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玖 『トゥルパ』 5/10

 オカルトサークル現部長である三年生、河野康一こうのこういちの仕切りでミーティングはようやく始まった。


 議題は来月に控えた新入生歓迎会のことだ。

 オカルトサークルでは毎年飲み会の後に肝試しを開催していた。

 場所は歴代の部長たちお墨付きの廃ホテルだった。


 車で一時間ほどの近場。

 殺人事件があったといういわくつき。

 それなりの広さ。

 という絶好のロケーション。


 さらに肝試し以外にも霊感に乏しい新入生が楽しめるようドッキリを仕掛けることになっていた。


 一次会の会場の手配と当日のドッキリ企画の段取りが今回の主題だ。


 しかしミーティングが進むにつれて細部の詰めの甘さが目立ってきた。


「仲間同士でやるならまだしも、新入生歓迎会には不特定多数の人が来るんだから、もっと気を配んないとさ。なにかあったら部の存続に関わるんだぞ」

「はい。すみません……」

「おいおい。しっかり頼むぜ康一くん。部長の肩書きを君に譲った私の名前を汚すつもりかい?」


 説教にしれっとのっかる由花子だったがすぐに形兆から釘を刺された。


「いや、おまえのときは俺がほとんど仕切ってたっつの」

「……」

「え、なんすか? なんで無言で俺の腕を掴ん――イダダダダ!」


 八つ当たりと言わんばかりに由花子は康一の腕の間接を極めた。


「イッタイ! マジで痛いんですけど! すいません! 俺が全部悪いっすから!」 

「……」

「なぜ無言!? いや、痛いのもそうなんすけど! メッチャ当たってるんですよ! 胸が!」

「今さら恥ずかしがることでもないっしょ」

「いやいやいやいやそうじゃなくて! 折れる! 折れますってマジで!」


 部室の床の上を二人はのたうち回った。

 他のメンバーは呆れ顔で見下ろしていた。


「ちょっとーミーティング中にイチャつくのはやめてもらるー?」

「そーだそーだ。独り身の人間だっているんだぞ!」

「…………すいません。ちょっとお手洗いに行ってきます」


 あまり口数の多くない路希が口を開いた。

 それでようやく由花子は康一を解放した。

 部室の雰囲気はやや緊張したものへと変わった。

 誤魔化すように朋子が軽口を叩いた。


「ほらー路希ちゃんも呆れちゃったしー」


 私が喋るといつもこうなってしまうな……と路希は思った。


「ちがいますよ。呆れたとかじゃなくて本当に――」

「じゃあ、この辺でちょっと休憩ということにしますか」と康一が提案した。

 部の雰囲気はやや弛緩したがそれを知ることなく路希は部室から出ていった。


 嘘にならないよう路希は手洗いを手早く済ませた。

 そして、行きがかりにある喫煙所で煙草に火をつけた。

 雨ざらしで錆ついたパイプ椅子に腰掛けた。

 煙をゆっくりと深く吸い込んで気持ちを落ち着けた。


 なにがどうなっている?


