漆 『チャーリーゲーム』 4/10
「それじゃあ私は事故のことや、当時のチャーリーゲームの様子を調べてみます。ヤマーさんはチャーリーゲームそのものについてと、今回の対処法を調べてくださいね」
落ち着きを取り戻した景子さんから、必要な情報を聞き出し、先輩から教えてもらった魔除けのおまじないを気休めに施しておく。
残念ながら、景子さんの左手にいるものがなんなのかは、よくわからなかった。
先輩に師事してもらって学んだことだが、どうやら自分は幽霊がいれば必ず見ることができるというわけではないようだった。
体調や、とりわけ精神状態が大きく関わってくる。
先輩は変性意識と言っていたが、転調と名づけているあの状態へ意識を持っていくのには才能と訓練が必要とのことだった。
景子さんの左手がなにかおかしいということは感じるが、それ以上のことを感じ取ることはできなかった。
普通に考えれば、チャーリーゲームによってやってきたなにかということになるのだが、そのなにかがわからないのでは対処の方法もわからない。
というわけで、璃々佳ちゃんの指示通りチャーリーゲームについて調べることにする。
調べるとは言っても、このていどのことはネットを検索すればすぐに出てきた。
チャーリーチャーリーチャレンジとも呼ばれるこれは、要するにコックリさんやエンジェルさまなどといった降霊術の一つである。
ネットではメキシコ版のコックリさんであり、チャーリーという悪魔を呼び出すとの触れ込みで紹介されていた。
どうやら海外ではかなり流行っているようで、集団パニックを引き起こした学校もあるらしく、全面的に禁止になっているところも少なくない。
あらゆる情報がスマートフォンでたちどころに手に入る世の中になっても、オカルトの人を惑わす力はまだまだ失われてはいないようだった。
チャーリーゲームのやり方はかなり手軽で簡素だ。
まず、A4ていどの紙一枚と鉛筆を二本用意する。
紙の真ん中には大きく十字を書いて四つの長方形を作り、斜向かいのスペースに「YES」と「NO」を書き入れる。
そして、紙に書き入れた十字に合わせて鉛筆を十字に重ねて配置する。
このとき上に乗っている鉛筆が一方へと傾かないようにしっかりとバランスをとれるようにしておく。
これで準備は完了だ。
準備ができたら、紙に向かって「Charlie Charlie,are you there?」と何度か呼びかける。
呼びかけにチャーリーが応じれば、触ってもいないのに鉛筆がゆっくりと「YES」を示す。
あとはコックリさんのようにチャーリーへ質問を行い、それに答えてもらうという遊びだ。
ただし、準備で説明したようにチャーリーは「YES」か「NO」でしか答えることができないので、質問の仕方に少しコツがいる。
終わり方は「Charlie Charlie,can we stop?」とチャーリーに問いかけ、鉛筆が「YES」を示したところで「Good bye」と返せば、無事に終えることができる。
コックリさんの場合ではちゃんと帰ってくれるまでお願いしなければならないが、チャーリーの場合は「Charlie Charlie,go away!」と言って紙を破けば強制的に終わらせることも可能だ。
景子さんの話では準備も簡単だし、ツイッターやフェイスブックでも話題なため、大学でやったことのある人間はそこそこ多いとのことだった。
それを考えると、景子さんだけがこんなことになっている説明がつかないが、手がかりらしい手がかりはこれくらいしかない。
他に景子さんの話で気になることと言えば、チャーリーゲームを大学で流行らせているのは先輩だという噂だったが、これは本当にただの噂だと思いたい。
もっと詳細な情報が欲しいところだったが、インターネットでは広く浅くでしか情報を収集することができなかった。
なので、こういうときは調べものの王道である図書館へ足を運ぶことにする。
うちの大学図書館の規模は大きく、蔵書数も多い立派なものだ。
だが調べものの内容が内容なので、果たして該当する本があるのか不安になる。
ところが、検索端末にダメもとで悪魔と二文字だけ打ち込んでみると、大量の蔵書がヒットしてくれた。
閉架書庫に入っているものも多数あるが、とりあえずそれは置いておくとして、併設されている自習室の机にめぼしい本を積み上げていく。
……。
悪魔やら魔術やら呪いやらといったワードが目白押しの、見た目的にはだいぶアレな感じの座席になってしまった。
なんでこんな本が大量に蔵書されているのか。
この大学の配本基準は大いに疑問だったが、実際それに助けられているので、文句もつけづらい。
周囲からの視線を感じるが、ここは覚悟を決めてそれらをシャットアウトする。
こっちは景子さんを助けなければいけないのだ。
多少の恥ずかしさで躊躇している場合ではない。
分厚いハードカバーの本を、黙々と読み進んでいく。
関係がありそうな部分を拾い上げ、ルーズリーフにメモを蓄積していく作業を閉館時間ギリギリまで続ける。
十一月ということもあり、夕方を過ぎると外はあっというまに真っ暗になってしまった。
自習室の人影もまばらになり、ふと本から顔を上げると一人だけになっていた。
そろそろ本を片づけないと――。
まとまりに欠けてはいるものの、悪魔についてびっしりと記述された何枚ものルーズリーフが机の上に広がっている。
やはり、調べていてそれほど気分のいい事柄ではない。
人間の欲望や醜い部分のみを極大化し純化させた存在、それが悪魔だ。
性善説を信じているわけではないが、醜悪さだけを取り出してこれが人間だと言われても、納得はできない。
そういう一面もあるというだけだ。
借りてきた本の中にはグリモアの類も混じっていた。
グリモアとは悪魔を使役して願いを叶える方法について記されている魔導書のことだ。
神ではなく悪魔に祈り、願望を充足させようとする人間の心理とはいかなるものか。
思案しながら読み終えた本たちを書棚へ返していく。
閉館の迫った図書館に人はもうほとんど残っていなかった。
外からの光はなく、広い室内には蛍光灯によって薄められた闇がほんのりと漂っていた。
ぽっかりとスペースの空いた場所へ、本をはめ込んでいく。
そのとき地面が沈んでいくのを感じた。
転調だ。
長時間集中していたのが起因しているのだろう。
昔ほどこの感覚を恐れることはなくなったが多少は気を引き締めて、平静を装う。
最後の一冊を本棚に置こうとすると、隙間にあった視線と目があった。
それはわずかなスペースからこちらをのぞき込んでいる初老の男性の瞳だった。
だがどう考えても身体を隠すスペースなんてそこにはない。
本棚に身体をめり込ませるようにして、小皺の刻まれた瞳は驚きに見開かれている。
……。
驚きたいのはこっちのほうだ。
覗かれている場所へ、おもむろに本をぶち込む。
抵抗もなく、本はするりと所定の場所へと収まった。
だが困ったことに、幽霊がはっきりと見えるこの状態からなかなか元へ戻ってくれない。
どこかからまだ見られている。
――振り向いてみると、本棚の隙間という隙間に目玉が敷き詰められていた。
――!
