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漆 『チャーリーゲーム』 7/10

 璃々佳ちゃんの頬は上気していて、息も荒い。


 いったいどうしたというのだろう?


 まさか、今のとなにか関係があるのか?


 一度緩めた腕に力を込めて、また璃々佳ちゃんを強く抱きしめた。


「大丈夫!? どこか苦しい!?」

「ぐむ……、ぎ、ぎぶ……ぎぶです、ヤマーさん。離してください。このままじゃ……身体がもたないです」


 胸元に顔を埋めるようにして抱きしめられた璃々佳ちゃんは、絞り出すように弱々しく声を出していた。

 こちらとしては心配でしょうがなかったが、ひとまず言われた通りに手を離してみる。


 璃々佳ちゃんの顔色は上気を通り越して赤黒くなってきており、鼻血まで出ていた。


 もしかして、このまま倒れてしまうのかと心底不安にさせられたが、璃々佳ちゃんは私から少し離れて何度か深呼吸をすると、しだいに元の顔色へと戻っていった。


「平気? 病院に行ったほうがいい?」

「いや、もう平気です。ちょっと、心の準備ができてなくてですね……興奮しすぎてしまいました」


 璃々佳ちゃんが何を言っているのかよくわからない。


 やはり気が動転しているのだろうか。


 冷たい水に濡らしたタオルを璃々佳ちゃんに手渡して、カーテンを開けて先ほどの窓を確認してみる。

 少し考えたが、違和感がなくなっていたこともあって、窓を開けて顔を出した。


 このアパートにベランダはなく、窓は道路に面してもいない。

 人がいると想定するにはあまりに不自然な配置になっている。


 窓の向こうをのぞいても、寒々しい夜気が顔に触れるだけで、そこにはなにもない。

 わずかな街の外灯の光が夜の中へ滲んでいるだけで、異常らしい異常はない。

 風もなく、木々が枝を揺らす音も聞こえない。


 窓を閉めると、人影が見えたような気がして一瞬どきりとするが、自分と璃々佳ちゃんの姿しかそこにはなかった。


 だが、光の加減で見えなかったものが、このとき始めて見えるようになった。


 璃々佳ちゃんにばれないよう、後ろ手にカーテンを閉めておく。


「そういえば、さっき鳥が窓にいませんでした?」

「鳥?」

「ええ、なんかクチバシで窓を叩いてたような気がするんですけど……気のせいでしたか」

「いやー? 気のせいだと思うよ」

「そうですか、ならいいんですけど」

「……」


 璃々佳ちゃんの隙を見て、後で窓を拭いておこう。

 角度が変わらないと分かりづらいが、べったりと二つの手形が窓ガラスについているのだ。


 窓に張り付いて、部屋の様子をうかがっている何者かがいたかのように。


「……ねぇ、璃々佳ちゃん」

「なんです?」

「今日は一緒に寝よっか」







 それから二日後に景子さんがまた入院した。


 今度は暴漢に襲われ、刃物で右足を深く切り裂かれる重傷だった。

 暴漢はすでに逮捕されており、麻薬の常習者であることがわかっている。

 犯人と景子さんに面識はなく、通り魔的な犯行のようだ。


 普通に考えれば、錯乱した男の前に運悪く景子さんが立っていたということにしかならない。

 だが、これで景子さんが重傷を負うのはチャーリーゲームを始めてからわずか三ヶ月で六回目ということになる。

 不幸に不幸が重なったといえばそれまでだが、果たして本当に不条理で片づけていいものだろうか。


 犯人は逮捕直後、「剣を持った悪魔に殺される」という幻覚と幻聴に苛まれ、ひどく怯えていたとのことだった。


 これも一つの不条理であり、ただの偶然といえる。


 これらのバラバラにされた偶然が、悪魔によって紡がれた一繋ぎの必然だと、確信できる人間はなかなかいないだろう。


 この私を除いて。


 先輩が帰ってくるまで待っていようとも思ったが、時は一刻を争う。

 景子さんは失血により、一時は意識不明にすらなっているのだ。

 次にどんな形で危害が及ぶか見当もつかない、危険な状態だ。


 エクソシストの経験なんて当然なかったが、勝算がないわけでもない。

 やれることはやってみようと、覚悟を決めて景子さんと会うことにした。


 入院している場所は、大学からほど近くにある大きな総合病院だった。


 先輩いわく、この病院もなかなかの心霊スポットらしいのだが、面白半分に入るのはさすがに不謹慎過ぎるとのことで、来たのは初めてだった。


 病院は六階建てで、鉄筋コンクリート製のがっしりとした大きな建物だったが、近づいてみると、ところどころ外壁の塗装やコンクリが剥がれている。


 受付ロビーは天窓から差し込む陽の光に照らされて、老若男女の様々な人たちが行き交っていた。

 清潔感と解放感のある光景だったが、やはり内装のところどころに建物の築年数を感じさせる部分が目につく。


 白昼ならばこの暖かな陽の光と人の気配で誤魔化せるが、もし太陽も人もいない夜に来れば、まったくちがった様相になることだろう。


 景子さんの病室は北病棟の五階にあった。

 中に入ると六つの病床がある大部屋で、窓際の一隅だけがカーテンに覆われている。

 幸いなことに景子さん以外にこの部屋を使用している様子はない。


