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終 『きさらぎ駅』 5/11




 もといた場所へ戻るために、おれたちはひたすら来た道を歩いていた。


「それにしても、この駅ってなんなんですかね」


 こうして実際に歩いてはいるものの、やはり現実感が希薄というか、こんな場所があるということが信じられない。


 アドベンチャーゲームでバグったフィールドに放り出されているような感覚だ。


「私はこの駅全体がおばけなんじゃないかと思ってるよ」

「これまたずいぶん突拍子がない考えですね」

「人間の意図を感じないんだよね。人間以外のなにかが似せて作ろうとしたみたいな」


 おれがなんとなく思っていたことを、由花子さんも考えていたらしい。

 さらにそこから踏み込んで、由花子さんは仮定の話を続ける。


「おばけはおばけだからさ。誰かに見てもらわないと、存在を知ってもらわないといけないわけじゃない? だから私たちみたいに、たまーに外から人間を引っ張り込むんじゃないかな」

「語られなければ怪異は存在できないとかそういう話ですか」

「そうだねー、言うなれば食虫植物のようなものかもね。人間を養分にして成長する駅のおばけ、それがキサラギ駅の正体ってわけ」

「だとすると、おれらは虫になりますけど……」

「そうだね。だってなんかどんどん記憶が曖昧になっていくような感じがするもの。君さ、自分の名前ちゃんと言える?」

「は?」

「名前だよ。自分の名前、ユアネーム」

「当たり前でしょう。自分の名前なん――」


 あれ?

 なんで出てこないんだ?


「ね。私もそうだったからさ、たまに免許証で確認しておいたほうがいいよ。自分の顔も忘れちゃうかもしれない」


 おれは慌てて免許証を確認した。

 そこには河野康一という名前と住所と生年月日に写真がしっかりと記載されている。


 何度も見ているはずで、そこに疑いの余地なんてないはずだ。


 しかし、なぜか心のどこかで、これが自分とは無関係な情報なんじゃないかという疑いが生じている。

 ゲシュタルト崩壊というやつだろうか、河野康一という文字情報をうまく読みとれなくなっているような……。


 それはまるで、この駅を覆っているわけのわからない文字たちと対峙しているような気分だった。


「怖すぎません……?」

「ちょっと私も引いてる」


 でも由花子さんはニヤニヤ笑っているのだった。

 引いてはいるのだけれど、それ以上に楽しくてたまらないのだろう。


 変態だなぁ……。


「なにもかも忘れてしまった人間は人の形を保っていられるのかな?」


 追い打ちをかけるようにして、由花子さんは悪趣味な思いつきをさらに加速させてきた。


「あの改札にいたアレって、もしかすると私たちと同じ人間だったのかもしれないよ。きっとなにもかも忘れて、この駅の一部になっちゃったの。意味もわからず意思もなくして、駅でひたすら電車に乗り続けるだけの生き物。なかなかアイロニーが効いてるとは思わない?」

