終 『きさらぎ駅』 3/11
ん?
あぁ、事実だ。
あの人の男好きは有名だったからな。
たしか最大で八股してたんだっけ。
なぜかあの人は告白されたら基本的に断らない。
とりあえず付き合う。
仮に男がすでにいたとしてもだ。
わざわざ「他にも彼氏いるけどそれでも付き合いたい?」とか真顔で聞かれた奴もいたし。
それでも付き合うっつーんだから、まったく男ってやつは――
――だからなんだよ。
叩くなって。
ああ?
そうじゃないですって、なにがそうじゃないんだ。
どこまでいったって……君はそんなことを聞いてどうする?
……。
わかったよ! わかったから叩くな!
ったく……どこまでもなにも、告白したらその場で振られたよ。
「いや、ありえないっしょ。君が私の彼氏だなんて一生ありえないっしょ。そんなことより今日ドコ飲み行く?」だとさ。
……謝らないでくれ。
だから言いたくなかったんだ。
で、どこまで話したか。
そう、由花子さんと電車に乗っていたところまでだな。
概ねそんな調子で、おれと由花子さんは一日中西へ東へ北へ南へ縦横無尽に電車を乗り継いでいた。
ここで懺悔すると、おれはキサラギ駅の噂なんて信じてはなかった。
元になったツイッターや他のものにも目を通してみたが、よくできたパフォーマンスとしか思えない。
だが、由花子さんがいるなら話は別だ。
どこへ行っても必ずヤバいものを引きつけてくる天才的なトラブルメーカー。
歩く災厄とまで呼ばれた人間、それが狐宮由花子だ。
その一点に関して、おれはまったく疑問を差し挟む気はなかった。
なにか起こる。
なにかが起こる。
なにも起こらないはずがない。
そう身構えながら、時間はどんどん過ぎていった。
最後の乗り換えを無事に済ませ、それから終点に着いたのはたしか零時を過ぎていたように思う。
◆
「着かねーじゃん!」
何事もなく、某山のすぐそばの駅に電車は到着した。
コンビニがあるとかないとかそういうレベルではなく、人家がぽつぽつあるだけのなにもない駅だった。
降車する人たちはみなここに住居を構えている人たちばかりなのだろう。
しかし、おれたちはちがうのである。
このなにもない駅で始発までの時間を潰さなくてはならない。
冗談きついぜ……。
現実に逆らいたい気持ちでいっぱいのおれは、つい座席から腰を上げるのをためらってしまう。
だが、由花子さんはこの後に及んでも謝罪はおろか自信に満ちあふれていた。
「じゃあ行こうか」
そう言いながらおれの手を握る。
「どこへ? 山登りとか絶対嫌ですよ」
「ちがうよ。ここからが本番ってこと。タットワの技法って聞いたことない?」
「えーっと、異世界を覗く方法の一つでしたっけ。似たような図形をずっと見つめていると、異世界が見えてくるという」
「私、あれできるから」
「マジすかー」
棒読みでおれは答える。
心霊スポットならまだしも、異世界なんて荒唐無稽にもほどがある。
いくらなんでもそれは――。
「じゃあ行こうか」
由花子さんはおれの手を握りながら、じっと電車の扉を見つめている。
タットワの技法が異世界を覗くためのものだけでなく、異世界への入り口を作り出すものだと、ネットの匿名掲示板ではまことしやかに語られている。
その信憑性たるや、まぁ、その……お察しということで。
おれはもうここまできたら由花子さんの好きにさせようと思っていた。
思えばこれで由花子さんは卒業なのだ。
この電車を降りてしまえば、それだけで終わってしまう。
……。
由花子さんはおれの手を引っ張って電車から降りた。
おれも無抵抗にそれに続く。
これで終わり。
そのはずだった終わりの瞬間が、無限に引き延ばされていくように感じた。
アキレスが先を行く亀に追いつけないように、いつまで経ってもホームに着地できないような奇妙な感覚。
それはあくまで感覚で、おれの足はすぐにホームへと着地した。
顔を上げる。
そこは先ほどまで目の前にあった駅とは完全にちがっていた。
辺鄙な田舎の駅だったはずが、そこは巨大なターミナル駅だった。
おれは反射的に駅の名前を探す。
頭上に書かれていた駅名は「キサラギ駅」となっていた。
「は?」
なにが起きているのか完全に理解を超えているおれをよそに、由花子さんは「よっしゃあ!」などとガッツポーズをとっていた。
この人の精神構造って、いったいどうなっているんだ?