 上着の下へと手を伸ばした。背中にはあの短剣の感触があった。


 二ヶ月前の団地での出来事が思い出された。


 ちがう。


 これはちがうはずだ。


 私はただでさえ悪いものに思考を引っ張られやすい。


 もっと気をしっかりもたなくては……。


 あいつは人間じゃない。トゥルパなんだ。


 先輩を誑かす悪魔なんだから。


「……」


 不意に路希は視界を塞がれた。同時に後頭部には柔らかなクッションが押し当てられた。


「だーれだ?」


 そう尋ねる声を聞く前に路希には誰だかわかっていた。

 後頭部に当たっている大きなバストを持っているのは一人しかいなかった。


「これは璃々佳ちゃんのおっぱいだね」

「えへへー、正解ですー」


 璃々佳はベッタリと背後から路希に抱きついた。

 路希も慣れたもので照れることはなかった。

 されるがままに抱きつかれていた。

 璃々佳のバストはずっと背中に当たっていた。


「なにもあんな見せつけなくてもいいですよねー」


 急に話題を振られて路希は戸惑った。

 それが先刻の部室でのことを言っていると遅れて理解した。


「まぁ二人とも付き合ってるんだし。いいんじゃないかな」

「でもヤマーさんだって好きなのに。あんな見せつけなくてもいいと思いません?」


 路希は激しくむせた。


「げほゴホっ! ええ?」

「好きですよね? 河野先輩のこと」


 璃々佳は離れて路希の正面に回り込んだ。

 その視線は冗談の類でなく真っ直ぐに路希を射ぬいた。

 璃々佳の率直な言葉に嘘で返すのもためらわれた。 


「そりゃあ……好き、だけど……」

「あんなののどこが好きなんですか?」


 璃々佳は遠慮なく質問をぶつけてきた。


「それは……私に居場所をくれた人だから、かな」


 こうして言葉にしてみると、かなり恥ずかしい……。


 だがそれは正直な気持ちだった。


「ほら私って口下手じゃない」

「まぁ……近寄りがたい雰囲気があるのは否定できませんが――」

「友達を作るのって昔からすごく苦手なんだよね。誤解されることも多くて……軽音もそれで居づらくなっちゃったし」

「いや、あれはヤマーさん悪くないですよ」


 所属していた当時はそれほど喋らなかったが、璃々佳もかつて軽音サークルに所属していた。

 璃々佳は当時の出来事を初めて語った。


「三角関係に巻き込まれただけで、向こうが勝手に舞い上がってヤマーさんに言い寄ってきただけでしょう」

「それでも口下手じゃなかったら、もっと上手く立ち回れたら、ああはならなかったと思うんだよ」

「……」

「軽音も辞めちゃって、また学食で一人で昼食をとってたら先輩が声をかけてくれたんだ。いきなり、君には才能があるって――」


 康一のことを語りだした路希の頬は緩んでいた。

 面白くなさそうに璃々佳はそれに水を向けた。


「なんかいい話風ですけど、ようするにナンパですよね、それ……」


 ……あれ?

 そう言われてみれば……そうかも――。


「ヤマーさんって意外と隙多いですよね」

「でも新入生じゃないのにオカルトサークルに誘ってもらえてすっごい嬉しかったんだよ。その後も色々と気にかけてもらってたし……璃々佳ちゃんと友達になれたのも先輩のおかげだし」