百個以上はあるだろうか。
それらすべての目玉が、ギョロリと視線を一斉に向けてきた。
とっさにポケットへ手を突っ込み、先輩から渡されたお守りを握り込む。
大丈夫だ。
大丈夫。
無駄に怖がっちゃいけないんだ。
と、いきなり電話の電子音が響き、それと同時に霧が晴れるように転調した世界は遠のいていく。
マナーモードにしておくのを忘れていたのが功を奏してくれた。
着信を見ると、先輩だった。
本当ならば図書館で携帯電話の使用は厳禁なのだが、周囲に人は誰もいないので、すぐに通話ボタンを押した。
「危ないところだったな!」
「せんぱぁい……」
ほっとして壁にもたれかかると、そのままズルズルとしゃがみ込んでしまう。
心霊スポットでもそうだが、どれだけ異常なものを目の当たりにしても、横でヘラヘラしている先輩がいてくれれば怖さはだいぶ軽減される。
旅行中の先輩がどうやってこちらの状況を把握しているのか不思議でならなかったが、その疑問には嘲笑で答えてくれた。
「え、なに? 泣いてんの君? 冗談だったんだけどジャストタイミングだった系? なんかあった? ウケるぅー」
「……」目の前にいたら殴ってやりてー。
涙目になっている自分がアホに思えてきた。
握りしめた拳のやり場に困りながらも、今さっき起きた図書館での出来事を説明する。
先輩はこの図書館で司書として働いているので、すぐにわかってくれた。
「あーそのおっさんな。正体はよくわかんねーけど俺もよく見るわ。一人でいると寂しさを紛らわせるように出てきてくれる、いかしたオッサンだよ。探してた本の位置を教えてもらったこともあるぞ俺は」
「ええ……」
「あははは」
電話の向こうで先輩はけらけら笑っている。
頼もしいというか、なんというか……。
「にしても才能があるっつーのも大変だな。俺はもとが霊感体質じゃねーから見るだけでも苦労したのに」
「あんまり人に誇れる才能じゃないですけどね。ていうかどういう苦労を?」
「俺のときは幽霊が見える煙草を無理矢理に吸わされて数え切れないほど心霊スポットを巡らされたもんだ」
「なにをしているんですか!? ていうか誰がそんなものを……」
幽霊が見える煙草というものが果たしてなんなのか、限りなく法に触れていそうなワードであることは否定できない。
「そりゃあ由花子さんだよ。ひどいときはほぼ毎日連れ回されてたからな。ちゃんと見えるようになるまで帰らせてもらえないこともあったっけか。夜が明けることもざらだったし、本当にあの人は――」
む。
「それで、なんの用すか!?」
「なんだよ。なぜ怒る? 君が聞いてきたんだろうが、お土産買ってきてやらねーぞ」
先輩はシルバーウィークに有給を使うことで二週間近い連休の錬成に成功し、現在旅行中だ。
新幹線を使って石川県へ行っているとかなんとか。
「二三味珈琲と加賀ほうじ茶だったらどっちがいい?」
「えーっと……それだったら、ほうじ茶がいいです。緑茶の類はあんまり自分で買ったりしないので」
先輩が選んでくれたなら正直どっちでもいいような気分になるが、そんなことを言うとトンデモナイものを高確率で買ってくるような人だ。
「おっけー。ところでさ。そっちでなんかあったか?」
「なんでです?」
「いや、勘だけど」
……この人はいったいどこまで本当のことを話しているのだろう?
かれこれ出会って一ヶ月ほどになるが、ここまで喋っていることの嘘と本当の区別がつかない人も珍しい。
ていうか胡散臭いのだ。この人は。
とは言うものの、頼りにならないわけではない。
かいつまんで景子さんのことを先輩に話すことにした。
先輩は合いの手を入れるくらいで、喋り終わるまで口を挟もうとはしなかった。
危ないことをするなと怒られるかとも思ったが、「キナ臭い話だな」と一言つぶやいたきり黙ってしまった。
電話なのでよくわからなかったが、どうやら考え込んでいるようだ。
「チャーリーゲームを流行らせたのって先輩なんですか?」