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捌 『てるてる団地』 7/10




 また、あの夢を見た。


 だが、それは今までものとは少しちがっていた。


 マンションの一室。


 空は果てしなく青く、雲の一つも見あたらない。


 胸には心が圧壊してしまうような罪悪感と、焼き殺されてしまいそうな焦燥感。


 視界の隅ではテレビがでかい音量でがなりたてているが、視線をそちらへ向ける気にはなれない。


 それどころじゃない。


 ミキサーを動かすことに忙しいから。


 適当な形にスライスされた肉を次から次へと放り込んで、ミキサーにかけていく。


 ギュッルルルッッッッッルッルルルッルルルルルッルル!


 ギュルルルルルギュルギュルルル!


 ギュグッグワアアアアアアア!


 ドロドロになった肉を、今度はこぼれないようにペットボトルの中へ移していく。

 空気を抱き込んでドロドロのフワフワになったとはいえ、形が残っていないわけじゃない。


 ボトボトトボト……


 ペットボトルへ移し終わると、またミキサーへ肉を放り込んでいく。

 素手で掴んだ肉に温度はなく、指先が触れるとひんやりとした弾力だけを返す。


 いつのまにか両手は真っ赤だった。


 鮮烈な赤ではなく、鈍く光を返す黒ずんだ赤に両手は染められている。

 鼻腔には鉄のにおいだけがあり、それ以外のにおいなんてこの世界にはなかった。


 ふと、空の青さが視界に入る。


 この両手の赤黒さとは無関係に、空はどこまでも青いままで、赤みや黒さなんてどこにも見あたらない。


 突然、その青さが滲む。


 涙のせいだ。


 どうしてこんなことをしているんだ。


 なんでこうなってしまったんだ。


 血塗れになることもかまわず、両手で顔を覆って、肉が散乱する床の上をのたうち回る。


 タドタバタドタドタドタバタドタドタドタバタドタドタドタバ――


「お姉ちゃん! ねぇお姉ちゃん! 大丈夫!?」


 肩を強く揺すられてやっとのことで目が覚める。

 だが、同時にひどい吐き気に襲われ、近くにあったゴミ箱の中へもどしてしまう。

 最近はろくに食事もしていないので、胃液しか出てこない。


「お姉ちゃん……平気?」


 諒くんは、嘔吐で悶える私の背中をさすりながら泣きそうになっていた。


「ごめんね。もう大丈夫だよ」


 どうやらまた油断して眠ってしまったようだ。

 テーブルにうつ伏せで眠っていたので、肩と腰が痛い。

 くわえて風邪気味のためか、頭痛と吐き気が止まらない。


 眠るのが怖くて気が張っているかぎりは起きているのだが、一度眠ってしまうと必ずあの悪夢が待っている。


 しかも回を増すごとに生々しくなっているような感じがする。

 あまりの不快さに三時間以上眠ることができない。


 人間は三日も眠らなければ幻覚を見るようになるらしい。

 現段階では幻覚とまではいかないが、意識ははっきりとしてくれない。

 今のこの瞬間が夢か現か、判断できなくなるのだ。


 本格的にまずいことになってきたとは思うが、自分ではどうにもできない。

 この調子では外出もできないので、先輩を連れてきてもらえるまで、おとなしくしているほかなかった。


「お姉ちゃん……? 具合悪いの?」

「平気だよ。ちょっと飲み過ぎちゃったかな」


 無理に笑って、諒くんの触り心地の良い頭に触れる。

 諒くんは不安そうに黒目がちな瞳をこちらに向けていた。


「そうだ、諒くん。お腹へってないかな?」

「ちょっとだけ……」

「そっか。じゃあごはんにしようか!」

「う、うん」


 満腹になると眠くなるので、食事を控えていたのだが、これ以上は衰弱するだけだ。

 こういうときこそしっかり食べなくては。


 料理という久しぶりの生産的な行動に気分も少し高揚する。

 部屋でじっとしているより、なにかしているほうが眠気にもいいはずだった。

 太陽光を浴びることは眠気にも効果があったはずだ。


 カーテンを開けて、ベランダに出る。


 空は果てしなく青く、雲の一つも見あたらない。


 諒くんが大きめの音量でテレビの電源を入れる。

 内容はまったく頭に入ってこないがBGMにはちょうどいい。


 それどころじゃない。


 料理をしなくては。


 冷蔵庫を開けると、適当な形にスライスされた肉が保管されていた。

 ちょうどいいので、それを片っ端からミキサーへ放り込んでいく。


 グッゴゴゴッッググgっg!