「まさか」


 途中で道に迷いそうになったものの、おれたちはなんとか元のホームへと戻ってきた。

 幸いにして電車はまだ停車したままだった。

 このまま動かない可能性はなきにしもあらずなわけだが、たぶんそのうち折り返してくれるんじゃないだろうか。


 そう願っている。


 特筆すべきことは、真向かいのホームにもう一つ車両がやってきていることだった。

 見た目はおれたちが乗ってきた某私鉄の車両なのだが、行き先や内部の広告を見れば、それがおれたちの世界のものでないことはすぐに理解できた。


 例のごとくそこには誰も乗っていない。


「これに乗ろうよって言ったら君は怒るかな」

「呆れますよ。マジで」

「あはは、冗談」


 たいして冗談とも思えないセリフを飛ばして、由花子さんは時刻表らしきものを確認している。

 らしきものというのは、それがおれにはまったく読めないからで、時刻表のふりをした意味のない図形の羅列でしかない。

 時間を確認しようにも携帯の時計はバカになっているし、ホームにある時計もなんだかよくわからない時刻を示している。


 だいたいなんで短針が三つもあるんだ。

 どう読めというのか。


「由花子さん、あんまりはしゃいでると本当に帰れなくなりますよ」


 おれは元の世界がわの電車の座席にどっかと腰かけた。

 由花子さんは飽きもせずに時刻表とにらめっこしたままだ。


「大丈夫大丈夫。その列車はまだ発車しないからさ。ちゃんと折り返してくれるみたい」

「そんなのわかんないでしょう。まーた口からでまかせを……」

「でまかせじゃないもん」

「はぁ?」

「私、ちょっとこの文字読めるようになってきたっぽい。あと時間も」


 また何を言ってるんだと思うが、由花子さんはいたって真剣な様子である。


「どうやって読むんですそれ?」

「うまく言えないなー。例えるなら中国語って漢字だからなんとなく日本人なら読めるじゃない? ああいう感じで、ぼーっと見てると雰囲気はわかるというか」


 おれもトライしてはみるものの、さっぱりわけがわからない。

 由花子さんがデタラメな霊能力を保持していることと、なにか関係しているのかもしれない。


「単純に頭が悪いんじゃないかな?」

「ひどいこと言わないでください。ていうかおれと同じ大学にいるってことは由花子さんも偏差値たいして変わらないでしょ」

「いや、だって私は特待生だし。学力的にはどこでも行けたし」

「え、そうだったんですか? じゃあなんでうちの大学なんて」


 おれの在籍している大学は偏差値で言えば、上の下ていどのしょっぱい位置にいる。

 滑り止めや内部推薦で入ってくるような奴が大半だった。


「立地かな。近くに心霊スポットも多かったし、町も全体的に空気が淀んでて好みだった」

「そんな理由で!?」

「そりゃそうでしょ。私は大学に勉強しに来たんじゃなくて、遊びに来ただけだから」

「由花子さんはいっつもバカみたいに楽しそうでしたもんね」

「うん。とっても楽しかった」


 皮肉混じりのおれのセリフを、由花子さんはまっすぐに肯定する。


「大学の四年間は私の人生でも一番楽しかった。最高に無駄で、本当にくだらなくて、楽しいことしかなかったよ」

「……」


 そんな、いきなり素直にならないでください。

 これじゃあ、おれが性格悪いみたいじゃないですか。

 あなたはいつもそうやって――。


 由花子さんとおれは発車の時間をおとなしく電車の中で待つことにした。

 窓の外を眺めてみても外は真っ暗で、鏡面になったガラスにおれと由花子さんの姿がくっきりと写っている。


 こうして横でおとなしく佇んでいる由花子さんは、贔屓目に見てもやっぱり綺麗だった。


「そろそろ教えてくれません?」

「なにが?」

「進路のことですよ。毎回はぐらかしてばかりで、教えてくれないでしょう。卒業式のときですら言わないなんておかしいですって」

「だって話しても面白くないし、私は面白くないことを口にしたくないし」

「芸人じゃないんですから、たまにはつまらないことを言っても罰は当たりませんよ」

「……」

「ほら、せっかくキサラギ駅にも来たことですし」


 だからなんだという話だが、とにかくおれは強引に由花子さんを問いつめた。

 十分ほど問答したところで、由花子さんはようやく観念してくれた。


「はぁーしっつけーなー。じゃあ、まあ……言うけどさ。田舎に帰って許嫁と結婚するんだよ」

「は!? 許嫁!?」


 予想外の方向からボールが飛んできた!


 むしろ砲弾だ!


「歳は十くらい離れてるけどさー。お金持ちで家柄も良くってイケメンでいい人だよー。国会議員の二世で将来性もあるしー。鉄板の地盤だぜー?」

「へ、へぇ……」

「なにショック受けてんの? だから言いたくなかったんだよ」


 まがりなりにも一度告白しているおれに対して、由花子さんは気を使っていたようだった。


 なんてこった……。


 まさかこの人に気を使われていたなんて。

 由花子さんは気まずそうに視線を逸らしている。


 落ち着け、おれ。


 おれは全然ショックなんて受けてない。


 そうだろう?


「でも、由花子さんの性格を知ったらすぐに別れるんじゃないですか?」

「それがそういうわけにもいかなくてさ」

「どういうわけで?」

「その人、私の幼なじみで昔っから一緒にいるんだよ。よく遊んでもらってたし、当然私のこーんな性格もぜーんぶ知ってるわけ。それでもお嫁にもらってくれるんだとさ」

「ずいぶんな物好きがいたもんですね」

「本当それ。まったく私のなにがいいんだか……。高校卒業したら結婚することになってたんだけど、進学を言い訳にして無理矢理に東京くんだりまで逃げてきたわけで……」

「……」

「あきらめると思ったんだけどなー。あの人なら良い縁なんて向こうから腐るほどやってくるのに、「由花子ちゃんには僕しかいない」とかなんとか言ってずっと独り身なんだよ? 頭おかしいでしょ?」

「よ、良かったじゃないですか。その人ならきっと由花子さんのことを大事にしてくれますって」

「まぁ、そうでしょうね」

「由花子さんだって、なんだかんだで好きなんですよね。その人のことが」

「ええ、好き」

「……」

「お嫁に行くなら私はあの人以外、考えられない」


 でもさ、と由花子さんはそこで一度、言葉を切る。


 直接視線を合わせようとはしないが、鏡のようになった暗い窓の向こうからじっとおれを見ている。


「結局、私の一生ってこんなもんなんだ、とも思うんだよね。天は百物を私に与えてくれたけど、残念ながら私にはそのどれもがしっくりこないっていうかさ。人間なるようにしかならないんだね」


 由花子さんらしくない言葉だった。

 だがそれを指摘する気にはなれない。

 嫌がる由花子さんに詰め寄って、無理矢理聞き出したのはこのおれだからだ。


「じゃあ、結婚しなきゃいいでしょ。普通に就職して働いて、やりたい仕事があるとか言ってごねれば――」


 由花子さんはしみじみとした表情で、首を横に振る。


「康一くんはさ。私が社会に出て毎日労働に従事できると思う?」

「……無理だぁ」

「でしょぉ?」


 一度も働いたことがなく、莫大な親の仕送りで連日連夜飲み明かす放蕩娘な由花子さんである。

 頭も良く行動力もずば抜けているが、会社に入ってどうのこうのなんて、この人にできるわけがない。


「……だったら、その」

「なに?」

「おれが養いますよ」


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