「え、これ本当にマジすか? 夢とかではなく? ――痛ぇっ!」
いきなり由花子さんに蹴りを入れられる。
痛覚がおれの脳内に走ることから鑑みて、どうやら夢ではないらしい。
「どうやら夢じゃないようだね」
「他人の身体で検証しないでください!」
「信じていなかったことは今の一撃でチャラにしてあげる」
そう言って、由花子さんは勝手に先へと進み始めた。
「ちょっ……なにしてるんですか!?」
「はぁ? 君こそなんなのさ?」
由花子さんはそんな野暮なこと今さら聞いてんじゃねーよと言わんばかりの態度である。
「探検するに決まってんじゃん。なにしに来たわけ?」
「いや、いやいやいや! 危ないですって! これ明らかに普通じゃないっていうかヤバすぎですよ! もう戻れないかもしれないんですよ!?」
「ここにいれば、じゃあ戻れるの?」
「いや、それは……わかんないですけど。いちおうおれが知ってる噂だと外に出るのは悪手ですよ」
「悪手とか関係なくない!? 戻れないかもしれないから楽しいんじゃん!」
しだいに不機嫌になり始めている由花子さんを見て、おれはやっぱりこの人ってイカレてるなと思っていた。
本当に昔のおれはなにを考えて告白したのかわからない、やっぱりガワに騙されていたんだろうか。
「もういいよじゃあ! 私は一人で行くから!」
「待ってくださいって。行きます! おれも一緒に行きますから」
「そうこなくっちゃ!」
不機嫌さで曇っていた表情は一瞬で消し飛び、パーッと由花子さんは笑顔になる。
整った顔が子供のように破顔する様は控えめに言っても可愛らしくて目を奪われたが、周囲の異様さにすぐ現実に戻された。
駅のホームにはおれと由花子さん以外の人間はまったく見当たらない。
それどころか、ホームに停車している電車もおれたちが乗ってきた車両だけだった。
いったい何番ホームまであるのか、合わせ鏡にでもしたかのように、ホームはどこまでも連なっていて数えるのもバカバカしくなるほどだった。
ひとまず今いるホームの端へと移動するが、ホームの突端から見える景色は地平線の向こうまで線路が広がっているだけだった。それ以外にはなにもなく、街を思わせる建物もない。
右を見ても左を見ても、夜空へと架けられた梯子のごとき線路が無限に伸びているのみ。
その光景から、この駅が途方もなく巨大なことがわかった。
「ちょっと圧倒されちゃうねこれ……」
二点透視図法を説明するのに役立ちそうな光景は、はっきりいって現実味が薄かった。
パースはそもそも現実を現実らしく描写するための技法なはずなのに……。
「いやだから怖いっすよ。マジで」
地平線より上の部分に視線をやれば、おれが知っているいつもの夜空があった。
星と弦月が広がり、不気味で寂しい光景にかろうじて輝きを与えてくれている。
ここが本当に異世界だと言うなら、夜空に輝くあの月と星々もそうなのだろうか。
宇宙は異世界の数だけあったりするのだろうか。
ホームはこれくらいにして、今度は駅構内を見て回ることにした。
「こっちが改札みたいだけど」
由花子さんは案内掲示板を見て、おれを先導してくれる。
どこから電気がきているのか皆目わからないが、構内は電灯もついているし、エスカレーターもしっかり動く。
構内はとてつもなく広く、人がまったくいないことを除けば、普通のターミナル駅にしか思えなかった。
ただ気になったのは、どことなく、おれが今まで利用してきた無数の駅たちをバラバラにして全部繋げたようなツギハギ感があることだった。
自動販売機もあるし、ベーカリーもあるし、コンビニもあるし、喫茶店もある。
けれどやはり誰もいないのだった。
直前までそこに誰かがいたような形跡こそあるものの、どれだけ大声で呼んでみても反応は皆無だった。
「メアリー・セレスト号みたいになってきたね! ほらほら、これも現代の燈無蕎麦屋だと言えるんじゃない?」
「めっちゃ電気ついてますけどね」
由花子さんは立ち食いそば屋に入って、食券機に硬貨を投入するものの反応はなかった。
店内に人はいないものの、厨房にはしっかりと使用感がある。
寸胴鍋に張られた水からは湯気が立ちのぼっていた。
「なにさこれ! お金入れたでしょーが!」
ガンバンガンバンガンバンバンと由花子さんは容赦のない暴力を食券機に振るう。
やめなさいって。
「あ」
食券機に正拳突きをかました直後、由花子さんはなにかに気がついたようで、まじまじと食券機のボタンを眺めている。
「どうしました?」
「いや、これさ――」
康一くん読める?
由花子さんが不思議なことを聞いてきた。
わけもわからず由花子さんが指を差したボタンを確認する。
食券機は何の変哲もない普通のものだ。
きつねやらたぬきやら天ぷらやらカレーやらのバリエーションがそこには書いてあるだけ――。
あれ?
なんだこれ? 読めない?
凝視するおれを見て確信したのか、由花子さんは駅の構内に掲示してある広告やポスター、天井からぶら下がっている電光掲示板を確認していく。
そこに書いてある文字は日本語ではなかった。
かといって外国語というわけでもなく、文字モドキというか、文字のような形をしたなにかが、のたくっているだけだった。
まったく読めない。
「これって最初からこうだった?」