 ?


 どうもミキサーの調子が悪いようで、うまく動いてくれない。


 仕方がないので肉を取り出すことにした。


 素手で掴んだ肉に温度はなく、指先が触れるとひんやりとした弾力だけを返す。


 いつのまにか両手は真っ赤だった。


 鮮烈な赤ではなく、鈍く光を返す黒ずんだ赤に両手は染められている。

 鼻腔には鉄のにおいだけがあり、それ以外のにおいなんてこの世界にはなかった。


 ふと、空の青さが視界に入る。


 この両手の赤黒さとは無関係に、空はどこまでも青いままで、赤みや黒さなんてどこにも見あたらない。


 突然、その青さが滲む。


 涙のせいだ。


 どうしてこんなことをしているんだ。


 なんでこうなってしまったんだ。


 胸には心が圧壊してしまうような罪悪感と、焼き殺されてしまいそうな焦燥感。



 たまらず、私は自分の右手をミキサーに突っ込んで、スイッチを押しギュッルルルッッッッッルッルルルッルルルルルッルルギュルルルルルギュルギュルルルギュグッグワアアアアアアア!


「ヤマーさん! ちょっとヤマーさん!」


 肩を強く揺すられてやっとのことで目が覚めるが、同時にひどい吐き気に襲われた。

 都合良くコンビニのビニール袋があったのでそこへもどしてしまう。

 せっかく食べたおかゆは吸収されることなく出てきてしまった。


「ヤマーさん……平気ですか?」


 璃々佳ちゃんは、嘔吐で悶える私の背中をさすりながら泣きそうになっていた。


「ごめんね。もう大丈夫だよ」


 どうやらまた油断して眠ってしまったようだ。

 テーブルにうつ伏せで眠っていたので、首と腕が痛い。

 風邪も引いているようで悪寒も少しあった。


「大丈夫じゃないですよ! どうして私に黙ってたんですか! 黛先輩から全部聞きましたよ!」


 璃々佳ちゃんは涙を流して泣いているのに、たれ目を精一杯につり上げて怒っていた。


「ちゃんと私も巻き込んでください! そうやって自分だけどんどん先に行くのは駄目です! 置いてかないでください!」


 怒った璃々佳ちゃんは両手でポカポカとたたいてきた。


「ごめん……ごめんね」


 無抵抗に叩かれながらそうつぶやくと、璃々佳ちゃんはたたくのをやめて抱きついてきた。

 そしてそのまま、しくしくと泣く。


「ごめん」


 そうとしか言えなかった。

 璃々佳ちゃんを巻き込みたくない気持ちは今も変わらない。

 この子を不幸な目にあわせちゃいけない。

 けれど、結局はこうして璃々佳ちゃんを泣かせてしまっている自分が情けなかった。

 璃々佳ちゃんが泣きやむまで、肩を抱いて頭に触れる。


 ん?


 デジャブだ。

 少し前にもこんなことをしていたような?


 思い出せない。


「そうだ、璃々佳ちゃん。お腹へってないかな?」

「それどころじゃありませんよ」


 泣き止みはしたものの、怒りはまだ継続しているようで上目遣いに睨みつけられた。

 けれど、元の顔が可愛いので迫力には欠けていた。


 むしろ意地らしいくらいだ。


「いいですかヤマーさん。私が絶対にあの馬鹿を捕まえてきます。それまで、しっかりしててくださいね」

「うん。本当に、ごめん」

「もう謝らなくていいですから」


 璃々佳ちゃんは身支度を整えると、すぐに先輩を捜しに外へ出ていこうとした。


「あれ? でも璃々佳ちゃんどうやって入ってきたの?」

「どうやって?」

「いや、だって鍵が閉まってたでしょ」


 璃々佳ちゃんはこちらに背中を向けたままで、ぴたりと動きを止めた。


「……」

「窓の鍵も全部閉まってるはずだし、玄関もかかってたように思うんだけど……」

「やだなぁ、ヤマーさん。鍵が開いてたから入れたに決まってるじゃないですか。不用心ですよ」


 そうだっけ?


