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捌 『てるてる団地』 2/10

 キンッキンに冷えた空気は吐息を白く変えていく。


 氷みたいに澄みきった冬の空気は、針を落とした音ですらどこまでも響いていきそうだった。


 無人のてるてる団地の夜は、芯から冷えきったコンクリートと、夜空にひたされて真っ黒に染まった無数の窓でできていた。

 地面のアスファルトもヒビだらけの穴だらけで、懐中電灯を使わなければ歩行すらままならない。


 団地に六棟ほどある建物の一つに入ると、風雨で汚れてはいるものの、堅牢な造りをした階段が上へと延びている。

 下から見上げると踊り場にあるガラスの割れた窓から、半分に割れた月がのぞきこんでいた。


 このてるてる団地という名前は、もちろん俗称だ。


 その由来は多くの自殺が起きていることからきており、要するに、ここは廃墟としても心霊スポットとしても、なにより自殺の名所として、非常に有名なのだった。


 察しのいいかたなら、このてるてる団地というふざけた名前の悪趣味さにお気づきかと思う。


 ここで発見される遺体は、首吊り死体ばかりだ。


 誰が決めたのか、ここで自殺をするものはみな決められた作法を遵守して死んでいく。


 ベランダの手すりに縄をかけ、地面へ身を投げるようにして首を吊る。


 さながらそれは巨大なてるてる坊主のように。


 童謡にひっかけて、「来世は幸せにしておくれ」というキャッチコピー付きでネットに紹介されている始末だった。


 最近では管理や警備が厳しくなったために、自殺者はいくらか減っているらしいが、現在進行形で自殺する者が後をたたない。


 真偽は定かではないが、同時に五人もの人間がてるてる坊主と成り果てていたこともあるとかないとか。


 さすがにそれはないような気もするが、五体のてるてる坊主が軒先にぶらさがっている団地の光景は異様すぎて背筋が凍る。

 発見が遅れた死体の一つは野鳥についばまれ、さながら鳥葬に処されたようになっていたとのことで、そういった気が滅入るような話題や噂には枚挙にいとまがない。


 そんな場所へ、面白半分で散策しにきた不謹慎な一団。


 それが我がオカルトサークルというわけだった。


 後ろからついてくる女の子たちは、声をひそめて怖がってはいるものの、みなどこか楽しそうだった。


 もちろん、自分だって面白がっていることは否定しない。

 自らのうちにある恐怖心と好奇心のせめぎあいをおおいに甘受しながら、団地の奥へと進んでいく。


 お試しでこの心霊スポットツアーにやってくる子たちは、いざ来てみたはいいものの、怖じ気付いてしまって泣いてしまう子も中にはいる。


 それを鑑みれば、入部希望者である今回の三人の女の子たちはみな優望だった。


 食べることが大好きでおっとりしている経済学部一年の杉村卯月すぎむらうづきさん。


 青森から上京して大学に入ったものの友達ができなくて困っているらしい生命理工学部一年の東方美已ひがしかたみいさん。


 腐女子でオカルト好きだけれど、とてもオシャレな日本文学部二年の矢安宮らな(やんぐうらな)さん。


 この感じだと、たぶん三人とも入部してくれるだろう。


 どこで知り合ったのかといえば、今も続けている無料占いという名の人生相談ボランティアである。


 ……あれもどうなんだろう?


 自分としては占いが好きだし、みんなのおかげで始めた頃よりもずっと上達している自信がある。


 タロット占いをしながら会話することで、その人の家族構成や悩みや精神状態くらいはすぐわかるようになった。

 調子のいいときはその人が今まで付き合った異性の数までわかる。


 この心霊スポット巡りだって自主的なものを含めれば月にだいたい一〇カ所以上は回っている。

 そのおかげもあってか、最近ではあの不意に起こってばかりだった転調もあるていどコントロールできるようになった。


 転調が起こりそうな感覚を察知したときは、別のことに意識をそらして気を紛らわせれば防ぐことができるし、逆に集中力を高めて違和感を探しだそうとすれば、あるていどは転調を引き起こすことができるようになった。


