終 『きさらぎ駅』 1/11
センパイほどの人間に出会ったことはなかったし、たぶんこれからも出会うことはないんじゃないだろうか。
オカルトサークル創設以来の天才と呼ばれ、圧倒的な霊能力に、生き字引のような知識量、多くの修羅場をくぐり抜けてきた豊富な経験、出会った人間を魅了してやまない絶大なカリスマ、類稀なほどに整った容姿。
慢心などまったくなく、優れた力を持っていながら、決して力に使われず、自分というものを弁えていた。
そんな人間離れしたセンパイなので、こちらからおいそれと声をかけるなんてことは当然ためらわれる。
黙って一人でいるセンパイがクールで近寄りがたいのも拍車をかけていたように思う。
けれど、そんな風に畏まって敬遠していると、逆にセンパイは子犬みたいに親しげに話しかけてくれる。
無口で怖そうに見えるセンパイは、話してみると意外と冗談が好きでお茶目で人懐っこい。
オカルトサークルなんていう胡乱な集団の中心人物ということで、色眼鏡で見られることは多々あったけれど、なんだかんだで誰からも信用されていたんじゃないだろうか。
要するに知っておいて欲しいことは、センパイがいかに傑物で、人格者で、親しみやすい人物であったかということだ。
そしてなにより、浮き世離れした容姿を裏切ることなく、やはりセンパイは最後の最後で誰にも心を開いてなどいなかった。
これから披露するのは、人から人へと語り継がれるはずだったセンパイの数多ある伝説の結末。
あの人がたどり着いた終着点になる。
もしセンパイがこの話を聞けば、余計なことを言うなと怒られてしまいそうだ。
いや、きっと怒られるだろう。
怒ってくれるはずだ。
……。
前置きが長くなってしまった。
それじゃあ、兎にも角にも始めよう。
もはや誰にも語られることのなくなった、物語の終焉を。
◆
『きさらぎ駅』
おれこと、河野康一がまだ大学生だった二年目の三月。
大学構内の桜並木は寒い冬を越え、縮こまっていた蕾たちをほころばせている。
これから満開になる直前の並木道の下を、晴れ着姿の若者たちが歩いていた。
講堂での式典も終わり、並木道の向こうから目立つ二人組がやってくる。
一人は文化系サークル所属とは思えない筋骨隆々の肉体にコワモテのボーズ頭、彼の名前は井上形兆。
おれが所属するオカサーの元副部長だ。
もう一人はこれまたオカサーの人間には似つかわしくない派手な顔立ちに亜麻色の長髪と抜群なスタイル、彼女の名前は狐宮由花子。
おれが所属するオカサーの元部長だ。
スーツになぜかグラサン姿の井上さんはいいとして、袴姿の女学生が多い中、由花子さんはレッドカーペットを今にも歩きかねない高級そうなドレスを着ている。
無論、超がつくほど目立っていた。
春のうららかな陽気とはいえまだ寒いはずなのに、背中はほぼすべて露出しているし、横のスリットとか深く入り込みすぎていて目のやり場に困る。
あまりの場ちがい感に並の人間ならば恥じらってしまいそうだが、由花子さんはむしろ誇らしげに胸を張って優雅に並木道を歩いている。
グラサンにスーツ姿の井上さんがまるでSPのようだった。
いや、あれは狙っているのか。
おれとしては普通の袴姿でもかなりハマっていたと思うし、正直に告白するとけっこう楽しみにしていたのだが、由花子さんは最後までおれの期待を裏切って常に斜め上を目指すのだった。
そもそもの話、今日のような日がやって来たということが、おれにとっては斜め上の出来事と言えなくもない。
由花子さんが卒業する。
普通に考えれば当たり前のことだが、普通のことができなかったために早くも一留を決めたおれにとって、その理解は困難を極めた。
卒業生たちはその後、オカルトサークル一同に迎えられ、真っ昼間から盛大に宴が開かれた。
井上さんと由花子さんは体育会も真っ青の酒豪であり、一人一本のビール中瓶イッキから始まった乱痴気騒ぎは怒濤の八次会まで続いた。
あの日、世界から終電という概念は消えた。
サバトと化した飲み会は朝八時まで続いたあげく、駅前の居酒屋からは出禁にされ、救急車で運ばれる人間が出るほどのドンチャン騒ぎだった。
いつまでも続く無限地獄のような飲み会の中で、おれは心の底から無事に帰れるように神に祈っていたことをよく覚えている。
そして、おれは気がついたらちゃんと五体満足で家に帰っていた。
信じられなかった。
玄関はゲロにまみれていたし、日付の感覚もぶっ飛んでいたし、記憶の連続性もところどころ怪しい。
嵐の余韻はまだ頭の中で吹き荒れており、猛烈に気持ち悪く、まともに立てなかった。
胃腸も完全に壊れており、固形物を口にできない。
それでもおれは、終わったということがわからなかった。
重大なダメージを負った身体が回復していくにつれて、少しずつではあるがようやく実感が湧いてくる。
