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終 『きさらぎ駅』 4/11

「……どうでしたっけ。でも今はこうなんですから、最初からそうだと考えたほうが自然でしょう」


 一度気がついてしまえば自明なことで、目に入ってくる文字情報はすべて読みとることができないものばかりだった。


「でも由花子さん、改札の場所はこっちだってさっき案内を読んでませんでした?」

「そうなんだよね……。でも康一くん気づいてた?」

「……いえ、今初めて気がつきました」

「それもおかしくない? だってさ、気づくよ普通、こんなの」


 おれは改めて周囲を見回す。

 文字のような文字でないなにかがおれの周りを取り囲んでいる。

 これに今まで気がつかなかったなんてことが果たしてありえるのか?


「この人とかもさ……ほら」


 由花子さんは壁に貼ってあるポスターを指さす。

 そこには可憐な女の子が魅力的な旅行先を紹介してい――。


「うわ!」


 おれは思わず一歩後ずさる。


 人なのかこれ?

 可憐なはずの女の子は、作りもののような肌の質感でまったく血の気がなく、瞳孔が開ききっている。

 死体というよりは人形のそれに近いが、人形とも言い切れない。


 人形が人間のフリをしているというのが一番形容としては正しいだろう。


 不気味以外の何者でもない。


 そして、どうしてこれに今まで気がつけなかったのか理解できない。

 誰がどう見ても明らかなはずなのに……。


「じゃ、先に行こうか」


 おれの返事を待つまでもなく、由花子さんはどんどん先へと進んでいく。


 こちらとしてはもうかなり帰りたい気持ちになっていたが、こんなところに一人で置いてかれてはたまったものではない。


 嫌々ながらも大人しくついていく。


 構内は迷宮のように複雑な作りになっており、一度はぐれてしまえば合流することは困難に思えた。

 かなりの距離を上へ下へと移動しながら改札を目指す。


 どれほど時間が経っただろうか、とうとうおれたちは改札へと到着した。







 その改札も異様の一言に尽きた。


 まずもって改札を出てすぐのところに大きな鳥居が構えている。

 そこから先には一見すると普通の町が見えた。


 そこには商店街のようなものがあった。

 さほど大々的なものではなく、アーケードもないようなひなびた商店街だ。

 駅の巨大さを思えば、それはあまりに貧弱なものだった。


 どこかで祭りが催されているようで、そこかしこに提灯がぶら下がり、ぼうっと明かりを灯している。


 耳を澄ませると、わずかにお囃子のような音楽が聞こえてきた。

 チンチンチンという金属音と、テケテケトントンという軽快な太鼓の音だ。

 人っ子一人いない町の風景に、祭りのお囃子の取り合わせは寂しさを際だたせるだけだった。


「ここってなんなんでしょうか?」

「さぁ?」


 由花子さんが知るわけもなく、両肩をすくめている。


「ところで康一くん」

「なんでしょう?」

「今、改札から来てるものって見えてる?」


 返事をするよりも早く、おれはそちらへ視線を走らせた。


 おお……?


 なんかいるぞ……!


 オカサーで鍛えてきただけあって、それなりに不思議なものや幽霊の類は見てきたわけだが、今回はそのどれにも属さない。


 触れるんじゃないかと思えるほど、はっきりと見えている。


 それは先刻の広告の中にいた、人間のようでいて人間ではないなにか、いわばヒトモドキたちだった。


 たち、というのがポイントで朝の通勤ラッシュのごとく、どこから現れたのかわからない彼らは、大挙して改札を通過してこちらへとやってくる。


 それぞれに別々の服を着てはいるものの、昆虫の顔がすべて同じに見えるように顔の識別は困難だった。

 男にも女にも見える顔と体つきをしており、規格通りに作られたマネキンが押し寄せてきたようにしか見えない。


 言うまでもなく、逃げるべきだとおれの勘は告げていた。

 すぐに踵を返したが、襟首をむんずと掴まれて転びそうになる。


「ちょっ! あんたなにしてるんですか!?」


 襟首を掴んで離さない由花子さんは、今日一番の笑いを浮かべ、おれを決して逃がそうとはしない。


 なにかしらの力が働いて、由花子さんはおかしくなってしまったんだと、おれは真面目にそう思った。


 だが、そうじゃなかった。


 由花子さんはもとから十二分に狂っていた。 


「あえて、ここにいましょう」

「ちょっ、マジマジ! あんた本当にいい加減にしろって!」

「まぁまぁ、そう言わずに」


 由花子さんは襟首を押さえるだけでは飽きたらず、おれにおもいきり抱きついて逃走を阻止してきた。


 由花子さんの身体は驚くほど柔らかく、亜麻色の長髪が鼻腔をくすぐる。

 普段であれば欲情するシチュエーションだが、そんなことをしているあいだにも、彼らはどんどん近づいてくる。


「あはは、すごいすごい! 私今とってもドキドキしてるよ!」


 由花子さんはそんなことをおれの耳元で楽しそうに喋くるが、おれはわりと本気で由花子さんから離れようともがいていた。

 しかし、由花子さんの柔らかな肉は離しても離しても、まとわりついてきて離れない。


 奴らは目と鼻の先にまで迫っている。


 無数のヒトモドキたちの行進はまさに悪夢のような光景であり、マジで悪夢であって欲しいと祈るくらいしか、おれにできることはなかった。


 ついに奴らがやってくる。


 もう駄目だ!

