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玖 『トゥルパ』 1/10

 そいつは低いステージの上でエレキギターを弾いていた。


 金髪のショートヘア。

 青い瞳。

 高い鼻梁。

 長い足。

 白い肌。


 ライブハウスは満員だった。


 そのほとんどが女子ばかりで黄色い声援はやかましかった。

 それをねじ伏せるようにしてザラついたハスキーボイスがスピーカーから響いていた。


 ライブが終わったときにはもう夜の二二時を過ぎていた。


 いつもならばバンドメンバーとの打ち上げに参加するが今日はそうもいかなかった。


「おばんですー」

「お疲れさん。路希ちゃん」


 ライブハウスから出ると遠近感の狂った二人組が待っていた。


 一人は黛朋子まゆずみともこ

 小学生と見まちがえるような背格好に黒髪おかっぱ頭で大学院生をしていた。


 一人は井上形兆いのうえけいちょう

 二メートルに迫る筋骨隆々な巨躯にボーズ頭のコワモテながら現在の職業は警察官だった。


 二人とも、我が大学のオカルトサークルに所属していたOBとOGだった。


「今日はライブに来てもらってありがとうございました」

「いやー良かったよー! 路希ちゃんのギター初めて聞いたけど、めっちゃカッコイイんだねー! お客さんの数もすごかったしー!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」

「わかるわ。男の俺でもちょっと見惚れてたし。ていうか女の子のファンばっかりなんだな。すごい熱狂ぶりだったけど……」

「ええまぁ……嬉しいんですけど、なんか初期の頃と客層がだんだんちがってきてて戸惑ってます」


 主に男女比がどんどんおかしなことになっている気がする。


 駆け出しのアマチュアバンドを見に来てくれる人なんて、バンドメンバーが声をかけて集めてきた友人ばかりだ。

 自分を除いてバンドメンバーはみな男性なので、それこそ最初は男性のほうが圧倒的に多かった。


 それが現在のように比率が逆転してしまったのは、璃々佳ちゃんが原因となっているように思う。


 璃々佳ちゃんは人を扇動する才能というか、マネジメント能力というか、小さな種火を燃え盛る火炎にするのが上手すぎる。


 こっちとしては気軽に遊びに来てねーくらいのノリで声をかけただけだったのに、璃々佳ちゃんはオカサーのメンバー全員を召集してのけた。

 そこからわずか二ヶ月で、フライヤー作成からビラ撒きにビラ貼り、HP作成までをこなし、対バンなどのブッキングや出演するライブハウスの交渉もやり、最近は早くもファンクラブ開設まで手がけている。

