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捌 『てるてる団地』 4/10

「またどこかに出かけてたの?」

「そうだよ。怖ーいところに行ってきたの」

「おはなしききたい」

「いいよー。じゃあそこで見た、たくさんのオバケの話をしてあげようか」

「う、うん」


 ちょっと子供には刺激が強すぎるなという部分はオブラードに包みつつも、あの団地で見てきたありのままを話す。


 実を言うと、あの604号室に到着するまでにも細々としたものは見ているのだが、それを部員にあんまり口にすると威厳というか信憑性が薄まる気がして黙っているのだった。


 見えない人にこんなことを話しても、まちがいなく変人や痛い人扱いされてしまうこと請け合いだ。


 けれど、諒くんみたいな子供相手なら素直に信じて怖がってくれるし、自分の社会的な立場なども考えなくていいので気が楽だった。


 おまけに諒くんはかなりの聞き上手である。


 というのも子供らしく外面を取り繕わないというか、リアクションが大きくて素直なので話していてだいぶ楽しい。


 ネジ切れそうなほどひねくれている先輩とは対極と言えよう。


 断言する。


 諒くんは、可愛い。


 しかし、楽しく話してはいても、頭の片隅で今のこの状況がやや異常なのは自覚していた。

 ほかでもない、諒くんがこうして頻繁に遊びに来ることそのものが、だ。


 誰にも話してないというか話せないのだが、ぶっちゃけ諒くんは虐待されているんじゃないかと、疑っている。


 諒くんにお母さんはおらず、お父さんと二人暮らし。


 お父さんは当然ながら生活費を稼ぐために働かなければいけない。

 諒くんは一日のほとんどの時間を一人きりで留守番をして過ごしている。


 そのせいもあるのだろう。

 諒くんの肌は日光に当たらないために血管が透けるほど白く、ガリガリとは言わないまでもかなり痩せている。

 散髪するお金も暇もないのか、伸びるがままにしてある子供特有のツヤツヤした黒髪は女の子のように腰のあたりまであった。


 念のため、色々と理由をつけてお風呂に入れてあげたときに確認はしたが、暴力を受けている形跡はまったくない。

 親子仲は良好で、諒くんはお父さんのことが大好きであるということも、これを問題と判断するべきか迷ってしまう原因となっている。


 いったい、人はどこまで他人の家族に首を突っ込んでいいものなのだろうか?