 ずっとぼーっとしているから、鍵を閉め忘れてしまったのかもしれない。

 ……言われてみれば、鍵をちゃんと閉めたのか曖昧になってきた。


「そっか、気をつけるよ」

「そうですよ、気をつけてください。女の子の一人暮らしなんですから」

「はい」

「鍵だって、合い鍵を作られたら意味ないんですからね」

「そりゃそうだけど、そんな合い鍵を作られて気づかないほど抜けてないよ」

「……だったらいいんですけどねぇ」


 含みのある言い方だったが、璃々佳ちゃんはそのまま振り返らずにそそくさと出て行ってしまった。

 やっぱりまだ怒っているのだろうか。


 璃々佳ちゃんにはなんだかんだで迷惑をかけっぱなしだ。

 今度また改めてちゃんとお礼をしなくては。


 両手で頬を強く張って、気合いを入れ直す。

 変な夢を見ているくらいでいつまでも凹んでいるわけにはいかない。

 トーストとコーヒーで遅めの朝食を取ることにする。


 外を見ると、空は果てしなく青く、雲の一つも見あたらない。


 リモコンを手にして大きめの音量でテレビをつける。

 内容はワイドショーで興味はさほどなかったがBGMにはちょうどいい。


 さて、料理をしなくては。


 適当な大きさにカットしたギュッルルルッッッッッルッルルルッルルルルルッルル肉片をギュルルルルルギュルギュルルルミキサーにかけギュグッグワアアアアアアア――


「お姉ちゃん! ねぇお姉ちゃん!」


 強く揺さぶられて目が覚めた。

 だが、同時にひどい頭痛と目眩に襲われる。

 身体を起こそうとしても部屋がグルグルと回っているようでうまく力を入れられない。

 たまらずすぐに、ゴミ箱の中へもどしてしまう。

 最近はろくに食事もしていない。

 黒い液体が吐瀉物に混じっていてギョッとするが、それは眠気覚ましに飲んでいたコーヒーだろう。


「お姉ちゃん……平気?」


 諒くんは、嘔吐で悶える私の背中をさすりながら泣きそうになっていた。


「大丈夫……大丈夫だよ」


 どうやらいつのまにか眠ってしまったようだ。

 テーブルにうつ伏せで眠っていたのと、悪夢のせいで寝心地は最悪だった。

 いくらかおさまってはくれたが、まだ部屋がぐるぐると回っている感覚がある。


 諒くんには大丈夫といったが、眠るのが怖くてしょうがない。

 眠ってしまえば必ずあの悪夢が待っている。


 しかも回を増すごとに生々しくなっているような感じがする。

 あまりの不快さに三時間以上眠ることができない。


 人間は三日も眠らなければ幻覚を見るようになるらしい。

 現段階では幻覚とまではいかないが、意識ははっきりとしてくれない。

 今のこの瞬間が夢か現か、判断できなくなるのだ。


 本格的にまずいことになってきたとは思うが、自分ではどうにもできない。

 この調子では外出もできないので、康一先輩を連れてきてもらえるまで、おとなしくしているほかなかった。


「調子が悪いなら、寝てなきゃ駄目だよ。お姉ちゃん」

「平気だって、これでも少し寝てだいぶ良くなったんだから」


 無理に笑って、諒くんの頭に手を置く。

 だが諒くんは黒目がちな瞳を不安そうにひそめてこちらに向けていた。


「そうだ、諒くん。お腹へってない?」

「ちょっとだけ……」

「そっか。じゃあごはんにしようか!」

「いや、そんなことしてる場合じゃないだろ。寝ぼけるのもいい加減にしろ」


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