玖 『トゥルパ』 2/10
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「そもそもの話。あいつは最初からおかしかった。
今は路希ちゃんや璃々佳ちゃんが盛り上げてくれているけど、康一によって俺たちのオカルトサークルは死んだ。
いや殺されたと言うのが正確だな。
我が大学のオカルトサークル史上最狂にしてオカサーを終わらせた男、それが路希ちゃんが出会う前の河野康一だ。
あれでもかなり丸くなってるんだぜ。
なにせあいつがオカサーの新入生歓迎会へやって来たとき、初見でヤバい奴がいると俺が思ったくらいだからな。
表面上は普通にクソ生意気な新入生なんだが、違和感がすごいんだ。
影があるというか、人間の真似をしている人間以外のなにかというか。
黛や路希ちゃんだから言えるが、違和感を探ろうとしてじーっと目を凝らして見てると、あいつの輪郭からうっすらと仄暗いオーラが迸ってるのが見えたんだ。
驚いたよ。
そんなことは初めてだったからな。
親父からオーラの話はたまに聞いてたが、あまり信じてなかったし。
だから、俺はあいつにソッコーで話しかけて、ほとんど無理矢理オカサーに入部させた。
――え?
だってさ、超面白そうだろ、そんな奴。
黛までそういうこと言うのかよ。
いや、あれを見逃すくらいだったらオカサーの部長なんてやってないぞ俺は!
まぁ……でも、結果から言えば誘うべきじゃなかったのかもな。
もしあいつがオカサーにいなかったら、こんなことにはなってなかったかもしれん。
実を言うと、現状に対して俺はけっこう責任を感じてるんだ。
俺はな、自分で言うのもアレだが当時からオカルトにはかなり明るい奴だった。
自分にはそういう方面の才能があると思っていた。
親父がああだったってこともあるし、子供の頃から不思議なもの、見えないものが見えてしまうことはしょっちゅうだった。
今だってそんじょそこらの奴より、よっぽど詳しいし肝も据わっている自信がある。
ちょっとした占いやまじないなら金を取れるレベルだという自負もある。
だが、そんな俺でも康一にはついていけなかった。
ああいうのが本当の才能というんだろう。
修行や訓練を積むことで到達できる領域に、あいつは最初から立っていた。
知識や技術こそなかったが、ポテンシャルは桁ちがいと言ってもいい。
路希ちゃんもかなりの素質があるけれど、あの頃のあいつとは比べるべくもない。
ほとんど病気と言ってもいいレベルだった。
そんな才能を持っている奴が、オカルトのオの字も知らない状態で俺の目の前に現れたんだ。
気が合うこともあって、俺は自分が持っている知識や経験をあいつにどんどん教えていった。
一を聞けば十を知るというが、あいつは凄まじい勢いでオカルトの世界へどっぷりとのめり込んでいった。
白状するが、そのときの俺は自分のしていることの自覚がなかった。
ただあいつの成長が楽しくて、望まれるがままにすべてを教えてしまった。
ものの一年ていどで、あいつは俺から学べることは学び尽くしてした。
そして俺も就活で忙しかったこともあって、少し疎遠になった。
とは言っても、その頃はまだ連絡も取っていたし、飲み会に誘えばやってくる付き合いはあった。
だから、あいつから俺に教えを乞うようなことがなくなっても、てっきりオカルトには飽きて女でもできたんだと、たいして気に止めていなかったんだ。
それは、まちがいだった。
あいつは本気だった。
独学で専門家も顔負けの知識と技術を身につけてみせた。
生活費を、心身の健康を、大学生という貴重な青春時代を、そして単位を、すべて犠牲にしてオカルトへと注ぎ込んだ。
うちのオカサーが衰退していったのはちょうどその頃になる。
当時はほとんどただの飲みサーで、オカルト好きの奴なんて逆に珍しいくらいだったが、そこに本物が居着いちまったからな。
気がついたときには、あいつは人相すら変わっていた。
鬼気せまっていたし、それは狂気すら感じるほどだった。
明日にでも死んだっておかしくないとすら思えた。
なんでそこまでするのか意味がわからなくて怖かったのをよく覚えている。
オカサーから去って行ったやつらも俺と似たり寄ったりの感覚を覚えていたんだろう。
だってオカルトだぞ。
そんな全身全霊で打ち込むようなことか?