 かように、オカルトサークルは自分の人生にとってはっきりとプラスの恩恵をもたらしてくれていると思う。

 わからないことがわかるようになったし、できないことができるようになった。


 でも、ついてきてくれているこの子たちにとって、そういうメリットがあるのか、甚だ疑問だった。


 彼女たちは普通の女の子たちだ。


 普通に自分の人生について大いに頭を悩ませる、モラトリアムな女子大生たち。


 これでも、嘘をつくのは嫌いだ。


 彼女たち一人一人がみんな幸せになってくれればいいなと本気で思う。

 だから「祝福あれ」と魔女である私が口にしていることは誇張が含まれるとはいえ真剣だ。

 このオカルトサークルを通しての経験が、オカルトでも人間関係にしろ、実りのあるものになってくれればいいと思うし、そうあるように率先して行動もしている。


 けれど、結局のところ、この活動でやっていることは迷子をたぶらかして、戯れて、目的地へ行くことを忘れさせているだけな気がしてならない。


 思うに、みんな人生について悩んでいて、誰かに道を示して欲しいだけなのだ。


 オカサーの魔女はそれにつけこんで、らしいことを口にして、正しいかどうかわからない道へとみんなを誘導しているだけな気がする。


 ハーメルンの笛吹きだ。


 騙しているつもりはないし、金品を要求してもいないけれど、やっぱり良くないことなんじゃないかという疑問はなくならない。


 そもそも、私は人助けをしようとしてオカルトサークルに入ったわけじゃない。


 先輩に助けてもらって、この人なら私が知らなかったことを教えてくれる、知りたいことを教えてくれる。

 一緒にいれば、きっと楽しい。

 そう思った。


 つまり、私は先輩と遊びたいだけだ。


 この団地だって初めて来たときは先輩が横にいてくれて、普通は見えないものや聞けないことを、すべて共有することができた。


 自分が特別じゃないんだって思えて、嬉しかった。


 けれど今はそうじゃない。


 ツアー中の璃々佳ちゃんはみんなの規律を守るのに忙しくて喋ってくれないし、今の私は孤高な魔女としての姿勢を貫かないといけない。


 ……ちょっとナーバスみたいだ。

 べつに今が嫌ってわけじゃない。


 こうして新しい人間関係を築いていくのだって楽しいし、璃々佳ちゃんがいなかったら、みんなと知り合いになることだってなかった。


 ダメだダメだ。


 こんな沈んだ気持ちで心霊スポット巡りはするものじゃないって先輩に忠告されたじゃないか。


 心霊スポットには人を引きつける力がある。

 それに引っ張られやすくなるから、もっと明るくふざけてろって言われたじゃないか。


 せっかく来たのだから、ちゃんとみんなで楽しまなければ。


 頬を両手で叩いて、冷静さを取り戻す。


「どうしましたロキ様」と間田さんやみんなに不思議がられるが、そういうときは黙って笑っていればいい。


「ここですよ。みなさん」


 ちょうど目的地へとたどりついたこともあって、とある一室の前で後ろを振り返り、私はニッコリと笑みを浮かべてみせるのだった。







 他の部屋には基本的に鍵がかけられているが、なぜかこの部屋だけはドアが取り外されており、いくつもの木の板で塞がれている。


 だが、木や釘は風雨と年月にさらされたことで腐り果て、人が一人かがんで入れるていどの穴が開いていた。


 ここがてるてる団地、最大の名所である604号室である。


 理由は単純で、この場所での自殺者が最も多いからだ。


 そもそもこのてるてる団地の噂というのは、普段はすべての部屋に鍵がかけられているはずなのに、自殺者がここへ訪れると、一つだけ鍵が開いている部屋があるというものだ。


 この世で居場所をなくした自殺者が最期に帰るべき場所を用意してくれる団地。

 それがこのてるてる団地が自殺の名所たりえている評判の一つである。


 評判であり、噂であり、都市伝説だ。


 基本的には部屋にはすべて鍵がかかっているし、たいていの人間は無理矢理に外からよじ登った二階などの低層階で首を吊っていることが多い。


 けれど、この604号室はそれとはまったくちがう。

 なぜなら部屋にドアがないのだから、鍵だってかけられない。

 はっきりとわかっているだけで確実に三人はここで死んでいる。


 自殺者を招き入れる死の部屋。

 それがこの604号室だ。


 懐中電灯で入り口の穴から中を照らしてみる。


 雨漏りをしているらしく、部屋中がカビだらけで床の木は腐ってしまっている。

 穴から漂うかすかな埃のにおいが鼻についた。


 そのとき、ぐにゃりと、足元がぬかるんでいく感触がわずかに感じられた。

 転調が起こりそうな――幽霊が見える――前兆だ。


 確実に、なにかがいる。


 このてるてる団地には、先輩との心霊スポット巡りのとき、一度だけ来たことがある。

 だがこの604号室に入るのは今晩が初めてだった。


 先輩いわく「君にはまだ早い」とのことだ。


 事情を聞いてみても詳しく教えてはくれず、意地の悪い笑いをしながら「まだ早いし、そもそも君とは相性が良くない」とか、要領を得ないことを宣うだけだった。


 そして、「君の場合は、あそこで一服できるようになれば一人前ということにしようか」とも言っていた。


 なるほど、あの海千山千の先輩がそう言うだけあって、まとわりつくような嫌悪感が穴から吹き出しているようだった。


「ロキ様、中の様子はどうですか?」


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