 いや、そんなの誰も入んないでしょと思っていたが、これがなかなかどうして好評とのことだ。


 バンドメンバーからの評判は上々で、マネージャーというよりもはやプロデューサーのポジションに収まっていた。


 敏腕すぎる……。


 璃々佳ちゃんと最初に出会ったときは、もっと引っ込み思案でおとなしい子だと思っていたのに、自分の人を見る目のなさには驚くばかりだった。


 とは言っても、璃々佳ちゃんを責めるつもりはないし、むしろとても感謝している。

 ただ初期のニルヴァーナのように好きな人だけ聞けばいいくらいの気持ちでやっているので、ライブのチケットにプレミアまでつく現状にはやっぱり戸惑ってしまう。


 なんてカート・コバーンと比肩するなんて恐れ多いか。


 大学二年目の三月の夜は冷え込んでいて、ボア付きのダッフルコートに首を埋めながら駅のほうへと歩いていく。

 大学は春休みだが、平日ということもあってガード下にある居酒屋に客はまばらだった。

 時間はもう二三時になろうとしている。

 社会人ではおいそれと飲み始められるような時間ではない。


 もちろんそれは井上先輩とトモちゃん先輩にも当てはまる。

 概要はあらかじめ知らされていたが、今夜こうして集まった理由を井上先輩は今一度、口にした。


「康一が病院から脱走した。あいつから連絡を受けたやつはいるか?」


 トモちゃん先輩と、二人同時に首を横に振る。


「そうだろうな、俺のところにもない。だがもし接触する機会があれば、どんな手を使ってでも引き留めてくれ」

「言われなくてもそのつもりだよー」


 のんびりしたトモちゃん先輩の口調でいくらか和みはするものの、事態がかなり深刻なことはまちがいない。


 なにしろ先輩は精神病院に強制させられる以前、あのてるてる団地での件から一ヶ月以上も行方をくらませていたのだから。


 発見されたときの先輩の荒廃した精神状態は元より、栄養状態もかなり危険な域に達していた。

 次も無事に済む保証はどこにもないのだ。


「でも、そんな簡単にあそこから脱走できるものでしょうか?」


 毎日とは言わないまでも、けっこう頻繁に先輩のお見舞いには行っていた。

 だからこそわかるが、先輩が入院している病棟は小綺麗ながらも造りはまるで牢獄だ。

 おいそれと外に出られるとは思えない。


「普通ならそう思うよねー。私と井上さんはそこに関してはもう驚かないけどー」

「俺は実際に見てないから真偽はわからないが、担当の警官が監視カメラの録画映像をチェックしたそうだ。そこには白昼堂々、病院から脱走する康一が写っていたらしい」


 昼間!?

 てっきり人目の少ない深夜に脱走したものだと思っていたのに。


「どうやって外に出たんです? 窓から出ようにも先輩の病室は六階ですし、窓には頑丈な鉄格子までついてるんですよ?」

「康一は普通にドアから出ていった」

「あの部屋は内側からドアを開けられないでしょう。ドアノブがないんですから」

「言わなくてもわかりますよー井上さん。開いたんでしょ、勝手にー」


 井上さんは肯定こそしないが否定もしない。

 そうすることが、この超常的な出来事に対するせめてもの抵抗なのだろう。


「いやでも……白昼ですよ? 夜ならまだしも、院内には人がたくさんいるはずですし」

「だが誰一人として康一に気がついた奴はいなかった」

「それって……先輩が人目を避けながら出て行ったってことですか?」

「いや、そうじゃない。視界には入っているのに、気づけないんだ。病院の職員は康一が目と鼻の先を通り過ぎても、まるで見えていないかのように素通りしていく」

「あのときより、酷くなってますねー」

「あまりの異常さに担当者は首を傾げている。なによりショックなのは病院の人たちだろう、今は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているらしい」

「……これも、その狐宮由花子きつみやゆかこってやつのせいなんですか?」


 その名前を聞いただけで、先輩がたの表情は強ばる。

 それを耳にしただけでも、呪われる理由になるとでも言いたげに。


 しかし、こちらとしてもここで食い下がるわけにはいかない。

 二ヶ月前には、はぐらかされてしまったが、今日こそ詳しく聞き出さなければ。


「康一ももう思い出してしまってるしねー。ここまできたら教えてあげたほうが路希ちゃんのためですよー」


 わざわざ訴えなくとも、決意のほどは表情に出てしまっていたらしい。

 井上さんは、観念したかのように大きくため息をついてから、狐宮由花子のことを語りだした。


「狐宮由花子というのは、康一が作り出したトゥルパのことだ」

「それは聞きましたし、自分でもいくらか調べました」


 タルパ、人工未知霊体、人工聖霊、イマジナリーフレンドなどなど。


 ネットでは色々な呼ばれ方をしているが、これらは要するに自らの空想によって作り出した事物――人間を指す。


 空想の人間と言っても単なる妄想のレベルで終わるものではなく、トゥルパは実際に会話をすることも可能だし、あたかも本当に存在しているかのように見て触れることもできる。


 自分が望む幻を見たり喋ったり触れたりできる方法、それがトゥルパだ。


 賢明な人間ならば一通りこの説明をされただけで、トゥルパがどれほど危険なものかは察することができると思う。


 トゥルパは統合失調症の症状そのものに当てはまってしまうし、さらには解離性人格障害やその他精神病の引き金にもなりかねない。


「先輩のトゥルパは、暴走しているってことですか?」

「まぁ一言で表すとそうなるな」

「トゥルパの暴走ってよくあるらしいですね。創造者を罵倒するようになったり、うるさく騒ぎ立てたり、嘘か本当かはわからないですけど、酷いものになると創造者の人格を破壊して成り代わろうとするものもいるとか」

「その通りだ。ただし、狐宮由花子はそんじょそこらのトゥルパとは次元がちがう」


 そこが一番聞きたいところだった。

 トゥルパはかなり危険な代物ではあるものの、第三者から見ればただの妄想であり幻覚だ。

 名前を口にするのもはばかられるような存在ではないはずだし、まして人間一人を透明にする力もないはずだった。


「まずなにから話すべきか……トゥルパという存在は創造者の心の鏡のようなものだ。だから、狐宮由花子が作り出そうとする前のあいつのことを話したほうがいいんだろうな――」


 井上先輩は、目の前に置かれたビールにはまったく手をつけずに、そろそろと語り始める。

 狐宮由花子が狐宮由花子へと至り、河野康一が河野康一へと至る昔話を。


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