「それはそうかもしれませんが……」

「だから、先輩が幸せそうならそれでいいんだよ。気にしないって決めたから」


 それらしい言い訳を路希は並べて見せた。

 これで終わりと微笑んですら見せた。

 璃々佳はそれでも止まってはくれなかった。


「あの人、絶対に知ってますよ。ヤマーさんの気持ちを。河野先輩と付き合ってるのはヤマーさんへの嫌がらせですって」

「……そんなことないよ。考えすぎだよ」

「さすがに知ってるとは思いますけど、狐宮先輩は悪い噂しかないような人ですよ?」

「……付き合った男はみんな不幸になるとか、失踪するとかね」

「知ってるんじゃないですか」


 知らないわけがない。

 この大学にいる女子はみんなその噂を耳にする有名人だから。


「でももう一年くらい付き合ってるんだし、そんなことはないでしょ。よく喧嘩してるけど、二人ともいつも楽しそうだし」

「だとしても、先輩はそれでいいんですか!?」

「……」


 短くなり過ぎた煙草に路希はやっと気がついた。

 灰皿へと押しつける力はいつもより強い気がした。


「しょうがないよ。だって知り合う前から付き合ってるのに、私に気を使えなんて変な話だし」

「……」

「話し過ぎちゃったね。秘密だよ。このことは」

「当たり前です!」

「なになにー俺も混ぜてよ。恋バナ?」


 いきなり康一が現れた。

 今まで話していた内容が内容だけに路希は取り乱していた。

 そして璃々佳は康一にワンパンした。


「ふん!」

「痛ぇっ!」


 女子の力とはいえ顎に入った拳は康一に膝をつかせるのに十分だった。


「グーで殴んなくてもいいじゃん……」

「どこから聞いてたんですか!?」

「全然聞いてないっす! なんか声をひそめてるから恋バナかって思っただけで! ていうか会議サボって恋バナしてるほうがおかしいじゃん!」

「ぐっ……でも――!」

「すとっぷすとーぷっ!」


 路希は璃々佳を羽交い締めにした。


「なに遊んでるの?」


 璃々佳を止めたところで由花子もやってきた。


「私の彼氏が、なにかした?」


 由花子はいつものように笑っていた。

 だがそこには対峙したものを威圧する迫力が同居していた。


「私の彼氏が、なにかした?」


 彼氏という言葉に由花子は力を入れていた。

 顔は笑ってはいるが明らかに怒っていた。


 璃々佳はそれに臆しながらも不貞腐れた態度を貫いていた。


「ちょっと密談してたのを立ち聞きされて――」

「へぇ。それって、今すること?」

「でも河野先輩が――」

「そうじゃなくて。今しなければならないことなの? それ」


 由花子の口調はやはり怒っている人間のそれだった。

 今にも平手打ちが飛んできそうだった。


「すいません。ちょっと話の行きがかり上そうなってしまって……ミーティングをサボってしまってごめんなさい」


 にらみ合う両者に路希は頭を下げつつ割って入った。

 それを合図に康一も璃々佳たちに謝罪した。


「いや、俺も茶化しちゃってごめん。遅かったから心配でさ」


 路希はそれとなく璃々佳に視線を送った。

 璃々佳はいくらか頬を膨らませてはいたが頭を下げた。


「殴っちゃってごめんなさい」

「いやーびっくりしたよ。なんかいきなりバトってるからさ」


 由花子の雰囲気が和らいでいくのが感じられた。


「私の彼氏なんて、唾つけとけばだいたい平気だから気にしないで」

「いや、そもそもそんな怪我してないんで」


 由花子は康一に近づくと殴られた部分に手を触れた。

 さすがに璃々佳も加減はしたようで外傷らしいものはなかった。


「こんな風にさ」


 由花子は康一の頬に口づけをした。

 薄い口紅が康一の頬に付着した。


「ちょ、ちょっ、なにしてんすか!?」

「マーキング」


 由花子はケラケラと笑っていた。

 そして璃々佳と路希を一瞥してから命令した。


「それ今日は落としちゃ駄目だから」

「えぇ……」


 康一は絶句していたが口紅を拭おうとはしなかった。


「おまえら遅いぞ」

「そろそろ移動しませんとー」


 そこへ形兆と朋子がやってきた。


「それじゃあ、毎年恒例の新歓肝試しの下見に行きましょうか」


 由花子は康一と手を繋いでその場から離れた。


 口紅の赤がかすむほど先輩の顔は紅潮していて、私はつい目を背けてしまう。

 璃々佳ちゃんが私のことを心配そうに見ていてくれなければ、この場から走って立ち去っていたかもしれない。


 由花子さんはそんな私に呼びかける。


「なにしてるの? あなたたちも来るんだよ」

「はい」


 もともと部室でのミーティングの後は、現地を下見するという予定になっている。

 元から決まっていたのだから、そこに他意はないはずだった。


「大丈夫ですか?」


 璃々佳はためらいがちに路希の手を取った。

 それが璃々佳なりの励ましだった。

 路希は璃々佳の暖かな掌を握り返した。


「私は大丈夫だよ」


 そう、私だけは大丈夫。


 この世界は狂ってる。


 すべてが幻だ。


 全身の感覚を腰に携えてある短剣に集中させる。

 私の体温が移ったソレは、込められた霊力を熾き火のようにくすぶらせているかのよう。


 チャンスは必ずあるはずだから。


 私が微笑むと、ぎこちないながらも璃々佳ちゃんは微笑みを返してくれる。


「安心して、大丈夫だから」


 これであいつを、狐宮由花子を、私が殺してみせるから。


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