 行政に通報したほうがいいような気もするし、しないほうがいいような気もする。


 下手に通報して男手一人で一生懸命に息子を養っている人を指弾することになるのも酷な話だ。

 通報されたことをきっかけにして引っ越さないとも限らないし。

 だったら、こうして諒くんの面倒をここで見れるぶんまだましな気もする。


 ううううううん……。


「お姉ちゃん、聞いてる?」

「あ、ごめんごめん。どうしたの?」


 怪談話が一通り終わったあと、もたげてきた心配ごとのせいで上の空になっていたらしい。

 諒くんのか細くて白い指が肩にぺちぺちと触れていた。


「お姉ちゃんは、なんでそんなに怖いところに行くの?」

「うーん。そうだねぇ、それが師匠に教わった魔女になるための修行だからかな」


 詳しく話すとかなり込み入ってしまうので、嘘が七割、真実が三割ていどのブレンドで理由を説明しておく。


「なんで魔女になりたいの?」

「なりたいっていうか、なることになっていたというか……」

「なりたくないの?」

「そう聞かれるとなりたくはあるかな」

「なんで? 箒で空を飛びたいとか?」

「そうだねー。それは楽しそうだけど、空を飛びたいから魔女になりたいわけでもないのかな」

「じゃあなんで?」

「うーん……」

「魔女のお姉ちゃんは、魔女になってなにをするの?」


 諒くんは座っている私の背後から抱きついて甘えてくるので、あぐらをかいた膝の上に座らせてみた。

 無抵抗に身を預ける諒くんはとても軽かったが、体温は高めでぽかぽかしている。

 伸びるにまかせた黒髪を手で梳いてみると、一度も引っかかることなく指のあいだを流れていく。


「追いつきたい人がいてね。その人のそばへ行きたいのかも」

「その人ってさっきゆってた師匠って人?」

「そうだよ」

「師匠に褒められたいってこと?」

「……そうだね。うん。そうかも。むしろ褒められたいだけなのかもしれない」

「子供みたい」

「諒くんから見て大人に見えても、中身は案外子供だったりするんだよ」

「そんな人いるの!?」

「いるよーいっぱい。私の師匠もまんま子供だからね」

「ふーん。やばいねー」

「やばいよー」

「でも褒められたいんだー?」

「褒められたいねー」

「じゃあ、お姉ちゃんはその師匠のことが好きなんだ?」

「うん?」

「だって好きな人に褒められるから嬉しいんでしょ。僕もお父さんとか魔女のお姉ちゃんに褒められると嬉しいもん」

「ああ、そういう――あれっ!?」


 つい大声を出して、諒くんを驚かせてしまった。


「どしたのお姉ちゃん?」

「いや、ちょっと……なんでもないっていうか、すごいことに気がついたっていうか……」


 もし諒くんが膝に乗っていなければ「エウレカ!」と叫んで立ち上がりかねない事実の発見だった。


 ええ……いつのまにこうなってるんだ? なんであんな変人を? 自分のことながらなぜそうなっているのか、まったくわからない。

 だが一度そうだと仮定すると不自然に思えた自らの行動のあれやこれやにすんなりと説明がついていく。

 反射的に論駁したくなるが、反証すべき部分が見あたらない。


「早く大人になって、お姉ちゃんみたいにどこでも行きたいところへ行けるようになりたいな」


 無邪気な一言だったが、衝撃的な事実が発覚した今にとっては、重い一言だった。


「……どこでもは行けないよ」


 だって先輩の家に行くこともできないのだから。

 心霊スポットなんかより、よっぽど怖い。


 先輩にもし、嫌われていたら――それを考えるだけで、足がすくむ。


「それはお姉ちゃんがそう思いこんでるだけだよ」

「……」

「行きたかったら、どこにでも行けるって僕は思うな」

「……そうかも、しれないね」


 時計を見ると、もう一三時をとっくに過ぎている。

 今さら家を出たところで、三限には絶対に間に合わないだろう。


「さてと、お姉ちゃんそろそろ大学に行かなくちゃ」

「えー。遊ぼうよー」

「だーめ。一人前の魔女になるためには、しっかり勉強しないといけないんだから」


 もっとも、そこでの勉強は大学の講義では教えてくれない知識だし、たぶん社会に出てもさほど役に立ったりはしないのだけれど。


 でもそれは確実に、私にとって必要なことなのだ。


「ありがとね。諒くん」


 諒くんはちょっとだけ拗ねてほっぺたを膨らませていたが、お礼を言ってぎゅーっと抱きしめると、すぐに機嫌が良くなってくれた。


「またコーヒー飲ませてね。魔女のお姉ちゃん」

「はいはい」


 そして私は今さらではありつつも、出かける準備を始めたのだった。







 それから約一時間後、大学の部室棟へとやって来た。

 ここへ来たのはかれこれ一ヶ月ぶりになるだろうか。


 というのも、部室はとある事情により使用するのがとても困難な状態――いわくつきの呪いのアイテムが大量に所蔵されているため――となっており、ほとんど先輩一人だけの書斎件お昼寝部屋と化している。