 恐怖で身体を強ばらせた。

 由花子さんも怖いは怖いようで、おれの身体に蜘蛛のように長い手足を絡みつかせてわずかに震えている。


「「……」」 


 ドタタタドタドタタドタタタタドタドタタ――、不規則な無数の足音におれと由花子さんは取り囲まれた。


 通路のど真ん中にいたので、てっきりぶつかると思っていたが、予想に反して奴らはおれたちに興味を示すことはなかった。

 ぶつからないよう律儀に身体を避けておれたちの横を次から次へと通過していく。


 時間にして約一分くらいだろうか、短くも長い時間とともにヒトモドキたちはどこかへ消え、駅構内はしんと静まりかえっていた。

 おれと由花子さんはほぼ同時にため息を漏らす。


「ねぇ……康一くん」


 まだ興奮状態にあるのか、由花子さんは顔をほのかに上気させていた。


「改札から外に出てみない?」

「駄目です」

「……」

「絶対に駄目ですからね」


 おれは由花子さんの手を取って、半ば無理矢理に来た道を戻る。


「痛いよ! 引っ張らないで」


 そう訴えられたが、おれはむしろ握った手に力を込めて歩みをさらに早める。


「怒ってるの? ごめんって、ちょっとやりすぎたことは謝るからさ」


 顔を振り向かせずに、おれはぶっきらぼうに言う。


「怒ってませんよ」

「本当?」

「本当です」

「なんで泣いてるの?」

「はい?」


 おれはそこでようやく足を止めた。

 言われてから、初めて気がついた。

 なぜだろう。

 頬に触れると、二粒ほどの涙が伝っているのがわかった。


「あれ?」

「そんなに怖かったの?」


 怖かったんだろうか。


 あれは本当に怖かったけれども泣くほどのことでもないというか……。


 あ……そういうことか。


 ……うーん。


 言いたくねぇなぁ……。


「う、まぁ……その……はい」


 それを認めると、由花子さんはまったく悪びれもせずに「あはははははは!」と爆笑した。

「……」


 どうしてこの人はこうなんだ。

 本当に怒っているわけではなかったのだが、こうして平然と笑われると軽く苛立たしい気持ちになる。


 腹を抱えて笑っている由花子さんを放っておいて、おれは先へと進む。


 あまり離れるのもどうかと思ったので、ちょうどいいところにあった自動販売機に硬貨を投入した。


 冗談半分でやってみたものの、そば屋のときとはちがって、あっさりと自販機はミネラルウォーターらしきものを吐き出した。


 ラベルを観察するが、やっぱりよくわからない文字と、なんだかわからない模様があしらってある。


 この無色透明の液体が本当に水なのかどうかも疑わしい。


 なんとなく喉が渇いていたので自販機を動かしてみたのだが、飲もうという気にはとてもじゃないがなれない。


「あ、いいもん持ってるじゃん! ちょーだいちょーだい!」


 案の定というか、由花子さんに反省の色はまったくない。


「あげませんよ。異世界のものを口に入れてはいけないって親に教わりませんでした?」

「私の親は異世界なんてまるで信じない人たちだから、教わるわけもないね」

「じゃあおれが教えてあげます。駄目です」

「えー」


 口をヘの字にして、露骨に由花子さんは不満顔だった。

 下手に捨てるとこの人の場合は拾ってきそうなので、おれが持っていることにしよう。


 拗ねた由花子さんは自販機に硬貨を投入してボタンを連打するが、今度はうんともすんとも言わない。


「はぁ!? なにこれ!」と言いながら、由花子さんはまた自販機に暴行を加えていた。


 だから……その……この人、ちゃんと言わないとわかってくれないっぽいな。


「おれ、そろそろ本気で怖いんですが」

「ああ、泣くくらい怖いんでしょう。知ってるよ。なんだったら別行動にしても――」

「いや、そうじゃなくて」

「はぁ?」


 また泣きそうにはなるものの、それをこらえて由花子さんに伝える。


「由花子さんが、本当にどこか遠くへ行っちゃうんじゃないかと思うと、もう二度と会えなくなるんじゃないかと思うと……」

「……」

「その……だから、怖くて」

「……」

「……」

「ふーん、そうなんだ」


 ストレートな物言いが功を奏したのか、由花子さんは急におとなしくなってくれた。

 表情がないのでよくわからないが、もしかしたら、照れてくれているのかもしれない。


 だったらいいのだけれど。


 そんなタマじゃないし……。


 ちなみにおれは恥ずかしくてたまらなかった。

 まだ怖がりだと馬鹿にされていたほうがましだ。


 でもこの人は、こうでも言わなければ――。


「でもなにも泣かなくてもいいんじゃない?」

「それはそうですけど」

「カッコ悪すぎじゃない?」

「すいませんね」

「……帰ろっか」

「はい」


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