井上さんは都内の交番に勤務することになっているが、由花子さんは実家に帰ることになっていた。もう無理矢理に呼び出されることもなくなるだろうし、からかわれることも喧嘩することもなくなるのだ。
由花子さんの引っ越しの準備はもう済んでいて、住んでいたマンションを引き払って、今はホテル生活をしているらしい。
だがそれも今週までの話だ。
オカサーのリーサルウェポンと呼ばれた女性は、そこそこ騒がしくはあったものの、普通に卒業して社会に順応していくものらしい。
なにが信じられないって、そのことが一番信じられない。
あの人が、こうして普通の人間と同じように年を重ねていくことが、当たり前だと理解しつつもわけがわからないのだった。
怒りにも似たやるせなさに、一人自室で白昼から痛飲していると、あの人から電話があった。
「やぁやぁ、康一くん。待たせたね」
「待ってなんかいませんて、なんすかいきなり」
「待ってないならいいや」
「え、ちょ――」
電話を切られた。
おれはソッコーで電話をかけ直す。
「すいません。ナマ言いました」
「最初からそう言いなよ。せっかく私が遊びに誘ってるのにさ」
「はい。せっかくのご厚意を無碍にしてしまい、まことに申し訳ありません」
「どうせ私のためにここ数日は全部予定を空けてあるんでしょう?」
「ぅえ……っと」
「どうなの? はっきり言いなって」
「はい。もちろん空けております」
「なんで素直に言わないのかな?」
「……」
「恥ずかしいんだ?」
「……つい調子こいてしまいました。偉大なる由花子様、どうかお慈悲を」
「ふむ、では君には私のお供を一日してもらおうかな」
「ありがたき幸せ」
「あ、めんどくさいからもういいよそれ。飽きちゃったし」
「……はぁ」
あははと笑う由花子さんはもうご機嫌のようだった。
ふぅ、この人のすぐ怒ってすぐ元に戻るのは長所なのか短所なのか判断が難しい。
「どこに何時集合ですか?」
「明日の三時半にタクシーで○○駅まで来てよ。今回は当日のお金は全部私が持つから」
「え、タクシー使ってもいいんですか。悪いですよ」
「いいっていいって、だって電車動いてないしさ」
「え?」
「え?」
「ちょっといいですか。三時半って昼のですよね? 一五時半のことですよね?」
「朝の三時半に決まってるじゃん」
「朝っていうかもはや夜ですけどね……」
オカサーらしく、最後は心霊スポット巡りで締めるのかと思いきや、今回はそういうわけではないらしい。
いったいどこに連れて行かれるというのか。
だが、ここでも由花子さんはおれの裏の裏をかいてくる。
そこは半ば以上、心霊スポットでありつつ、むしろその場所こそが心霊そのものという場所だった。
「康一くんはさ。キサラギ駅って知ってる?」
◆
キサラギ駅はボンクラであれば必ず一度は耳にする怪談の一つだ。
その話の概要は、存在しないはずのキサラギ駅へ語り手が迷い込んでしまうというところから始まる。
複数のバリエーションがあるものの、夜中に電車に乗っていると、見覚えのない駅に着く、という部分は共通している。
他にも現在時刻との時間がずれる。
ホームや駅周辺に人影が見当たらない。
写真を撮ろうにもまともに撮影できない。
などなど、不可思議な現象が上げられる。
慣れ親しんだ路線に乗車していたはずが、気がつけば郊外にあるようなこじんまりとした無人駅へとたどり着く。
突如として放り込まれた異空間に語り手は戸惑い、なんとか知っている場所へと戻ろうとあがくが、どうしても帰ることができない。
脱出を試行錯誤するも、やがて外への連絡手段もなくなり……というのがキサラギ駅の主な概要だ。
語り手が帰って来れなかったのに、なぜ物語が存在するんだという怪談にありがちなストーリーだが、この話の最も特徴的な部分は物語の形式をとっていないことにある。
この怪談はキサラギ駅に迷い込んだ人間が、ネットを用いて体験したことをリアルタイムに語るという形式になっている。
まさに現代らしい都市伝説と言えよう。
あらかじめ言っておくが、噂の独創性や面白さは認めるものの、ただの与太話の域を出ないというのがおれの感想だ。
特に最近のパターンは一種のお約束のようになっており、完成度も著しく低い。
読んでて苛立ちを覚えるほどで、そんなものに乗っかるような発言を見かけると衝動的にブラウザを閉じたくなる。
キサラギ駅の位置情報を検索すると、都市伝説の宝庫とされる筑波のとある池の中を示すというのもあるが、これもなんだかなぁというか、運営がわの遊び心としか思えない。
自他ともに認めるひねくれ者としては、はっきり言って興醒めだ。
キサラギ駅という怪談に対するおれの前評判は非常に低く、それをあの由花子さんが口にすることが意外ですらあった。
だが、昼夜逆転のような生活をしていたにも関わらず、おれは律儀に早寝早起きをして、由花子さんが待っている場所へと時間厳守で直行するのだった。




