客に続いて、私はひらりとホームへと降りた。


 周囲を確認する。


 そこはどう見てもターミナル駅なんかではなくて、郊外にある小さな駅だった。

 ホームには屋根もなく、空を見上げれば明かりの少なさから星と月がよく輝いて見える。


 駅の名前を改めて確認してみても、如月駅なんて文字はどこにもない。


「……」


 けれど、先輩は電車から降りることをためらっていた。

 軽口も聞けないほど、真剣な顔をしながら小刻みに震えている。


 明らかに、先輩は恐怖していた。


 なにかを恐れている先輩を見るのは、これが初めてのことだった。


「先輩――」


 私は先輩へと手を伸ばす。


「おかえりなさい」


 先輩は恐る恐るではあるが、私の手を握ってくれた。

 そして、大きく深呼吸を二度三度と繰り返してから、立ち幅跳びの要領でついに電車から降りた。


 勢い余って先輩は着地をしくじり、地面に転がってしまう。


 けれども、地面に大の字になって夜空を仰ぐ先輩はとても晴れやかな顔をしていた。


「ただいま」



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