 そんな大学随一の逆パワースポットに足を運ぶ例外的な用件というのは他でもない、先輩との待ち合わせ場所だ。


 先輩の仕事は大学図書館での司書だが、昼休みと仕事終わりの数時間はここで過ごしていることが多い。

 なので、会う予定のときはたいてい、部室が指定されるのだった。


 だが、今日これから先輩と会う予定なんて、まったくない。


 それでも部室で先輩が来るのを待つ。


 今日会えないのなら、明日も来るし、明日会えないのなら、明後日も来るつもりだ。


 職場へ尋ねに行くことも考えたが、さすがにそれは迷惑な気がするので、ひとまずは控えておくことにする。

 ひとまずは。


 もったいぶるようなことでもないので、諒くんとの会話で気がついたことを今一度、はっきりと明示しておこう。


 私は、どうやら、先輩のことが……好きらしい。


 恋愛的な意味で。


 なぜあんな人に恋をしているのか、自分でも不思議だ。

 なにせ恋というものをしたことがないので、これがそうだと気づくのが遅れてしまった。


 世間に言わせれば恋というものは落ちるものらしいが、こっちとしては恋に突き落とされたくらいの衝撃だ。


 いや、前からなにか変だとは思っていた。

 自分の先輩に対する気持ちに違和感はあった。


 特に先輩が狐宮由花子きつみやゆかこという女性の名前を口にしたときの、あの不愉快な苛立ち、あれは嫉妬というやつだったのだ。


 ……一度だけ、先輩に狐宮由花子の写真を見せてもらった。


 美人だと先輩があまりにもハードルを上げるので、「思い出補正で美化してるだけだろう」と思いながら見たのだが、なるほど、ぐうの音も出ないほどの美人でムカついたことがあった。


 卒業式らしく、先輩を含めて当時のオカルトサークルの面々が写っている写真の中央に、その女はいた。


 亜麻色の長髪が小顔を包み、整った目鼻立ちと、目尻の上がった大きな瞳。ほっそりとした顎のラインに控えめに添えられた唇。


 卒業式のための袴姿は様になっていて、背の高い私より、ずっと女らしくて綺麗な人だった。


 印象的だったのは、普通こういう写真のときはちょっと顔を傾けるなり、綺麗に見える角度で写ろうとはしていないところだ。

 証明写真でも撮るかのように堂々とカメラを真っ正面から見据えている。

 そんな小細工をしなくとも、自分の容姿が優れていることを知っているのだろう。


 まさか、今でも先輩と会ったりしているのだろうか。


 そんなことを考えていたら、あっと言う間に部室の前に来ていた。


 まさかとは思うが今このドアを隔てた向こうで、二人でいたはりしないだろうか。

 一度そこへ考えが及ぶと、ノックしようと持ち上げた手を下ろして、逃げ出したくなってしまう。


 ドンドンと若干強めに、ドアをたたく。


「先輩、いますか?」


 中から返事はない。


 ほっとしながら鍵がかかっているはずのドアノブをひねる。


 すると、施錠されているはずのドアは容易に開いた。


 つまり……中に誰かいるということだ。


 また猛烈に逃げ出したくなるが、何事もなかったかのような表情でドアを開けて中へと入る。


 冬の夕方の部室は薄暗かったが、それでも誰かが床に横たわっていることはすぐにわかった。


 しかもそれは先輩じゃない。


 女の人で、しかもどこかで見た顔をしている。


 こちらに気がついて目を覚ました彼女は、猫のように床の上でゆっくりと伸びをしてから、寝ていたことを感じさせない明瞭な声で喋った。


「やぁ、これはこれは魔女さんじゃないー。奇遇だねー待っていたよー」


 微妙に成立してないように思えるセリフを、あっけらかんと間延びした声で喋る彼女の名前は確か――。


「会うのは二回目だよね。覚えてるかなー。君の先輩である河野康一の同期でオカルトサークルのOG。黛朋子まゆずみともこだよー」


 トモちゃんって呼んでふわあーね――と、喋っている途中でもかまわず、あくびをしている。

 そんなマイペースな黛先輩は、どうしていいかわからずに呆然としている私を、さらに混乱させてきた。


「ところで、魔女さん。団地で首を吊ってみたくなったりしてないかなー?」


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