「こんにちは、景子さん。怪我の具合はどうですか?」


 カーテンを開けると、白いシーツにくるまった景子さんがすぐ視界に入ってくる。


「どうもこうもないわよ……」


 シーツから飛び出した右足には包帯が巻かれており、その傷の深さを物語っている。

 怪我はそれだけじゃない。

 病院の寝間着の裾からは無数の青痣がちらちらと見え、それは顔にも及んでいる。

 殴打の痕跡はまざまざと残っており、頬は腫れ上がって左の瞼にいたってはほとんど開けることもできない。


 さらに熱を出しているようで、玉のような汗が額に浮かんでいる。


 説明なんてわざわざされなくても、満身創痍なのは一目で理解できるほど、景子さんはズタボロだった。


「今日はあの助手さんはいないの?」

「え、ええ……今日はどうしても外せない用件があるそうで」


 璃々佳ちゃんには今日ここに来ることは伝えていない。

 もし伝えていれば、必ず一緒に来ようとするはずだ。

 けれどこれ以上、璃々佳ちゃんを危険な目にあわせるわけにはいかない。


「へぇ、まぁそうでしょうね。私がどんなに惨い目にあったって、みんな自分の生活があるもの」

「……」


 景子さんは生気のない目を虚空に泳がせながら、暗澹たる雰囲気を身に纏っていた。


「ああいう子は、きっと男子にモテるんでしょうね。ああいう、女の子らしい、自分一人じゃなにもできないカワイイ系の女子は、さぞかしモテるんでしょうね」

「璃々佳ちゃんはそんな子じゃ――」

「そうかもしれないわね。でも、今こうしてあなたは一人でやってきているわけじゃない? あなたは私と同じよ。貧乏くじを引いてばっかりで、そのくせ誰からも好かれない。なにが魔女よ。どうせ友達もいないんでしょう?」

「……」


 ことこの局面において、ようやく理解した。

 この人は身体的な傷だけでなく、精神的にもかなりまずい領域に入っているということに。


 そのことが露骨に表情に顕れてしまっていたのだろう。

 景子さんは自身の様子をかろうじて客観視できたらしく、謝罪の言葉を述べてくれた。


「……ごめんなさい。ちょっと、自暴自棄になってるみたい。今の発言は全面的に取り消させて」

「気にしなくていいですよ景子さん。これだけ不幸が続けば誰だってそうなります」


 その件に関してはおためごかしを抜きにして、本気でそう思う。

 今の彼女をいったいどこの誰が鼻で笑うことができるというのか?


「引っ張られたの」と、しばしの沈黙を置いてから、景子さんはもうなくなっているはずの、存在しない左手をこちらに突きつけてくる。


「逃げようとしたのに、この左手を引っ張られて転んでしまったの。もしあと少しでも助けが来るのが遅かったら、きっと死んでたわ」


 辛い記憶が蘇ってしまったのだろう、景子さんの瞳は涙で溺れんばかりに溢れていく。


「今まで掴まれたことはあっても、引っ張られたことはなかったのに。これじゃあ、貴美子と同じじゃない」


 引っ張るのはヤメテ……お願い……と、意識が朦朧としているにも関わらず、自殺する前日まで懇願していた貴美子さんのことを思い出す。

 きっと景子さんは今、火傷と打撲と骨折でほとんど動けなかったはずの貴美子さんの姿を、脳裏に浮かべているのだろう。


「いや……あんな風になんて、私はなりたくない……」


 両手で自分の肩を抱いて、景子さんは身を震わせる。


「なんでこんなことになってるの? 確かに面白半分でオカルトじみたことはしたよ。けど、それはここまでヒドい目にあうようなことなの? あんなのただの気晴らしの冗談じゃない。そんなことも許されないの?」


 視線はこちらに向いているが、涙に濡れた両の瞳の焦点は微妙にあっておらず、目に見えない誰かに景子さんは語りかけているようだった。

 その様子は、ほとんど妄想に囚われているように見える。


「誰か助けてよ。私、これでも真面目に生きてきたんだよ? 気が強いとか、女王様だとか言われたりもするけれど、私はちゃんとやるべきことを自分で考えてやってるだけ。なのになんで誰も認めてくれないの? がんばってるのに。そりゃ口が悪いときもあるけど。努力だってしてるよ? 言わなきゃならないことをちゃんと伝えてるだけじゃない。なんで見て見ぬ振りをして、人の顔色をうかがって、右にならえで流される子ばっかり選ばれるわけ? 私のほうが、ずっとずっと……がんばってるのに……!」

「落ち着いて、なんとかしますから。任せてください」

「じゃあなんとかしてみなさいよ! このままじゃ、私は殺される!」


 自身の大声に景子さんはハッとして、また口をつぐむ。

 しかし、大きく肩を上下させて呼吸をしている姿は、未だ興奮状態だった。


 カーテンから顔を出して周囲の様子をうかがうが、看護士の人たちがやってくる気配はない。


 ……。


 気は進まないが、そろそろ始めないといけない。


 一ヶ月前もそうだったが、オカルト関係のトラブルにおいて、正確な状況把握ほど重要なことはないのだから。


「景子さん。嘘をついてることがありますね?」

「……」


 ビンゴだ。


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