そんなものに本気になるなんて、どうかしてるとしか言いようがない。
社会に出て役に立つようなものじゃないんだから。
それでもあいつは真剣に狂っていた。
どうかしてると一笑に伏すこともできないほどに。
そんな奴が、行くところまで行って作り上げてしまったのが狐宮由花子だ。
――いや、作った理由なんて、なかったんだと思うぞ。
作れるから作った。
できるからやった。
当時のあいつを見てると、一事が万事この調子だ。
あの頃のあいつは、人を殺すチャンスがあれば本当に殺りかねないなにかがあった。
――言い過ぎたな、すまん。
狐宮由花子が産まれたのは、俺が卒業した後の話だ。
オカサーが廃部同然になる一年前くらいになる。
この頃の康一は完全に狂人だ。
なにせいつも一人でトゥルパとずっと会話をしているんだから、まともなわけがない。
あいつ自身もこの一年間のことはほとんど覚えていないそうだ。
だが、あいつの霊能力はこの時期がまさに全盛と言える。
専門家並の知識と技術を身につけたとはいえ、圧倒的に経験が足りていないにも関わらずだ。
純粋な力量で言えば俺の親父のほうがずっと格上だと断言できる。
その差を一瞬で縮めてしまうのが、あいつが作り上げたトゥルパの存在だ。
トゥルパを使役している康一の力量は親父を含め、俺の知っている霊能力者たちをはるかに上回る。
あいつに祓えないものはなく、浄化できないものはない。
トゥルパがなにもかも喰らってしまうからだ。
――そうだ。
狐宮由花子というトゥルパは、人間の思念を――つまりは幽霊を――喰らって成長する特別なトゥルパなんだ。
――信じられないという顔をしているな。
俺もそうだった。
黛からそれを耳にしたときは爆笑したくらいだ。
それが本当だとわかったのは、どんなに難しい除霊でも100パーセント即日で成功させる奴がいるという噂を聞いたときだ。
死霊生霊の区別なく、あらゆる思念を喰らう式神を使役する学生がいると。
もちろん、アレは式神なんて上等なもんじゃないけどな。
当時は相当な荒稼ぎをしてたようだ。
こっちの業界はほとんど言い値だし、価格の相場なんてあってないようなものだから。
ただし、大金の代償もでかかった。
あいつのやっていたことは外法中の外法だ。
トゥルパという存在は、鏡写しになった自分の分身のようなものだ。
そいつに邪悪な霊や呪いを喰らわせる。
考えるのも恐ろしいが、あいつはこれをやった。
結果は路希ちゃんが言ったとおり、狐宮由花子はすぐに暴走を始めた。
気がついたときには、すでに康一は絞りカスに成り下がり、トゥルパに尽くす奴隷になっていた。
身体は痩せ細って目だけが爛々として不気味なんだが、なにより存在感が希薄になっていた。
どう言えばわかってもらえるか……注視していないと、すぐに意識の外側へと康一が出て行ってしまうんだ。
そこにあいつが存在していると感じにくくなっていた。
引き替えに肥大化した康一のトゥルパは、実体を持ち始めていた。
これは皮肉じゃないが、あいつは霊能力者としては三流でも、トゥルパ作りで言えば超一流だ。
なにせあいつの妄想でしかない狐宮由花子の姿が、この俺や他の霊能力者にすら見えたんだから。
目尻の上がった大きな瞳に長いまつげ、すべてを見透かし常に余裕をたたえた微笑を浮かべる口元、そして流れるような亜麻色の長髪。
現代に玉藻の前がいるとしたら、あんな感じなんだろう。
俺は知っている人脈を駆使して、あいつのトゥルパを祓うことにした。
ほとんどエクソシストみたいなもんだな。
それに参加した全員が狐宮由花子を見ている。
あんな経験は初めてだった。
その悪魔祓いならぬトゥルパ祓いは一週間以上ものあいだ続いた。
あまりに長くなり過ぎるから要点だけ言うが、四人を病院送りにし、何十枚とガラスを破砕し、車を二台爆破させ、家を一軒全焼させただけで康一を精神病院へとたたき込むことに成功した。
死人が出なかったことは本当に奇跡だったと今でも思う。
マジで死ぬかと思ったことは後にも先にもあれだけだ。
精神病院に一年間入院することで、ようやく康一は社会復帰してくれた。
狐宮由花子のことをすべて忘れることでな。
だが、トゥルパを祓うことには失敗した。
――無理なんだ。
どんな方法を使おうと狐宮由花子を祓うことはできない。
さっきも言ったが、トゥルパは鏡写しになった康一自身でもある。
トゥルパを第三者が無理矢理消す方法は、残念ながら一つしかない。
創造主を殺すという方法しか。
俺たちがしたことは、せいぜい喰われた一〇〇を越える霊や呪いを祓って、トゥルパの力を弱める対症療法でしかなかった。
俺はあいつが退院したとき、何度も神様に祈ったよ。
神様、どうかこいつが、狐宮由花子のことを思い出しませんように、ってな」
◆
だが、神様は下々の願いなんて聞いちゃいないみたいだ。
昔語りを続けていた井上先輩は、投げやりな自嘲を浮かべてビールを呷った。
「そんな……それじゃあ、先輩はもう元に戻らないってことですか!?」
そんなことをしてもしょうがないとわかっていても、井上先輩に掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出してしまう。
「落ち着いてー、路希ちゃん。いちおうトゥルパを消す方法がないわけじゃないんだよー」
「そうだな、ただそれがとんでもなく難しいってだけで」
「……もしかして、先輩に自分で消させるってことですか?」